この日、ナミネは朝からカイリの看病をしていた。
今朝になって、カイリが突然高熱を出したのである。
普段から活発なカイリが体調を崩すことは珍しい。
さらに都合が悪いことに、この日はデスティニーアイランドの村長夫妻が不在であった。
そのような事情があり、ナミネは朝から付きっきりでカイリの看病をしていたのである。
しかし、夕方になる頃には体調が良くなってきたのか、カイリも力ない笑顔を見せるくらいには回復したようだ。
「ねぇ…ナミネ。私、お昼くらいに寝ていた時に……夢を見たの」
「夢?」
ベッドから上体を起こしたカイリは、焦点の定まらない目で中空を見つめている。
ナミネは氷枕の後片付けをしていた手を止め、カイリの方を振り向いた。
「私がね、4歳か5歳くらいの頃の夢。多分、私がまだホロウバスティオン……いいえ、レイディアントガーデンにいた頃だと思う。私は白衣を着た人たちに囲まれて……よく憶えていないけど、あの時は凄く怖かった……」
白衣を着た人たち———。
それはおそらく、賢者アンセムの弟子集団のことだろうとナミネは直感した。
「データとか、実験とか、確かそんなことを言っていたと思う。それで、私はその人たちに暗い部屋に連れていかれて……」
カイリは一度深呼吸した後、ゆっくりと口を開いた。
「……声が、聴こえたの」
「……声?」
「あ…聴こえたっていうか……何かザワザワした音みたいなものが、頭の中に響いてきたって感じで……」
「どんな感じだったの?」
「うーん……それが思い出せないの。ただ、とても悲しい気持ちになったことは覚えてる。あの時の私…泣いてたから……」
カイリの表情には哀愁が漂っていた。
カイリがこんなに切なそうな表情をすることは滅多にない。
夢とはいえ、カイリにとっては非常に印象的な内容だったのだろう。
「大丈夫。そんなのはただの夢。夢なんて、その時の気持ちによっていくらでも変化するものなんだし、気にすることないよ」
「うん、うん。私もそう思う。その先のことは私も覚えてないしね。でも、私はこの島に来る前の記憶が殆ど無いから……怖い夢ではあったけど、昔のことを思い出せて、何となくだけど嬉しいって気持ちもあるんだ」
その後、カイリが十分に回復したこともあり、ナミネはデスティニーアイランドの村長家を後にした。
この日、ロクサスはトワイライトタウンのサンセットヒルに墓参りに出掛けていた。
本音を言うと、自分もロクサスと一緒に行きたかった。
しかし、カイリの体調が優れないという事情もあり、今回は見送ることになった。
ⅩⅢ機関が壊滅してから、既に1年以上が経っている。
この1年間は、自分にとってもロクサスにとっても激動の1年間であった。
それでも、今の自分たちは自分たち自身の力によって、前に進もうとしている———。
前よりも少しだけ強くなったという精神的な手応えを、ここ最近のナミネは実感していた。
「あれは……?」
ナミネは通り掛かった浜辺で、黒いコートを着た人物が立っていることに気付いた。
フードを被っているため、その顔は確認できない。
おそらく彼はロクサスだろうと思い、ナミネは浜辺に立っている彼に駆け寄った。
ナミネは少しだけ息を切らせつつ彼の背中に見ながら声を掛ける。
「ロクサス、今日は一緒に行けなくてごめんね。でもカイリはもう大丈夫みたいだから……」
ナミネの言葉を聞いていないのか、彼はナミネに背中を向けたままである。
「…ロクサス?」
何も反応が無いことが気になり、ナミネは目の前のいる人物の後ろ姿をよく見てみた。
そして、ナミネは目の前にいる人物はロクサスよりも少々背が高いということに気付いた。
つまり、彼はロクサスではない。
「あ、あの……」
人違いであることに気付いたナミネの口から、震えた声が漏れる。
目の前にいる人物がナミネの方を向いた。
その顔はコートのフードに覆われていて、よく見えない。
「あ…もしかして…リク?」
リクならば機関の黒いコートを着ていても特に不自然ではない。
闇の回廊を利用する時は、機関のコートを着ていた方が体に掛かる負担が少なくて済む。
以前、リク自身が言っていたからだ。
もっとも、ナミネにとってリクが黒いコートを着るような理由はそれくらいしか思い浮かばないのだが———。
そうは言っても、目の前の男の背丈はおそらくではあるがリクと同じくらいだ。
彼がロクサスでないならば、きっとリクに違いない。
機関そのものが存在しない今、それ以外の可能性は考えられない。
しかし———。
ナミネがリクの名前を口にした途端、目の前の男が鼻で笑った。
(懐かしくもない響きだ)
「………?」
空耳のような、空耳ではないような———。
誰かの声が聴こえたような気がした。
目の前の男の口元が、僅かに吊り上がる。
フードによって目元までは見えないが、まるで自嘲しているような笑みだった。
「あなたはリク…じゃ…ないの?」
ナミネの問いに彼は静かに頷いた。
彼は、ロクサスではない。
リクでもない。
しかし、機関のコートを着ている。
だったら目の前で皮肉な笑みを浮かべているこの人は、一体誰なの———?
そんな疑問がナミネの頭を過った。
(ナミネは俺を忘れても……)
「ま、また……?」
空耳や幻聴などではない。
今度は、ハッキリと聴こえた。
いや、“聴こえた”というよりは“頭の中に響いてきた”という表現の方が適切だろう。
(俺は、ナミネを忘れない……)
ザワザワとした、ノイズの掛かったような声がナミネの中に響く。
その声は何処かで聞いたことがあるような、全く知らないような——そんな声だった。
「これは……あなたが私に語り掛けているの?」
ナミネは目の前にいる男に問い掛けた。
しかし、彼は微動だにせず、黙ったままである。
彼はまるで人形のごとく、光も音も感じていないかのように静かに佇んでいる。
ナミネは敢えて目を閉じ、頭の中に響いてくる声に意識を集中した。
「あなたは誰なの?私のことを知っているの?」
(……ああ、知っている)
「あなたの名前は……?」
(今の俺には、名前なんて無い。それに、もし俺に名前があったとしてもナミネには教えない)
「……どうして?」
(ナミネに迷惑は掛けたくない)
「迷惑……?」
聴こえにくい声の意味深な言葉に、ナミネは目を閉じたまま眉をしかめた。
「やれやれ……」
「………え?」
今度はノイズの掛かっていない、クリアな男性の声が聴こえた。
それは、頭の中にではなく自分の耳に直接聴こえてきた。
ハッとして目を開けたナミネの前には、既に誰もいなかった。
あの機関の服を着た人は、誰だったのだろう?
あの声の主は、誰だったのだろう?
誰もいない浜辺に立ったまま、ナミネはそのことだけを小一時間ほど考えていた。
気付いた頃には、もう夕陽が水平線の向こうに沈みかけていた。
「ナミネ?」
突然、背後から声を掛けられた。
今度は自分がよく知っている声だった。
「……ロクサス」
「何してるんだ?一人でボーッとして」
「よかった…今度こそ本物のロクサスだ……」
ナミネが振り向いた先には、黒いコートを着たロクサスがいた。
自分にとって“最も大切な人”が目の前に居ることを確認し、ナミネは安堵の息を漏らした。
「ナミネ…“今度こそ本物”ってどういう意味だ?」
「うん…あのね、ロクサス……」
ナミネは事の経緯をロクサスに話した。
ナミネの話の内容に、ロクサスも驚きを隠せなかった。
「黒いコートを着た男か。それは、リクじゃないんだよな?」
「うん。それは多分、間違いないと思う」
「機関のメンバーで消滅せずに生き残っている奴が、俺以外にいるわけないしな……」
「そうなの。だから私も、最初はリクなんじゃないかなって思ったんだけど……」
「そう言えば、肝心のリクは何処にいるんだ?これのことで訊きたいことがあったんだけどな……」
ロクサスは懐から、闇の剣——ソウルイーターを取り出した。
「これって、昔リクが使っていた剣だよね?リクの物なの?」
「わからないんだ。ただ、サンセットヒルで俺たちが作った墓が壊されていた。そこにこのソウルイーターがあったから、拾って持ってきたんだけど……」
「墓が壊されていたって、それをリクがやったってこと?」
「いや、それは俺にもわからない。勿論、リクがそんなことをするような奴じゃないってことは俺もわかってる。でも、このソウルイーターがリクの物ではないとも言い切れない。だからリクに直接会ってこのソウルイーターについて話を聞こうと思ったんだけど……」
「じゃあ、これからリクの家に行くの?」
「いや、留守だった。今、島中を探していた所だったんだけど、まだ見つからないんだ」
少しばかり憔悴した表情をしながら、ロクサスはソウルイーターを懐にしまった。
「待って。そういうことなら、私がリクのことを探してみる」
「探すって……ナミネが?どうやってリクのことを探すんだ?」
ロクサスが怪訝な眼差しをナミネへと向ける。
「私の記憶を操る能力で、リクの“存在”が何処にあるかを探るの」
「そんなことが出来るのか?」
「テレパシー…って言うのかな?リクがそう遠くにいなければ、私の能力で感知できるはずだから」
「そうか…じゃあ頼むよ」
ナミネは目を閉じ、精神を集中させリクの“存在”の在処を探った。
「…ロクサス。多分リクはこの近くには…ううん、このデスティニーアイランドにはいないと思う。リクの“存在”も“心”も、全然感じられない…」
「そうか…参ったな。この世界にはいないのか……」
ナミネは静かに目を開け、ロクサスにある提案をした。
「ソラなら、リクが何処に居るか知ってるんじゃないかな?ソラに訊いてみない?」
「ソラか……」
ソラはロクサスの半身である。
しかし、ロクサス自身はソラに対して、何かと複雑な感情を抱いている。
ある意味では因縁の仲とも呼べる間柄である。
ロクサスは、決してソラのことが嫌いなわけではない。
だが、単純かつ誰に対しても壁を作らずに接するソラの性格は、ロクサスにとって少々理解できない部分があった。
そのせいか、ロクサスはソラに対して僅かながら苦手意識のようなものも感じていた。
「ロクサス……聞いてる?」
「ああ、ごめん。そうだな……それじゃあ、今度はソラのことを探さないとな」
「ん?俺を探してどうするんだ?」
「!!?」
自分の耳元から急にソラの声がしたので、ロクサスは慌てた。
いつの間にやら、ソラがロクサスの横に立っていたのだ。
【第3話:犯人の行方】へと続く
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