虚しい戦い
ロクサスは4体いるダークサイドのうち、一体に向かって両手のキーブレードを投げ付けた。
そのダークサイドは不意を突かれて致命傷を負ったのか、音を立てて地上へと落下し、そして消滅した。
残り3体のダークサイドのたちのうち、ロクサスの存在に気付いた一体のダークサイドが地上へと降り立ち、ロクサスの前に立ち塞がった。
他の2体は飛行スピードを緩めることなく、確実に市街地への距離を縮めていく。
「……足止めのつもりか?」
巨体を盾にして市街地へと続く道を塞ぐように立っているダークサイドを一瞥して、ロクサスは『つまらないんだよ』と吐き捨てた。
その直後、ロクサスは両手のキーブレードで相手に斬り掛かった。
持ち前のスピードを活かし、目の前のダークサイドの四肢、更には目をキーブレードを斬り裂き、突き刺し、僅か数分で獲物を葬った。
市街地の方では、火の手が既に昇っていた。
ロクサスが足止め役のダークサイドと奮戦している間に、残り2体のダークサイドは市街地に辿り着き、そして暴れ始めたということであろう。
ロクサスは市街地へと向かって疾走する。
ロクサスは、決してソラのように正義感が強いタイプではない。
困っている人間を率先して助けるようなタイプでもない。
少なくとも、機関の一員として生活していた頃はそうであった。
俺、少し変わったな———。
そんなことを考えながらロクサスが市街地の入り口に到着する頃には、街は逃げ惑う人々で溢れていた。
ロクサスは街の広場で暴挙の限りを尽くしている2体のダークサイドたちを見付けると同時に、二振りのキーブレードを構えた。
しかし、ロクサスが攻撃に転じる事はなかった。
瓦礫の下敷きになって悲鳴を上げている人間が、何人か目に入ったからだ。
その中には子供も含まれている。
目の前に得体の知れない化物がいる状況と相まって、身動きが取れないでいたのだ。
さらに都合が悪いことに、ダークサイドたちの周囲には小柄な黒いハートレス——『シャドウ』たちが湧き出てくる始末だ。
瓦礫の下敷きになっている人たちの命に別状は無さそうだが、今自分がダークサイドやシャドウたちを本気で攻撃すれば、周囲に居る人々に危害が及ばないとも限らない。
こんな時は、一体どうすればいいんだ———。
ハートレスたちを一掃するのが先か、逃げ遅れた人々に救出するのが先か。
判断を下しかねているロクサスの隣を、クネクネとした白い影が過った。
ダスクである。
しかも、その数は3つ。
その光景を見て、ロクサスは直感ですぐに悟った。
彼らは自分とナミネがアンセムの研究室へと向かう途中で遭遇したダスクたちだ。
3体のダスクたちのうち2、体は湧き出たシャドウたちを攻撃している。
残る1体は、瓦礫の下敷きになっている子供の腕を必死に引っ張っている。
どうにかして瓦礫の下から救出しようとしているらしい。
まるで自分の意志を汲んでくれたかのようにダスクたちは動いてくれている。
ダスクのくせに、やってくれるじゃないか———。
後手に回っていたところをダスクたちに尻を叩かれたような気がして、ロクサスは両手のキーブレードを握り直した。
周囲に響く悲鳴に拍車がかかる。
もうあれこれ考えている時間はない。
一刻も早く、ハートレスたちを片付けなければ———。
ロクサスは手始めに、自分の近くにいるシャドウたちに狙いを定めた。
ダスクたちと協力して、地面を這うようにして人々に覆いかぶさるシャドウたちを猛スピードで斬り伏せていくロクサス。
そのロクサスの視界が、一瞬だけ停止した。
自分と共に戦っていた2体のダスクたちが、ダークサイドに踏み潰されたのである。
その瞬間、ロクサスの中で何かが切れた。
我を忘れ、鬼のような形相で2体のダークサイドたちを二刀流のキーブレードでひたすら斬り、刺し、殴り、最後には光弾を連続で放ってシャドウもろとも消滅させた。
時間的には数十秒ほどであったが、猛るロクサスにとっては、ほんの数瞬の出来事であった。
我に返ったロクサスは、自分の周りが妙に静まり返っていることに気付いた。
先程までの悲鳴が嘘のように消えている。
自分がハートレスたちを一掃したのだから当然か——と、ロクサスは思った。
ふと周囲の人間の視線が自分に集中していることに気付いた。
静まり返った雰囲気によって自分に注がれる視線が強調される。
何て冷たい視線なんだろう———。
周囲の人々によってロクサスへと向けられている視線はあまりに静かで、それでいて冷たいものであった。
感謝の念など一片たりとも込められていない、まるで人間以外の何かを忌み嫌うかのような視線であった。
まるで自分が、化物として見られているんじゃないか——そのような気さえした。
ロクサスには、疑問に思えて仕方がなかった。
なぜハートレスを倒した自分が、こんなに冷たい目で見られているのだろうか?
ロクサスは人々の冷たい視線に耐えられず、ふと自分の近くで瓦礫の下敷きとなっている子供を救出しようとしているダスクの方を見た。
そのダスクの体は、ハートレスによって付けられたであろう生々しい傷や痣で一杯であった。
そのような状態であるにも関わらず、ダスクは子供の腕を引っ張っている。
自分の体を盾にして、ハートレスの攻撃から子供を守ったのはロクサスの目にも一目瞭然であった。
しかしながら、もう殆ど力が残っていないはずなのに、ダスクは子供の腕を引っ張ることを止めようとはしない。
ダスクに腕を引っ張られている子供は、悲鳴を上げすぎて声を枯らしたのか、無言で涙を流している。
その時だった。
突然、ダスクの体が宙に浮かんだ。
子供の父親らしき男に蹴り飛ばされたのである。
『この化物め!!!』
その男はダスクに向かってそう吐き捨てると、子供の上に覆いかぶさっている瓦礫を退けようと周囲の人間に助けを呼び掛けた。
宙に浮かび、地面にぶつかった衝撃で小さくバウンドした傷だらけのダスクが、自分の足元に転がってくる様子をロクサスは凝視していた。
「おまえ………」
大小様々な傷だらけの白い体が、自分の靴に軽く触れた。
ダスクはそのまま動かなくなり、やがてその体は崩れるようにして、淡い霧とも泡ともつかぬ物質となって消滅した。
靴越しに感じていたダスクの体の感触が消えた。
あまりにも、あっけなく消えた。
“人間”と“ノーバディ”
———『化物』。
自分の近くにいる誰かが声にした『バケモノ』という言葉が虚ろに響いた。
『バケモノ』と罵られた対象は、ダスクのことだろうか。
それとも『バケモノ』じみた強さでハートレスたちを一掃した、自分のことだろうか。
いや、きっと両方だ———。
———『化物だな』。
———『気味が悪い』。
———『怖い』。
様々な声による、様々な言葉が耳に入ってくる。
その言葉の一つ一つが、鋭利な刃物となってロクサスの胸の内を容赦なく抉った。
突然、ロクサスは自分の額に何かが当たる感触を覚えた。
その『何か』が地面に落ちるのと同時に、それが小石であることに気付いた。
誰かがロクサスに向かって石を投げ付けたのである。
額に付いた小さな傷口から血が滴り、目に入った。
しかし、痛みは驚くほど感じなかった。
まるで冷水を頭から被ったかのように感覚が麻痺している。
居たたまれなくなったロクサスは、その場から逃げるようにして走り出した。
背中に目があるわけでもないのに、無数の冷たい視線が背中に突き刺さるのを感じる。
額の傷よりも、血が入った目よりも、自分が助けた人々の視線の方が遥かに痛かった———。
走る途中で、ナミネやリクとすれ違った。
すれ違う瞬間、ナミネとリクは自分に向かって何かを言っているようだった。
しかし、そんな事などどうでもいいと言わんばかりに、黒いコートの裾を翻させながらロクサスは走り続けた。
自分は何処へ向かって走っているかなど、全く気にならなかった。
何処だっていい。
あの冷たい視線を感じない場所なら、何処だっていい———。
ロクサスは走りながら、目元から何かが流れ落ちるのを感じた。
それは、汗だろうか?
それとも、血だろうか?
あるいは、涙だろうか?
ロクサスは走るのを止め、立ち止まった。
今の自分が感じている気持ちは何だろうか?
怒りだろうか?
悲しみだろうか?
いや、それらとは似ているようで、何だか違うような気がする。
何だろうか、この気持ちは。
何だろうか、今まで経験したことのない、この体の芯から来るような痛みは。
たまらなく痛く、そして辛い感覚———。
「俺が…バケモノ……」
俺が、ノーバディだからなのか。
「俺が…怖い……」
俺が、普通の人間じゃないからなのか。
「ソラ……羨ましいよ……」
俺はソラのようにハートレス退治をしても、ソラのように、誰かに感謝されたり、尊敬されたり、『ありがとう』って言ってもらえないんだな———。
冷たい水滴がロクサスの鼻先に当たった。
雨だ。
先程まで夜空に顔を出していた満月が、いつの間にか雲に覆い隠されている。
ああ、冷たい。
冷たい水滴が、額の傷口に染みる。
走っている最中は痛みなんて気にならなかったのに、今になって急に傷の痛みが気になり始めた。
ああ、目が熱い。
そう言えば、血が入ってからまだ目を洗っていなかった。
ノーバディだって——自分だって、体は普通の人間と同じだ。
痛みを感じるし、血だって流れている。
決して人形なんかじゃない。
何も感じないわけじゃない。
“君は、何も感じない——実感できない——”
ノーバディとして誕生したばかりの自分を拾い、そして機関に招き入れた人物——ゼムナスはこう言った。
自分は変わったはずだった。
機関に入って任務をこなし、アクセルという親友との別離を経て、リクと戦った。
その後、ナミネと出会い、ソラと同化を果たし、一度はこの世界から姿を消した。
そして、心とは感じるものじゃないかと思い始めた。
「……ロクサス」
降りしきる雨が地面にぶつかる音に混じって、ナミネの声が背後から聞こえた。
ピチャピチャという足音が、自分の方へと近づいてくる。
「俺が機関にいた頃は……」
ロクサスは、ナミネの方を振り向かずに口を開いた。
今は、誰の顔も見たくなかった。
たとえ、ナミネの顔でも。
「機関の奴らは、誰も俺のことを仲間外れになんかしなかった。中には嫌な奴もいたけど、俺のことを仲間として扱ってくれた」
「……知ってるよ」
「アクセルとは、色々なことを話した。デミックスはいつも馬鹿なことをやって皆を困らせていた。しかも、ノーバディのくせヘラヘラ笑って、反省なんかしないしさ」
「…うん」
「マールーシャとはあまり話したことは無かったけど、ノーバディなのに花が好きだってことは見ているだけでわかった。ルクソードとは、トランプで一緒によく遊んだりもした。ラクシーヌは“非情の妖姫”なんて呼ばれてはいたけど、俺はそんなに嫌いじゃなかった」
「……そっか」
「シグバールは、いつも俺のことをからかって楽しんでいた。ゼクシオンは、自分がノーバディになる前のことを少しだけ俺に話してくれたこともあった……」
その他の奴らも、俺は嫌いじゃなかった。
『ロクサス』としての故郷がトワイライトタウンなら、『ノーバディ』としての故郷はあの月明かりに照らされた街だった。
『普通の人間』は誰一人として存在しない街——『存在しなかった世界』。
「でも普通の人は、ソラやリクは別として……本当に“普通の人”は……俺が“普通じゃない”から……仲良くしてくれないんだな……」
———『化物』。
———『怖い』。
———『気味が悪い』。
『おまえは人間じゃない』と言われたような気がした。
『おまえは存在してはいけない』と言われたような気がした。
俺は、あの人たちを助けてやったはずなのに。
「人間って、平気で酷いこと言うよな。たとえ本当でも、そんな酷いことを……よく言えるよな……」
背後から、濡れた細い腕がゆっくりとロクサスの腰に回された。
ナミネの腕だ。
ナミネは何も言わずに、ロクサスのことを優しく抱き締める。
雨で冷えきった体に、彼女の体温がコート越しに染みる。
「どうしてだよ……どうして俺はノーバディなんだよっ………」
雨の中で嗚咽を漏らし、子供のように涙を流すロクサスに対して、ナミネは掛ける言葉が見つからなかった。
こんな時には、誰が何を言っても無駄なのだ。
「どうして俺は……“普通”じゃないんだよぉっ………!!」
現実には逆らえない。
ナミネは腕に力を込め、震えるロクサスの体を力一杯抱き締めた。
明日の朝までには、雨が止んで晴れるといいな——と、祈りながら———。
【第6話:相容れない者たち】へと続く
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