【長編小説】ノーバディの運命 第8話:悪寒と困惑

キングダムハーツ(長編小説)

不気味な感覚

『Kairi』——カイリ。

それは、ロクサスもよく知っている名前だった。

これは単なる偶然なのだろうか。

カイリは元々、レイディアントガーデンの出身である。

そのこと自体はロクサスも知っていたが、カイリがレイディアントガーデンに居た当時のことは何も聞いたことはなかった。

カイリ本人ですら、当時のことを殆ど覚えていないのだ。

他人に語れるほど、幼少期の記憶が残っていないためだろう。

ロクサスは手元にある熊のぬいぐるみを改めてよく見てみた。

傷み具合から察するに、相当な年月の間、ここで放置されていたのはまず間違いないだろう。

しかし、仮にそうだとしても、このぬいぐるみが間違いなく幼少期のカイリの所有物だったとは言い切れない。

確実な証拠は何一つ無いのだ。

ロクサスは熊のぬいぐるみを棚に戻し、他の物に目を向けた。

別の棚には、可愛らしい女の子の人形が何体か飾られている。

しかし、熊のぬいぐるみと同様に、洋服や髪の毛がかなり傷んでいる。

そして、どの人形も髪の毛が異様に長い。

まるで長い年月の間に髪の毛が伸びたといった感じだ。

ロクサスは気味が悪くなった。

家具や寝具はほこりまみれであり、ぬいぐるみや人形と同様に、長い間放置されていたことが窺えた。

ロクサスは試しに、箪笥の上から一段目を開けてみた。

そこには可愛らしい女の子向けの洋服がギッシリと詰め込まれていた。

しかし、所々に穴が開いているものが殆どであった。

おそらく虫に喰われたのであろう。

ロクサスは何か居たたまれないような気分になってきた。

やはり他人の——ましてや幼少期の女の子が使っていたと思われる部屋で、家捜しのような真似をするのは良い気分ではない。

しかし、それ以上に何か別の——そう、意識の奥から沸き上がるような不快感にロクサスは苛まれていた。

この部屋に入った時から、自分は誰かに見られている気がしてならないのだ。

当然、人の気配などは感じない。

おそらく、棚に飾られている人形たちのせいだろうが、やはり不快感は拭えない。

何となく気分が悪くなってきたので、ロクサスは窓を開けて外の空気を吸おうと思い立った。

窓周辺のカーテンが少し揺れている事から、僅かに窓が開いているのかも知れないとロクサスは予想した。

ロクサスが部屋の窓に手を掛けた瞬間、窓が勢い良く開いた。

どうやら窓の鍵はスライド式で、元々それが外れていたらしい。

しかも、よく見ると鍵を掛ける部分周辺のガラスが少し割れている。

二階の部屋であるにも関わらず、誰かが外から無理矢理窓の鍵を外そうとしたのだろうかとロクサスは思った。

しかし、次の瞬間にはそんなことはどうでもよくなっていた。

開けた窓ガラスには、内側からくすんだ赤色で『たすけて』と書かれていたからである。

それは、まるで血で書いた文字のように見えた。

ロクサスはその文字に触れてみた。

指先で文字を擦ると、赤褐色の粕がポロポロと落ちていく。

絵の具で書かれたという可能性もあるが、やはりロクサスには血で書いた文字としか思えなかった。

この部屋のドアは、内側から鍵が掛かっていた。

そして、施錠されていなかった窓に、不可解な血文字のようなSOSワード。

『助けて』という言葉を、敢えて『たすけて』と書いたのは、この文字を書いたのが子供だったからなのか?

それとも、漢字を書くような余裕すらも無かったからなのか?

迫り来る危険から逃れるために、この部屋に誰かが逃げ込んだ。

窓から逃げようとしたものの、それは叶わず、せめて血で窓に救助を求める言葉を書くことで、第三者に自身の危険を知らせようとした。

しかし窓の外にも何らかの危険が——少なくとも二階とはいえ、容易に窓から逃げ出すのは危ぶまれるような“何か”があった。

そのうち二階であるにも関わらず、この部屋に窓から危険な“何か”が入ってきた。

しかも、窓のガラスを叩き割るのではなく、窓のスライド錠部分のガラスに小さな穴を開けて、開錠を行ういう知能的な手口でだ。

この部屋に逃げ込んだ“誰か”は、完全に追い込まれた。

部屋のドアを開けるわけにはいかないため、もはや逃げ場はない。

ロクサスの頭にそんなイメージが浮かんだ。

そして、その“誰か”は一体どうなってしまったのかも———。

「この屋敷は、どう考えてもおかしい……」

自分でも馬鹿馬鹿しい想像だとは思った。

もはや、妄想の域に片足を突っ込んでいるとすら思った。

しかし、そんな思考とは裏腹に、ロクサスは恐怖を感じていた。

この部屋——いや、屋敷は普通じゃない。

普通じゃない“何か”がある。

少なくとも、過去に忌まわしい“何か”があった。

ノーバディのみが通れる結界。

正門入口の南京錠。

異様に濃い闇の気配。

『Kairi』と刺繍が入った熊のぬいぐるみ。

不可解な血文字。

これらの一つ一つに、どのような関係性があるのかは分からない。

しかしながら、各々の異常性はロクサスを震え上がらせるには十分であった。

ロクサスは震える体を引きずりながら、静かに部屋を出た。

気味の悪い子供部屋に、これ以上留まり続けるのは御免だった。

ロクサスは本能で悟った。

危険だ。

この屋敷は危険だ。

安易に足を踏み入れてはならない領域だったのだ。

そんなことを考えながら、ロクサスは長い渡り廊下を早足で歩いた。

漠然とした恐怖と嫌悪感が、ロクサスの頭の中で警報を鳴らしていた。

ロクサスは階段近くの書斎を通り掛かったところ、ふと閃いた。

先ほどの『Kairi』と刺繍が入った熊のぬいぐるみ——そんなものがこの屋敷の子供部屋らしき部屋にあったのだ。

そこから導き出せる可能性として、この洋館はカイリの生家かも知れない——と、ロクサスは思った。

異常な状況のせいで頭が混乱していたが、もし本当にこの家がカイリの生家であるならば、これは色々な意味で大変な発見である。

ロクサスは書斎のドアを勢い良く開けた。

書斎ならば、この屋敷が無人の館となる以前の記録が——いや、記録でなくともこの屋敷に住んでいた人物の手掛かりが見つかるかもしれない。

長居は無用であるが、この瞬間になってロクサスの中の好奇心が悪寒を僅かに凌駕した。

ロクサスは一目散に書斎の机の中を物色した。

何かの難しい用語や数式が記載された書類が次々と出てくる。

この屋敷の所有者は、学者か何かだったのだろうか。

しかし、この屋敷の住民に関わる手掛かりは全く見付からなかった。

書斎ならば居住者の名前を記した本の一冊くらいあっても良さそうなものだが、そういった類の書物は見つからず、代わりに出てくるのは学術的な資料ばかりであった。

ロクサスは、書斎の窓から差し込む光が赤色になっていることに気付いた。

時計が無いので正確な時刻は分からないが、既に夕方の時間帯になっているのだろう。

流石にこれ以上リクを待たせるわけにはいかない。

ロクサスはこれ以上の探索を打ち切る決心をした。

その瞬間、机の上にある一枚のレポート用紙が目に留まった。

何か引き寄せられるようにして、ロクサスはそのレポート用紙を手に取った。

紙はかなり黄ばんでおり、かなり昔の物であると容易に推察できた。

文字が擦れて判別しにくくなっている部分はあるが、読めないというほどではない。

ロクサスはレポート用紙の文章を目で追った。

発見した手掛かり

●Report No.1:来訪者と『鍵』について

心に関する研究プロジェクトのリーダーは、ゼアノートが務めることになった。

そのゼアノートから聞いた話では、流星雨の夜に世界同士を繋ぐ壁が崩壊したことにより、『ディズニーキャッスル』という名の異世界のを治めている『王』が、この世界にやって来られたのだという。

師である件じゃアンセムとゼアノートは、『王』と名乗る人物と対面したそうだ。

その際に『王』から様々な情報を得たようだか、その情報の中でも特に謎めいた存在——キーブレード。

個人的に、キーブレードには大変興味がある。

しかし、今自分が完璧にしなければならないのは『人工的に心の闇を創り出す装置』の原案である。

これまでの実験データから、『心の闇』が生成されるメカニズムも幾らか判明してきた。

装置自体が完成するのも時間の問題だろう。

師・アンセムから少し前に心の闇を研究すること自体を止めるように指示されたが、研究がここまで進んだ今、研究を止めることなどできない。

まこれまでの研究成果の破棄など、以ての他である。

闇を知ることによって、闇への対応策を練る。

この行為には相応のリスクも伴う。

師が弟子たちに研究を中止するように呼び掛けたのは、単に倫理的な観点からだけではなく、弟子達の心身を案じているからこそなのかも知れない。

しかし、ここへ来て歩みを止めるわけにはいかない。

闇を利用し、闇を操るには、まず闇を知ることが先決。

これは弟子同士の中でも共通の認識である。

闇を人為的に操作できるようになれば、普通に暮らしている人たちの心の中から闇だけを取り出し、皆が平和に暮らせることも夢ではないだろう。

師には申し訳ないが、師とは別のやり方でこの世界——レイディアントガーデンで暮らす全ての人たちに恩返しをしたい。

たとえ闇という危険な力を用いたとしても、自分達は決して研究を止めることはしないだろう。

たが、それとは別に『他の世界』なる存在には興味が湧いてきた。

そのことについて、世界同士を繋ぐ壁と、キーブレード呼ばれる存在が関係しているのは、まず間違いないだろう。

キーブレードとは扉を開き、また閉じることが可能な存在。

もしもキーブレードを人為的に造り出す事が出来たならば、あらゆる世界を往来することが可能になるのだろうか?

いや、流石にそれは夢物語だろうか。

とにかく、心の闇に関する研究と並行して、他の世界についての調査を進めた方が良いかも知れない。

明日の早朝会議の前に、ゼアノートに相談してみよう。


手元にあるレポートを読んで、ロクサスは戦慄した。

キーブレードに関するレポート———。

一体誰が、何の目的でこんなものを書いたのだろうか。

ゼアノートだろうか?

いや、文章から察するに、ゼアノート本人ではないだろう。

それならば、賢者アンセムの弟子達の中の誰かだろうか?

それとも、この屋敷の主か———?

「いくら考えても、俺にはわからないな……」

ロクサスは念のため、レポート用紙を懐にしまった。

収穫というほどではないが、この奇妙な洋館に関する何らかの手掛かりにはなりそうだと直感したからだ。

ロクサスは足早に書斎を出て階段を下り、入り口前のロビーに足を進めた。

その時、また靴底から不快な感覚が伝わってきた。

何かを踏み潰したわけではない。

この洋館に足を踏み入れた時と同じく、床から何か奇妙なものを感じがしたのだ。

いや、“床から”——と言うよりは“地面の底から”と言った方が適切かもしれない。

何度もこのような不快感を感じるとは、一体どういうことなのだろうか。

ロクサスは、自分は疲れているだけだと自分自身に言い聞かせた。

そして洋館の正面扉を開け、中庭に出た。

入り口の扉に鍵を掛けようかとも思ったが、どうせノーバディでなければ立ち入れない結界が張られているのだから、施錠の必要はないと判断し、そのままにしておくことにした。

ロクサスは中庭を通り抜け、結界に包まれたレンガ作りの外壁から外に出た。

「どうだった?」

外壁に寄り掛かっていたリクが声を掛けてきた。

「気味の悪い屋敷だったよ。色々な意味で」

ロクサスは帰り道の途中で、洋館内の様子についてリクに説明した。

ハートレス絡みの情報が無いせいか、リクは興味が無さそうにロクサスの話を聞いていた。だが、ロクサスがカイリの私物らしき物を発見したことを話すと、目の色が変わった。

「それは本当なのか?」

「ああ。熊のぬいぐるみに“Kairi”って刺繍が入っていた。たったこれだけのことで、確証はないけど……」

「もしかすると、俺たちが知っているカイリのものかも知れない。そういうことか?」

「ああ」

リクは歩きながら、目を瞑ったり開けたりを繰り返した。

おそらく様々な考えや推測が、彼の頭の中で巡っているのだろう。

やがてリクは口を開いた。

「カイリの生家……なのかも知れないな。だから、カイリの幼少時代の物があった」

「リクは、カイリがレイディアントガーデンに居た頃に、カイリがどんな生活をしていたか知ってるのか?」

「いや、知らない。昔、それとなくカイリに尋ねたことはあったけど“覚えていない”と言われるだけだったな。当時のカイリは4歳か5歳くらい……覚えていなくても無理はない」

「そうか……そうだよな……」

「ましてや、カイリはアンセム——いや、ゼアノートの手によってこの世界から送り出された。どんな経緯なのかは知らないが、家族のもとから強引に引き離されたのかもしれない。そう考えると、カイリに当時のことを改めて尋ねるのも気が引けるな」

「思い出さなくても良いことも……あるんだよな……」

「ああ。カイリに限れば……だけどな……」

ロクサスには不思議に思えた。

カイリは自分の過去を知りたいとは思わないのだろうか、と。

自分ならば、過去の記憶が無いことに焦燥感を覚えるだろう。

実際、機関に所属したいた頃は、自分のルーツが気になって仕方なかった。

しかし、カイリはそうではないのだろうか。

カイリは、デスティニーアイランドを“本当の故郷”だと言い切れる程だ。

それは即ち、レイディアントガーデンにいた当時のことを、無理に過去を思い出す必要はないと考えている証なのだろうか。

それとも、思い出したくない理由でもあるのだろうか———。

「ああ、そうだ。そう言えば、これを忘れてた」

ロクサスはコートの懐から洋館の書斎で見つけたレポート用紙を取り出した。

「それは?」

「あの屋敷の書斎で見つけたんだ。よく分からないことが書いてあるんだけど、何かの手掛かりになるんじゃないかと思って持ってきたんだ」

ロクサスはリクにレポート用紙を手渡した。

リクはその紙に書かれている内容を見るなり、神妙な顔つきになった。

「あの屋敷……徹底的に調べる必要がありそうだな」

そのように言うリクを尻目に、ロクサスは内心では意気消沈とした。

洋館がノーバディにしか通れない結界に包まれている以上、実際に中に入って調べられる人物は限られている。

自分は、あの気味の悪い洋館にまた入らなければならないのか———。

洋館内に充満していた、あの言葉では表現しきれない気味悪い雰囲気。

ロクサスは、その感覚を思い出して憂鬱な気分になった。


第9話:幼少期の記憶へと続く

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