こんにちは、FF大好きなユウです!
突然ですが、原作版FF7における最も印象的な場面とは何でしょうか?
ゴールドソーサーでのデートイベントでしょうか?
精神世界で明らかになるクラウドの“本当の過去”でしょうか?
最終局面でのクラウドvsセフィロスの一騎打ちでしょうか?
笑いあり涙ありのFF7ですけど、この辺りは十人十色であることと思います。
…が、筆者としては断トツで印象的かつ脳裏に焼き付いて離れない場面があります。
それはストーリー中盤で訪れる忘らるる都での「エアリス死亡イベント」です!!
筆者が原作版FF7を初めてプレイしたのは小学校低学年の頃でしたが、当時の自分にとってエアリス死亡の衝撃は計り知れないものがありました。
いや、むしろ漢字もロクに読めない小学生だったからこそ、エアリスが死んでしまったことについて訳も分からず茫然自失としました。
そのくらい、少年時代の自分には“重いイベント”だったのです。
むしろ、エアリス死亡イベントを通じて“死とは何なのか”ということを子供ながらに考えさせられたくらいです…
そもそもエアリスが死亡する(=二度とパーティーに復帰しない)こと自体、賛否両論な訳ですが…
筆者個人は、どちらかと言えば“賛”寄りの意見を持っています。
…と言うのもですね、FF7という作品はエアリスが死亡するからこそ、最終的には大きな感動を生んだのだと思っているからです。
エアリスが死亡したことが喜ばしいと思っている訳ではありません。
悲しいし、虚しいし、喪失感もある。
しかし、その一方でメインヒロインの一人であるエアリスが道半ばで死亡してしまうという悲劇性こそが、FF7が“名作”と呼ばれるに至った要因であるとも思うのです。
エアリスという人物は、確かに死んでしまった。
しかし、エアリスの“想い”までは死ななかった。
その証が、作中で「究極の白魔法」と呼ばれているホーリーという存在であり、そしてエンディングの内容なのだと思っています。
詰まるところ、クラウド一行が最後まで絶望することなくセフィロス打倒に臨めたのは、その根底にエアリスという存在があったからに他なりません。
そんな訳で、今からエアリス死亡イベントについて存分に語っていこうと思います!
あまりにも衝撃的だったエアリス死亡イベント
原作版FF7におけるディスク1の最終局面にて、突然かつ悲劇的な展開を見せたエアリス死亡イベント。
忘らるる都の地下にある幻想的な場所——水の祭壇を舞台として繰り広げられた惨劇は、今でも目に焼き付いています。
そのように断言できるくらい、初プレイ時の衝撃は凄まじいものでした。
当時の僕は小学生でしたが、TV画面の前で唖然としたことを鮮明に覚えています…
セフィロスに操られたクラウドがエアリスに向かって剣を振り下ろそうとするシーンも十分に怖いのですが、そんなものは序の口でした。
真の悲劇は、その数秒後に訪れるときた。
急にムービーが始まったかと思えば、急にセフィロスが上空から降ってきたではないか。
そして、落下の勢いのままにエアリスに刀(=正宗)を突き刺すときた。
背面からの刺さった刀はエアリスの身体を貫通し、文字通りの串刺し状態に。
何が起きたのか分からないといった様子で、瞬きをしながら口をパクパクさせるエアリス。
その一方で、満足気に邪悪な笑みを浮かべ、エアリスから刀を引き抜くセフィロス。
その拍子にエアリスの髪留めから白マテリアが祭壇に落ち、そのまま水中へと転げ落ちる。
それと同時に、FF7の中で“名曲中の名曲”との呼び声高い「エアリスのテーマ」が流れ出す。
目の前の光景を信じられず、悲憤に苛まれるクラウド。
そんなクラウドを嘲笑するセフィロス。
そこからFF7では屈指の初見殺しとして名高いジェノバLIFE戦へと突入。
激闘の後、絶命したエアリスに対して哀悼する仲間たち。
そして、忘らるる都の泉にて水葬されるエアリス。
…とまあ、プレイヤーの脳破壊を促すような描写が目白押しであり、ある意味ではエンディング以上に印象的なイベントに仕上がっています。
もはやFF7のみならず、FFシリーズ全体を通して見てもトップクラスの衝撃度&完成度ではないでしょうか。
もし「あなたにとってFFシリーズの中で最も印象的なイベントは何か?」と問われたら、筆者は真っ先にエアリス死亡イベントを挙げます。
脳破壊という意味ではFF10のユウナとシーモアのキスシーンも結構ヤバいですけど、悲劇性はこちらの方が断然上です…
このエアリス死亡イベントですが、ムービーの内容も、台詞回しも、BGMも、ありとあらゆる方面からプレイヤーを泣かせに来ます。
残酷さ、悲しみ、美しさ、儚さなど、涙を誘うような要素が全て凝縮されていますからね。
とにかく、何もかもがプレイする側の胸に刺さる。
ゲームのタイトル通り、まさに“究極の幻想”と呼ぶに相応しい秀逸さです。
原作版FF7の発売から長い年月が経っているにも関わらず、今でもなお色褪せない伝説的な名シーンだと言えるでしょう。
そんなエアリス死亡イベントの詳細について、今から筆者の思い出を語っていこうと思います。
クラウドの台詞が涙を誘う
エアリスがいなくなってしまう
エアリスは、もう喋らない
もう……笑わない
泣かない……怒らない……
俺たちは……どうしたらいい?
この痛みはどうしたらいい?
※引用:エアリス死亡イベントより
クラウドの台詞が、言葉が、その一つ一つが胸に刺さる。
そのように感じるのは筆者だけでしょうか?
ここでクラウドが言う通り、このエアリス死亡イベントの後、エアリスの台詞は一言もありません。
一応、クラウド復帰後にミッドガルの伍番街スラムにある教会に行くと、ほんの一瞬だけエアリスの“姿”が見えるという演出はあります。
そして詳しくは後述しますが、エンディングで数秒だけエアリスの顔が浮かび上がるという演出もあります。
でも、本当にそれだけです。
このイベント以降、クラウドが言う通り、エアリスは一言も喋りません。
怒っているエアリスも、泣いているエアリスも、もう目にすることはない。
もう二度と、生きて言葉を交わすことは叶わない。
それが“死ぬ”ということ。
そんな辛い現実を否が応でも突き付けてくるのが、このクラウドの台詞という訳です。
しかも!!!
この場面では「エアリスのテーマ」が流れっ放しです!!
この感動的なBGMと相まって、プレイヤーにとっては涙腺崩壊必至です。
とにかく、喪失感が半端じゃない。
生前のエアリスの行動なり言動なりを考えれば尚更です。
初プレイの時、子供だった僕は訳も分からず泣いていました…
ただし、唯一の救いはクラウドの台詞の中にある「もう笑わない」という部分だけが事実と反するという点です。
エンディングで現れるエアリスは、確かに微笑んでいました。
つまり「もう笑わないはずのエアリスが最後の場面で微笑んでくれた」という演出によって、強烈な感動が生まれるです!!
この一連の流れが、FF7という作品を“名作”たらしめるのに一役買っていると筆者は思う訳であります。
怒りと悲しみのジェノバLIFE戦
「エアリスのテーマ」が流れたまま、突如としてボス戦開始。
こちとらエアリスの死によって混乱しているというのに、それが何だと言わんばかりの勢いで高威力の「アクアブレス」をぶっ放すときた。
前情報なしだと、まず間違いなくパーティーを全滅に追い込んでくる鬼畜。
TV画面に映っているクラウド一行のみならず、プレイヤーの思考までも殺しにくるクサレ外道。
それが、このジェノバLIFEです。
これもストーリーを進めれば判明することですが、エアリスを殺害したのはセフィロス本人ではなく、実は「セフィロスに擬態したジェノバ」です。
よって、エアリスがセフィロスに殺されたという言い方は、決して間違いではないのですが、適切でもない訳です。
もっとも、ジェノバはセフィロスの意志に従って行動していますので、結局のところ悪いのはセフィロスなのですが。
この場合はジェノバが“実行犯”で、セフィロスが“指示役”と表現するのが適切かな…
そして、エアリス死亡直後に戦うジェノバLIFEとは、「セフィロスに擬態したジェノバ」から切り離された身体の一部が、巨大化&モンスター化したものです。
つまり、ジェノバLIFEはエアリス殺害の実質的な犯人であるとも言えます。
そんなジェノバLIFEですけど、海底魔晄炉で戦うキャリーアーマーと並んで、作中屈指の“初見殺し”として悪名高いボスでもあります。
こいつの特徴は、何と言ってもアクアブレスです。
まさにジェノバLIFEの代名詞とも呼ぶべき技であり、このアクアブレスによって苦しんだプレイヤーは結構多いのではないでしょうか?
かくいう僕自身も、初めてのジェノバLIFE戦ではかなり苦戦した記憶があります…(汗)
「青い光」とか「ブルーフレーム」のような小技ならともかく、このアクアブレスだけは場違いな威力を誇っています。
操作キャラクターの魔法防御の数値によっても変わってきますが、こいつのアクアブレスは1,500~2,000くらいのダメージを平気で与えてきますからね。
普通にプレイしていれば、忘らるる都に到達した時点でのレベルは30~35くらいのプレイヤーが多いかと思います。
そのくらいのレベル帯だと最大HPは2,000前後のはずですので、このアクアブレスによる一撃は脅威以外の何者でもありません。
…と言っても、このアクアブレスは読んで字の如く“水属性”の攻撃です。
ついでに言うと、アクアブレス以外の攻撃手段ある「青い光」とか「ブルーフレーム」も水属性です。
…という訳で、忘らるる都の直前に訪れるサンゴの谷で入手できる「水の指輪」を装備しておけば、ジェノバLIFEの攻撃を完封できますので、ハッキリ言って恐るるに足りません。
つまり、水の指輪を装備しているかどうかでジェノバLIFE戦の難易度は大きく変わる訳です。
まあ、筆者はやり込み派のプレイヤーですので、ジェノバLIFE戦の時点でクラウドたちのレベルが50以上あったりします。
HPも魔法防御の数値もレベル相応のため、いかにアクアブレスといえど一撃で瀕死になるようなことはありません。
そのため、筆者の場合は水の指輪なんかに頼ることなく、ただひたすらジェノバLIFEを撲殺するのみです。
当然ながら、クラウドの武器はザックスの形見であるバスターソードで。
斬って、撃って、殴って、エアリスが受けた痛みのうち1%でも味わわせてやるくらいの気概で「たたかう」を連打する。
そして極めつけに、クラウドの究極リミット技「超究武神覇斬」をブチ込み、ジェノバLIFEを完膚なきまでに粉砕する。
これこそがFF7を、そしてエアリスを愛してやまない筆者の流儀なのです。
忘らるる都の時点で超究武神覇斬を習得していること自体、もはや馬鹿としか言いようがない…などと友人に笑われるけど僕は気にしない!!
しかし、どれだけジェノバLIFEをタコ殴りにしたところで、エアリスが生き返る訳でもない。
いくらレベルが高くても、エアリスの運命を覆せるわけではない。
そんなことを考えている最中にも、依然として流れ続ける「エアリスのテーマ」が涙腺を緩ませにくる。
そんな訳で、このジェノバLIFE戦は色々な意味で記憶に残っています。
かつて古代種はジェノバによって絶滅寸前にまで追い込まれた訳だけど、今度は“古代種の末裔”であるエアリスがこのような死に方をした辺りに両者の因縁を感じる…
エアリスの死を悼む仲間たち
ジェノバLIFE戦の直後、パーティーに参加している仲間たちがエアリスの死を悼むシーンがあります。
悲しいのは、クラウドだけじゃない。
仲間たちもまた、エアリスの死によって深く傷ついている。
そのことがプレイヤーにも伝わってくるシーンです。
まさに七者七様といった様子で、それぞれの個性が表れていて興味深い。
意外なことに、エアリスの死を目の当たりにして最も泣いているのはユフィなんですよね。
ユフィはクラウド一行の中では最年少(16歳)であり、多感な年頃ですからね…
それ以外だと、ティファはエアリスの頬を撫でた後で祭壇から走り去っていきますので、こちらも多分泣いていると思われます。
そんな訳で、筆者が子供だった頃はユフィやティファといった女性キャラクターの反応ばかりが印象に残っていたのですが…
大人になってから改めてプレイしてみると、ユフィ・ティファ以外の反応も凝った作りがされていることに気付きました。
特にバレットなんかは、クラウドの肩に手を置き、何かを語りかけているかのような描写がされています。
殆どのキャラクターたちが悲しみに暮れる一方で、バレットだけは明確にクラウドを気遣っている。
それはきっと、クラウドの心情を察しての行動に違いありません。
筆者個人としては、これは原作版FF7の隠れた名シーンだと思っています。
この場面では、きっとこんなことをバレットは言っていたのではないか?
クラウドが自責の念に苛まれていることを察して、人生の先輩としてフォローしようとしたのではないか?
…などと、筆者は勝手に想像しています。
クラウド・ティファと並んで、一行の中でエアリスとは付き合いが長い部類に入るバレット。
愛してやまない娘の恩人であるエアリスの死は、バレットにとっても大いに堪えたことでしょう。
だからこそ、バレットは最終決戦の前日にエアリスについて言及したのかもしれません。(※詳しくは後述します)
悲しくも美しい水葬シーン
別れに際して、言葉は要らない。
そもそも、何と言ったら良いのかさえ分からない。
そう言わんばかりに、何かを喋ることもなくエアリスの亡骸を抱え、忘らるる都の泉へと入っていくクラウド。
その理由はもちろん、エアリスを弔ってやるために他ならない。
泉の中央付近で、静かにエアリスを離すクラウド。
エアリスの亡骸が、ゆっくり、ゆっくりと沈んでいく。
そして、水底へと近づいていく最中に髪が解けるエアリス。
その表情は眠っているかのように穏やかであり、微笑みを浮かべているようにも見えるものでした。
それは最後の古代腫として、ホーリー発動という使命を果たしたからなのか。
それとも、死の間際にクラウドと会うことが出来たからなのか。
あるいは、他の理由によるものなのか。
それはエアリス本人だけが知るところですが、残念ながらクラウドが言うように「エアリスはもう喋らない」ので、クラウド一行のみならずプレイヤーにとっても真相は分かりません。
そんな謎めいた部分を含めて、この水葬シーンは全ての演出が秀逸なんですよ。
とても悲しいシーンであることは間違いない。
でも、それと同時に幻想的で、なおかつ美しいシーンでもある。
そして、依然として流れ続ける「エアリスのテーマ」が、この水葬シーンをより一層印象的なものへと昇華させている。
これぞまさに“究極の幻想”と呼ぶに相応しい演出です!!
古今東西のフィクション作品で、ここまで傑出している水葬シーンが他にあるでしょうか?
いいや、無い。
ここまで印象的で、悲劇的で、幻想的な水葬シーンなど、他には存在しない。
だからこそ、プレイする側の心を揺さぶる。
少なくとも、筆者はそう思っています。
エアリスの想いを継いでセフィロス打倒を誓う仲間たち
原作版FF7におけるディスク2最後の場面で、クラウドは仲間たちに「自分が戦う理由を確かめて、その上で戻ってきてほしい」と言います。
その言葉に従い、仲間たちは飛空艇を降ります。
バレットはマリンに会いに行き、レッドⅩⅢはコスモキャニオンへと帰郷し…
序盤から敵対していた神羅カンパニーが瓦解し、メテオによって人類が滅亡するまで僅か7日となったこのタイミングで、クラウド一行は「自分が戦う理由」について見つめ直します。
そして、仲間たちは飛空艇へと戻ってきます。
クラウドも、ティファも、バレットも、その他の仲間たちも、一行は個人的な理由のために戦うことを再認識し、その上でセフィロス打倒(=星を救うこと)を誓うのです。
例えば、バレットはマリンの未来を守るために戦う…といった具合にです!
でも、彼らが戦う理由は決してそれだけではないのです。
セフィロスを倒すことで、エアリスが遺してくれた最後の希望——つまりホーリーを解放する。
そのホーリーがメテオを消し去り、星が救われることに賭ける。
このホーリーの存在が、クラウド一行にひとつの方向性を与えたのは間違いありません。
ホーリーがあるから、メテオ落下が目前に迫った絶望的な状況でも諦めない。
エアリスがいたから、彼女の想いを“無”にはさせまいとして踏ん張れる。
クラウドはもちろん、かつては神羅への憎しみで凝り固まっていたバレットですら、エアリスに対して思いを馳せています。
FF7をプレイした人なら知っての通り、バレットと言えば神羅を憎む急先鋒であり、なおかつ何事においてもマリンのことを最優先して行動する人物です。
およそ常人には理解できないほどの憎悪や破壊衝動。
それらに基づいて魔晄炉爆破というテロをやらかし、多くの人間を殺めるという罪を犯した。
その一方で、マリン贔屓の度が過ぎて利己的な行動をしてしまうことも多々ある。
詰まるところ、バレットとは何かにつけて人間が持っている悪面が見え隠れするようなキャラクターなんですよね。
そんな魔道を歩いてきたバレットにすら「マリンと同じくらい大切」と言わしめたエアリスの存在は、故人ながらも非常に大きなものであることが窺えます。
そして、レッドⅩⅢも、シドも、皆がバレットの言葉に同調します。
クラウド一行のうち、一人一人がエアリスの想いを噛み締め、そして彼女に対して感謝しているのです。
そんな一行の気持ちが、クラウドが言った「エアリスの想いを解き放つ」という発言に集約されている。
FF7を初めてプレイした時、筆者は小学生ながらこの場面に感動したものです。
みんな、エアリスのことが大好きだったんだなぁ…ということが画面越しに伝わってきたことを鮮明に覚えています!
エアリスが死の間際でホーリーの発動に成功していたからこそ、クラウドたちは前向きな気持ちでセフィロス打倒を誓うことが出来た。
これはとても重要な意味を持っているシーンだと思います。
だって、もしホーリーという希望が無ければ、もし仮にセフィロスを倒すことには成功しても、その何日か後にメテオが落ちてきて、結局はみんな死んでしまう訳ですから。
即ち、このホーリーの有無によって、一行が戦いに臨むモチベーションは大きく変わってくる訳です。
そういった意味では、クラウドは特に大きな影響を受けていると思います。
これに関しては、クラウドというキャラクターの変遷について考えていくとよく分ります。
ストーリー序盤から中盤までのクラウドは、一言で表現するなら「セフィロスを憎む復讐者」です。
しかし、セフィロスとの最終決戦に臨もうとするクラウドは「星を救う救世主」のように描写されています。
つまり、平たく言えば“陰”から“陽”へと転じている訳です。
かつてのクラウドは、私怨なり私憤なりを自らの手で晴らすべく、セフィロス打倒に燃える青年でした。
もちろん、ストーリー中盤までのクラウドはジェノバ細胞による影響を受けていますので、「セフィロスを倒すために彼の足取りを追う」ということ自体、ジェノバ細胞を介したリユニオンの現象によるものである…という捉え方も出来ます。
しかしながら、リユニオン云々を差し引いても、クラウドにとってセフィロスとは怨恨の念を叩きつけるに値する相手です。
今さら言うまでもないことですが、クラウドにとってセフィロスを倒すことは“正当な復讐”でもあります。
故郷の村を焼き払い、母親を殺し、さらには仲間の命までも奪った怨敵。
クラウドにとってセフィロスは怒りや憎しみの対象であり、セフィロスを追う彼の姿には負の感情から滲み出る“陰”のパワーが満ちていました。
“恨み骨髄に徹す”という表現が当てはまるくらい、クラウドはセフィロスのことを敵視しているのです。
実際、エアリスが死亡した直後にクラウド自身が「俺はセフィロスを絶対に許さない」という趣旨の発言をしていますからね。
しかし、セフィロスとの最終決戦前においてはどうでしょうか?
改めてセフィロス打倒を誓うこの場面で、クラウドの雰囲気は以前とは異なっているように見えるのです。
もちろん、それはジェノバ細胞の影響(=セフィロスの支配)から脱し、本来の人格を取り戻した影響でもあるのでしょう。
…とはいえ、セフィロスへの怒りや憎しみは、依然としてクラウドの中で渦巻いているはずです。
それでもなお、ここでのクラウドからは穏やかさのようなものが感じられます。
そんなクラウドの心情を読み解いていくと、根っこの部分にはエアリスの存在があるように思えるのです。
エアリスがホーリーという名の希望を遺してくれたから、クラウドは前向きな気持ちでセフィロスとの最終決戦に臨むことが出来たのではないでしょうか?
仮にですが、エアリスがホーリーの発動に失敗し、セフィロス打倒の成否に関わらず星の滅亡は避けられない状況だったとしたら、このような展開にはならなかったでしょう。
その場合、クラウドはただの復讐者としてセフィロスに挑むことになります。
怒りや憎しみといった“陰”の感情だけを武器としてセフィロスと戦い、そして勝利したとして、その後に何かが残るでしょうか?
仇敵であるセフィロスを倒すことで、クラウドの中にある怒りや憎しみは解消されるかもしれません。
でも、ただそれだけです。
結局のところ、その数日後にメテオによって仲間もろとも死んでしまうのなら、ハッキリ言って自己満足の域を出ないのではないでしょうか。
復讐を果たしたことによる自己満足が残るだけで、世界の情勢には何ら寄与しない。
メテオが消えて、星が救われる訳ではない。
ましてや、セフィロスに殺された人々が生き返る訳でもない。
そうなれば当然、FF7という作品はバッドエンドを迎えるだけ。
ホーリーという希望が無ければ、クラウドは単なる復讐者としてセフィロスと戦い、勝っても負けても朽ち果てるしかないのです。
そんなの、どう考えても虚しいですよね。
そう考えてみると、クラウドが「セフィロスを憎む復讐者」ではなく「星を救う救世主」として戦いに臨むことが出来たのは、やはりエアリスのお陰だと筆者は思う訳です。
セフィロスのことは、確かに憎い。
何としてでも、自分の手でセフィロスを討ち果たしたい。
こんな具合に強烈な“陰”の感情が湧き起こる中で、また別の方面からセフィロスに勝ちたいという気持ちもある。
それこそが「エアリスの想いを解放したい」という“陽”の意思であり、クラウドという人物が長い旅の末に得たものではないでしょうか?
エアリスとの死別を経て、なおかつエアリスの真意を知ったからこそ、クラウドはこのような心境へと至ったのだと思えてなりません。
セフィロス戦直前の口上が熱い
大空洞へと突入して地底へと進み、そしてようやく星の体内にてセフィロスと相対したクラウド一行。
完全復活を遂げ、魔法(?)の力でクラウドたちの身体の自由を奪い、一方的に攻め立てるセフィロス。
この場面、どこからどう見てもセフィロスが優勢です。
でも、クラウド一行は折れない、諦めない。
圧倒的なセフィロスの力に押されながらも、決して屈しない姿はまさに王道中の王道ファンタジーです。
何と言っても、この時の口上が熱い。
それはもう、熱過ぎる。
セフィロスの背後で封じられている青い光——ホーリーを解放しようと叫ぶクラウドを見て、多くのプレイヤーたちが心を揺さぶられたことでしょう。
かくいう僕自身も、初プレイ当時はメチャクチャ燃えました!!
苦境の中にあって、クラウドの口から絞り出された言葉は、セフィロスへの怨嗟ではありませんでした。
クラウドが口に出したのは、ホーリーのこと、ひいてはエアリスのことでした。
実はこれ、とても凄いことだと筆者は思っています。
目の前にホーリーがある。
エアリスの祈りが輝いている。
その祈りを、セフィロスが妨げている。
だから、エアリスの祈り(=ホーリー)を解放するためにセフィロスを倒す。
理屈としてはシンプルですけど、注目すべきはクラウドが自発的にエアリスのことを口に出したという点にあります。
人間とは誰しも、苦しい時にこそ、追い詰められた時にこそ本性が現れるものです。
そういった意味では、クラウドを突き動かすエネルギーの源泉は「エアリスの想いを無にはさせない」という意志であることが窺えます。
祈りだの、想いだの、ストーリー序盤のクラウドだったら「興味ないね」の一言のもとに冷笑しそうなものです。
しかし、この場でのクラウドはそうではない。
それどころか、一行の中で真っ先にエアリスのことに関して言及しています。
この場面のクラウドを見るに、やはり「セフィロスへの復讐」よりも「ホーリーの解放」に気持ちの天秤が傾いているのは間違いありません。
故郷を焼き、母親を殺し、エアリスの命まで奪った怨敵が目の前にいるにも関わらず…です。
これは即ち、私怨や私憤を晴らすことよりも、エアリスが望んでいたであろう明るい未来のために戦おうとする気持ちが勝っている何よりの証左です。
エアリスの“想い”が間違いなくクラウドに伝播している…ということが伝わってくる熱いシーンです!!
これはある意味、セフィロスという人物が、エアリスという人物に勝てなかったという捉え方もできます。
メテオの発動、そして、その先にある星との一体化。
その遠大な目的を果たすにあたって、邪魔者の筆頭だった古代種。
そう、セフィロスは自分にとってエアリスが邪魔だと判断したからこそ、忘らるる都でエアリスを殺害したのです。
しかし、エアリスの“想い”や“遺志”までは殺せなかった。
セフィロスはエアリスの命を奪いましたが、エアリスに勝利した訳ではなかったのです。
FF7の中では最強格のキャラクターとして描かれているセフィロスですが、彼はクラウドに勝てなかっただけではなく、エアリスにも勝てなかった。
その事実を改めて認識させてくれるのが、この最終決戦直前の口上なのだと筆者は思う訳です。
エンディングでワンカットのみ現れるエアリス
セフィロスを倒し、ホーリー解放に成功したクラウド一行。
しかし、メテオが星に接近し過ぎているため、ホーリーではメテオを抑え込めない。
刻一刻と地表に近付くメテオを見て、途方に暮れるクラウドたち。
万事休すかと思いきや、地表から緑色の光——ライフストリームが溢れ出てきたではないか。
星の内部を流れているライフストリームが地表に出てきて、しかも生き物のように空を駆けるという、FF7の世界観を考えれば有り得ない現象。
クラウド一行のみならず、プレイヤーにとっても信じられないような光景。
人知を超えているとは、まさにこのことか。
そして、ライフストリームはメテオとホーリーの接触地点——ミッドガルへと集まっていく。
そして、ホーリーと共にメテオを押し戻そうとする。
メテオの赤色、ホーリーの青色、ライフストリームの緑色が互いに混じり合い、光が弾ける。
あまりの眩しさに、クラウドも、ティファも、バレットも、レッドⅩⅢも、シドも、マリンも、皆が目を細める。
その瞬間、エアリスの笑顔が一瞬だけ浮かび、スタッフロールへと移行する。
かつてクラウドが言った「エアリスはもう笑わない」という台詞が覆された瞬間です。
この場面こそ、ストーリー中盤のエアリス死亡イベントが良い方向へと昇華され、そして感動を生み出す決定的な瞬間ではないでしょうか?
忘らるる都での死亡イベント以降、初めてプレイヤーの前に姿を見せたエアリス。
でも、それはエンディングでのワンカットのみ。
具体的な時間で言えば、たったの2秒くらい。
エアリスというキャラクターの儚さを象徴するかのような、あまりにも短い演出。
でも、だからこそ感動を呼び、余韻が残るのだと筆者は思う訳です。
最後の最後でこのような登場の仕方をしたからこそ、エアリスの存在は我々プレイヤーの胸に刻まれ、FF7という作品が今でもなお語り継がれる“名作”となり得たのではないでしょうか?
このエンディングでの演出もまた、エアリス死亡イベントと並んで“究極の幻想”と呼ぶに値する内容だと僕は思っています!!
FF7が発売した1997年の時点では、このエンディングは賛否両論であり、なおかつ数多くの考察が飛び交っていました。
一応、スタッフロールの後で“500年後”という字幕と共に成長したレッドⅩⅢ親子が現れるため、星そのものが滅亡した訳ではないのは明白である。
しかし、ミッドガルが緑に覆われて廃墟化していることから、人類は滅亡してしまったことを示唆しているようにも見える。
でも、人類が滅亡したのかどうかハッキリとした描写されていない以上、エアリスが微笑んだカットの後のことについて、プレイヤー側としては考察なり想像なりをするしかない。
…と言うことで、当時小学生だった自分はFF7をプレイしたという同級生を掴まえては、エンディングの内容について学校で真剣に議論したものです。
当時は小学生の低学年だったこともあり、FF7について語り合える友達は少なかったですけどね…(汗)
地表に出てきたライフストリームは、果たして何だったのか?
最後に一瞬だけ微笑んだエアリスは、一体何だったのか?
何だかよく分らんけど、ライフストリームの力でエアリスは生き返ったのか?
実はエアリスは死んでいなくて、ライフストリームを導くためにクラウドたちとは別行動していたのか?
当時流行っていた「裏技を使えばエアリスが生き返る」というデマと相まって、筆者は子供ながらにエンディングの意味について考察しまくったものです。
まあ、FF7の2年後を描いた映像作品である「FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN」にて、人類は滅亡せずに救われたことがハッキリと描かれた訳ですが…
何れにしても、筆者が通っていた田舎の小学校ですら、FF7のエンディングの話になると考察談議が始まっていたくらいです。
きっと世の中では、筆者が思っている以上にラストシーンのエアリスについて盛んな議論が交わされていたことでしょう。
それは即ち、FF7という作品が“名作”として世間に認知されていた証ではないでしょうか?
余談ですけど、僕の友達は“奇跡が起きてエアリスが生き返った説”を信じている奴が多かったなぁ…(遠い目)
余談ですけど、このエンディングにおいては「エアリスがライフストリームを導いている」という説を補強する小説が存在します。
実はですね、スクエニから発売されている「FF7アルティマニアΩ」という攻略本の巻末にエアリスが主人公の小説が載っています。
詳しい内容については割愛しますが、簡単に言うとエアリスが忘らるる都で死亡した後、ライフストリームの中で多くの人々と邂逅するというストーリーです。
この小説の最終版で、メテオに対してホーリーが劣勢であることを知ったエアリスは、死者たちに「力を貸して!」と呼びかけます。
その呼びかけに応えて、クラウド一行と縁のある者たちが目を覚まします。
ビッグス、ウェッジ、ジェシーといったアバランチの面々。
マリンの実父であり、死してなお娘の身を案じているダイン。
エアリスにとって初恋の相手であり、そしてクラウドにとっては親友かつ命の恩人であるザックス。
彼らの思念は、やがてライフストリームの奔流として地表に現れ、そしてメテオを砕くべく奮戦する。
その様子を思い浮かべながらFF7のエンディングを改めて見てみると、以前とはまた異なる捉え方が出来ます。
もし興味がある人は、一度読んでみることをお勧めします!
いくらアルティマニアに載っているとはいえ、この小説内容を公式設定として良いのかどうかは分かりませんけどね(汗)
2週目プレイで初めて気付くエアリス関連の伏線&描写
FF7というゲームは、1週目と2週目で受ける印象が大きく異なる作品です。
1週目で「何だこりゃ?」という描写が、2週目では「そういう意味だったのか!」と腑に落ちる。
その中でも特に、エアリス関連の伏線や描写は、その最たる例ではないでしょうか?
そういった意味では、FF7のストーリーは本当に奥深く、そして細部まで練り込まれていると思います。
クリア後のデータを引き継ぐ訳でもないのに、周回プレイに走るプレイヤーが続出するのも納得のクオリティです!
エアリスが死亡すると分かっているからこそ、重みや切なさが感じられる台詞の数々。
2週目以降のプレイで気付く、その本当の意味。
これらの謎が解けた時、震えたプレイヤーは筆者だけではないはず。
…という訳で、今でもなお色褪せないエアリス関連のイベントについて、この機会に振り返ってみようと思います。
飛空艇への憧れ
これはジュノンからコスタ・デル・ソルへと向かう運搬船での会話イベントですね。
全員が神羅兵に変装しているため、傍目からは区別が付きませんが、エアリスには機関室近くの場所で話しかけることが出来ます。
エアリスは飛空艇への憧れを語り、クラウドはその憧れを現実のものとすることを約束する。
会話の際、どの選択肢を選ぶかはプレイヤーの自由ですが、ここで「いつか俺がのせてやるよ」を選ぶと、エアリスが喜びを露にします。
1週目の時点では、何の他愛もない会話にしか見えないやり取りです。
しかし、2週目では全く違う捉え方が出来ます。
それもそのはず、エアリスは飛空艇に乗ることなく、死を迎えるのですから。
忘らるる都でエアリスが死んでしまった直後に、クラウドは「エアリスはもう笑わない」と言いますよね。
もしかすると、その時、飛空艇云々の記憶がクラウドの脳裏を過ったのかもしれません。
飛空艇に乗せてやるといったのに、その約束を果たせないままエアリスは逝ってしまった。
有言実行できなかった自分は、最低最悪な男だ。
クラウドの中では、そのような自己嫌悪の念もあったのではないでしょうか?
人間とは案外、こういった些細な会話の方が記憶に残っていたりするものです。
普段は忘れていても、その会話を交わした相手が故人となった時、当時の記憶が鮮明に蘇る。
その記憶が何らかの約束事であれば尚更、後悔の念は強くなる。
ただでさえクラウドは精神的に脆い人物ですので、エアリスの死亡に伴う悔恨は半端じゃなかったことでしょう。
この飛空艇の件を含めて、クラウドのどれだけ自分を責めたのか、想像に難くありません。
FF7ACで言われているように、クラウドが“ズルズル”と引き摺るのも無理はないって話だよ…
ケット・シーの占い
これはゴールドソーサーでケット・シーが仲間になる場面ですね。
この時、ケット・シーはクラウドの今後について占ってくれる訳ですが、その時の占い結果がコレです。
求めれば必ず会えます。
しかし、最も大切なものを失います。
セフィロスを追っているクラウドにとって、これは吉兆なのか、凶兆なのか。
占ったケット・シー自身が言っている通り、良し悪しの判断が難しい。
プレイヤー目線でも何やら不穏なものを感じるものの、結局のところ具体的なことは分からず仕舞い。
その後、クラウド一行はダインが起こした銃乱射事件に巻き込まれ、コレルプリズンへと直行。
そんなこんなで、この時の占い結果は、クラウドにとってもプレイヤーにとっても記憶の彼方へ。
…というのが1週目の流れですが、2週目のプレイだと壮絶な意味を帯びている占い結果であることに気付くはずです。
クラウドがセフィロスを追い求めた結果として、エアリスは命を落としてしまう訳ですから。
FF7の全体を通じて、ケット・シーの占いの精度は怪しいものです。
しかし、この時の占いだけは大当たりです。
ただし、悪い意味でだけど…
FF7の発売当初から、この占いで暗示された「クラウドにとって最も大切なもの」には2種類の解釈が存在すると言われています。
一つ目は、当然ながらエアリス。
二つ目は、クラウドの自我。
前者は言わずもがなですが、後者も決して軽視は出来ません。
これもストーリーを進めれば判明することですが、この占い時点でのクラウドは「ジェノバ細胞の能力によって作り上げられた理想の人物像」を演じているに過ぎません。
元ソルジャーとしての経歴は、真っ赤な嘘。
自分の記憶と、親友の記憶を混ぜ合わせて作り出された、虚構の存在。
つまり、本来のクラウドとは異なる人格という訳です。
そんな仮初めの自我を、クラウドは竜巻の迷宮にて精神崩壊という形で失ってしまいます。
エアリスを失って間もないクラウドにとって、竜巻の迷宮でのイベントは“泣きっ面に蜂”そのものだったよなぁ…
いくら仮初めのモノとはいえ、クラウドにとって「自我」が大切ではないはずがない。
実際、クラウドは自分自身が狂うことについて恐怖の感情を抱いています。
特に、古代種の神殿でセフィロスに操られて黒マテリアを渡してしまった直後、その怯え方は尋常ではありません。
クラウドにとって、最も大切な存在とは何か?
仲間のことか。
それとも、偽りの自分か。
その答えはプレイヤーの判断に委ねられている訳ですが、何だかんだ言って、この場面ではエアリスのことを思い浮かべるプレイヤーが多いのではないかと思います。
ケット・シーの占いは「求めれば必ず会えます」というものでした。
求めれ“ば”。
これは言い換えると、クラウドがセフィロスを追わないでおけば、エアリスは死なずに済んだかもしれない…という捉え方も出来ます。
エアリスの死亡について、悪いのは間違いなくセフィロスである。
しかし、クラウドの行動が、その呼び水となったのも事実。
これもまた、クラウドがエアリスの死を引き摺る理由の1つなのでしょうね。
こんな風に色々と考えさせられる点も、FF7のストーリーが好評を博した一因なのかもしれません。
ゴールドソーサーでのデート
ある意味、エアリス死亡シーン以上に印象に残る場面。
それがゴールドソーサーでのデートイベントです。
実はこのイベントの中で、エアリスは物語の根幹に関わる台詞を喋ります。
それは「クラウドの仕草がザックスに似ている」というものです。
エアリス自身が言っていますが、クラウドはザックスに“似ている”のです。
でも、それってある意味では当たり前なんですよね。
なぜなら、エアリスの目の前にいるクラウドは、ザックスの記憶や行動に基づいて生み出された疑似人格だから。
FF7を最後までプレイした人なら知っての通り、物語中盤までのクラウドは、無自覚なまま「理想のソルジャー像」を演じているだけです。
クラウドの中にあるジェノバ細胞が、クラウド自身の記憶、ザックスの記憶、ティファの記憶など、あらゆる要素を繋ぎ合わせて形成した仮初めの人物。
クラウドにとって都合の良い記憶や情報だけを寄せ集め、そして作り上げられた理想の自分。
それがデートイベント時のクラウドです。
つまり、記憶も、仕草も、戦闘技術さえも、言ってみればザックスからの“借り物”なんですよね。
そのことが発端となり、エアリスはクラウドのことが気になったと吐露しています。
エアリスにとって、ザックスは“初恋の相手”だからなぁ…
5年も前に音信不通となった、初恋の相手。
そんな相手を彷彿とさせる男性が目の前に現れたら、エアリスだって気になって仕方ないでしょう。
でも、徐々にだけど、そして確実に、エアリスはクラウドを好きになった。
エアリスは“ザックスの代わり”ではなく“クラウド自身”を好きになったのです。
そして、ここから先は2週目のプレイでなければ理解不能なやり取りが展開されます。
「あなたを探している」
「あなたに会いたい」
一体、これは何のこと?
マジで意味不明なんだけど。
エアリスとクラウドの間で、全く会話が成立していない。
もしや、エアリスは狂ってしまったのか?
…などと、1週目のプレイヤー目線では混乱すること必至です。
でも、エアリスは狂ったわけでも、馬鹿になったわけでもない。
むしろ、的を射たことを喋っている。
…という訳で、このでの言葉の意味は2週目プレイでようやく謎が解けます。
エアリスは、目の前にいるクラウドが“本当のクラウドではない”という事実に勘付いているのです。
エアリスがそのように思い至った理由は、作中では明言されていません。
古代種の能力によるものなのか、単なる女の勘なのか、それはわかりません。
でも、エアリスは目の前に座っているクラウドが、本当のクラウドではないことを察している。
そして、エアリスは好きになった相手の“真実の部分”を知りたいと願っている。
だから、エアリスは「(本当の)あなたを探している」「(本当の)あなたに会いたい」と言ったのです。
こういった細かい描写を読み解いていくと、FF7のストーリー完成度にはマジで驚かされるばかりです。
そして悲しいかな、エアリスは“本当のクラウド”には会えないまま、忘らるる都にて命を落とします。
こういった悲恋的な要素もまた、エアリスというキャラクターの人気を引き上げるのに一役買っているのではないでしょうか?
そう考えると、ゴンドラから下りた直後のやり取りも切ないものがありますね。
繰り返しになりますが、この後でエアリスは死亡してしまいます。
よって、ここで交わされた「また一緒に来よう」という2人の約束が果たされる日は永遠に来ません。
地味な描写ではありながら、こういった部分もプレイヤーの心を抉りに来ます。
このような寂寥感みたいなものが味わえる点もまた、FF7の2週目プレイにおける醍醐味ではないでしょうか?
エアリスが死亡するという結末を知っているからこそ、このデートイベントは胸に刺さるんだよなぁ…
古代種の神殿での一幕
FF7でも屈指の難所として名高い古代種の神殿。
迷路のように入り組んだマップ。
避けないと問答無用で後戻りさせられる大岩。
どんな法則で動いているかイマイチ不明な時の大穴。
極めつけに、壁画の間へと入る鍵を持って逃げ回る思念体。
プレイヤーのみならずクラウド一行をも辟易させる要素が目白押しのダンジョンですが、そんな大変な場所であってもエアリスは明るさを忘れない。
それどころか、クラウドを励ますために声を掛けるときた。
エアリス、めっちゃ良い娘じゃないか…!!
大変な状況であっても、前を向く。
それだけではなく、周囲の人間にポジティブは言葉を投げ掛ける。
これは簡単なようで、実はとても難しいことです。
少なくとも、リアルの世界で実践できる人間は多くはないはずです。
初めてFF7をプレイした子供の頃は大して気になりませんでしたけど、こうして大人になってからプレイすると、エアリスがいかに素晴らしい女性なのかが身に染みて分かります。
だからこそ、ここでエアリスが言った「こんな苦労話、笑って話せる時がくるよ」という台詞が切ない。
だって、この苦労話についてエアリスが「笑って話せる時」は、もう永久に失われてしまったのだから。
もしエアリスが死なずに済んだら、何年か後、クラウドと「古代種の神殿では大変だったよね~」などと笑って話せる日が来たかもしれない。
でも、その可能性はセフィロスの魔手によって完全に潰えてしまった。
詰まるところ、そういう話です。
1週目のプレイでは単なる雑談にしか見えない場面ですが、2週目のプレイになると非常に重く感じられる場面へと化ける訳ですよ。
プレイヤーの感情を揺さぶるという意味では、地味ながらも効果抜群な描写であること疑いナシです。
もしエアリスが死ななかったら、この時の出来事についてエアリスはどのように懐古したのだろうか…
余談:FF7リバースで描かれたエアリスの生死について
2024年2月29日、全世界が待ち焦がれたFF7リバースが発売しました。
FF7リバースはリメイク3部作では2作目に該当します。
なおかつ、発売前の時点で「ストーリーは忘らるる都までを描く」と公言されていました。
それは即ち、エアリスが死亡するまでを最新技術によってフルリメイクすることを意味しています。
その一方で、1作目である「FF7リメイク」では、エアリスが生存するかのような展開を匂わせていました。
このことから、FF7リバースではエアリスの生死が最大の注目ポイントとされていました。
原作版と同じく、エアリスは死亡してしまうのか?
それとも、リメイク作品シリーズでは生存するのか?
期待・興奮・不安といった様々な感情が入り交じり、まるで少年時代のような心持ちでFF7リバースの発売を楽しみにしていた筆者。(※←30代)
【ディスクの逆印刷】という前代未聞の事件が発生したものの、実際のプレイに支障はなく、仕事の合間を縫って少しずつストーリーを進めていき…
プレイ時間は何と100時間を超え、そしてようやく辿り着いた忘らるる都!!
果たして、このFF7リバースは筆者に何を見せてくれるのか?
この先で待ち受けているのは、原作版を超える絶望か。
それとも、原作版とは異なる展開による感動か。
エアリスの生死に伴う感動にせよ、絶望にせよ、筆者はどちらの展開であっても受け入れる覚悟は出来ていました。
しかし!!!
筆者個人としては、FF7リバースの最終局面におけるエアリス関連の描写について、全く納得できませんでした。
生きているのか、死んでしまったのか、どうも判然としない。
この点についてはネット界隈でも賛否両論であり、様々な意見が噴出するのも無理はないと思っています。
これ以上詳しく書くとネタバレになるので、詳細については下記のリンク先にて思いの丈をブチ撒けています…
FF7リバースのエアリス死亡描写が中途半端でモヤモヤするぞ!!(ネタバレ注意)
原作版FF7にあった絶望と感動が、FF7リバースからは感じ取れなかった。
何と言うか…アレです。
素材としては最高だったはずなのに、料理の仕方を間違えたことでイマイチなものが出来上がってしまった…みたいな。
様々な意見を取り入れた結果として生まれた、妥協の産物。
“生”または“死”のどちらかに全振りして欲しかった筆者としては、そう思わずにはいられませんでした。
リメイク作品群は3部作なので、エアリスの生死については3作目まで引っ張るということなんだろうな…
まとめ:エアリスの死はプレイヤーに絶望と感動を与えた
ストーリー中盤でのエアリス死亡イベントは、クラウド一行のみならずプレイヤーにも深い絶望を与えました。
しかし、だからこそ後々のストーリー展開の中で、エアリスというキャラクターの尊さが際立ってくると思うのです。
ただ単にホーリーという名の希望に縋るのでなく、エアリスの想いを無にはさせまいと奮闘するクラウド一行。
そんな彼らの姿が、プレイヤーの目には感動的に映るのではないでしょうか?
エアリスの離脱&死亡に伴う喪失感には耐え難いものがあります。
それはクラウドのみならず、リアルタイムで原作版FF7をプレイした筆者にとっても然りです。
でも、そういった喪失感なり絶望感なりが巡り巡って、最終的には大きな感動を生んだのだと思えてなりません。
このエアリス死亡からのホーリー発動というストーリー中盤~終盤の流れは、FF7という作品が世界的に好評を博すことになった要因の一つではないかと思えるほどです。
筆者の場合、多感な少年時代にFF7をプレイしたことと相まって、このストーリー展開は胸に刺さりまくりでした。
…と言うか、今でも胸に刺さっています!!
FF7という作品は昔から「ストーリー上のヒロインはエアリスで、クラウドにとってのヒロインはティファである」と言われていますが、その言説には筆者も概ね賛成です。
クラウドやティファがいなければFF7という物語が成立しないように、エアリスもまたFF7という物語を構成する上では最重要キャラクターと呼べるだけの存在感があります。
とりわけストーリーの終盤でホーリー云々について知った後だと、序盤から中盤にかけてのエアリスに対する見方もかなり変わってきますよね。
…で、そんなことを考えているうちに2週目プレイをしたくなってくると。
この一種の中毒性とも呼べる“FF7を最初からプレイしたくなる欲求”が湧いてくるのは、ひとえにFF7が“名作”であるが故のものです。
その“名作”を名作たらしめている立役者の一人が、エアリスという悲劇的なヒロインだと筆者は思う訳であります。
取りあえず、2週目以降のプレイではエアリスに優しくしてあげましょう。
間違っても、任意の選択肢が出る場面ではエアリスのことを蔑ろにしないように!
(※ゴールドソーサーでのデートイベントでエアリス以外のキャラクターを狙う場合は除いて)
伍番街スラムの教会では適切な場所に樽を落とすことでエアリスを助け、コスタ・デル・ソルの宿屋ではエアリスのことを気遣い、イベントスクエアでの演劇は真面目な選択肢を選びましょう!
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました!
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