こんにちは、FF7マニアのユウです。
今回はFF7に関する公式小説「On the Way to a Smile」について語っていこうと思います。
日本語に直すと「笑顔へと至る道」と訳せる本書ですが、これはFF7ACのラストで主人公を含む主要キャラクターたちが微笑むことを意味しています。(多分…)
このようなタイトルから察せる通り、本書はFF7ACの前日譚という位置付けの物語です。
“FF7の正当な続編”という宣伝文句で、まさに一世を風靡したACこと「ADVENT CHILDREN」。
2005年の発売当初は、筆者を含む全国のFF7ファンが熱狂したものです。

初めてACを視聴したとき、終盤のセフィロス戦とか超興奮したからな…!!

映像作品として商業的な成功を収めたのも納得のクオリティであります!
しかし、そんなACとて“完全無欠の神作”とは言い難い側面がありました。
FF7ACにおける最大の欠点。
少なくない数のFF7ファンが嘆いた唯一の要素。
それは、物語関連の描写が不十分で“視聴者が置いてけぼりになる場面がある”という点です。
例えばですが、クラウドの“家出”が最たる例です。
FF7ACは、クラウドが“家出”をしているところから物語が始まります。
“家出”の理由や経緯についてはACの作中である程度の説明がされているものの、視聴者の側からはイマイチわかりにくい。
クラウドは、いつからティファと一緒に生活するようになったのか?
クラウドは、なぜティファを避けるようになったのか?
クラウドは、どのような出来事がきっかけで“家出”という選択をしたのか?
これらはFF7ACを視聴するだけでは判然としない部分なんですよね。
こういった部分について、あれこれ想像して楽しむのも一興ですが、やっぱり公式からの回答は欲しいところですよね。
そんな声に公式が応えて(?)2009年に発売したのが、本書「On the Way to a Smile」です。
FF7のEDで、メテオが消滅してから世界はどうなったのか?
FF7ACへと至る2年間で、各キャラクターを取り巻く環境がどのように変化したのか?
これらの要素が、本書では描かれているという訳ですね。
しかし悲しいかな、本書の存在は世間ではあまり知られていないらしい。
FF7ACは有名でも、その前日譚である本書はそうではない。
そんな状況を憂いて、FF7を愛してやまない筆者が本書を面白さについて語っていこうと思いまして筆を執ってみた次第です。
「On the Way to a Smile」に興味があるFF7ファンは、是非とも本記事を読んでもらえると幸いです。
「On the Way to a Smile」の内容
本書はオムニバス形式で物語が進行し、各キャラクターの視点で「メテオ消滅」から「AC」に至るまでの過程が描かれています。
例えばですが、デンゼル編では彼の生い立ちが描かれています。
そこから続くティファ編では、デンゼルがセブンスヘブンに来た後の生活風景が描かれていて…といった感じですね。
そして、本書を語る上で外せないこと。
それは「星痕症候群」の恐ろしさが万遍なく描かれている、という点です。
ACを視聴しただけだと、唐突に登場した感じが否めない星痕症候群。
ACでは「よく分らんけどヤバい病気らしいな…」みたいな印象になりがちですよね。
しかし、本書では星痕症候群が如何に危険な病なのか詳しく描写されています。

ACの作中でも登場する星痕症候群によって苦しむ子供たち
身体から黒い粘液が吹き出し、しかも痛いし、高熱に苛まれる。
日常生活の中で“黒い水”に襲われたり、あるいは“死への恐怖”を抱いたりした時点で、発病すること待ったナシ。
極めつけに、ACでの主人公の台詞そのままですが「治療法がない」。
熱や痛みを緩和するための対症療法は、神羅製の興奮剤を薄めて飲むことくらい。
もはや発病してしまった時点で、遅かれ早かれ死ぬことは避けられない。
そんなヤバい病気が、世界規模で蔓延している。
その元凶は、死後も懲りることなくライフストリーム内で活動中のセフィロス。
…といった具合に、ACを視聴するだけでは分かりにくい設定の数々。
これらの設定について、本書を読むことで深く理解できるようになります。

ACはクラウドが星痕症候群に罹病している状態で物語が始まるけど、クラウドが生きることについて悲観的になっていた理由はコレだな…

こんな病気に罹って、前向きな気持ちでいるなんて無理であります!
ちなみに、この星痕症候群はメテオが消滅した翌日から確認されています。
最初はミッドガルで罹病者が確認されたことから、当初は「ミッドガル病」とも呼ばれた星痕症候群。
その後は世界各地で罹病者が増え続け、加えて致死率も高いことから、FF7世界ではメテオが消え去ったにも関わらず依然として“終末感”が漂っています。
ACの作中でもクラウドが星痕症候群によって苦しんでいる様子が描かれていますが、本書では市井の人たちが次々と死んでいきますし。
主なキャラクターの中では、ルーファウスが星痕症候群を発症する場面についても詳しく記載されています。
総じて、AC時点でのFF7世界は非常に危うい状態であったことが、本書によって補完されているという感じですね。

陰鬱な雰囲気が漂っているACだが、こんな病気が流行していては無理からぬ話である
デンゼル編

偶然見つけたクラウドの携帯電話でティファと会話するデンゼル
デンゼルは神羅カンパニーの第三業務部で働く仕事熱心なエーベルと、家事が上手くて社交的なクロエとの間に生まれたひとり息子だった。
三人はミッドガルの七番街プレートにある神羅カンパニーの社宅エリアに住んでいた。
引用:On the Way to a Smile 11ページより
ACでは当たり前のようにティファ&マリンと同じ家で生活しているデンゼル。
そんなデンゼルが、どのような経緯でセブンスヘブンに来たのか?
その答えについては、本書の序盤で詳しく描かれています。
元々はミッドガルの七番街で裕福な生活をしていたデンゼル。
しかし、神羅vsアバランチの抗争によって、七番街プレートが破壊されてからは状況が一変します。
両親を失って孤児となり、さらに今度はメテオ襲来によってミッドガルのプレート上部には住めなくなり、文字通りのスラムへと身を窶すときた。
同年代かつ孤児となった子供同士で協力しながら生きていこうとしたものの、飢餓と星痕症候群には抗えず、仲間は減っていくばかり。
ついには汚いネズミを捕まえて食べるか否かという極限状態の中で、最後の仲間と仲違いし、さらには自分も星痕症候群を発症してしまうという急展開。
“弱り目に祟り目”とでも呼ぶべき状況の中で、偶々通りかかったクラウドに助けられ、セブンスヘブンにて世話になることになった。
…という過程が本書では語られています。

クラウドと出会わなければ、まず間違いなくデンゼルは野垂れ死にしていたことだろう…
つまり、デンゼルの人生が狂った発端は「七番街プレート落下事件」なんですよね。
FF7プレイヤーならば知っての通り、これは神羅上層部の指示でタークスが行ったことです。
しかし、この事件における責任の一端は、バレット・ティファ・クラウドといったアバランチの面々にもあります。
それもそのはず、神羅勢がプレートを落とした目的とはアバランチを潰すためでしたからね。
そのような経緯をデンゼルから聞いたティファは、アバランチとして活動していた自分の過去と照らし合わせて、デンゼルを養育することは自分の責任だと認識するようになります。
この辺りは後述するバレット編にも通じる要素でして、アバランチとして無関係の人々を巻き込み、そして不幸にしたことについての贖罪を兼ねているという訳ですね。

ある意味、デンゼルの存在は「ティファの罪悪感」を浮き彫りにするための舞台装置として機能しているとも言えるかな…

ゲームをプレイした側にも「FF7序盤におけるアバランチの暴挙」を思い出させてくれるであります!
ティファ編

あらゆる意味で本作屈指の苦労人となってしまったティファ
あの日。運命の日。
宇宙から飛来したメテオを消し去ろうと、大地から噴き出したライフストリームがミッドガルに集結していた。
その光景をティファは仲間たちと一緒に空から見ていた。
引用:On the Way to a Smile 53ページより
デンゼル編から続く形で展開されるティファ編ですが、この章ではとにかくティファが苦労しまくっています。
自らの過去に折り合いをつけることを兼ねて、ミッドガルの東部に新たに築かれた街「エッジ」にて新生セブンスヘブンを開店させ、店主として日々の仕事に勤しむティファ。
その傍らで、何かと手の焼ける“家族たち”のおかげで心労が絶えないときた。
同居しているマリンは、しっかり者とはいえまだ4歳~6歳という時分。
自分が養育すると決めたデンゼルは、まさに闘病生活の真っ最中。
そして何より、クラウドの扱いが面倒くさいことこの上ない。
ある時は前向きだったり、またある時は後ろ向きだったり。
何かにつけて言葉足らずで、コミュニケーションは下手クソと言わざるを得ない。
それらが積もり積もって、ティファの精神を引っ掻き回す。
早い話、ティファからすればクラウドは「大きな子供」みたいに描かれている訳ですよ。
クラウドもクラウドで、自分が開業した「ストライフ・デリバリーサービス」が忙しいため、クラウドだけが一概に悪いとも言い難いのですが…
それでも、やっぱりクラウドは面倒くさい。
筆者の私見ですけど、ティファ編でのクラウドは「面倒くさい男」そのものです。
巨悪を打ち倒すための道中ならばともかく、本書の生活風景におけるクラウドは「所詮は顔が良いだけのコミュ障」みたいな感じなんですよ。

クラウド殿の実年齢は21歳ですが、精神年齢は16歳だから仕方がないのでは?

仕方ないのかもしれないが、恋愛経験も同棲経験もロクに無いような“精神年齢16歳”が相手ではティファだって苛々するだろうよ…
一応クラウドを擁護するならば、クラウドは同居人(=ティファ・マリン・デンゼル)との距離感を掴みかねていたという感じですかね。
どのような態度で接すれば良いのか、クラウドには分からない。
どのようなことを喋れば良いのか、クラウドには分からない。
このような人間関係的な部分での経験値の乏しさが、ティファ編全体を通じて裏目に出てしまい、日々の生活の中ですれ違いを生んでいる。
…が、繰り返しになりますけど、筆者個人としてはやっぱりクラウド側に落ち度があるように思えてなりません。
何と言いますか、同棲している男女のリアルな情景という感じね。
この辺りの描写は、妙に生々しかったりします。
「好き」という感情だけでは上手くいかないこともある…みたいな現実を突き付けてくるというか。
結局のところ、ティファ編の最後でクラウドは家出してしまいますし。
この“家出”の直接的な原因はクラウドが星痕症候群を発症したことですけど、わざわざ“家出”という選択肢を選んだのは、ティファとの関係性によるところも大きいみたいですし。
ACでもクラウドによる“家出”の理由はある程度語られていますが、本書を読むことで“家出”の真相についてより深く理解できます。

クラウドとしては、星痕症候群によって弱気になった自分をティファが叱りつけてくるのが嫌で出て行ったんだろうなぁ…

クラウド殿の“叱られ耐性”は、本書を読んだ限りですと非常に低そうですからな…
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バレット編

自らの罪から逃げずに向き合おうとするバレットは中々の“漢”である
「おれのせいで数え切れないほどの人間が死んでしまった」
バレットはアバランチの仲間たちと壱番魔晄炉を爆破した時のことを思った。
予想を遥かに超えた被害。
パニックになった街。
死んでいった仲間たち——見知らぬ市民たち。
引用:On the Way to a Smile 88ページより
バレット編は娘をティファに預け、新生セブンスヘブンから旅立つところから始まります。
マリンを自分で養育せずにティファに預けて旅立ってしまう時点で、バレットって父親失格じゃね?
…などと思うなかれ、バレットはバレットなりに罪の意識に苦しんでいました。
マリンという名の“拠りどころ”から離れて、自分自身を見つめ直す必要があるのではないか?
かつて自分が犯した罪を償うために、今の自分に出来ることを探し行くべきではないのか?
そんな葛藤を経て、旅立ちを決意するバレット。
これはバレット曰く「落とし前をつける旅」であり、アバランチとして無辜の人々を死なせてしまったことへの贖罪のため。
ところが、何をどうすれば自分の過去に折り合いをつけられるのか見出せず、精神的な意味で途方に暮れるときた。
かつて自分が目指した、魔晄が使われていない世界。
魔晄炉が一基も稼働していない世界。
それは決して良いことばかりではなく、以前と比較して人々の生活が困窮するという側面も生み出していた。
そんな新たな世界を目の当たりにして、満足するどころか戸惑うばかり。
この辺りはバレットというキャラクターのない面だけでなく、FF7世界のエネルギー問題にも切り込んでいる部分でもあり、往年のFF7ファンである筆者にとっては非常に読み応えがありました。

端的に言うと “魔晄なき世界”についてバレット殿の視点で描かれているであります!

この辺りは現実の環境問題に通じる要素があって、色々と考えさせられるな…
道中で知り合った市井の人たちは、星痕症候群で死んでいく。
自分はと言うと、何も出来ずに見ているだけ。
無力感に打ちひしがれ、それでも旅を続けるバレット。
そして、バレットは旅先で会ったシドとのやり取りを通じて「石油」の存在に着目します。
この石油こそ、魔晄に代わるエネルギーとして人々の生活を助けてくれるのではないか?
そんな具合に、石油に希望を見出し、より多くの石油を得るために油田を探そうと意気込むバレット。
ACの序盤でバレットがクラウド宛に「油田を見つけたぞ」と嬉しそうに電話してくる(留守電メッセージだけど)場面がありますが、その元ネタは本書の中で語られているという訳です。
ナナキ(レッドⅩⅢ)編

FF7のエンディング後、新たな旅に出たナナキ
今は亡きじっちゃん——ブーゲンハーゲンの最後の言葉に従って、自分はこの「世界を記憶する旅」を自分の新しい使命にする、と。
谷の人々は、その旅は有意義なものになるだろうと、ナナキを励ましてくれた。
そして、自分たちはいつでもここにいるからと、ナナキを送り出した。
引用:On the Way to a Smile 111ページより
ナナキ編は、後述するユフィ編とも密接に繋がっています。
新たな旅の過程でウータイに寄り、星痕症候群の患者たちも会話を交わすナナキ。
ここでは「ナナキ視点でのユフィ」について描かれており、中々興味深かったりします。
FF7の作中において、ナナキの実年齢は48歳です。
しかしながら、ブーゲンハーゲン曰く人間に換算すると15歳~16歳くらいに過ぎない。
一方で、ユフィの年齢はと言うとFF7の作中時点では16歳。
つまり、この二人(いや、一人と一匹か?)は精神的な意味では同年代なんですよね。
それはナナキ自身も自覚しており、だからこそユフィに親近感を覚えていることが本書では言及されています。

16歳か……
まさに思春期の真っ最中とも言うべき年代だな…

“大人”と“子供”の狭間に居るからこそ、ナナキ殿とユフィ殿は通じ合うものがあるのでしょうな!
そして、ナナキ編で頻繁に登場する「ギリガン」という謎の存在。
読み進めていけば分かりますが、これはナナキが自身のネガティブな感情を「ギリガン」と名付けて呼称しているだけです。
この辺りもまた“思春期感”があって微笑ましい(というか恥ずかしい)描写だったりします。
悪い言い方をするなら、厨二病みたいな感じ。
本人は至って真剣だけど、第三者から見たら失笑してしまう…みたいな。
実際、ナナキ編の後半で登場するヴィンセントからは、この件について笑われています。
あの無口かつ無表情なヴィンセントが笑ってしまうくらいには、この「ギリガン」という言い回しがいかに厨二臭いかがよく伝わってきます。
しかし、そこは流石に実年齢は60歳近いヴィンセント。
ナナキのことを笑いつつも、人生の先輩として自分の中にあるネガティブな感情(特に孤独感)とどのように付き合えば良いのかを説いてくれます。
500年以上も生きられる長寿のナナキ。
500年どころか、永遠に生きていられる不老不死のヴィンセント。
“長く生きられる”という特性によって、ある意味では“取り残される”という苦悩を共有できる相手がいる。
このことは、ナナキにとってもヴィンセントにとっても救いであることが窺えます。

“長寿”と“不死”は似て非なるものでありますからなぁ…

最終的に“孤独”によって苦しむのはナナキではなく、ヴィンセントの方だからな…
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ユフィ編

本書を読むことでユフィの人間的な成長について理解できるだろう
ユフィは壊れた建物の修復のために、町のあちこちから集まってきた人々を眺めていた。
包帯を巻いている人が多い。
「みんな大丈夫だった?怪我人は?」
「怪我人は結構多いぞ。でも、深刻な者はそれほど多くはない」
「多くはないってことは、いるんだね」
引用:On the Way to a Smile 154ページより
ユフィ編はセフィロスとの決戦を経て手元に残ったマテリアを巡り、仲間内で論争するところから始まります。
まあ、論争と言ってもユフィが一人で駄々をこねているような状況なのですが。
最終的には「攻撃系のマテリアはクラウドが保管し、回復系のマテリアは皆で分け合う」という意見に渋々と賛同したユフィ。
そんなこんなでクラウド一行と別れた後、故郷であるウータイへと帰ったユフィの目に映ったのは、ライフストリームの影響によって倒壊した建物の数々。
怪我人に加えて、星痕症候群の患者も増える一方ときた。
まったく、ウータイの明日はどっちだ。
…といった具合に、ユフィの陽気かつ楽観的な性格とは裏腹に、話の展開自体は結構ハードなんですよね。
このユフィ編では「地表に噴き出したライフストリームによる被害」について焦点が当てられています。
FF7のラストにおいて、ホーリーを援護するかのようにミッドガルに押し寄せ、ついにはメテオを消滅させることに成功したライフストリーム。
しかし、その代償は決して小さくはなかった。
ライフストリームの通り道になった場所では、地形が変わるほどの影響が出ていた。
ましてや、その“通り道”に街があった場合の物理的被害は軽視できないレベルだった。
その最たる例がウータイであり、父親が言うには「恐ろしい夜」だったそうで。
実際のところ、家屋の壊れ具合については洒落にならない。
その事実が、ユフィの視点で描かれているという感じですね。

人類社会にとって、ライフストリームは必ずしも“善”ではないことが伝わってくる一幕だな…

平たく言えば、地震とか台風みたいな“自然災害”としての側面が描かれているであります!
帰郷する道中では華々しく凱旋してやろうと思っていたものの、愛する故郷の凄惨な光景を目の当たりにして、今の自分に出来ることを頑張ろうと決意するユフィ。
持ち帰った回復系のマテリアを使って怪我人たちの治療に明け暮れるユフィは、もはや医師そのもの。
実際のところ、作中では「マテリア・ハンターとしての生活を終えたユフィは、ドクター・ユフィとして華麗なる転身を遂げた」と書かれていますし。
さらには星痕症候群の治療法を探そうと奮闘する姿は、FF7本編での自分勝手な忍者娘とはえらい変わりようです。
この辺りは、ユフィが人間として一皮剥けた感じがしますね。

ユフィ編は“ユフィの精神的な成長物語”として読むと楽しめるかもな!

10代後半だからこその葛藤と成長が伝わってくるであります!
神羅編(筆者のイチ押し)

神羅編の醍醐味とは、タークスとルーファウスに関する心理描写である
タークスが選んだのは、最後の瞬間まで仕事を続けることだった。
「メテオが衝突した後の事を考えても意味が無い。ギリギリで回避されることを想定して我々は動く」
そう言ってツォンが部下に指示したのは、ミッドガル住民の救助と避難誘導だった。
引用:On the Way to a Smile 210ページより
本書の中で最も面白く、なおかつFF7世界の世界観に最も切り込んでいる章。
それは、この神羅編であると筆者は断言します。
そうは言っても、筆者はルーファウスやタークスが大好きな人間ですので、そのバイアスによる効果は小さくないと思うのですが。
しかしながら、そうは言ってもゲーム本編においてクラウド一行と敵対していた神羅勢の視点による「メテオ」や「ライフストリーム」に関する描写は興味深いものがあります。
メテオが眼前に迫った“超”が付くほどの絶望的な状況下で、これまた“超”が付くほどのプロ意識で仕事に励み、神羅カンパニーが事実上瓦解したにも関わらず社長に忠誠を尽くすタークス。
ダイヤウェポンによる攻撃に晒され、それでもなお奇跡的に一命を取りとめ、見知らぬ一般人の救助を行うといった義侠心を発揮するルーファウス。
ゲーム内では一貫して「敵」としての役回りを貫いていた彼らだからこそ、本書で垣間見える善性については惹きつけられるものがあります。
そんな神羅編の最大の見所とは何か?
これまた筆者の私見ですが、それは“ルーファウスが良い味を出している”という点に尽きます。
自身の幼少期を振り返り、今は亡き父親との確執を見つめ直したり。
神羅を利用しようと企む数々の人物に対して、持ち前の頭脳と勝負勘を駆使して渡り合ったり。
ユフィ編でも登場した“黒い水”に恐怖し、慄いた末に自らも星痕症候群に侵されたり。
ジェノバに興味を示す元神羅の科学者と表向きは手を組み、星痕症候群の治療法を探るべく行動したり。
正味な話、この神羅編を読むことでルーファウスという人物への印象は大きく変わると言っても過言ではないです。

FF7本編の怜悧冷徹な経営者(または独裁者)としてではなく、一人の青年としてのルーファウスが描かれているぞ!

このような人物が主なら、タークスの面々が忠誠心を失わないのも納得であります!
ところで、FF7ACの冒頭でタークスが「ジェノバの首」を確保している場面が描かれています。
これは本書での騒動を通じて、ルーファウスが「ジェノバを悪党に渡してはならない」と判断したためです。
つまり、ルーファウスは善意によって動いているという訳ですね。
ACを視聴しただけではイマイチわかりにくい神羅勢の行動理由が、本書の神羅編を読むことで腑に落ちる…といった感じです。
先述したティファやバレットといった主要キャラクターと同じか、あるいはそれ以上の濃さで人物描写が行われているので、ルーファウスを含む神羅勢のファンならば一読の価値がある章です。
“ACの前日譚”という位置付けである本書「On the Way to a Smile」の真骨頂は、この神羅編であると筆者は思っています。
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ライフストリーム編

「またお前かよ」とでも言いたくなるFF7世界の大戦犯・セフィロス
男はライフストリームが自分の精神——かつての体験や思考、感情の記憶——を削り取ろうとしているのを感じていた。
このまま流れに身をかませてしまえば、やがて自分という存在は拡散し、星を巡る精神エネルギーの中に消えてしまう。
許されないことだと男は思った。
星は支配するものであって、そのシステムに貢献することなど、敗北以外の何ものでもない。
引用:On the Way to a Smile 48ページより
女は古代種だった。
だから、ライフストリームの中でも自分を維持することができた。
望めばいつでも星の一部になることは可能だったが、女はそれを求めるのはまだ早いと思っていた。
引用:On the Way to a Smile 80ページより
ティファ編やバレット編など、各章の合間に挿入されているショートストーリー。
それがこのライフストリーム編です。
「ライフストリーム編」とは筆者が勝手にそう呼んでいるだけですが、これは文字通りライフストリーム内で何が起きているのかが描かれている部分ですので、それほど的外れな表現ではないと思っています。
このライフストリーム編では、ある「男」と「女」の視点で物語が展開していきます。
作中で明言されてはいないものの、「男」はセフィロスであり、「女」はエアリスを指しています。
つまり、ライフストリーム内でセフィロスとエアリスが何を考え、どのように行動していたのかが読めるという訳です。

古代種であるエアリスはともかく、ライフストリーム内で自我を保っているセフィロスはもはや人外レベルの存在だな…

ここまで来ると、セフィロス殿をライフストリーム内から完全に消滅させることはFF7の世界観的に不可能であるように思えるであります!
星痕を宿した死者の思念を利用し、ライフストリームを侵食しようと試みる「男」ことセフィロス。
星痕を宿した死者の思念を癒すべく奔走するものの、あまりにも死者が多過ぎて対処が追い付かない「女」ことエアリス。
あくまで精神だけの存在でるため、実際に相対して物理的に殴り合ったりこそしないものの、この「死者の思念」を間に挟んでのセフィロスvsエアリスという構図が面白い。
かつてはメテオを呼び、星を支配するべく行動した破壊者。
メテオを対応するべくホーリーを発動させ、星を守るべく行動した古代種。
ゲーム本編において対極の位置にいた二人が、今度はライフストリーム内で人知れず戦いを繰り広げている訳です。
この辺りは“冷戦”とか“暗闘”と呼ぶに相応しい描かれ方をしており、死後も続く二人の因縁の深さが感じられます。
最終的に勝つのは、クラウドへの執着を糧として復活することを目論むセフィロスか。
それとも、死してなおも星の内部からクラウドを見守り続けているエアリスか。
このような視点でライフストリーム編を読んでみると、ACの物語をもう一段階楽しめるかもしれません。
まとめ:本書を読むことでFF7ACをより深く楽しめる

本書を読むことで各キャラクターの新しい一面を発見できるのは間違いない
FF7ACはゲームではなく映像作品であり、そのせいか各場面の描写について細かい説明がされている訳ではありません。
極端なことを言えば、星痕症候群がどのような経緯を経て、いつから世界中に蔓延したのかも作中では触れられていないのです。
付け加えると、ルーファウスを筆頭とする神羅勢が「よく分らんけどジェノバの首を手に入れて悪巧みをしている」ように見えなくもないですし。
そのため、FF7ACのオリジナル版が発売した2005年は「作中で登場する各種設定について説明不足が目立つ」なんて声も少なからずありました。
圧倒的な映像美、迫力満点の戦闘シーンが称賛されたからこそ、物語面の“粗”が目立ってしまったという感じですかね。
原作版FF7みたいな複雑かつ奥深い物語を期待していた人にとっては、ちょっとした“肩透かし”のように思えたりとか。
かくいう筆者も、そのように感じた一人でした。

正味な話、初見でセフィロスの発言内容を100%理解できた視聴者は少数派だろうな…

セフィロス殿による「私は思い出にはならない」という台詞からは、ライフストリーム内で半永久的に生き続ける術を確立したからこその自信が窺えるであります!
そんなこんなで、ある意味ではアンチ的な意見も散見されていたFF7AC。
そんなACも、本書「On the Way to a Smile」が発売されたことで世界観や人物描写が補完され、作中の様々な設定について正しく理解できるようになりました。
ACは事前情報なしで視聴しても十分に楽しめる作品ですが、本書を読んでおけば物語面もより一層楽しめます。
Amazonや楽天でしたら中古版をワンコイン程度で買えますので、もし興味がある人は本書を読んでみてください!
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました!
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