【FF10】公式小説である『永遠の代償』について語りたい(ネタバレ注意)

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本記事にはネタバレが多数含まれているため、閲覧は自己責任でお願いします!

こんにちは、FFマニアのユウです!

今回はFF10に関する公式小説「永遠の代償」について語っていきます。

本書の正式名称はFINAL FANTASY Ⅹ-2.5~永遠の代償~であり、字面からお察しの通りFF10-2の後日談という位置付けの小説です。

FF10-2においてティーダ復活EDを迎えた直後、ティーダとユウナに何が起きたのかを描いているという訳です。

まさに、文字通りの「後日談」という訳です。

この瞬間だけを切り取れば、ハッピーエンドに違いないのだが…

そんな「永遠の代償」ですが、このような副題から伝わってくる通り、あまり明るい話ではないです。

…と言うか、むしろ暗い。

特に「代償」という部分が重要でして、これこそが本書の内容にも深く関わってくる部分です。

スピラでは長年の宿願が叶って万人が「永遠のナギ節」を享受している状況ですが、まるでその「代償」であるかのように、ティーダとユウナに不幸が降りかかる。

一方で、本書のオリジナルキャラクターとして登場する1000年前から現代まで生き延びた人物たちも、過去の「代償」として苦行を強いられている状況にある。

早い話、自らの行動(または決断)によって「得たもの」と「失ったもの」の対比が描かれている、というのが本書の特徴です。

言うなれば、光と影。

あるいは、幸と業。

このように相反するものをテーマとして扱っている手前、陰鬱な雰囲気が漂っていることは否めない。

そんな訳で、世間からは「駄作」「不愉快」「黒歴史」などと酷評されている本書。

しかしながら、筆者としては別の解釈をしておりまして、むしろ本書はFF10シリーズの設定を読み解く上ではとても面白い一冊だと思っています。

要するに、本書を「ティーダとユウナの物語」として読むから駄目なんですよ。

本書の真価とは「スピラの歴史や真実が描かれている」という点にあるのではないか?

…というのが筆者の意見です。

1000年前の機械戦争では、実際のところ何が起きていたのか?

アルベド族は、どのような経緯で誕生したのか?

古来より使わる召喚とは、本来はどのようなものなのか?

このような要素がミステリー小説みたいな流れで徐々に明かされていく展開は、FF10シリーズのファンならば普通に楽しめるはずです。

それでは前置きはこのくらいにして、本書「永遠の代償」の具体的な内容について語っていこうと思います。

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初めに:本書を「ティーダとユウナの物語」として読むと鬱になる

先ほど筆者は、本書について「スピラの歴史や真実を知る上では面白い」という意見を述べました。

これは紛れもない筆者の本心です。

…が、それでもやっぱり、本書は「面白い」という一言だけでは片付けられない。

そのようなことを主張したくなるくらいには、鬱屈とした要素が含まれているのも事実です。

そんな訳で、念のため注意喚起(というか警告)をしておきたいと思います。

「ティーダとユウナの物語」として読んだ場合、本書は相当な鬱展開であると断言しておきます。

そもそも、本書の序盤における主なテーマは「ティーダとユウナのすれ違い」です。

「お互いの理解不足による不和」と言い換えても良いかもしれません。

本書は「恋愛とは楽しいことばかりではない」という現実を容赦なく突き付けてくる…

2年間も時間が止まっていたティーダ(17歳)と、シンを倒してから2年を過ごしたユウナ(19歳)。

この2人の間には、簡単には埋まらない溝が出来ていた。

不可抗力による孤独感に苛まれるティーダ。

そんなティーダのことを子供っぽく感じてしまうユウナ。

シンを倒す旅で一緒に過ごしたのが短期間だったからこそ、その反動がこの二人を襲ってきた。

お互いに知るべきこと、理解すべきことが、まだまだ沢山ある。

…とでも表現すれば良いでしょうか。

この辺りの描写には、中々の現実味があります。

しかし、そんな感情面の軋轢など大した問題ではありません。

本書で最も問題視されているのは、ティーダが中盤で死亡するという点です。

しかも、ただ死ぬのではありません。

死因は、何と「爆死」です。

この「爆死」の一部始終について、本書では割とアッサリと表現されています。

しかしながら、字面から察するにかなり凄惨な状況だったことが窺えます。

少なくも、ティーダの「首」が吹っ飛んだのは作中の描写から明らか。

よって、爆発によってティーダの身体が四散したことは想像に難くない。

それも、ユウナの目の前で。

大切なことなので、もう一度述べますよ。

ユウナの目の前で、ティーダが爆死します。

ユウ
ユウ

この「永遠の代償」が酷評されている最大の理由はコレなんだよな…

毒舌チョコボ
毒舌チョコボ

ティーダとユウナの幸せな未来を想像していたファンの願望を、真正面から粉砕してくるよ!

いかがでしょうか?

「ティーダとユウナの物語」という意味では、これ以上ないくらいの残酷な展開です。

もちろん、ティーダは中盤で退場する訳ではなく、ユウナの尽力により復活を遂げます。

死者の復活は、ある意味ではFFの定番です。

さすが、FF。

さすが、究極の幻想ファイナルファンタジー

愛の力は、かくも偉大なり。

…などと思いきや、この復活の仕方が良くなかった。

端的に言うと、本書の後半で登場するティーダは「ユウナによって召喚された存在」です。

つまり、爆死する以前のティーダとは、似て非なる存在となっている訳です。

この「召喚」という表現がややこしいのですが、FF10でユウナが召喚獣を使役するのとは異なる手法を使っているんですよね。

ティーダを想う気持ちを核として、「ティーダだった幻光虫」を「幻光体」という形に固定化した。

そして、本書では「呼び戻した」と表現されているこの手法には、実は大きな「代償」があった。

ティーダが「自分はユウナによって召喚された存在である」ことを自覚すると、遠からず消滅してしまうという「代償」が。

これこそが、後々に渡ってユウナを苦しめる精神的なかせとなります。

ティーダに召喚された存在であること云々を知られなければ、特に問題はないのでは?

…なとど思わなくもないのですが、ユウナがそれを良しと出来るかどうかは別の話です。

結局のところ、爆死した以降のティーダは「ユウナ専属の召喚獣」みたいな状態です。

自分の依頼ならば、それがどのような内容であっても躊躇なく実行してしまうのではないか?

自分に気に入られたいがための言動は、彼が自分に召喚された存在だからではないか?

召喚士として、そのような疑念を拭いきれないユウナ。

目の前にいるティーダが「以前のティーダとは異なる」ということを知っているからこその苦悩。

スピラは「永遠のナギ節」によって平和になったにも関わらず、ユウナはこの先、この事実を胸に秘めたまま生きていかないといけない。

最愛の相手ティーダに、最大の秘密を明かせないまま。

「永遠」とは言わないまでも、かなり長い間に渡って。

…という訳で、本書を読む際に「ティーダとユウナの物語」に期待しているFF10ファンの皆さんはご注意ください。

ユウ
ユウ

本書の終盤で出てくる「永遠などない」「別れはいつか誰にでもくる」というユウナの独白が切ない…

名もなき神羅兵
名もなき神羅兵

読後の何とも言えない寂寥感が、実は本書の魅力なのかもしれませんな!

本書では「3種類のビサイド島」が登場する

物語の後半では「島」をまるごと「召喚」するという離れ業が描かれている

島全体が輝いていた。

幻光が舞い、漂っている。

この島は、召喚されている。

島全体が幻光体なのだ。

思い当たることがあった。

何度か具合が悪くなったのは、濃い幻光に当たったからだろう。

“シン”の毒と同じ現象だ。

引用:FINAL FANTASY Ⅹ-2.5 ~永遠の代償~ 175ページ

本書の物語は、全体を通じてビサイド島が舞台となります。

しかし、一言で「ビサイド島」と言っても、その種類は一つではありません。

これが本書の内容を理解する上で重要となってくる要素であり、なおかつティーダとユウナが中盤以降に戸惑う理由でもあります。

そんな分かりにくい本書の「ビサイド島」について整理すると、こんな感じです。

①現代のビサイド島
②1000年前のビサイド島
③「召喚」によって創造された1000年前のビサイド島

①は言わずと知れた、FF10やFF10-2で登場するビサイド島です。

FF10-2でのティーダ復活EDの直後、まずは①を舞台として物語が進んでいきます。

それと並行して、序盤から中盤にかけて②についても描かれていきます。

②は1000年前に生きた人物たちの視点で描写されていますが、その中でも特に重要となるのが「ヴァルム」「クシュ」「イファーナル」の3人です。

1000年前、ベベル軍に属していた召喚士であるクシュとイファーナル。

そして、護衛官という立場でクシュと想いを通わせていたヴァルム。

この「護衛官」とは、現代では「召喚士のガード」のような立ち位置ですね。

そして、中盤以降に登場するのが③であり、読み手としては混乱しやすい部分でもあります。

浜辺に桟橋が無い。

ビサイドの村が無い。

遺跡の機械が稼働している。

寺院の構造がおかしい。

そんな「奇妙なビサイド島」に迷い込んだティーダとユウナ。

探索と調査の末、自分たちが居るビサイド島が幻光体であることに気付きます。

創られた原理としては、ティーダが暮らしていた「夢のザナルカンド」と同じである

幻光虫を媒介として創造された、偽りの島。

つまり、ある人物が「召喚」によって創造したビサイド島だったという訳です。

召喚主は、死人と化して約1000年を生き続けた老召喚士イファーナル。

FF10恒例の死人よろしくといった感じで、このイファーナルもまた“ある未練”を抱えている。

それ故に、異界に行くことなく現世スピラに留まり続けています。

作中では「90歳まで生きた」「髪も眉も真っ白」と描かれているため、イファーナルの容姿について筆者は「マイカみたいな爺さん」を想像して脳内補完している

このイファーナルという人物は、決して悪人ではありません。

さりとて、善人とも言い難い。

純粋だとも言えるし、幼稚だとも言えるし、狡猾だとも言える。

本書を読めば分かりますが、イファーナルは青春時代の恋愛感情を完全にこじらせています。

もっと酷い言い方をするならば、ある種のこじらせ童貞みたいな感じ。

これは本書におけるイファーナルに対するユウナの独白のままですが、コイツの心情は「理解しがたい」と表現する他ない。

そして忘れてはいけないのが、このイファーナルが「召喚」したビサイド島にてティーダが爆死するという点です。

イファーナル曰く、爆死の件については「不幸な事故だった」とのこと。

そんなこんなでイファーナルとしても多少の負い目があったのか、ユウナがティーダを復活させる際に助力しています。

しかしながら、“それ”と“これ”とは話が別です。

悪意は無かったにせよ、ティーダ爆死の遠因を作った。

そういった意味では、老召喚士イファーナルは本書における最大の元凶だと言えます。

ユウ
ユウ

好きな女への妄執に駆られ、しかも死人化するという点ではシーモアを彷彿とさせるな…

名もなき神羅兵
名もなき神羅兵

コイツのことを「キモい」と思うか、それとも「可哀相」と思うかは、ぶっちゃけ読者次第でしょうな!

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本書で登場した新設定

FF10で語られ、FF10-2で掘り下げられた「1000年前のスピラ」が本書に大きく関わっている

FF10やFF10-2において、物語の起点となっているのは本編から約1000年前の機械戦争です。

機械文明が隆盛を極めていた当時、ザナルカンドとベベルの二都市の間で起きた戦争。

その末に、ザナルカンドは滅亡し、シンが誕生し、エボン寺院が成立した。

そして、その後のスピラは1000年も続く「死の螺旋」に囚われた。

…ということはFF10シリーズのプレイヤーならば既知の事実ですが、本書において興味深いのは1000年前の設定について掘り下げされているという点です。

1000年前、ベベルはどのような政教体制を敷いていたのか?

1000年前、アルベド族はどのような扱いをされていたのか?

1000年前、召喚士による「召喚」はどのように用いられていたのか?

その他にも、祈り子や異界送りといったゲーム本編でも登場した設定についても深掘りされています。

これらの要素について、ティーダとユウナの視点で明らかになっていくのが本書最大の醍醐味ではないかと筆者は考えています。

そんな訳で、過去のスピラに関する興味深い描写について一つずつ見ていこうと思います。

かつてスピラで信仰されていた神々

ゲーム本編ではエボン寺院の総本山だったベベルだが、1000年前は全く別の政教体制だった

神を祀る習慣があったことなど考えたこともなかった。

ユウナの知る限りは大召喚士像か、寺院の奥底で眠る祈り子――場合によってはエボンの指導者たる老師に向けられるものだった。

「エボンの教えが広まる前は、みんなこういう神様を信じていたのかもね」

「そうか。エボンが禁止しちゃったってやつ?その名を口にしてはいけませんぞ、って」

ティーダはエボンの実質的な支配者だったマイカ老師の口調を真似した。

引用:FINAL FANTASY Ⅹ-2.5 ~永遠の代償~ 154ページ

FF10やFF10-2では、従来のFFにありがちな「神」は登場しません。

スピラの住民たちが信仰しているのは、あくまで「エボンの教え」であって「神」ではない。

ユウナレスカやゼイオン、さらには歴代の大召喚士については神格化されている節はあるものの、作中では「神」として崇拝されている訳ではない。

約1000年に渡って人間を殺し続けたシンも、あくまで巨大な魔物、あるいは天災に近い扱いをされており、「悪神」や「邪神」として扱われている訳ではない。

エボン寺院の総老師であるマイカも、ただ単に「民衆の指導者」という立ち位置であり、「現人神」といった雰囲気ではない。

つまり、ゲーム本編でのスピラは無神教の世界だと言えます。

では、エボン寺院が成立するよりも前の時代、言い換えれば機械戦争が行われていた時代はどうか?

その問いに対する答えが、本書では述べられています。

ユウ
ユウ

“スピラの宗教史”という意味では興味深い点だぞ!

毒舌チョコボ
毒舌チョコボ

“後付け”と言ってしまえば、それまでだけどね!

機械戦争が繰り広げられていた当時、ベベルは「神官当局」と呼ばれる組織が統治していました。

ベベルの住民は「神聖ベベル市民」と呼ばれており、そのことから当時のベベルはゲーム本編とは異なる宗教都市であったことが窺えます。

付け加えると、ベベルでは一神教ではなく多神教でした。

旅人の神アンリ。

戦いの神ルチェーラ。

豊穣の神クシュ。

異界の守護神グアルド。

技職の神アルブ。

秩序の神ヴァルム。

月の神カナエラ。

復讐の神スローン。

ティーダとユウナがこれらの神々の像を発見する場面も描かれていることから、約1000年前のベベルでは偶像崇拝もされていたようですね。

これらの神々の名を借り受けた人間たちが、ベベル側では召喚士や護衛官として戦争に駆り出されていたため、やはり当時のベベルにとって「神」とは特別な存在だったことが窺えます。

ユウ
ユウ

グアド族の名称は、きっと「異界の守護神グアルド」に由来しているんだろうな…

名もなき神羅兵
名もなき神羅兵

実際、グアド族はグアドサラムで異界を管理していますからな!

1000年前のグアド族がどのような立ち位置だったのか気になるところである

アルベド族の起源ルーツ

アルベド族はどのようにして誕生したのか?…という問いへの答えが本書では示されている

「わからないな。本物?偽装?べドールって、なんスか」

「べドールは様々な労働に従事する下層民のことで、彼らの一部は、自分たちの生活を少しでも楽にしようと様々な装置を生み出したのです。そのひとつが偽装べドールです」

「すごい人たちだな」

ティーダが呟いた。

(中略)

そして、べドールはアルベド族を思い起こさせる。

間違いないだろう。

引用:FINAL FANTASY Ⅹ-2.5 ~永遠の代償~ 172ページ

大昔、この世界が始まった頃からずっと、世界は異能者によって支配されていた。

魔法体質や技法を持つ者が圧倒的に有利で、しかも、その血筋と知識は独占された。

持たざる者の日々の生活は過酷なものだった。

(中略)

そんな状況を変えたのがべドールたちだ。

彼らが発明した魔法の代用技術は、やがて機械だ、マキナだと呼ばれ、世界に広がっていった。

当然、支配者たちは疎ましく思うわけだ。

引用:FINAL FANTASY Ⅹ-2.5 ~永遠の代償~ 202~203ページ

機械戦争が行われている頃、アルベド族は「べドール」と呼ばれていました。

ベベルの神官当局はべドールを下層民、平たく言えば奴隷階級として扱い、なおかつ彼らを管理するために魔法によってべドールたちの刻印を入れたとされています。

その刻印こそが、アルベド族に特有の「渦巻き模様の瞳」です。

つまり、アルベド族の瞳の模様は約1000年前に人為的に作られたという訳ですね。

この瞳の特徴は魔法を用いて「刻印」として入れられたものである

当時、そんなべドールたちを率いていた者がいました。

先述した「技職の神アルブ」の名前を借り受けた「アルブ」という人物です。

そのアルブが率いていたから、アルブのべドール、アルベドールなどと呼ばれ、エボン寺院が成立する頃には「アルベド」という呼称が定着したのだとか。

これがアルベド族の起源ふりがなルーツなのですが、中々酷い話ですね。

FF10ではアルベド族が迫害されている場面が多々ありますが、彼らの肩身の狭さはエボンの世になる前から続いていた。

勝手に身体を弄られ、正体が隠せないように貶められ、過酷かつ不本意な労働を強いられ続けた。

他のFF作品で例えるなら、FF16のベアラーみたいな扱いですね。

FF16のベアラーは顔に「刻印」を入れられ、一目で判別できるように管理されている

そんな苦境の中でも、アルベドはたくましく生き延びて世代を重ねた。

どれだけ迫害されようとも、自助自立の気概を失わなかった。

…ということを考えてみると、シド、リュック、アニキ、リンといった作中で登場するアルベド族たちが精神的にタフなのも納得できる話です。

アルベド族の強靭な精神力は、もしかすると1000年以上かけて培われた血筋によるものなのかもしれませんね。

ユウ
ユウ

ユウナの意志の強さもアルベド族の血によるところが大きいかもな!

名もなき神羅兵
名もなき神羅兵

ユウナ殿は徹底した覚悟の末に「打倒シン」を成し遂げていますからな!

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「召喚」の主導権

「召喚士」と「召喚獣」の力関係についての描写は中々興味深い

「そうだよな。で?祈り子がどこにいるかって、ユウナにはわかるの?」

「近くにいて、向こうが召喚されることを望んでいれば、わかる。感じると思う。でも、今は何も――」

「じゃあ、近くにはいないってことだ」

もうひとつの可能性を、ユウナは考えていた。

祈り子が、交感したくないと思っている場合。

召喚士にはその居場所はわからない。

一般には知られていないが、召喚の主導権は、召喚士ではなく、祈り子の側にある。

引用:FINAL FANTASY Ⅹ-2.5 ~永遠の代償~ 157ページ

「あれ?それは誰の意志?クシュじゃなくて、召喚士が俺にやらせようとしたのか?」

「どっちとも言えないかな。祈り子様がしたくないことは、召喚士でもさせられないから」

引用:FINAL FANTASY Ⅹ-2.5 ~永遠の代償~ 236ページ

召喚士は、祈り子の同意がなければ「召喚」を行うことは出来ない。

これはゲーム本編でも示唆されていましたが、その設定が深掘りされた形です。

もし祈り子が嫌がっていたら、召喚することはおろか、交感すらできない。

これは地味ながらも、FF10の物語を理解する上では重要な情報です。

例えばですが、FF10における最終決戦の状況について考えてみます。

ユウナがわざと召喚獣を呼び、シンの根源であるエボン=ジュを憑依させる。

そうやって「小さなシン」と化した召喚獣を次々と倒し、行き場を無くしたエボン=ジュとの対決に臨む。

これが最終決戦の構図ですが、これは世界各地に点在している祈り子の協力があってこその戦い方です。

だからこそ、この「祈り子の同意」に関する部分が興味深い。

仮にですが、エボン=ジュ打倒に同意しない祈り子がいたら、最終決戦の行方はどうなっていたでしょうか?


俺は、夢見ることをやめたくねぇ!
今後も、夢のザナルカンドの存続させてぇ!
だから、お前には協力してやらん!

…などという自分勝手な祈り子が一体でもいたら、ユウナたちはシンを滅ぼせなかったということになります。

つまり、FF10の最終決戦は「祈り子の同意」が無ければ頓挫していたという訳です。

その他にも、エボン=ジュが「夢のザナルカンド」を召喚するために、ガガゼト山の岩壁にいるザナルカンド市民の祈り子群から「夢」を引き出していることに関する解釈の幅も広がります。

ザナルカンドの滅亡を認めようとしなかった、稀代の召喚士エボン。

そのエボンによる、幻光虫によって構成された理想郷ザナルカンドの創造。

この壮大かつ蒙昧な行為について、ザナルカンドの市民たちは反対しないどころか、むしろ賛同した。

だからこそ、市民たちは望んで半死半生とも言うべき存在たる祈り子と化し、1000年間に渡ってエボンが掲げた理想郷ザナルカンドくみし続けてきた。

なぜなら、夢のザナルカンドを生み出すことは、エボンだけの望みではなく、ザナルカンド市民たちの意志でもあるのだから。

その事実が、召喚の主導権云々という設定によって補強された訳ですね。

ユウ
ユウ

FF10が発売された当初は「ザナルカンド市民はエボン=ジュによる被害者だ」みたいな言説があったんだよなぁ…

名もなき神羅兵
名もなき神羅兵

しかし今回の設定に準拠するならば、ザナルカンド市民は「被害者」ではなく「協力者」ということになりますな!

古来より伝わる「本来の召喚」

複数の祈り子から同時に「夢」を引き出すのは、1000年前は一般的なことだったらしい

「それは」

ユウナは驚いた。

「祈り子は召喚士が自分で作るということですか?」

「ああ、我々のはね。いや、それが古来からの、本来の召喚だ。君らの召喚は、エボン寺院の都合で、いいように作り替えられたものだ。

与えられた祈り子で、祈り子が望んだ姿だけを召喚する。

召喚士は、おそらく、自分の思いを彼らに喰わせることで、召喚獣の力を増幅する。

戦いに特化した召喚であれば、それでいいのかもしれんがね」

引用:FINAL FANTASY Ⅹ-2.5 ~永遠の代償~ 209ページ

そして、ふと気になって聞いた。

「あの島は、どのくらいの祈り子で召喚しているんですか?」

ザナルカンドは数え切れないほど大勢の祈り子で召喚されていた。

老召喚士はちらりと、甲板を見た。

「え?」

ユウナも甲板を見つめた。

そして、理解する。

背筋がゾッとした。

「見てくるかね」

「いいえ」

「ぜひ、見て欲しい。君の頼みを聞く条件だ」

心なしか、声が厳しい。

引用:FINAL FANTASY Ⅹ-2.5 ~永遠の代償~ 210ページ

「召喚士」とは、どのような存在か?

「召喚」とは、どのような行為なのか?

これらの設定が、歴代のFF作品の中では最も物語の核心に食い込んでいるFF10シリーズ。

当然ながら、「召喚士とは何ぞや?」ということについて、ゲーム本編でも幾度となく解説されてもいます。

しかしながら、召喚の原理についてここまで詳しく解説されている本書の場面は、FF10やFF10-2の作中を見渡してもかなり珍しいのではないでしょうか?

1000年間を生きた老召喚士イファーナルが語る「本来の召喚」。

その内容を聞いて、ユウナが驚く場面があります。

ゲーム本編でユウナが行っている「召喚」とは、あくまで戦闘に特化したもの。

そして、それはユウナだけが当てはまる訳ではない。

ユウナ一行と敵対し、アニマを召喚したシーモアも然り。

ドナやイサールといった、他の召喚士たちも然り。

1000年前の機械戦争より以前は、エボン=ジュが行っていた「夢の理想郷ザナルカンドの創造」のような所業こそが、むしろ本来の召喚である。

このような新設定について、FF10プレイヤーとしては色々と考えさせられるものがあります。

「新たな祈り子を生み出す」と言うと、ゲーム本編ではユウナレスカの専売特許みたいな扱いでした。

しかし、1000年前の機械戦争時代は案外そうでもなかった。

召喚士が、自らの意志で、祈り子を量産できる。

それこそ、かつての召喚士エボンのように。

詰まるところ、大勢の人間を祈り子へと変えるという行為は、1000年間においては常識外れな話ではなかったということになります。

…ということは、やろうと思えばユウナにも実行可能であるということです。

実際、イファーナルなら「本来の召喚」について教えてもらったユウナは、相変わらずと言うべきか召喚士としての能力を他人のために有効活用する方法を考え始めます。


「たとえば島や船を召喚できるなら、もっと世の中のためにできることは沢山あるのかも」
「人生相談と異界送りだけじゃない召喚士の生き方もあるんじゃないか」

本書の中でこのようなことを発言しているユウナですが、この辺りは利他的かつ献身的な彼女の人柄がよく表れています。

その一方で、祈り子となれば「人間として生」が終わることもまた事実。

ある意味では、死ぬよりも不幸な状態のまま存在し続けるとも言える。

そんなこんなで、倫理的に良くないとの理由により、イファーナルはユウナに対して「お薦めしない」と忠告しています。

アーロンが言うように、祈り子の本質は「哀れな死者」に他ならない…

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まとめ:本書は「スピラの歴史を紐解ひもとく」という観点で読むと楽しめる

本書の登場によって「1000年前のスピラ」の解像度が上がったのは間違いない

巷では酷評されがちな「永遠の代償」。

しかしながら、筆者としてはその風潮に一石を投じたい。

なぜなら、FF10の世界観を読み解く上では非常に面白い一冊だから。

そのように考えている筆者は、FF10プレイヤーとして異端かもしれません。

ですが、かつてFF10やFF10-2に熱中した人間として、本書がボロクソに叩かれている現状には違和感を覚えます。

筆者は別にスクエニの回し者でも何でもないですが、一介の読者として、自分の思うがままにこの記事を書いています。

本記事の冒頭でも述べましたが、結局のところ「ティーダとユウナの物語」として本書を読むから駄目なんですよね。

紆余曲折を経て、2年越しの再会を果たしたティーダとユウナ。

しかし、不慮の事故によってティーダは爆死。

そして、再復活を果たしたティーダに対して、ユウナは懸念を抱く。

そんな懸案事項の目白押したる本書は、「ティーダ&ユウナ」の組み合わせが好きなFF10プレイヤーにとっては読むに堪えない。

…が、それだけが本書の全てかと言うと、決してそんなことはない。

ここまで述べてきた通り、ゲーム本編での設定が深掘りされているという点は大変興味深い。

そして、それらの設定に関する謎をティーダとユウナが解き明かしていく展開もまた面白い。

そんな訳で「ティーダとユウナの視点でスピラの過去を垣間見る」という意識を持って読むと、本書は結構楽しめるのではないかと思います。

FF10シリーズの世界観に浸かりたい人であれば、読んで損はしない一冊です。

むしろ、筆者のようなFF10シリーズマニアであれば必読の一冊かもしれません。

中古であればかなり安く買えますので、興味がある人はAmazonや楽天で本書を注文してみてください。

それでは、この辺りで筆を置こうと思います。

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました!

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