エアリスからの忠告
「彼の気持ち、私、わかる」
ナミネの隣に座る若い女性は、微笑みながらそう言った。
ロクサスが正体不明の洋館を探索し、また彼から胸の内を打ち明けられた翌日、ナミネは城の食堂で朝食を摂っていた。
その際、たまたま所用があって城に泊まり込んでいたレイディアントガーデン再建委員会の女性——エアリスと食堂と鉢合わせになった。
その後、成り行きで一緒に食事を摂ることになったのだ。
同じ女性ということもあり、ナミネとエアリスは会話をしているうちに意気投合し、初対面にも関わらず急速に仲が深まった。
何より、ナミネはエアリスが醸し出す穏やかな雰囲気が好きだった。
この年上の女性には、他者を和ませる安心感があった。
食事もそこそこに、ナミネは自身のことや、ロクサスのことをエアリスに話した。
エアリスは穏やかな笑みを浮かべながらナミネの話に耳を傾けた。
ナミネは、エアリスにならどんなことでも話せる気がした。
ナミネから話を聞いたエアリスは、ロクサスのことも、ノーバディのことも一切否定しなかった。
それはナミネにとっても大きな救いであった。
自分やロクサスを含め、ノーバディという存在を肯定して貰えたような気がしたからだ。
「普通と違うと、色々と大変。良くも悪くも、周りの人、注目するから」
「そうだよね。私もそう思うよ」
ナミネの話が一通り終わると、今度はエアリスが自身のことについて語り始めた。
自分は魔法を使えること。
そのことで、子供の頃に虐めに遭ったこと。
その時に助けてくれた人がいること。
今は、魔法を使って誰かの役に立つのが嬉しいこと。
ナミネはエアリスが魔法を使えることにも驚いたが、そのことで虐めに遭ったことがあるという件には更に驚いた。
「エアリスみたいに魔法が使える人って……やっぱり珍しいの?」
「珍しい、というほどではないかな。私だけじゃなく、レオンも使えるし。でも、人間全体で見たら、確かに多くないと思う。生まれつきの素質もあるし、誰でも魔法を使えるわけじゃないから、ね」
「じゃあ、魔法を使える人と、使えない人は……仲が悪いものなの?」
「それとこれとは、別問題。私が虐められたのは子供の頃だから。子供って、珍しいものを見ると騒ぎ立てるものだから。虐めといっても、相手の子達は、ちょっとからかうだけのつもり、だったんじゃないかな」
ナミネにとって、人間同士でも差別し合う——またはそれに近いやり取りをするという話は意外だった。
それと同時に、人間同士で差別し合うのなら、ノーバディのような異端者は、なおさら差別の対象になり得るとも思った。
「魔法に限ったことじゃないけど、人より優れていたり、強かったりすると、時に怖がられることもあるから。普通の人にとっては、ちょっと近寄り難いと思うのかも。それで、苦手意識が段々と恐怖に変わってくのかなって、私は思う」
エアリスの分析は、恐らく当たっている。
ナミネ自身、人間社会での生活歴はまだ浅いが、エアリスが言ったことは人間の本質を突いているように思えた。
最初は、不思議——もの珍しいといった感情でも、それが時間の経過と共に苦手意識となり、さらに時間を掛けて恐怖へと変わる。
人間は恐怖を払拭するために、その恐怖の原因を排除しようとする。
恐怖の原因を排除しようとする時、人間の心の中に敵意が生まれる。
もっと端的に言えば“憎悪”や“怒り”やといった感情だ。
つまり、心の闇である。
恐怖の感情が、心の闇を生むのだ。
しかし、心に闇があるからといって、人間はすぐにハートレス化するわけではない。
誰の心にも、多かれ少なかれ闇はある。
そして、闇を抱えた人間は他者を差別し、糾弾し、蹂躙する。
その行為に関して、躊躇いなどは一切ない。
だからこそ、差別される側は大いに苦しむことになる。
「私の記憶を操る力も、それ自体が怖がられる存在なんだね。私にその気はなくても、相手の人は記憶を弄られるかも知れないって恐怖を感じてしまうのかな」
「言いにくいけど、そうだと思う。私は、ナミネを怖いとは思わないし、凄く良い子だと思う。でも、数の中には、残念だけど……ナミネを怖がる人は確かにいると思う」
『思う』という言い方に、ナミネはエアリスなりの気遣いを感じた。
その気遣いが嬉しくもあり、また悲しくもあった。
ナミネの冷静な部分が、エアリスの言葉を訂正する。
ナミネを怖がる人は『居ると思う』という言い方は適切ではない。
この場合、ナミネを怖がる人は『必ず居る』が正解なのだ。
ソラに連なる者、即ちソラと面識がある者、若しくはソラを知っている者の記憶であれば、無条件で書き換えることが出来る。
その気になれば、記憶の一斉消去による精神崩壊さえ引き起こせる。
このような危険極まりない能力など、一般人にとっては恐怖以外の何物でもない。
仮に、自分の能力を全人類に表明したとしよう。
自分に能力を使う気がなくても、他者にとっては自分の存在そのものが脅威なのだ。
例外はあるだろうが、殆どの場合、いくら自分が友好的な態度で臨んでも、相手はこちらの顔色を窺うことに終始するだろう。
不興を買って自分の記憶を破壊されることを避けたいと思うのなら、それはそれである意味当然のことだ。
しかし、そのような交流の末に真の友好が生まれるはずもない。
確かに、全ての人間が自分を差別するとは限らない。
現にエアリスのように親身になってくれる人間が居るのも事実だ。
しかしながら、全ての人間が自分の存在を受け入れてくれるはずもない。
いや、そもそも『全ての人間に受け入れられたい』などと願うこと自体、烏滸がましいのかもしれない。
「ナミネの能力は、私の魔法なんかとは、全然違う。私がこう言うのは変だけど、ナミネのその能力、あまり人に知られないようにした方がいいと思う」
「……うん」
「気を悪くしたのなら、ごめんね。でも、ナミネのためを思って、敢えて言うね」
エアリスは一呼吸おいてナミネに向き直った。
その表情からは、先ほどまでの微笑みが消えていた。
「人間は弱いから、簡単には恐怖に克てない。そういう弱い人ほど、他人を傷付ける。ナミネの能力は、人によっては、とても怖いと感じると思う。そうなったら、遅かれ早かれ、ナミネは傷付けられる。そうならないためには、能力のことを周りに知られないようにするのが、たぶん一番いい」
異端者が周りと上手く付き合っていくために、それは確かに必要な処世術であった。
ナミネは自分の能力を好きではないし、また自分の能力を隠すことにも特に抵抗はない。
よって、エアリスの提案は自分の性格に合致した生き方のように思えた。
しかし、ロクサスはそういった生き方を最も嫌うだろう。
自分は争いを好まないし、自分から望んで争いを起こそうとする性格でもない。
しかし、ロクサスは違う。
ロクサスは基本的に平穏を好むものの、場合によっては争いを辞さない性格だ。
そして、何より彼はこれまで他者から“道具”として扱われてきた。
その経験と相まって、ロクサスは我を通そうとする傾向が強い。
それ自体は決して間違っていないと思うが、客観的に見れば賢い生き方だとは言えないだろう。
我を通そうとすればするほど、他者との間に摩擦が生じる。
その摩擦に負けて自分の意志を曲げるということに、ロクサスは耐えられないのだろう。
自分の意志を曲げるということは、つまり他者に迎合するということだ。
それは即ち、現実に対して妥協するということでもある。
そしてそれは、彼が“道具”として利用されていた頃と、何ら変わらないのではないか。
自分が自分であることにロクサスが拘るのは、彼の過去を考えれば当然の帰結であった。
「ナミネ、人間を……嫌いにならないでね」
いつの間にか、エアリスの表情に笑みが戻っていた。
見る者を和ませる、穏やかな微笑みだった。
「人間が全部、酷い人じゃないから。あなたやロクサスを——ノーバディを理解してくれる人間は、全部じゃないけど、必ず居るから」
「ありがとう。エアリスに、人間にそう言って貰えることが……何より嬉しい」
目の奥に熱いものを感じながら、ナミネは目の前にいる年上の女性に感謝した。
「そう言えば、ロクサスは?姿が見えないけど……朝ごはん、食べないの?」
食堂内を見渡すエアリスをよそに、ナミネは困った顔をした。
「ロクサスは……部屋でご飯を食べてる。あまり人が多いところには行きたくなかったみたい」
ナミネからの返答を聞いて、エアリスは事情を察した。
そして悟った。
人間に対するロクサスの不信感は、自分が思っているより遥かに強く、大きいということを。
罪深き者たち
ロクサスは充てがわれた客室で朝食を済ませ、出立の準備をしていた。
行き先は先日探索した洋館である。
ノーバディのみが通れる結界があるということを考慮し、今回はナミネと同行して探索にあたる予定だ。
洋館内、及びその近辺にはハートレスが居ないようだし、単なる探索であればナミネにとっても難しい仕事ではない。
また、洋館がカイリの生家であるかも知れない可能性があるという事実が、今回ナミネが同行する決定打になった。
洋館探索にナミネが加わることについて、ロクサス自身は最初から賛成していたわけではない。
ハートレスが居ないとはいえ、洋館内に充満する闇の気配のことを考えれば、必ずしも危険が無いとは言い切れない。
しかし、今回はナミネ自身の強い希望もあり、二人で館内を探索するということに話が落ち着いた。
今回の探索は、ナミネにとってある意味自分のルーツを知る可能性を秘めているのだ。
彼女の分身たるカイリの過去を、カイリに代わって見極めたいという想いがあるのだろう。
知ってどうなるわけではないが、とにかく知りたい——自分には知る権利がある。
抑えられない衝動に駆られ、真実を求める気持ち。
それをロクサスは身を以て知っている。
機関から脱走した時も、偽りのトワイライトタウンで夏休みを過ごした時もそうだった。
『知りたい』と思う気持ちを押さえ付けることは、誰にも出来ないのだ。
だから、ナミネを無理に止めようとは思わなかった。
ナミネの身の安全についても、有事の際は自分が彼女を守れば良いのだ。
その意味では、同行という形もそう悪くはないように思えた。
ロクサスは身支度を整えた後、闇からの防護を兼ねて機関時代のコートに袖を通した。
客室を出たロクサスは、ナミネ、リクと合流し、例の洋館へと向けて三人は出発した。
道すがら、ロクサスは二人の同行者にレイディアントガーデンの歴史について語った。
「アンセムとは個人の名前ではなく、代々の統治者が襲名する……か」
リクにとって、ロクサスの話は興味深かった。
かつて自分が共闘した賢者アンセムはレイディアントガーデンの第12代統治者であり、またその名前が本名ではないということに驚いていた。
「だが、納得のいく話ではある。ゼアノートが賢者アンセムを追放した後、自らが“アンセム”を名乗った背景には、そういった事情があったんだな」
「表向きはだけど、ゼアノートは“アンセム”を名乗ると同時にレイディアントガーデンの統治者になったんだね」
リクに続いてナミネが口を開いた。
ゼアノートが師の名前を名乗った理由について、二人は深く考えたことがなかった。
しかし、ロクサスの話の内容を精査してみると合点がいく。
ゼアノートは『アンセム』を名乗ることで、正式にレイディアントガーデンの統治者になったのだ。
二人はゼアノートが統治者に就任した後のことについて考えを巡らせた。
12代目の『アンセム』——つまり賢者アンセムが健在の頃から、ゼアノートは他の弟子仲間と結託して危険な実験を行っていた。
ゼアノートが第13代統治者に就任した後、それらの危険行為に拍車が掛かったのは間違いない。
『アンセムレポート』——即ちゼアノートが書き残したレポートには、彼らが行った実験内容とその結果について記されている。
残虐非道な実験を幾度となく繰り返し、ゼアノートが満足する結果が得られるまで、一体どれ程の被験者達が犠牲になったのだろうか。
被験者と言えば聞こえが良いが、要は民衆など、ゼアノート達にとってはモルモットに過ぎなかった。
実験に必要なモルモット達を集めるために、ゼアノートが統治者としての権力を私的に利用した可能性は十分にある。
そうでなければ、誰が心を壊されるような実験に志願するものか。
心を——精神を破壊され、廃人になった哀れな犠牲者たち。
彼らのことを考えると居たたまれない気持ちになる。
そして、加害者たるゼアノート達。
犠牲が出ると知った上で実験を継続していたのだから、その時点で彼等には良心の呵責など無かったに違いない。
だが、さらに悪辣なのは、廃人となった者達の存在を他の民衆に知られまいとして、牢獄に幽閉したという点だ。
実験のために利用するだけ利用して、用が済めば切り捨てる。
その事実を隠蔽するばかりか、あまつさえ幽閉された廃人達の観察記録まで行った。
最早、狂気の沙汰である。
だが、真の悲劇はここから始まる。
その廃人達から自然発生したハートレスなる存在が発端となり、実験と研究はさらに非人道的なものになっていく。
ハートレスの生態を調べるため、ゼアノート達は生物・非生物を問わず、各種サンプルをハートレスに与えたという。
『生物』たるサンプルには、おそらく人間も含まれていただろう。
丸腰でハートレスの前に放り出され、異形の怪物に自分の心身を貪られるなど、想像するだけで冷や汗が出てくる。
倫理が欠如した実験の末に、ゼアノート達はハートレスの製造方法を確立する。
後々までレイディアントガーデンを——ひいては全世界を脅かす人造ハートレス——『エンブレム』の誕生である。
この件の元凶がゼアノート達であることは疑い無い。
しかしながら、罪なき民衆のなれ果てから民衆を害する存在が大量に生まれたのだから、まさに皮肉と言わざるを得ない。
「救いようがないな」
ロクサスは小さな声でそう呟いた。
最初、ナミネとリクは『救いようがない』対象とはゼアノートとその仲間達のことだと思った。
しかしその直後、それは“当たらずも遠からず”ではないかと二人は考えた。
ロクサスは『救いようがない』と言った対象は、もしかすると人間そのものではないのか。特に、ナミネは昨日と一昨日の出来事と併せて、そのように深読みした。
人間とは美醜を併せ持つ生物だ。
ロクサスとて、それは理解しているはずだ。
しかし、彼は人間の醜い部分だけを知り過ぎてしまったのではないか。
だからこそ、彼は矛盾に耐えられずに苦しんでいるのだろう。
もしくは、『救いようがない』のはロクサス自身だという意味で言ったのだろうか———。
鬱蒼とした森を進む中で、リクは漠然とした不安を感じた。
今のロクサスの精神状態は、ソラと袂を分けた時の自分に通じるものがあるのではないか。
他者への不信感が、自分自身を黒く塗り潰す。
その時のことをリクはよく憶えている。
ゼアノートではないが、かつて彼のハートレスが言った『心に芽生えた小さな闇が、やがて心の全てを飲み込む』とは、まさにこのことだとリクは思う。
かつてリク自身が気付いた時には、既に手遅れだった。
カイリを助けられず、キーブレードを失い、ソラとの戦いに敗れ、自分のプライドは完全に粉砕された。
打ちひしがれた自分は、さらなる力を求めて闇に堕ちた。
ロクサス、俺のようにはなるなよ———。
リクは内心で、そう呟いた。
三人はそれぞれの想いを胸に歩き続ける。
そして、太陽が最も強く光輝く正午に、一向はついに謎多き例の洋館に辿り着いた。
【第13話:甦る記憶】へと続く
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