謀反を企てし者-Marluxia-

キングダムハーツ(シリアス系)

ロクサスとの出会い

かつて自分が失ったもの。

それを求めるのが悪いことだとは、私は思わない。

私は心を失った。

いや、心に捨て去られたと言うべきか。

そして残ったのは、虚ろな記憶と肉体。

それまでの『私』は消え去り、新たな『私』が生まれた。

その結果得たものは、新たな名前。

その名は、“マールーシャ”といった———。


「私の名はマールーシャ。No.11だ」

『存在しなかった世界』の中心に位置する城。

そこで機関のメンバーたちが、新入りの少年に自己紹介をしていた。

少年の名前はロクサス。

彼には“13”という数字が与えられた。

「ロクサス、か……」

面白い後輩ができた——と、マールーシャは思っていた。

ゼムナスが言うには、ロクサスはキーブレードに選ばれし者のノーバディであるらしい。

そして、ロクサス自身もキーブレードを操ることができるという。

ノーバディでありながら、キーブレードを操る闇の住人。

ロクサスの加入により、機関は最終目的の実現に近付いたと言える。

機関の最終目的——即ち、大いなる心『キングダムハーツ』を完成させること。

ひいては、機関に所属する13人全員が心を手に入れ、完全な存在となること。

いや、完全な存在などという言い方は相応しくない——と、マールーシャは思う。

機関の人間は——少なくとも自分は、ただ単に自分が無くしたものを取り戻したいだけなのだ。

ただ『普通』の人間に戻りたいだけ。

心のままに笑ったり、怒ったり、泣いたりしたいだけ。

心がある普通の人間には心がどれほど大事なものであるのか、ということがわからないのだろう。

心があるなんて、普通の人間には当たり前すぎることだ。

だからこそ心の重要性を理解できないし、理解しようともしない。

当然ながら、心を持たない者の苦悩も然り——。

そんな物思いに耽りながら、マールーシャは自室の窓から外を眺めた。

闇色のくすんだ空。無機質なビル街。そして、鈍い光を放つ『月』。

なぜかわからないが、何か不愉快な気がした。

心など無いはずなのだが、そんな感じがした。

ああ、退屈だ——。

任務が与えられている以外の時間は、何も行動する気が起きない。

行動する理由が無いからだ。

それは即ち、自発的に“何かをしたい”という衝動が乏しいことを意味している。

しかし、だからと言って退屈を埋めようとする意志も湧いてこない。

ただただ、退屈なだけ。

もし自分に心があったなら、退屈なのを嫌だとか、疎ましいだとか、そのように思ったりもするのだろうか。

「マールーシャ」

自室のドアが開き、機関のNo.7——実質的な地位は上から組織内でも二番目の男——サイクスが顔を出した。

「任務だ。今回はNo.13と一緒に摩天楼のハートレス狩りをしてもらう」

「…ロクサスと?共同任務というわけか」

「そうだ。おまえ達の腕を見込んでの任務だ。頼むぞ」

端的に用件を伝えたサイクスは、そのままドアを閉じた。

ロクサスと共同の戦闘任務か——。

まあ、退屈しのぎには丁度いいだろう。

本来、機関の任務遂行には億劫なのだが、今回は妙に気分が高揚していた。

なぜか、そんな気がした。

キーブレードの力——果たして如何なるものか——。

期待という程のものではなかったが、自分にとって未知なる存在のことを考えながら、マールーシャは城下に並び立つ摩天楼に向かった。

キーブレードへの興味

ネオン街の中心に位置する、薄暗い摩天楼。

そこには既にロクサスが来ていた。

「さて、ロクサス。キーブレードの力、見せてもらおうか」

「……ああ」

いつの間にか、ロクサスの右手には黒いキーブレード、左手には白いキーブレードが握られていた。

この時、マールーシャは初めてロクサスが二刀流で戦うということを知った。

そして、二人の目の前には黒いハートレス——ネオシャドウの大群が現れた。

狩るべき相手を見据えて、マールーシャも愛用の大鎌を構える。

「……来い。ハートレス共」

マールーシャの大鎌が、ハートレス達を切り裂いていく。

そして、マールーシャの背後ではロクサスがキーブレードを振るっている。

ロクサスは殆ど一撃でハートレスを仕留めていた。

強い——。

マールーシャはNo.11でありながら、機関内では指導者ゼムナスに次ぐ実力者として知られていた。

しかし、彼の目の前でハートレス達を次々と斬り伏せていくロクサスも、かなりの強さだった。

本気を出した自分と同等か、あるいはそれ以上の強さか。

これがキーブレードの力か——大したものだ——。

マールーシャにしては珍しく、他人に対して素直に敬服した。

「大体片付いたな」

小一時間ほどして、二人は武器を収めた。

「ロクサス。なぜおまえはキーブレードを使えるのだ?それも二刀流で、だ」

キーブレード呼ばれる鍵型の剣は、強い心を持つ者でなければ扱うことは出来ない。

そのキーブレードを、目の前にいる少年は二本も同時に操っていた。

心を持たないとされるノーバディであるにも関わらずだ。

「それは……俺にもわからない」

ロクサスは言葉を濁した。

ロクサスもノーバディである以上、心は無いはずである。

そうでなければ、闇の回廊を通って平気なはずはない。

心ある者が闇の回廊を通る時、その者の心は闇に蝕まれ、やがて自我を失う。

それ故、心を持たないノーバディにとって闇の回廊は便利極まりない道であった。

たが、そのノーバディであるロクサスが、キーブレードでハートレス達を斬り伏せていく場面を、マールーシャは自分の目で確認した。

ゼムナスは機関にとってロクサスが有益な人材になり得ると判断したからこそ、機関に入るように彼を勧誘したのだろう。

しかしながら、当のロクサスはノーバディの常識から逸脱している存在いるとしか思えない。

『キーブレードを使える』=『強い心を持っている』=『ロクサスには心がある』ということなのだろうか?

だからと言って『ロクサス』≠『ノーバディ』ということにはならない。

矛盾に次ぐ、矛盾——。

「ゼムナスが言っていたが、おまえには過去の記憶が無いらしいな?」

「…ああ」

「だが、私個人としてはおまえの強さを見る限り、過去の『ロクサス』は只者ではなかったと推測するが……」

「わからないことは全部、キングダムハーツが完成すれば解決するんだろ?だから俺は機関に入ったんだ……」

自分を含めたロクサス以外の12人は、かつて持っていた心を得るため。

ロクサスは、自分自身の『真実』を知るため。

同じ機関のメンバーでありながら、行動する動機がこうも異なるとは——。

「私は、真実とは自分の目で見極めるものだと思うがな」

「え……?」

「…いや、何でもない。忘れてくれ。とにかく、良い退屈しのぎになったよ」

そう言い残し、マールーシャは闇の回廊の中へと消えた。

ノーバディと心の関係性について、新たに生じた疑問を抱えたまま——。

ラクシーヌとの語らい

自室に戻ったマールーシャは、再び窓から外の景色を眺めた。

白い城壁と、眼下に広がる黒いビル群。

無機質な景色を見ながら、マールーシャはロクサスのことについて考えていた。

ノーバディでありながらキーブレードを操る、闇の住人——。

言うなれば“特別なノーバディ”とでも形容すれば良いだろうか。

それは最早“ノーバディ”とは呼べない存在なのではないか——と、マールーシャは思っていた。

もし仮に、ロクサスは心を持っているのだとしたら——

それはある意味、ロクサス以外の機関メンバーが抱く理想形である『完全な存在』と呼んでも差し支えないのではないだろうか。

もしそうだとしたら、キングダムハーツを創造しているゼムナスさえも凌ぐ存在なのではないか?

当然ながら、機関の実力者たる自分よりも“心ある人間”に近い存在だとも言える。

『完全なる存在』に限りなく近い場所に居るのは、機関でも最年少のロクサスではないだろうか。

しかも、その『完全』の範疇は心の有無だけに留まらない。

キーブレードを自在に操り、さらには闇の力まで使いこなすロクサス。

彼の戦闘能力を含めて考慮すると、真の意味で『完全な存在』に近いのではないだろうか。

そのロクサスに無くて、その他の機関メンバーに有るもの。

それは『記憶』だ。

『心』と『記憶』——。

どちらが大切かと問われれば、『記憶』という選択肢の方を選ぶ者も少なくないだろう。

もっとも、それは憶測の域を出ない話ではあるのだが。

自分もロクサスも、ノーバディと化した時点で『心』か『記憶』か、などという選択の余地は無かった。

それでもロクサスには『記憶』の代わりに『心』が残ったのだろうか。

普通のノーバディでもなければ、ハートレスでもない。

勿論、普通の人間であるはずもない。

大体にして、自分のように人の姿を留めたノーバディが生じるケース自体が極めて稀なのだ。

そんなことはとうに承知していたが、ロクサスはその『極めて稀なケース』にも当てはまらない存在であるように思える。

既存のノーバディという枠には収まらない、全く新しく、かつ異質な存在。

言わば、『第4の存在』———。

マールーシャは窓から上空を眺めた。

暗黒の夜空に浮かび、鈍い光を放つ『月』——キングダムハーツ。

あれには何千何万、もしくはそれ以上のおびただしい数の“人の心”が詰まっている。

しかし、その“人の心”はまだ足りない。

まだまだ、ノーバディに救済をもたらすだけレベルには至っていない。

キングダムハーツを創造しているゼムナス本人がそう言うのだから、自分が異論を挟む余地は無い——と、マールーシャは思っていた。

しかし、裏を返せばキングダムハーツの実状についてはゼムナスしか理解していないということにもなる。

機関の初期メンバーである6人は、かつて『輝ける庭』と呼ばれた世界で賢者アンセムに師事していたという。

彼らは心について研究していたが、ゼムナスは彼が『ゼアノート』という名前だった当時から、世界の心——即ち、キングダムハーツについての調査を密かに進めていた。

そして、やがては師であるアンセムの存在どころか名前さえも奪い、人造のハートレス——“エンブレム”を創り出すまでに至った。

その後、アンセムの名を奪ったゼアノートを含めて、6人の弟子達はハートレスと化した。

それが発端となって機関が結成された訳だが、新参者の部類に入る自分にとっては、心に関する情報が少なすぎる。

そもそも、キングダムハーツが完成しさえすれば、自分たち13人全員が心を得られるのか?

その話自体、正直に言うと疑わしいとマールーシャは思うようになってきていた。

キングダムハーツが完成すれば、ノーバディも心を得て『完全な存在』へと昇華できる——。

それは、機関の指導者の立場にいるゼムナスがそう述べているだけであって、実際に心を得られるという確証は何処にも無い。

もしかしたら、自分はゼムナスに都合よく利用されているだけなのでは——?

そんな疑念が、マールーシャの脳裏を過った。

人型のノーバディ——つまり、機関のメンバーに心は無い。

仮にロクサスだけは例外だとしても、心を持たないノーバディが他者に情けをかけるはずが無い。

考えてみれば当然の話である。

“慈悲”や“憐憫”の感情など、ノーバディである自分たちは持ち合わせていないのだから。

自分さえよければ、他はどうでもいい。

心が無く、理性のみで行動するノーバディらしいと言ってしまえばそれまでだ。

しかしながら、ゼムナスがそのように考えて行動しているという可能性もまた、否定はできない。

冗談ではない——。

私は、誰かに利用などされない——。

されてたまるか———!!

かつて自分が無くしたはずの心が——“怒り”が激しく燃え上がるのをマールーシャは感じた。

それは、とても不思議な気分だった。

No.11として機関に入って以来、こんな気持ちになったのは初めてだった。

窓に映った自分の顔は、ひどく歪んでいるように見えた。

眉間に皺が寄っている。

いつものように、過去の記憶に基づいた演技ではなかった。

演技をする必要もない、自分一人しか居ない空間で、自分の顔に現れている感情は一体何だろうか?

憤怒か、熱情か、渇望か、あるいは——。

「ちょっと、なに怖い顔してるわけ?」

突然マールーシャの背後に闇色の穴が開いた。

その中から金髪の女性——No.12のラクシーヌが現れた。

「一人で怒った“フリ”の練習?変わったご趣味ね」

挨拶代わりに、随分なことを言ってくれる女である。

だが、マールーシャはラクシーヌのことを決して嫌いではなかった。

しかしながら、今この瞬間においては不快感を拭えなかった。

「闇の回廊など使わずに、普通にドアから入ってきたらどうだ?ここは私の自室だぞ」

ラクシーヌはNo.12であり、一応はマールーシャの後輩ということになる。

だが、実際には同期加入のような間柄だった。

それと関係があるのかどうかは知らないが、ラクシーヌは自分に対して敬意のようなものを払った試しが一度も無い。

もっとも、ラクシーヌは他のメンバーに対しても、同じように高飛車な態度で接しているのだが——。

「で、どうだったの?」

「……何の話だ?」

「ロクサスとの共同任務。キーブレードの力ってどんなものかと思って、あんたの感想を聞きに来たのよ」

ああ、とかぶりを振り、マールーシャはラクシーヌの顔に視点を合わせた。

「ロクサスは強い」

「それだけ?他にご感想はないわけ?」

「おまえにしては随分と拘るな。興味があるのはキーブレードか?それともロクサス自身についてか?」

「あら、両方よ。大体、知らないことを知ろうとすることが、そんなにダメなことかしら?」

「……焦っているのか?」

マールーシャが、薄ら笑いを浮かべた。

その様を見て、ラクシーヌが口調を荒げる。

「なっ、どういう意味よ?一体何を根拠にそんなことを……」

「あの『月』を見ろ」

マールーシャは自室の窓から見えるキングダムハーツを指さした。

闇色の天に浮かんでいるのは、心に飢えた『月』。

全てのノーバディの希望であり、なおかつ羨望の象徴。

「全く、いつになったらキングダムハーツは完成するのやら」

「それ、口に出さないだけで、あんた以外のメンバーも同感だと思うわよ」

「私の疑問は、それだけではない」

「はあ?一体どういう意味よ?」

「大体にして、仮にキングダムハーツが完成したとしても、本当に我々は心を得られるのか。ゼムナス以外の者に真実はわからない。自分では確かめる術もない」

「ちょっと、まさかとは思うけど……今言ったのってあんたの本音?」

「さあな」

形のいい眉を吊り上げて、ラクシーヌがマールーシャに詰め寄る。

「じゃあ、何だって言うのよ?」

「私はおまえの考えを代弁しただけだが……?」

むっと黙り込むラクシーヌ。

何か言いたそうにしているが、彼女は何も言わずにマールーシャから目線を外した。

「いくら機関の一員といえど、我々は新参者の部類だからな。特に、ヴィクセンは下位ナンバーの者に煩い」

「あんなのはただの変態野郎よ。No.4のくせに大して強くもないし、単純な戦闘能力なら私の方がまだ上だわ」

「まあ、おまえの主張に異論を挟むつもりはないが、ナンバーが上位の者ほど機関内で発言力があるのは事実だな」

「だったら、あんたはどうなのよ?」

「私か?」

「ナンバーは下位だけど、あんたの強さに一目置いてるヤツは少なくないのよ?」

悔しいけどね、とラクシーヌは言い足した。

口が悪い彼女も、マールーシャの強さは認めているようだ。

「まあ、確かに私はおまえよりは強いだろうが機関で一番強い、という訳でもない」

「……つまり、ゼムナスには勝てないってわけ?」

「仮に戦えば、あと一歩及ばない……そんな所だろうな」

機関の指導者であるゼムナスは、他のメンバーとは一線を画す強さを誇っている。

彼の強さはマールーシャのみならず、機関のメンバー全員が認めていた。

「強さもそうだが、ゼムナスが機関の指導者という座にいるのはキングダムハーツの創造に関する知識や技術を持っているということも関係しているのだろう」

ゼムナスが、機関の“一人目”である所以ゆえんである。

「同じノーバディなのに、どうしてこんなに違うのかしら。苛々するわ」

苛々する、だと——?

心を持たざる者が、何を言う——。

昨日までのマールーシャなら、そんな風に感じただろう。

しかし、今は違った。

「おまえが“苛々する”ことは、心ある者への第一歩だ」

「はあ?意味不明なことを言ってんじゃないわよ」

どうやら、目の前にいる女は自分の“進歩”に気付いていないらしい。

その事実が、マールーシャにとっては可笑しく思えた。

「心が無いはずのノーバディが“苛々する”のは、不思議だとは思わないか?」

「……どういう意味よ?」

「つまり、おまえは自分よりも強い人物——私やゼムナスに対して、嫉妬しているということだ」

「なっ…“嫉妬”ですって……!?」

「おまえの“苛々”は、そこから生じた感情だ。そう考えれば、おまえは心を手に入れつつある。そうは思わないか?」

ラクシーヌには、マールーシャの言っていることは筋が通っているように思えた。

自分よりも優れた者に対する、何か釈然としない不快感——。

そのような漠然とした思いを抱いているのは事実であった。

「さて……ここで一つ問題がある。先程おまえが私の前に現れたとき、私は恐い顔をしていたらしいな?」

「…ええ」

「あれは、演技ではない」

「演技じゃなかったって言うなら、何だと言うのよ?」

「さあ……何だったのだろうな」

マールーシャは苦笑しながら、再び『月』を眺めた。

鈍い黄色の光が、今はやけにかんに障るような気がした。

「過去の“私”は、他人に利用されることを嫌う野心家だった。その野心が仇となり、心は闇に囚われ、今の“私”——“マールーシャ”というノーバディが生まれた訳だが……」

ロクサスは、キーブレードを操る資質を持っている。

そして、彼には『過去』の記憶は無い。

しかし、真実を求める意志は確かに存在している。

失ったものを、求める意志。

「仮にキングダムハーツが完成して、私たちが“完全”になったとしよう。しかし、それは“以前の自分”と全く同じ状態だと言い切れるか?」

「それは……そうとも限らないんじゃないかしら?」

「そうだ。私たちが“完全”となる際に手に入る心は、厳密には私たちがかつて失ったオリジナルの心とは異なるもの——キングダムハーツにより与えられる模造品だからだ」

ノーバディである自分と対を成すハートレス。

そのハートレスが、今でも存在しているかどうかはわからない。

しかし、ハートレスとノーバディのどちらが『オリジナルの存在』かと言えば、それは言うまでもなくハートレスの方である。

なぜなら、ハートレスこそが『本来の心』の成れの果てだからだ。

「でもそれって、あくまであんたの推測でしょ?何か根拠でもあるの?」

「残念ながら、根拠らしい根拠は無いな。しかし、一口に“心”と言っても解釈は様々だ」

「何よ、解釈って」

「人間が持っている心——それは喜怒哀楽の感情を指すのか。それとも、人格や性格のことを指すのか。あるいは、さらに別の何かなのか……」

「まあ、私が欲しい“心”は喜怒哀楽の感情だけどね。そうは言っても、あんたの言葉を借りれば“怒り”の感情は、既に私の中で芽生え始めているってことになるけど……」

「確かに、それは言えているな」

ラクシーヌの言を受けて、マールーシャは得心した。

目の前にいる女と同様、自分もまた喜怒哀楽の感情を求めているのだと——。

心とは何なのか

ラクシーヌが部屋から出ていった後、マールーシャは再びキングダムハーツを眺め、物思いにふけっていた。

自信に降り注ぐ鈍色の光から、閃きを得ようとして思考を巡らせる。

そして、脳裏に浮かんだのは“心”であった。

心の本質について、ゼムナスはどの程度知っているのだろうか?

心の全容を、既に解き明かしているのだろうか?

仮にキングダムハーツから与えられる心の正体が『自分とは異なる人格』であるならば、他の機関メンバー達は『それ』を快く受け入れたりするのだろうか?

他の者はどうだか知らないが、そのような『心』など自分には必要ない。

それは悪魔に魂を売るのと同じだ。

魂と引き替えに、新たな自己認識アイデンティティを手に入れる。

いや、この場合は失うと言った方が適当だろうか。

自分が自分でなくなってしまうなど、考えたくもない。

そのような展開が待ち受けている可能性について、他の期間メンバーは気付いているのだろうか?

『完全な存在』となる際に手に入る心について、その正体を見抜いているのだろうか?

『心を得る』などと安易に言うことは出来るが、その意味を正しく理解しているのだろうか?

機関の初期メンバーを除いて、おそらくその可能性は低いのではないか——。

以前の自分は、キングダムハーツが完成しさえすればすべて解決すると思っていた。

心を得て、『普通』の人間に戻れると。

今にして思えば、それはあまりに軽率な考えだった。

マールーシャが心の本質について疑問を抱くきっかけとなったのは、ロクサスの存在だった。

ロクサスは、その存在そのものが謎に包まれている。

ノーバディとしての要素は殆ど皆無だと言っていいだろう。

表面上は無機質な人物を装っているが、ロクサス何かに悩み、迷っているように見える。

悩み、迷い、葛藤する——。

心が無いノーバディには真似できない芸当である。

ロクサスはキーブレードに選ばれたために、そのような感情を得るに至ったのか?

それとも逆の理屈なのか?

では、自分の中にある心を求める意志は何なのか。

失ったものを求める意志の出所は、一体何処にあるのだろうか?

自分に欠けたものを求めようとすることは、ノーバディのみならず普通の人間もすることではないだろうか。

勿論、意志の強さに個人差はあるだろう。

例えば、デミックスは心に対する執着があまり顕著ではように見える。

その逆に、サイクスなどは常に平静を装ってはいるが、時折心に対する強い執着を見せることがある。

それならば、自分はどうだろうか?

確かに心は欲しい。

ノーバディとしての本能だろうが、自分自身の意志であろうが、それは自分の中で唯一絶対の真実である。

しかしながら、ゼムナスに利用されるような形で心を手に入れるのは御免被りたかった。

ゼムナスが求める心と、自分が求める心。

それらの本質は、もしかすると種類が異なるかも知れないからだ。

それに、ゼムナスが自分以外の機関のメンバーに嘘を吐いているという可能性も、決してゼロではないように思える。

ゼムナスは“心こそが力を生み出す”と言うが、仮にその“心”をゼムナスだけが独占する展開になったとしたら?

その場合、只でさえ強いゼムナスは、それこそ欠点の見当たらない完全無欠の存在となるだろう。

キングダムハーツの完成が目前に迫ったタイミングにおいて、自分以外の12人を消滅させる——。

それはゼムナスにとって、決して不可能なことではないはずだ。

彼我の戦力を考えた場合、ゼムナスとまともに戦えるのは自分とロクサスくらいだろう。

さらに突き詰めていくと、全力対全力の殲滅戦となれば、最終的にはゼムナスに軍配が上がるだろう。

「さて、どうしたものか……」

自分が最も恐れる可能性が1%でも存在する以上、悠長に構えているわけにはいかない。

考えれば考えるほど、ゼムナスへの疑いが増していくような気がした。

ゼムナスが創造しているキングダムハーツに吸収される“心”とは、一体何なのか?

無論、それはハートレスが倒されたときに放出されるものである。

そして、ハートレスは“心”をエネルギー源として活動する。

ならば、キングダムハーツの正体とは———。

ここまで自分なりの仮説を整理して、マールーシャは一つの結論に至った。

そして、その結論とは無情極まりないものだった。

事が起こる前に、どうにかしなければ———。

忘却の城へ

ロクサスとの共同任務から数日後、機関のメンバー全員がゼムナスによって召集された。

13人全員が円卓を囲み、各々に与えられている白い椅子に座った。

「キングダムハーツ完成のため、これから私に指名された者は『忘却の城』で心の研究をしてもらう。それ以外のメンバーは引き続き、通常の任務を遂行するように」

会議の口火を切ったのはゼムナスだった。

「忘却の城の地下部分はヴィクセン、レクセウス、ゼクシオンに担当してもらう」

地下部分に機関の初期メンバーが派遣されるとは、マールーシャにとっては意外なことだった。

「そして地上部分は、アクセル、マールーシャ、ラクシーヌに担当してもらう。そして肝心の管理責任者だが、これはマールーシャに一任する」

“一任”——だと?

まさか自分が管理責任者に任命されるとは思ってもみなかった。

だが、一体なぜ―――?

「何故マールーシャが管理責任者に…!?こいつはNo.11ッ……!!」

ヴィクセンがゼムナスの命令に異を唱えた。

「何か不都合でもあるのか、ヴィクセン」

ゼムナスが低い声でそう言うと、ヴィクセンは数秒ほど黙った後、口を開いた。

「新参者のマールーシャに『忘却の城』全体を統括する技量があるとは私には到底思え——」

「私はマールーシャの実務能力、戦闘能力を高く評価している。それに今回の“任務”を指揮するにはマールーシャが適任だと判断した」

「しかしッ……!!」

「ヴィクセン、機関の掟を忘れたか?指導者の命令は絶対だってハナシだ」

なおも反論を続けようとするヴィクセンを、ゼムナスに次ぐ古参メンバーであるNo.2のシグバールが諫めた。

「さて、マールーシャよ」

「はい」

「『忘却の城』での任務だが特別なノーバディの能力を利用して、ある“実験”をしてもらいたい」

「……特別なノーバディとは?」

「光の世界を支えるセブンプリンセスの一人である“カイリ”のノーバディだ。“彼女”を『忘却の城』へ連行し、その能力の程を調べる。それが今回の任務の第一段階だ」

何やら、聞きなれない言葉である。

特別なノーバディ?

それは、一体どういった意味なのだろうか?

プリンセスのノーバディだから、特別だということなのだろうか?

「まず“彼女”の行方を突き止め『忘却の城』へと連行するのだ。その後の任務内容は追って連絡する」

「…確かに、承った」

会議が解散し、ある者は忘却の城へ向かい、ある者は通常の任務の赴く中で、マールーシャは自室で出発の準備を整えた。

その後、相も変わらず鈍い光を放っている『月』を眺めながら、なぜ自分が忘却の城の管理責任者に選ばれたのかを考えていた。

ゼムナスが自分の力量を評価している——という発言は全くの嘘、と言うわけではないだろう。

しかし、ヴィクセンが言うように新参者の部類に入る自分に、機関の重要施設の管理を一任するというのは、どこか腑に落ちないものがあった。

ゼムナスは何を意図して、自分を管理責任者に抜擢したのだろうか?

この人事の裏側には、何らかの思惑が秘められているような気がしてならなかった———。

プリンセスの“影”を探して

狭間の世界にそびえ立つ忘却の城は、地上部分が光、地下部分が闇を象徴する建物である。

そして、この城の各所にある『白い部屋』は、来訪者の記憶に応じて変容する。

その原理は、今のところ解明されてはいない。

それどころか、誰が何の目的で建設したのかも明らかではない。

そのような謎多き城の最上階から、マールーシャは外の景色を眺めていた。

無機質な白色のバルコニーから見える地平線は、決して美しいものではなかった。

「なーに黄昏てるワケ?」

「…ラクシーヌか」

背後からマールーシャに声を掛けたラクシーヌは、そのまま前に歩み出て、マールーシャと肩を並べた。

「あまり綺麗とは言えない景色ね。光と闇と、色々なものがごっちゃになってる」

混沌、という名が似合いそうな景色。

それは狭間の世界を象徴するかのような眺望だった。

「…おまえは、妙だとは思わないか?」

「はぁ?何がよ?」

「私たちが、この城の地上部に派遣された理由だ」

「地上だろう地下だろうと、大して変わりはないんじゃないの?どちらにしたって城の管理責任者はアンタなんだから」

「私が妙だと言っているのは、地上部のメンバー構成のことだ」

地上部には機関の中では新参者の部類に入るマールーシャ、ラクシーヌ、アクセル。

一方で、地下部には機関の初期メンバーであるヴィクセン、レクセウス、ゼクシオンが配属されている。

「なぜ機関の新参者3人が一ヶ所に集められたのか?私たちは古参のメンバーほど心について深く知っているわけでもない。だが、今回の任務を遂行するには私が適任であるとゼムナスは言った……」

「…さあ?それよりもゼムナスが言った特別なノーバディってのを、ここに連れてこないことには何も始まらないんじゃないの?」

確かに、ラクシーヌの言うことには一理あった。

その“特別なノーバディ”とやらの能力を検証してみないことには、話は前に進まない。

プリンセスのノーバディと言うくらいなのだから、当然“彼女”は人の姿を留めたノーバディなのだろう。

たが、ノーバディとは心の闇が具現化した時に取り残される、いわゆる『脱け殻』だ。

「ゼムナスはプリンセスのノーバディって言っていたけど、どういうことなのかしら?」

「以前古参のメンバーたちから聞いたことだが、全部で7人いるプリンセスたちは、その全員が心に闇を持っていないらしい。そんな者がノーバディ化することは有り得るのか……と言うことだろう?」

「心の闇がハートレスになることでノーバディは生まれるから、心に闇が無い者からは必然的にノーバディは生まれないはず。そうよね?」

「理論上は一応そういうことになる。…が、今そんなことをいくら考えても仕方がない。とにかく“彼女”のことを見つけなくては」

「探すアテはあるの?」

「“彼女”も人型のノーバディならば、見つけるのは難しくはないだろう。点在する狭間の世界のどこかにいるはずだ」

そう言い残し、マールーシャはバルコニーから飛び降り、闇の回廊の中へと消えた。

指導者ゼムナスからの勅命

機関の指導者たるゼムナスから与えられた任務——。

プリンセスのノーバディを見つけ出し、その能力に関する検証を行うこと。

その第一段階における捜索活動の末、マールーシャは狭間の世界を彷徨っていた“少女”を発見し、忘却の城に連行することに成功した。

その少女の名前は“ナミネ”といった。

だが、マールーシャが独断で動いても差し支えないのはここまでだった。

ゼムナスから命令された通りに“特別なノーバディ”であるナミネを発見することは出来たものの、その後の任務についてはまだ言い渡されてはいなかったからだ。

事実上の待機状態を強いられたマールーシャは、忘却の城の最上階にある一室でゼムナスを待っていた。

果たしてゼムナスは自分とナミネに何をさせようというだろうか———?

「マールーシャ」

マールーシャが居る部屋に低い声が響き、ゼムナスが闇の回廊から姿を現した。

「プリンセスのノーバディは見つかったのか?」

「彼女の名はナミネ。この城に連行する際に色々と質問してみたが、ノーバディらしくはないな……」

「それはそうだろう」

ゼムナスは薄く笑った。

「特別な者から生まれたノーバディであるナミネは、やはりノーバディとしても特別な存在だということだ。ロクサスと同じようにな……」

「……ナミネのノーバディとしての能力とは一体?」

「記憶の操作だ」

「記憶の……操作とは?」

「ゼクシオンが知覚した情報によると、ナミネは他者の心を介して記憶を操作することが出来るらしい」

機関内において、ゼクシオンの知覚能力は特に秀でている。

そのことはマールーシャも認めていたが、今この時までナミネの特殊能力については何も知らされていなかった。

自分を忘却の城の管理責任者に任命したゼムナスの立場からすれば、ナミネについての詳細な情報は事前に自分に伝えておくのが筋ではないだろうか?

釈然としない感情がマールーシャの中で湧き起こった。

「さて、マールーシャ。おまえにはナミネの記憶を操作する能力で、他者の記憶をどれだけ変化させられるのかを試してもらいたい」

「……一体なぜ?」

「おまえも知っている通り、人の姿を留めたノーバディが生じるケースは極めて稀だ。私自身、ノーバディの本質については未だに完全には理解しきれていない」

特異な存在であるノーバディの中でも、さらに特殊な存在である『人型ノーバディ』に関する予備知識が不足している。

ゼムナスは、おそらくそう言いたいのだろう。

「我々機関の者の人格形成の鍵となっているのは、周知の通り“過去の自分における記憶”だ。仮にナミネの能力で記憶の秘密を突き止めることが出来れば、ノーバディの本質そのものの核心に迫り———」

「私たちノーバディが『完全な存在』となるための一助になる……と?」

「大した洞察力だな、マールーシャ。おまえの推察通り、キングダムハーツ完成のための活動と並行して、我々がより『完全な存在』に近づくため、記憶と心に関する情報やその関連性をより明確にしておく必要がある——私はそのように判断したわけだ」

「……では、ナミネの能力で記憶に関する実験を行う対象は?」

「それに関してはおまえが選べ。おまえがこの任務を遂行するのに適任だと判断した理由はそこにある。おまえのように頭が切れる者ならば『実験台』の選出にも『実験結果』の成果にも期待が出来る」

「つまり、今後のことは私に一任する……と?」

「忘却の城の管理責任者はおまえだ。良い報告を待っているぞ」

そう言い残し、ゼムナスは闇の回廊の中に消えた。

「全てを一任する、か」

それは即ち、ナミネをどう扱おうとマールーシャの自由であること意味していた。

心、記憶、ノーバディにハートレス。

人の心が織りなすキングダムハーツ。

そして、忘却の城の『管理責任者』という今の自分の立場。

様々な点が、マールーシャの中で一つに繋がった。

動き出した野心

マールーシャは城の最上階にある部屋に、自分以外の機関の者を呼び集めた。

そして、機関員たちは円卓を囲み、今回の任務に関する詳細についてマールーシャから言い渡された。

「……以上の通り、私の指示のもとで『記憶』に関する実験を行う」

「そのナミネとやらはどこに居るのだ?」

ヴィクセンが不機嫌そうな顔でマールーシャに尋ねた。

「そう焦るな。入ってこい、ナミネ」

マールーシャの呼び掛けに答えるかのように部屋のドアが開き、ナミネがスケッチブックを手に持ったまま入ってきた。

「ほぉう、この娘がナミネか。とても記憶を操るなどという恐ろしい能力を持っているようには見えんな」

ヴィクセンはまるで実験器具を見るような目でナミネのことを凝視している。

その視線に恐怖を感じたのか、ナミネの肩は小刻みに震えていた。

「初対面の者にそのような言い方はないでしょう?ヴィクセン。少しは礼儀を弁えてはいかがです?」

「何を言うのだ、ゼクシオン?貴様も、このナミネにしても、ノーバディに心など無いのだ。気遣いなど不要だろうが」

「以前から思っていましたが…貴方の高圧的な態度はどうにかならないのですか?」

「な、何だと……!?」

「そうそう。初対面の人間にはまず挨拶。人付き合いの基本ルールだ。記憶したか?センパイ」

アクセルが口の端をつりあげながらヴィクセンに言った。

「き、貴様ら……No.6とNo.8の分際で……!!」

「よせ、ヴィクセン」

それまで状況を傍観していたレクセウスの一言に、ヴィクセンは押し黙った。

その言葉には、有無を言わさぬ圧力が含まれていた。

「とにかく、話は以上だ。『実験台』は私がこれから探しに行く。各員、持ち場に戻って頂きたい」

「フン……青二才があまりいい気になるなよ、マールーシャ」

ヴィクセンは捨て台詞のような言葉を言い残し、闇の中に消えた。

そして、レクセウスもヴィクセンに続いてその場を後にした。

「相変わらずヴィクセンはうるさい奴だったわね。いい?ナミネ。あんたは私達の言う通りにしていれば良いのよ」

「貴女もですよ、ラクシーヌ。もう少し他人に対する配慮があっても良いのではないですか?」

「何よ?ゼクシオン。お説教かしら?」

「いいえ、ただの忠告ですよ」

ゼクシオンは円卓の椅子から立ち上がり、ナミネに歩み寄った。

「僕の名前はゼクシオンです。ナミネ、この城に居るのは人間的に何かと問題がある者ばかりですが、取り敢えず僕達の言う通りにしてくれさえすれば、あなたの身に危険はありません。安心して下さい」

「あらぁ、ゼクシオン。ナミネには随分と優しいじゃない?」

「“配慮”だと言ったはずですが?」

「はいはい。心が無いのに、相変わらず品行方正なことで」

それは、皮肉を多分に含んだ物言いだった。

「…ナミネ。あまり気にすることはありませんよ」

「は、はい……」

ゼクシオンはナミネに対して僅かに微笑み、闇の回廊の中へと消えた。

その場に残っているのは、城の地上部分の管理を任されている者だけとなった。

「アクセル。ナミネに城の中の案内でもしてやってくれ」

「はぁ?なんで俺が?面倒くせぇ」

「別にいいじゃないの。どうせ、あんた暇なんでしょ?」

「おまえはどうなんだよ?ラクシーヌ。大体その言い方だと、俺はただの暇人だって言っているようにしか聞こえねぇんだけどな……?」

「とにかく、ナミネを案内してやってくれ」

マールーシャはアクセルを諭すように言った。

「城主様命令ってワケかよ?職権濫用はあまりしてほしくはねぇが…まあ、今回は素直に従ってやるよ」

アクセルもまた円卓の椅子から立ち上がり、ナミネの方に顔を向けた。

「今の話の内容でもう分かったと思うが、俺の名前はアクセルだ。記憶したか?」

「は、はい。記憶しました……」

「おっと、中々物覚えがいいようだな。それじゃあナミネ。この城の中を色々と案内してやるからついて来な」

アクセルもナミネを連れて部屋から出ていった。

「アクセルも何だかんだ言って子供には甘いわね~。心なんて無いのに」

「…ラクシーヌよ」

「何よ?改まった顔して」

「以前、私がキングダムハーツから得られる心について話したことを覚えているか?」

「本物の“心”とは感情のことなのか、それとも人格のことを指しているのか……とかってあんたが言っていた時のこと?」

「しつこいようだが、おまえが欲しい心とは『感情』の方だったな?」

「ええ、そうね。あんただってそうでしょう?」

「…では、もう一つだけ訊こう。おまえはゼムナスのことを信用しているか?」

「いきなり何よ?大体、ゼムナスのことを信用する、しない以前に機関に刃向かったりしたらダスクにされるか、もしくは消されるか。機関に身を置いている以上は、ゼムナスの意向に従うしかないのよ?」

「もしゼムナスが私達を都合よく利用している場合でも……か?」

「…一体、どういう意味よ?」

ラクシーヌは円卓の椅子から立ち上がり、マールーシャに詰め寄った。

「そもそも、ゼムナスが創造しているキングダムハーツとは何だ?」

「それは…一言でまとめるなら、心の集合体じゃないの?」

「それでは、“人の心”が織り成すキングダムハーツの主成分とは何だ?」

「そんなもの、ハートレスが倒された時に放出される心に決まっているじゃない」

「では、ハートレスが倒された時に放出される“心”とは何だ?」

「…あんた、何が言いたいのよ?」

ハートレスは他者の“心”を奪い、それを活動のエネルギー源として利用し、さらに増殖する。

ならば、ゼムナスが創造しつつあるキングダムハーツの正体とは何か?

その点について考えてみると、色々と腑に落ちないことが多い。

少なくとも、マールーシャにとってはそうだった。

「仮にハートレスが倒された時に放出される『心』が『他者の人格』だとするならば、ゼムナスが創っているキングダムハーツとは、様々な人間の思考が混じり合ったものである——という見方もできる」

「そうかもしれないけど……でもそれって、あくまで“仮に”でしょう?」

「その通りだ。だが“仮に”そうだとするならば、少なくとも私やおまえが求めている心は手に入らない」

「……何ですって?」

「そうは言っても、実際にキングダムハーツが『他者の人格』の集合体である可能性は低い。ゼムナスにしても、自分が自分でなくなることは不本意だろうからな」

「何でそんなことが、あんたには分かるのよ?」

「よくゼムナスは“心こそが力を生み出す”と言うが……裏を返せばゼムナスにとっての“心”とは、あくまで力を生み出すための道具に過ぎないと捉えることも出来る」

「……それが何なのよ?」

「つまり、ゼムナスは心を得ることで“普通の”人間に戻るだけでなく、自分自身を絶対的な存在へと昇華させようとしているのかもしれない、ということだ」

「……もし仮に、あんたの考えが当たっていたとしても、それが私たちにどんな関係があるって言うのよ?」

「あの『月』を——キングダムハーツを思い出してみろ。あれが完成した瞬間に何が起こるかなど、誰にも分からない。下手をすれば、ゼムナスですら分かっていないかもしれない。現時点で分かっているのは、あの『月』が人知を越えたエネルギー体であるということ——ただそれだけだ」

「エネルギー体……」

「心を得るとは言っても、まさかあの『月』が13個に分割されて、機関の者一人一人と同化するという訳でもないだろう」

「それはまあ、確かにそんな単純な話ではないでしょうね」

「もし仮に、私が今しがた言った通りになるのだとすれば、ゼムナスの言動と照らし合わせて考えてみると、ゼムナスにとっての『力の源』となり得る心は、単純計算で1/13しか手に入らないということになってしまうからな……」

「じゃあ、ゼムナスの真の目的は、キングダムハーツの力を独占すること……っていうわけ?」

「ゼムナスが目指している『完全』とは、私達にとっての『完全』とは異なるものである、というのが私の見解だ。おそらく、ゼムナスは心を手に入れた“その先”のことも考えているのだろう」

マールーシャは、ゼムナスの行動や物言いについて底知れない“何か”を感じていた。

“心が欲しい”という意志は、確かにゼムナスにも存在しているのだろう。

しかし、ただそれだけのこと。

心さえ手に入れば、他はどうでもいい。

それは自分にも当てはまることだ。

「ゼムナスは時折、姿を眩ますことがあるだろう?何処で何をしているのか、機関の古株達は何かを知っているようだが……新参者の部類に入る私達には何の情報も与えられていない」

「確かに……そうよね」

「ゼムナスの真の目的は誰にも……そう、私にも分からない。だが、ゼムナスにしても私達にしても、心さえ手に入れば『ⅩⅢ機関』という組織にはもはや何の用もない。当然の話だな。機関に身を置いている者達は、ただ心が欲しいから互いに協力しているだけであって、目的が達成されれば組織自体には何の未練もないだろうからな。おまえだってそうだろう?」

「否定は出来ないわね。正直、心を得た先のことなんて深く考えていなかったから」

「ゼムナスが『月』の力を独占するため、あるいは心を得た他の機関員たちのことを“真の”目的達成の支障になると危険視して、最終的に私達を消しにかかるという可能性は0ではない。ならば、私やおまえが選ぶべき道は一つしかない」

「まさか、機関を……裏切るってわけ?」

ラクシーヌは、自分の口の中がひどく渇いていることに気付いた。

それは、たとえ仮定の話だとしても、あまりに危険な行為に他ならないからである。

「早とちりするな。まだ何も言っていないだろう?」

「だって、ゼムナスのことが信じられないのなら、そうする以外にないじゃないのよ」

「ラクシーヌ、気付いているか?今ここには居るのは私達2人だけだ。ゼムナスの命令に従っても、おまえが欲しい“心”は手に入らないかもしれない。しかし、私が今考えている策に乗れば、また違った展開が望めるかもしれない」

「……何なのよ?あんたが考えている策って?」

「あまり小難しいことは考えるな。要するに、おまえは私とゼムナスのどちらを信用する?……という話だ」

「……あんた、それ本気で言ってるのね?」

実際の所、ラクシーヌ自身も機関に対して以前から不信感を抱いていた。

自分はゼムナスに体よく利用されているだけなのではないか——などという考えが頭の中を過ったことは、一度や二度ではなかった。

下位ナンバーである自分は、『ⅩⅢ機関』という組織の中では捨て駒でしかない。

明確な根拠は無くても、そのように思えてしまうくらいには疑念が膨らんでいたことも事実だ。

他人に都合よく利用される。

そんなことは絶対に御免だった。

ラクシーヌにとって、それは到底受け入れられないことであり、我慢ならない話であった。

「……面白いじゃない。乗ってあげようじゃないの。あんたの言う策ってヤツにね」

「では、これで同盟成立だな」

「……で、具体的には何をどうするのよ?」

「私達が2人だけで機関に真っ向勝負を挑んだところで勝ち目はない。そこで、今の私の立場を……つまり、忘却の城の管理責任者という立場を利用する」

「表向きの任務を実行する裏で、何か別のことをするのね?」

ゼムナスにとっての最大の脅威は、一体何だろうか?

その命題について考えた時、マールーシャの脳裏に浮かんだのはキーブレードの存在だった。

キーブレードを操る者なくして、キングダムハーツの完成は難しいだろう。

その一方で、キーブレードとは心を解放することも可能な代物である。

それならばキーブレードを用いることで、心の集合体であるキングダムハーツを解放——言い換えるならば破壊することも、理論上は可能なはずである。

「キーブレードを持つ者をナミネの能力で操り、私達の僕(しもべ)にすれば勝算はある。もしゼムナスが妙な動きを見せたら『ナミネを介してキーブレードの所有者にキングダムハーツを破壊させる』…といった趣旨の脅しをかければいい」

「でも、キングダムハーツが消えてしまったら元も子もないじゃない」

「それはあくまで最終手段だ。この策で重要なのは、あくまでゼムナスを牽制することだ。ナミネとキーブレードを盾にして、私が事実上の指導者としてキングダムハーツが完成するまでゼムナスを含めた他の機関の者達の動きを見張るということだ」

「つまり、機関を潰すんじゃなくて、乗っ取るということね?」

「その通りだ」

リスクはあるが、機関という組織そのものに利用価値はある。

ならば、それを利用しない手はない。

それがマールーシャの意見だった。

「そしてもう一つ。ゼムナスが創っているキングダムハーツからは私達が望む“心”は手に入らない——ということが判明した場合も想定しておく必要がある。仮にこのケースが現実のものとなった場合、他の者達も黙ってはいないだろうが……心が手に入らないのであれば、少なくとも私達が機関に身を置く意味はなくなる」

「…あまり考えたくはないパターンね」

「だが、用心するに越したことはない。この場合は、それでもゼムナスの意向に従おうとする者と、私達のように機関そのものに用はない——と考える者達のふたつに分かれるだろうな」

「…となれば、当然争いが起こるわね」

「裏切り者は消すというのが機関の掟だからな。とはいえ、この場合の裏切り者はどちら側なのか判断は付かないがな。どちらせよ機関が用済みとなれば、私達は新たな方法を模索しなければならなくなる。心を得るためにな……」

自分がかつて失ったものを求めることが、そんなに悪いことだとは思わない。

そう、悪くなどない——だからこそ、手段は選んでいられない。

「この場合も、ナミネとキーブレードを上手く利用すれば、心を得る道に至ることはそれほど難しいことではないかもしれない」

「…で、その『キーブレードの所有者』のハードルはどうやってクリアするわけ?ロクサスを利用するの?」

「その策を実行するには、ゼムナスに気付かれぬようにロクサスをこの城に連れて来る必要があるな。だが、それは現実的ではない。仮にそれが上手くいったとしても、ナミネの能力でロクサスを操り人形に変えられるという確証は無い」

「ロクサスもノーバディだから、理論上は心を持っていないってことになるわよね。だとしたらナミネの能力で私達が都合よく操るのは不可能かもしれないけど……試してみる価値はあるんじゃない?」

「価値が無いとまでは言わないが……もっと良い策がある」

ロクサス以外にキーブレードを操る人物について、マールーシャはもう一人だけ知っていた。

ロクサスの半身——“もう一人のロクサス”と呼ぶべき存在である。

「ゼムナスはこの城における任務——記憶に関する実験・研究の全指揮権を私に委ねた。つまり、ナミネの能力で誰の記憶をどう書き換えようが、私の自由というわけだ」

「私達にとっては好都合な話ね」

「ああ。それならば、表向きは機関の意向に沿った実験を行っているものと見せ掛け、その裏でキーブレードの勇者を誘き出し、ナミネを通じて私の言いなりの存在に変える。それは決して難しいことではない」

「キーブレードの勇者?まさか、ソラのこと?」

つい最近、ソラに手によってゼムナスの半身——『闇の探求者アンセム』が倒された。

それは機関の者達にとっても既知の事実であった。

「私が首尾よくソラをこの城に誘う。他の機関の者達には『機関のためにソラを我々の言いなりの存在に変える』とでも言っておけばいい」

「そんなに上手くいくかしら?」

「私達と違い、心を持つソラにはどうすることもできん。ソラはナミネの能力には逆らえまい。それ以前に、ナミネはソラにとっての『大切な人』でもあるのだからな……」

マールーシャは椅子から立ち上がり、片手を宙にかざして闇の回廊を開いた。

「私はこれからソラを探しに行く。ラクシーヌ、おまえはアクセルやゼクシオンが妙な真似をしないように、奴らの動向に目を光らせておけ」

「ええ。わかったわ」

マールーシャはラクシーヌに向かってニヤリと笑い、闇の中へと姿を消した。

この時、マールーシャは自身の中に“心”を感じていた。

それは、マールーシャにとって心地よい類のものであった。

ノーバディとして誕生して以降、初めて沸き立つ感情。

自らの望みを叶えるために下剋上を果たし、目的の実現へと向かって邁進まいしんする意志——。

それは、人間が“野心”と呼ぶ感情であった。

《終》

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