12個の墓標が並ぶ小高いサンセットヒルの丘。
少年は一人でその場所を目指して、トワイライトタウンの街中を歩いていた。
少年が過去の戒めとして着ている黒いコートの裾が風になびく。
「なんだか……すごく久しぶりって気がするな」
少年の独り言が風に流されていく。
少年の名はロクサス。
かつて『ⅩⅢ機関』と呼ばれた組織——その最後の一人である。
「あそこに行くのは……半年ぶりかな?」
(ノーバディが墓参りか?)
「………え?」
誰かの言葉が——いや、声が聞こえたような気がした。
今のは空耳だったのだろうか?
「何だったんだ……?」
当然のことながら、街往く人々はロクサスの問いに答えてはくれなかった。
サンセットヒルへと続く人気の無い路地にあるのは、微風と夕陽の光だけである。
「……疲れてるのかな、俺」
独り言を呟きながら、ロクサスは目的地の丘を目指す。
「ああ、そうだ。花を買っていかないと」
墓参りの際、花は必須である。
ノーバディとして誕生して以来、特異な環境に身を置いていたロクサスにとっては、普通の人間らしい習慣が中々身につかないため最近は苦労も多い。
人気の無い路地を出て、少しだけ賑やかな商店街に出る。
そう言えば、俺ってトワイライトタウンの花屋に入ったことないな———。
自分が生まれた街であるにも関わらず、ロクサスはトワイライトタウンの花屋を訪問したことはなかった。
初めて訪れる花屋。
店先に様々な花が置かれている。
花屋ということは、マールーシャのように花好きの店員が出て来るのだろうか。
ロクサスは内心不安になった。
「すいませーん」
路上の店先に立って声を発してみたが、店内からの返事はなかった。
「あのー……」
沈黙した空気がロクサスの周りに漂う。
「何だ?誰も居ないのかな……?」
それは、不自然なほどに静かな沈黙。
「値段通りのマニーさえ置いていけば大丈夫…だよな……?」
ロクサスは自分の持ち合わせで買える範囲内で、色々な種類の花を手に取った。
それらの花の値段に応じた金額を店先に置いた後、サンセットヒルの丘へと向かうことにした。
その途中で、ロクサスはあることに気付いた。
「何だか…静かすぎる……」
サンセットヒルへの道を歩いているのに、人の影も形も見えない。
いや、気配さえも感じられない。
まるで、このトワイライトタウンという街の中に自分一人しかいないような感じさえする。
嫌な胸騒ぎがして、ロクサスはサンセットヒルへと急いだ。
そして目指した場所で、ロクサスは不可解かつ無惨な光景を目の当たりにした。
「な、何だよ、これ……!?」
案の定と言うべきか、嫌な予感は当たってしまった。
半年前にロクサスとナミネが作った計12個の墓標——それらが一つだけを除いて、全て粉々に破壊されていたのだ。
破壊されずに残っているのは『Ⅵ』と刻印されている墓標のみだ。
そして、その墓標には何かが深々と突き刺さっていた。
『それ』を確認するために墓標の近くに歩み寄ったロクサスは、自分の目を疑った。
『Ⅵ』の墓標に突き刺さっているのは、悪魔の翼を象ったかのような形状をしていた。
それは、かつてリクが愛用していた闇の剣——ソウルイーターに間違い無かった。
「一体誰が…こんな酷いことを……!?」
粉々に打ち砕かれた墓標。
その場に残されたソウルイーター。
いつの間にか自分の手から地面に落ちた花束。
訳が分からず、ロクサスはその場に立ち尽くすしかなかった。
「このソウルイーターはリクの物……じゃないよな」
ロクサスは、半ば茫然自失とした頭を働かせてみた。
ソウルイーターとは、闇の力の象徴であり、リクが現在所持しているキーブレード『ウェイトゥザドーン』の前身でもあった剣だ。
ウェイトゥザドーンがソウルイーターを媒介として現れた以上、リクが所持していたソウルイーター自体は既に存在していない。
……はずなのだが。
「現にこうして、ソウルイーターが突き刺さっている……」
これは一体、何を意味しているのだろうか?
もしかすると、リク以外にもソウルイーターの使い手がいるのだろうか?
それとも、あまり考えたくはないが、これはリクの仕業なのだろうか?
もはや悠長に墓参りをしようなどと言っている場合ではない。
自分の知らないところで、何か悪いことが確実に起こっている。
ロクサスは即座にそう直感した。
「取り敢えず、このソウルイーターをこのままにはしておけないよな……」
ロクサスは『Ⅵ』の墓標に突き刺さっているソウルイーターの柄を掴んだ。
ソウルイーターは、意外なほど簡単に抜けた。
墓標のソウルイーターが突き刺さっていた部分からは、微かにだが黒い霧のような煙が立ち上がっている。
「……何だ?」
ロクサスはあることに気付いた。
黒い霧のような煙は、“ただ”立ち上がっているだけだ。
ここは小高い丘にあるサンセットヒルの広場だ。
つまり、常に微風が吹いているような場所である。
少なくとも、ここは無風状態になることは極めて稀な場所だと言える。
そうであるにも関わらず、不自然と言っていいほどの完全な無風状態。
これは何を意味しているのだろうか———。
「この感じは……アンセムが作ったトワイライトタウンで、時間が止まった時の感覚に似ているような……」
ここでようやく、ロクサスは合点がいった。
返事の無い花屋。
あまりにも静かすぎる街並。
そして、微風一つ吹かないサンセットヒル。
そうか、時間が止まっているのか——?
「でも……いつからだ?」
仮に今時間が止まっているとしても、それがいつからなのかは判然としなかった。
昨日、ロクサスは久しぶりに機関の仲間たちの墓参りでもしようかと思い立った。
ナミネも誘ったのだが、都合の悪いことに、今朝になって彼女は用事が出来てしまった。
そのため、今日はナミネを連れ立って一墓参り来ることは出来なかった。
最初は一人で街を散歩した後に、サンセットヒルへ行こうと思っていた。
今日はハイネ、ピンツ、オレットのことは見かけなかった。
取り留めもなく歩いているうちに、墓参りには花が必要だということを思い出した。
そう、墓参り———。
墓参りに花を持参するのは当たり前のことなのだが、ノーバディである自分はまだそういった一般常識には疎い。
そのことを、あの妙な空耳がきっかけとなってそのことを思い出した。
「あの空耳が聴こえたあたりから…周りから気配を感じなくなった……」
でも、どうして?
あの空耳が原因で時間が止まったのだろうか?
いや、そんなはずはない。
『時間を止める』ことが可能なのはデータで作られたトワイライトタウンだからこそ出来る芸当だ。
データで作られたトワイライトタウンはもう既に存在していない。
何より、今自分が居るトワイライトタウンは現実世界の街だ。
時間が止まるなんて現象が起こるはずが無い。
混沌とした思考に振り回されるロクサス。
しかし、分からないことをいくら考えても仕方がない。
気を取り直して、今度は目の前にある砕かれた墓標について考えてみることにした。
「壊された墓標は全部で11個。残り一つ、壊されずになぜかソウルイーターが突き立てられていた墓標……」
悪戯として片付けるには、あまりにも不可解な点が多すぎる。
自分とナミネが機関員たちのために作った墓標が、なぜ壊されたのだろうか?
なぜ『Ⅵ』の墓標は壊されずに、しかもソウルイーターが突き立てられていたのだろうか?
いつ、誰が、何のためにこんなことを?
「この壊された墓標の欠片……まさか……」
ロクサスは、足元に転がっている墓標の破片の一つを手で拾い上げてみた。
見たところ、あまり風化している様子は見受けられない。
ロクサスは白みがかったその破片の細部まで観察してみた。
あくまで主観ではあるが、つい最近に墓標が砕かれたことによって出来た破片のように見えた。
今のサンセットヒルが無風状態のせいもあるかもしれないが、ロクサスの周囲に転がっている破片の散らばり方からして、おそらく11個の墓標は砕かれた直後の状態ではないだろうか?
つまり、墓標郡は砕かれて間もないということが容易に推測できた。
もしこの考えが正しいのなら、墓標を砕き、なおかつソウルイーターを『Ⅵ』の墓標に突き立てた犯人はまだ近くに居る———?
「怪しい奴の気配は……感じないな」
ロクサスは自身の感覚を研ぎ澄ませてみた。
しかしながら、今自分が立っているサンセットヒル周辺に人の気配は感じられなかった。
尤も、それはトワイライトタウンの時間が止まっているせいであるのかもしれないが———。
「取り敢えず、これからどうしようか……」
唯一の手掛かりは、誰の所有物であるのかもわからない闇の剣——ソウルイーターのみだ。
途方に暮れながらも、ロクサスはソウルイーターを拾い上げた。
「何だ、これ……?」
ロクサスは、ソウルイーターの柄の部分に何か擦れた文字が刻まれていることに気付いた。
ロクサスには“Radiant Garden”と読めた。
ソウルイーターの柄に刻まれた、目を凝らしてみなければ字として認識できない程に擦れている文字の羅列。
「Radiant(レイディアント)……レイディアントガーデン……?」
その時、一陣の風がサンセットヒルを通り過ぎた。
「風が吹いた……もしかして時間が動きだしたのか?」
とにかく、今自分が拾い上げたソウルイーターは誰の所有物なのかを突き止めないことには、話が前に進まない。
「やっぱり、ソウルイーターのことならリクに訊いてみるしかないかな」
正直な話、自分とナミネが作った墓標を粉々にされた上に、ソウルイーターが一つだけ壊されずに済んだ墓標に突き刺さっていたとあっては、ロクサスにとって現時点で一番怪しい人物はリクであるように思えた。
勿論、リクがこのような悪戯をするような人間ではないことは、ロクサスも十分に承知している。
しかし、リクならこの奇妙な事件の手掛かりを知っているはずだ。
今はただ、そう祈りたかった。
ロクサスは『Ⅷ』と刻印されていた墓標の欠片の近くに歩み寄り、それを拾って半壊している元の墓標の位置に戻した。
「こんなことをする奴は、ノーバディのことが嫌いなのかな?」
当然のことながら、壊れた墓標に問い掛けても返事は返ってはこない。
「こんなことをした犯人を許すわけにはいかないよな。絶対に捜し出して捕まえるよ。俺にも…いや、ノーバディにも意地はあるから……」
機関のNo.8であったアクセル——親友の墓標に背を向け、ロクサスは闇の回廊を開いた。
目的地は、リクが居るであろうデスティニーアイランドだ。
「じゃあ……行ってくるよ」
(呑気なものだな)
「………何だ?」
また空耳か——?
そう思った刹那、ロクサスの姿が闇の中に消えた。
ロクサスが姿を消してから僅か数分後、墓標の前に一人の男がどこからか現れた。
音もなく歩を進めるその男は、ロクサスと同じ黒いコート——それは、機関員と同一のものを着用していた。
彼は、唯一壊されずにいた『Ⅵ』という数字が刻まれている墓標へと歩み寄り、その墓標を見下ろした。
そして、彼は墓標を素手で叩き壊し、更に粉々になった砕け散った墓標の欠片を、勢いよく踏み潰した。
何度も、何度も、何度も———。
墓標の欠片を執拗に踏み潰す男の顔は、フードに隠されていてよく見えない。
しかしフードから僅かに覗く男の目には、明らかに『憎悪』の感情が満ちていた。
【第2話:浜辺での邂逅】へと続く
コメント