こんにちは、FF7マニアのユウです!
今回はザックスの“出世”について語っていこうと思います。
ここで筆者が言いたい“出世”とは、ゲーム内でのことではなく、現実の世界における“出世”です。
元々は“脇役”に過ぎなかったザックスが、いつの間にかFF7界隈では主要人物の一人として扱われている。
これが“出世”でなければ何でしょうか?

作中で立身出世を志してソルジャーになったザックスが、まさか現実の世界でも“出世”してしまうとはな…

“事実は小説より奇なり”というヤツですかな…
古参のFF7ファンならば知っての通り、ザックスは“脇役”という立ち位置のキャラクターでした。
主人公の親友であり、なおかつ主人公の疑似人格のベースとなった人物。
ヒロインにとっては初恋の相手でもある。
…などと言うと大層な設定のように聞こえますが、実のところザックスの登場場面そのものは非常に限られていました。
少なくとも、原作版FF7の頃はそうでした。
しかし、FF7の派生作品が増えるにつれてザックスの知名度は向上するばかり。
令和以降に展開されているRシリーズに至っては、何と“準主役級”とでも呼ぶべき扱いを受けている。
ここまで“出世”したFFのキャラクターは、ハッキリ言って他に類を見ない。
FF7どころか、FFシリーズ全体を見渡しても異例と言っていいくらいの“出世頭”なんですよ。
四半世紀以上の歳月を経て、徐々に、そして確実に人気を獲得していったザックス。
そして、いつしかクラウド&セフィロスに次ぐほどの重要キャラクターへと成長したザックス。
そんなザックスの“出世街道”について、FF7を愛してやまない筆者が過去の出来事とともに語っていこうと思います。
ザックスの“出世街道”を振り返る

ザックスが登場した歴代のFF7作品たち
原作版FF7が発売したのは1997年ですが、そこから月日が経つこと約30年。
当初は“脇役”に過ぎなかったザックスが、昨今は“準主役級”の扱いを受けている。
こんなこと、一体誰が予想できたでしょうか?
詳しくは後述しますが、原作版とリメイク版とではザックスの扱いが違い過ぎます。
もうね、今昔を比較することすら恐れ多いと思うくらいですよ。
それ程までにザックスが歩んできた“出世街道”は凄まじい。
それこそ、FF10のキノックが「僧兵」から「老師」にまで出世したことですら霞んで見えるレベルです。

管理人殿…
何とも微妙な例え話を持ち出してきましたな…

うるさいな…
「出世」という言葉からキノックが思い浮かんだよ!
キノックよろしくの出世劇を、ゲーム内ではなく現実の世界でやってのけたザックス。
キノックとは異なり、人望・強さ・イケメンという“三種の神器”を持ち合わせていたことがザックスを“準主役級”へと押し上げたのか?
あるいは、制作スタッフ(※特に野村哲也氏)による“愛”を一身に受けたことが運命の変わり目となったのか?
何れにしても、ザックスの“出世”はFF7のみならずFFシリーズ全体を通して見ても異例の出来事です。
この驚異的な“出世”の歴史について、ザックスが登場した作品を1つずつ見ていこうと思います。
原作版FF7(1997年1月)

文字通り「全てはここから始まった」と言うべき名作中の名作
FF7シリーズの“原点”にして“神ゲー”として呼び声も高いオリジナル版のFF7。
1990年代後半の次世代ゲーム機の市場競争において、プレイステーションに勝利をもたらしたとまで言われる伝説的な作品でもあります。
…が、実はこの原作版FF7ではザックスの出番が殆どありません。
大切なことなのでもう一度述べますよ。
原作版FF7ではザックスの出番が殆どありません!!
ザックスの姿が描かれるのは、物語後半の「竜巻の迷宮」と「クラウドの精神世界」の二箇所のみ。
そして!!!
驚くなかれ、物語の根幹に関わる存在でありながら、何とザックスが作中での喋る台詞は二言だけです。

ニブルヘイムに向かう道中にてクラウドに話しかけるザックス(※物語後半のクラウド回想シーン)

セフィロスにぶっ飛ばされて宙吊りのような姿勢になったザックス(かなり格好悪い…)
この台詞の少なさ。
そして、登場場面の少なさ。
皆さん、どう思いますか?
クラウドの親友だったり、エアリスの初恋の相手だったり、設定こそ大層なものの、ザックス本人がそれらの事実について言及する場面は一切ナシ。
むしろ、ザックスの人物像についてはクラウドやエアリスによる伝聞的な情報くらいしかヒントがない。
そんなこんなで、どんな性格のキャラクターなのかイマイチ判然としないという体たらく。
それが原作版FF7におけるザックスでした。

ザックスのことを「親友」と表現するクラウド

エアリスにとってザックスは「初恋の相手」であった

そして、今となっては信じられないことだが原作版のザックスには“女好き”という設定があった
プレイヤー目線で見ると、もはや“脇役”を通り越してその辺を歩いているモブと大差ありません。
もうね、序盤で死亡してしまうアバランチのメンバーとか、プレジデント神羅とか、何ならジョニーとか神羅課長の方がまだ印象に残るってレベルです。
実際のところ、FF7の難解な物語設定と相まってザックスの正体を理解できないままクリアしてしまったプレイヤーも多いとか。
かくいう筆者自身もFF7の初回プレイでは「この黒髪のツンツン頭って、結局のところ何者なの?」といった状態でした。

ザックス殿とクラウド殿の関係性を理解できなかったのは、管理人殿の頭が足りなかったせいでは?

そう言うなよ…
当時の僕は漢字もロクに読めない小学生だったのだから…
昨今のザックスと比較すると、笑い話にもならないほどの影が薄いキャラクター。
主人公の過去に大きく関わっているのに、作中では日の目を見ることがなかった不遇の存在。
それこそが原作版FF7におけるザックスだったのです。
FF7インターナショナル(1997年10月)

ザックスに関する解像度が上がったのは本作によるところが大きい
原作版FF7では“ポッと出な感じ”が否めなかったザックス。
それはもう、FF9のラスボスである「永遠の闇(通称:ペプシマン)」といい勝負だったザックス。(いや、流石にそれは言い過ぎか…)
…そんな訳で、世間からの不評(?)を受けて旧スクウェアのスタッフたちも梃入れが必要と判断したのか、FF7の海外版をベースとした作品「インターナショナル」にてザックス関連のイベントが追加されました。
物語後半にクラウドが復帰した後、ニブルヘイムにある神羅屋敷の地下に行くと、クラウドによる回想シーンが始まります。
ニブルヘイム事件の後、宝条によるセフィロス・コピー実験に利用されたクラウドとザックス。
囚われの身であったクラウドとザックスが、どのような経緯で神羅屋敷を脱出したのか?
神羅の追手から逃れる中で、どのような会話をしていたのか?
ザックスは、どのような最期を迎えたのか?
このインターナショナル版で追加されたイベントにて、それらの一部始終が明らかになったのです。

神羅屋敷から脱出を図るザックス&クラウド

その後、ヒッチハイク(?)を行いミッドガルへと向かう二人だが…

ザックスは神羅軍に射殺され、魔晄中毒状態のクラウドは放置された

廃人状態だったクラウドだが、意識が朦朧としながらもバスターソードを手に取って立ち上がるのであった
この追加イベントですが、実は作中ではノーヒントなんですよね。
一応、当時のFF7攻略本で紹介はされていたものの、このザックス関連の追加イベントについて存在自体を知らなかったプレイヤーも多かったみたいです。
復帰後のクラウドが「神羅屋敷に行ってみるか…」みたいなことを言い出す流れがあれば、世間からの反応はそれなりに見込めたかもしれませんけどね。
でも、実際には“後の祭り”状態。
そもそも、クラウド復帰後に神羅屋敷(しかも地下)に行くような物語上の用事なんて一切ありませんからね。
原作版FF7では存在しなかったシーンということも相まって、当時は“後付け”と揶揄する声も挙がっていたとか。

そんなことを言ったら、FF7の派生作品は全て“後付け”であります!

まあ、いつの時代も“後付け”に対して批判的な人間は一定数いるものだよ…
そんな世間からの声はさて置き、この追加イベントによってザックスの基本的な性格が定まった感があります。
困難の中でも前を向くタフな精神。
女好きのプレイボーイ気質。
友人を見捨てない男気。
…といったザックスの性格における基本的要素について、このインターナショナル版にてようやく出揃ったという感じですね。
そして何と言っても、ザックスの名言として有名な「友達、だろ?」が初めて披露されたのがデカい。
プレイヤーの立場だと、この一言だけで“イイ奴”であることが伝わってきます。
主人公の親友ポジションとして、これ以上の役得はない。
そういった意味では、ザックスという存在が世間に認知されたのは、このインターナショナル版による影響が大きいと言えそうです。
FF7BC(2004年)

主役はタークスだがザックスも少しだけ登場する
後述する「FF7AC」と連動する形でスタートした「COMPILATION of FINAL FANTASY Ⅶ」。
当時は略して「コンピ作品」なんて呼ばれたりしましたが、平たく言えばFF7の派生作品群ですね。
その中の1つである「BEFORE CRISIS -FINAL FANTASY VII-」はタークス視点での物語であり、原作版FF7の6年前から本編に至るまでの出来事が描かれています。
携帯電話用のアプリという形式でのゲームであり、当時からFF7を愛してやまなかった筆者はリアルタイムでプレイしました。

携帯電話の料金(=通信料)が凄まじい金額となり、親からガチ切れされたのも今となっては良い思い出だな…

全く、これはとんでもない親不孝者でありますな!

放っとけよ…
つーかFF7ACのルーファウスみたいなこと言うな!
原作版FF7の過去に触れる関係上、当然と言うべきかザックスも登場します。
ちなみに、ザックスが登場するのは2005年2月に配信された8章からでした。
このFF7BCではソルジャー2nd時代のザックスが登場する他、後述するFF7CCにて神羅屋敷を脱出して逃避行に明け暮れていた時期のザックスも描かれています。
特に、本作の後半で【手裏剣(女)】を操作キャラクターにしてるとザックス関連の会話内容が少しばかり変化します。
まあ、そんなこんなでFF7BC全体を通して見るとザックスは大して目立っていません。
原作版FF7の頃よりは存在感が増したとはいえ、まだまだ“脇役感”がありました。
FF7BCはタークスが主役のゲームなので、当然と言えば当然なのですが。
そんな訳で、FF7BCの頃までのザックスは“脇役”の範疇を出ないキャラクターでした。
2005年にFF7ACが発売されるまでは。
FF7AC(2005年)

本作以降、ザックスには鈴村健一さんの声が当てられることになった
2003年に制作が発表され、2005年に発売された映像作品である「FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN」。
映像美が話題となり、ヴェネチア国際映画祭にノミネートされたことで一躍有名となった作品でもあります。
当時のスクエニが映像技術の粋を集めて制作したこともあり、映像のクオリティが半端じゃないときた。
そんでもって、バトルシーンがとにかく格好いい。
そんなこんなで、筆者は発売日に本作を購入し、自宅にて狂ったように繰り返し視聴していました。

終盤のセフィロス戦なんて初めて見た時はクッソ興奮したからなぁ…

セフィロス殿が神羅ビルをぶった斬る辺りとかヤバいであります!!
原作版FF7の“正当な続編”と銘打たれた本作。
当然ながら、主人公は我らがクラウド。
そのクラウドが「ザックスとエアリスを見殺しにしたことに罪悪感を抱いている」という姿が描かれていることから、必然的にザックスも物語に絡んできます。
本作がクラウドの内面に深く切り込んでいることから、ザックスの重要度は過去作の比ではない程に高いときた。
(※ザックス自身は既に故人のため、本作での登場シーンの大半がクラウドの回想場面ではあるのですが。)
特に、物語序盤にクラウドがバスターソードの前で「お前の分まで生きよう…そう決めたんだけどな…」と吐露する場面。
原作版FF7では触れられなかった“ザックスの死についてクラウドはどう思っているのか?”という補完がされると共に、ザックスの人物像についても大きく掘り下げられました。
クラウドの脳裏を過る、ザックスによる発言の数々。
「ソルジャーになりたいって?頑張れよ」
…という、一般兵に過ぎなかったクラウドを励ます言葉。
「友達、だろ?」
…という、原作版FF7でお馴染みの名台詞。
「クラウド、逃げろ!!」
…という、魔晄中毒に陥ったクラウドを庇って奮戦する時の声。
登場シーンこそ少ないものの、ザックスの人間性は十分に伝わってくる出来栄えでした。
そして、ネタバレになるので詳細については伏せますが、最終盤でのクラウドとザックスのやり取りが秀逸なんですよ。
良い意味で「言葉は要らない」といった感じで、とにかく後味が良い。
ザックスはクラウドを庇ったために命を落としたが、ザックス本人はそのことについて微塵も気にしていない。
そして、死後もクラウドのことを“友達”だと思っている。
そんな心意気が伝わってくる、あの仕草。
クラウドの罪悪感が浄化されたかのような演出も加わり、21世紀のFF作品にしては珍しく(?)モヤモヤ感が残らない終わり方でした。
この清々しいラストシーン、そしてFF7ACの商業的な成功と相まって、FF7ACによってザックスの知名度が向上したのは間違いありません。

普段はゲームで遊ばない人でも、映像美に魅せられてFF7ACを購入した人は多かったからな!

ザックス殿を初めて知ったのがFF7ACだという人たちも一定数いるであります!
FF7CC(2007年)

この作品が発売されたことでザックスの知名度が一機に高まった
ザックスが一躍有名になったFF7CC。
それもそのはず、FF7CCはザックスが主役に抜擢された記念すべき作品なんですよね。
FF7派生作品の中では、ACに次ぐ成功を収めたと言われているCC。
原作版FF7の前日譚という位置付けであり、なおかつPSPという携帯機で発売された本作。
ぶっちゃけ売れるのかどうか疑問視する声はあったものの、いざ蓋を開けてみたら、これがまぁ面白いゲームだった訳でして。
結果的にスピンオフ作品としては異例の人気を博し、世間からはすこぶる高い評価を得たという、知る人ぞ知る“良ゲー”なんですよね。
2022年にはリマスター版まで発売されているくらいですし、商業的な意味でスクエニに貢献した作品でもあります。
そんなFF7CCの特徴を端的にまとめると、とにかくザックスが格好いい。
もうね、その一言に尽きるって感じです。
FF7CCの作中では7年の歳月が経過する訳ですが、その7年の中でザックスが心身ともに成長していく姿が緻密に描かれています。
物語の開始時点、即ち16歳の時点では“英雄”に憧れるだけの少年兵でしかなかったザックス。
そんなザックスが数々の出会いと別れを経て、最終盤の23歳時点では“漢”と呼ぶ他ない好人物となる。
そして、自身の“夢”と“誇り”を、バスターソードと共にクラウドへと託す。
この一連の流れは、それはもう素晴らしいと表現する他ありません。
当然ながら原作版FF7への繋がる物語ということでザックスは死亡してしまうのですが、だからこそ涙を誘う展開となる訳で。
そんなこんなで、FF7CCは“FF版の大河ドラマ”みたいな作風に仕上がっており、今でも根強いファンがいるのも納得のクオリティなんですよ。

個人的な見解だけど、FF7CCは【シスネ】というサブヒロインを生み出したという点も評価できるポイントだな!

主要人物の大半が男性キャラクターという作品なので、数少ない女性キャラクターが際立つであります!
その一方で、このFF7CCには批判的な意見もあります。
FF7派生作品の中でも特に“後付け”が多い作品であることから、一部の界隈ではアンチが蠢いていたりとか。
ジェネシスとか、アンジールとか、ラザードとか、こいつらの存在そのものが蛇足だとして受け付けない人もいるみたいですし。
かくいう筆者も、FF7CCへの不満が無い訳ではありません。
FF7CC自体は気に入っているのですが、大人の事情(?)により【ザックスの性格が改変されている】ことだけは今でも違和感を禁じ得なかったりとか。
商業的に成功した(=世間に幅広く認知された)ゲームであるだけに、多種多様なネガティブ寄りの意見が噴出する…といった事態を招いてしまった訳です。
そうは言っても、見方を変えれば“アンチが湧くくらい売れたゲーム”であるとの捉え方も出来ます。
売上的にも、ストーリー上での扱いでも、ザックスの知名度が一気に向上したのはFF7CCによるところが大きい。
これは絶対に間違いありません。

原作版FF7プレイヤーである僕としては「あの脇役がここまで出世したか…」なんて思いながら感慨深い気持ちになったよ…

でも、ザックス殿の”出世街道”はここからさらに加速していくであります!
FF7ACC(2009年)

ACCの3文字目に当たる“C”とは“Complete”の略称である
オリジナル版のFF7ACに約30分の新規映像がプラスされ、新たに生まれ変わった作品。
それがFF7ACCです。
“Complete”の名に恥じないと言うべきか、オリジナル版のACでは深くは語られなかった部分(例:デンゼルの過去など)についても補完されています。
…で、肝心のザックスはと言うと、当然ながらこちらも梃入れがされています。
具体的なことを言うと、FF7CCでの描写に基づいた新規映像が加わっているんですよね。
しかも、FF7CCのEDムービーが一部とはいえそのまま流用されています。
詰まるところ、FF7ACCでのザックス関連の映像はFF7CCでの商業的な成功を踏まえて作られている節があるんですよね。
FF7CCの発売を機に、クラウド・セフィロスに次ぐ人気を獲得したザックス。
そんな人気者の登場シーンを増やすことは、スクエニにとっては当然の選択だったのでしょう。

ザックス関連の映像を増やすこと自体、FF7CCを購入した層へのファンサービスを兼ねている印象を受けたぞ!

スクエニ社内では“人気キャラクターを出せば売れる!”みたいな意見が多少なりともあったのだと思われます!
その一方で、あくまで筆者の私見ですけどFF7ACCの発売辺りから“ザックスが出しゃばり過ぎ”という世間の声が目立つようになってきた気がします。
セフィロス戦での幻影(?)としてザックスが登場する件なんかは、一部のユーザーからは不評だったりするんですよね。
かくいう筆者自身も、そのような意見について理解はできます。
何と言うか、クラウドvsセフィロスの戦闘のテンポを損ねているように思えなくもない。
そもそも、セフィロス戦でザックスが出てくること自体、唐突な印象が拭えないし。
無理矢理だけど登場させて、FF7CCの決め台詞を言わせて、スクエニが視聴者に対して「ほら、お前たちが大好きなザックスだぞ!嬉しいだろ?」などと呼び掛けているような気さえする。
あるいは、FF7ACCは初めて視聴したユーザーに「このザックスという奴は何者なの?」という興味を抱かせ、ザックスが主人公を務めたFF7CCを購入させる方向へと誘導したいスクエニの思惑が透けて見えたりとか。
実際のところ、FF7CCをプレイしていないと「夢を抱き締めろ」の件についてはサッパリ理解できませんからね。
極めつけに、FF7ACCのクレジットロール後にクラウドが「ここから英雄が旅立った」という発言までするものだから、FF7CC未プレイ勢は置いてけぼりとなること待ったナシ。
そんなこんなで、ザックス関連の描写については「真相を知りたければFF7CCを買え!」というスクエニからのメッセージが込められているように思えてならないのです。
まあ、流石にこれは邪推と言うか、捻くれた意見だと自分でも思います。
しかしながら、FF7ACCの内容だけを見るとザックスに対してネガティブな意見が出てくるのも仕方ないって感じがします。
そもそもFF7ACとはクラウドの内面に焦点が当てられている作品ですので、その完全版とでも言うべきFF7ACCにてクラウドの過去(=ザックスとの関係性)を掘り下げること自体は何ら不思議ではないのですが…
FF7CCによってザックスの知名度が急上昇した弊害なのか、スクエニによる半ば強引な“ザックスの宣伝”については、ぶっちゃけ議論の余地が残るところですね。

これはザックスが悪いと言うより、スクエニのやり方を疑問視するべき事柄かもな…

“素材”は最高だけど“料理”の仕方を間違えた、みたいな感じですかな…?
FF7 REMAKE(2020年)

ザックスの“出世街道”を一気に加速させた記念すべき(?)ゲームである
待ってましたと言わんばかりの勢いでFF7界隈を大いに沸かせた「FF7 REMAKE」。(※通称「FF7R1」)
R作品は分作となることが発売前から公言されていたものの、いよいよスクエニが“伝家の宝刀”を抜いてきたとして大いに注目された本作。
ストーリー自体は原作版FF7における「ミッドガル脱出」までしか描かれなかったものの、いざプレイしてみたら非常にクオリティが高いときた。
ストーリーの短さを補って余りあるほどの魅力に溢れているとして、世間からは好評を博したゲームでもあります。

制作スタッフが「FF7ACのクオリティで遊べるゲーム」を目指したとのことだが、その発言に違わぬ出来栄えだったと思うぞ!

元号が平成から令和に変わったタイミングで発売したので「これが令和のゲームか…」などと感動したであります!
そんな本作の終盤でサプライズ的な登場を果たしたザックス。
FF7CCのEDのようにクラウドを守って死亡するイベントシーンが最新技術によって描かれるのかと思いきや、事態は思わぬ方向へ。
クラウド一行が“運命の番人”を倒したことで、ザックスが死亡する運命が書き換えられるという超展開。
しかも、これはいわゆる並行世界での出来事であり、クラウド一行の世界とは別次元であると思しき描写がされているときた。
(※後述するFF7リバースでのセフィロス曰く「運命の拘束を逃れた世界」らしい。)
あまりにも予想外の展開だったため、ザックス生存の描写については筆者もTV画面の前で完全に面食らってしまいました。

FF7CCのエンディングと同じ流れになるかと思いきや…

なぜか神羅の大軍に勝利してしまったザックス(と言うかザックス本人も驚いている…)

この場面、FF7CCのエンディングとは異なる展開のため筆者は混乱するばかりであった…

その後、クラウド一行とすれ違う並行世界のザックス

「次回作ではザックスが重要キャラクターとなります」とでも言いたそうなエンディング内容であった…
この一連の流れですが、プレイヤー目線だとマジで混乱すること必至な描写ばかりなんですよね。
原作版FF7やFF7CCをプレイした人ほど、この場面では衝撃を受けたのではいでしょうか?
…で、当然と言うべきかインターネット上では賛否両論の嵐が巻き起こりました。
それはもう、FF7リメイク発売当初の某掲示板では、それはもう議論百出といった様相を呈していましたからね。
…というポジティブな意見が大半を占めているかと言えば、案外そうでもない。
…みたいな、それこそFF7ACCの時とは比較にならないほどのネガティブな意見も少なくありませんでした。
元々は“脇役”に過ぎなかったキャラクターが、リメイク版ではこれ程までに目立っているのだから、それも無理からぬ話です。
筆者としてはザックス生存という展開そのものには好意的ですけど、世の中ではアンチ的な意見が噴出するのも理解はできます。
何はともあれ、FF7ACやFF7CCのような派生作品だけではなく、本家本元のFF7においてもザックスは重要キャラクターとして扱われ始めた。
その第一幕が、このFF7リメイクだったという訳ですね。
FF7 REBIRTH(2024年)

ザックスが主人公の一人みたいな扱いの本作
満を持して発売されたリメイク版FF7の2作目である「REBIRTH」。
前作「REMAKE」からあらゆる要素がパワーアップしている本作ですが、当然と言うべきかザックスの出番も大幅に増えています。
…と言うか、OPの時点から早速登場したザックス。
「REMAKE」のEDからそのまま繋がるような形でミッドガルへと辿り着いたザックスですが、ここでまさかの急展開が。
何と、ザックスを操作してエアリスを救出することになったではないか。
大切なことなのでもう一度言いますよ。
“ザックスを操作”
もうこの時点で、筆者はこのように思いました。
「ああ、スクエニの“ザックス推し”を甘く見ていたな…」と。

オープニングから“主人公感”を漂わせながら登場したザックス

タイトルロゴが浮かび上がる演出と相まって、もはやザックスが主人公にしか見えない

しかも、いきなりザックスを操作することになり…

エアリスを巡って神羅兵とバトルを繰り広げるという急展開!!

戦闘終了後、ヒロインのエアリスを抱きかかえる姿からは“主人公”の風格が漂っている
FF7Rシリーズにおける主人公は、言うまでもなくクラウドです。
…が、そのクラウドに迫るような勢いでザックスの姿が描かれているときた。
過去作を一切プレイせずにFF7リバースに触れたプレイヤーなんかは、もしかするとOPの時点で「この黒髪のイケメンが主人公なんだな」などと勘違いしかねないほどの出来映え。
エアリス救出と同時に舞台はクラウドたちの世界(=本来の世界線)に戻る訳ですが、OPだけを切り取って見るとザックスは主人公並の扱いを受けている。
もうね、この時点でザックスの優遇っぷりは半端じゃないと思いましたね。

主人公に次ぐレベルの扱いという意味では“準主役級”とでも表現すれば良いかな…

そもそもFF7リバースのキービジュアルからしてザックス殿は“主役の一人”みたいな存在感を漂わせているであります!
しかも、ザックスの“活躍”はOPだけに留まらない。
セフィロス戦では、まさかのクラウド&ザックスによる共闘が実現するときた。
しかも、OPと同じくザックス操作が可能で、今度はアビリティも自由に使えるではないか。
そんなこんなで、主人公と肩を並べてラスボスに立ち向かう姿は、もはや“脇役”の範疇には収まらない。
これはもう、どこからどう見ても“もう一人の主人公”でしかない。
そのような筆者に思わせるには十分な演出でした。

もはや“ダブル主人公”にしか見えない最終決戦時の構図

何だかんだ言って初回プレイ時のクラウド&ザックスの共闘は激熱だった

FF7CCでお馴染みのバスターソードの前で誓いを立てる台詞も完全再現という徹底ぶりであった
原作版FF7から27年の時を経て、いよいよR作品において操作キャラクターにまで昇格したザックス。
当初は僅かな台詞を喋るだけだったザックスが、ここまでのキャラクターにまで“出世”するとは。
ザックスの華麗なる(?)出世劇をリアルタイムで見てきた筆者としては、とにかく感慨深いものがあります。
余談:“ザックス出しゃばり過ぎ”という意見について

ザックスの“出世”について否定的な意見は世の中に少なからず存在している
“原作版FF7”と“最新版FF7”を比較すると、キャラクターの扱いという意味では雲泥の差があるザックス。
FF7CCの発売を機に世間での認知度が上がり、FF7シリーズを代表する人気キャラクターへと成長してしまった宿命なのか、後続の作品でも引っ張りだこになるという展開。
まあ、人気キャラクターを広告塔としてゲーム販売に結び付けるというスクエニの手法は、営利組織としては決して間違っていないのですが…
いくら何でも、流石に度が過ぎる。
…などと思ってしまうのは、筆者が原作版FF7でのザックスを知っているからでしょうか?
念のため弁明しておきますが、筆者はザックスのことが嫌いな訳ではないです。
むしろザックスのことは大好きですし、何なら【ティファのパンツ】とザックスを結び付けて考察記事を書いてしまうほどの愛着を持っています。
【FF7】ティファの『ちょっと背伸びパンツ』を盗んだのはクラウドか?それともザックスか?
しかしながら、です。
FF7Rシリーズが展開されるようになってからは、何と言いますかザックス関連では“胃もたれ”みたいな感覚が拭えないのです。
だからこそ、ザックスに対するアンチ的な意見も理解できるのです。
このような言説がインターネット上に溢れること自体、スクエニがザックスを“推し”過ぎたが故の帰結なのでしょうね。
筆者のような古参のFF7ファンのみならず、RシリーズからFF7に触れた新規ファンまで、ザックスの“出しゃばり過ぎ”について違和感を抱いている層は一定数いる訳です。
十人十色、百人百様という言葉があるように、FF7ファンの全員がザックスについて全面的に肯定できるかと言うと、必ずしもそうではない。
筆者は先ほど「ザックスのことは大好き」と述べましたが、そんな筆者ですら近年のスクエニによる猛烈な“ザックス推し”には少しばかり疲弊しています。
何でしょうね、コレ。
神羅カンパニーがセフィロスを“英雄”として世間に認知させ、自社のイメージアップを図っていた行為に通じる匂いがします。

神羅もスクエニ”も営利組織だからこそ、利益を生み出すために人気者を活用することについて躊躇いが無いのかもな…

実際、ザックス殿を目当てにゲームを買う(=お金を使う)人は一定数いるであります!
これもまた、ザックスの“出世”に伴う時代の流れなんですかね。
“脇役”と“主役”では、それぞれ求められる役回りだって異なる訳ですし。
ただ、個人的なことを言うと、ザックスは“脇役だからこそ輝くキャラ”でいて欲しかったと言うか。
“脇役”から“主役”へと成り上がる過程で、実は【ザックスが女好きである設定】については修正されていますし。
この修正自体、ザックスというキャラクターが不人気にならないことを考慮して行われた節がありますし。
そのような“脇役だからこそ許される要素”を改変してまで出番が増えてしまったからこそ、筆者は昨今のザックスについて釈然としないものを感じてしまうのかもしれません。
まとめ:ザックスはFF7シリーズ屈指の“出世頭”である

古今東西のゲームにおいて、ザックス以上に“出世”したキャラクターは皆無ではないか?
FF7という作品に長年慣れ親しんできた筆者ですが、ザックスほど“出世”したキャラクターは他に知りません。
原作版~リメイク版までの歴史を振り返ってみて「最も出世したキャラクターは誰か?」と問われたら、筆者は迷うことなくザックスと答えます。
そのくらい、ザックスの“出世”はひときわ目立つのです。
原作版FF7では“限りなくモブに近い脇役”という扱いだったザックス。
それが、令和以降のRシリーズでは“準主役級”とでも呼ぶべき扱いを受けているときた。
約30年という歳月を経てクラウド&セフィロスに次ぐレベルの主要人物にまで成長したのだから、これが驚かずにいられるかって話です。
FF7CCという起爆剤はあったにせよ、ほかの派生作品の主人公勢と見比べると、Rシリーズでのザックスの扱いは明らかに頭一つ抜けています。
FF7BCで主人公を務めたタークスの面々。
FF7DCで主人公を務めたヴィンセント。
彼らがRシリーズにてザックス並に優遇されているかと言うと、別にそんなことはない。
もうね、ザックスだけが別格の天上人みたいになっている訳ですよ。
ただの脇役から“出世”したという意味では、まさに比類なき強運の持ち主。
制作スタッフからの寵愛によって、FF7界隈におけるヒエラルキーの最上層にまで上り詰めた人物。
それがザックス・フェアという男なのです。

キングダムハーツのアクセルが制作スタッフに愛されて“出世”したのと同じような匂いがするよ…

結局のところ “制作スタッフから愛された者”が最終的に勝つという訳ですな…(羨ましい)
あまりにも凄まじい“出世”を遂げたものだから、世間ではザックスに対して否定的な意見も目立つようになってきました。
元々はザックスに好意的だった筆者ですら、ザックスへのアンチ的な感情を少なからず持ち合わせているくらいですからね。
でも、そんな雑音なんて関係ないとでも言わんばかりの勢いで、スクエニは“ザックス推し”の手を緩めない。
このスクエニによる“ザックス商法”が続けば、もしかするとクラウド&セフィロスをも凌駕し、キャラクターの人気投票とかで1位に輝く日が来るかもしれません。
(いや、流石にそれはないか…)
今後のザックスの“出世劇”については、多くの期待と少しの違和感を抱きつつ見守っていこうと思います。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました!
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