決別の刻(後編)

キングダムハーツ(シリアス系)
本作は【決別の刻(中編)】の続編です。

“心”とは何か

あと、もう少し———。

二人は闇の中から、トワイライトタウンのサンセットヒルへと飛び出した。

「何とか、逃げ切れたみたいだな」

「……うん」

「やっぱり、ハートレス達はキーブレードを持っている俺のことが嫌いなのかもな」

少しだけおどけながら、赤い夕陽の光にロクサスは目を細めた。

優しく穏やかな光だった。

その光に照らされて、ロクサスとナミネの目の前には12個の墓標が並んでいる。

そこは、二人が機関員たちの冥福を祈るために墓標を拵えた、サンセットヒルの小高い丘だった。

「ナミネは大丈夫?怪我はない?」

「大丈夫だけど…」

「…けど?」

「ロクサス、走るのが速いからちょっと疲れちゃったかな……」

よく見るとナミネの細くて白い手首には自分が強引に引っ張ったせいで出来たであろう、赤く薄い手の跡が残っていた。

「ごめん。俺のせいで…痛くない?」

「大丈夫。別に痛くないし…それよりも何だかドキドキしちゃった」

「え?ドキドキって?」

「だってロクサス、いつもと違ってちょっとだけ強引だったから……」

ナミネは少しだけ顔を赤らめているように見えたが、単に夕陽の光のせいでそのように見えるだけなのかもしれない。

赤みを帯びた、綺麗で、少しだけ切ない笑顔。

「でも…私はロクサスのそんな所も素敵だと思うよ」

「素敵、か……」

ロクサスはナミネに背を向け、コートのフードを深く被ったまま柵の無い崖の先端に立ち夕陽を見つめた。

この街の夕陽には色々な思い出がある。

「ナミネ。駅の時計台には行ったことある?」

「私は行ったことない…かな」

「でも、場所は知ってるんだろ?」

「うん。一応……」

「先に行って、そこで待っていてくれないかな?」

「…ロクサスのこと?」

ロクサスは依然としてナミネに背を向けたままなので彼が今どんな表情をしているのかナミネには分からない。

ロクサスの黒いコートの裾が風に揺れている。

「俺もすぐに行くから。先に行って待っていてくれないかな?」

「…危ないこと、したりしないよね?」

「心配性だな。ナミネは……」

ナミネの薄い金色の髪が、風に揺られている。

その髪を、ロクサスは優しく撫でた。

「ちょっと用事があるだけだよ。心配しなくても大丈夫だから。な?」

「…じゃあ、待ってるからね?」

ナミネは漠然とした不安を感じながらも、ロクサスに背を向けて駅の方に向かって歩き出し、その場から姿を消した。

ナミネが感じた漠然とした不安——それは一体何だったのだろうか?

一人その場に残ったロクサスは、“Ⅷ”という数字が刻まれている墓標の前に立ち、空を仰いだ。

「懐かしいな。あの時は、意識の中の世界から見た夕陽だったけど…」

ロクサスの脳裏に、赤毛の青年が呟いた言葉が浮かんだ。

あれは、そう——意識だけの会話をした時のことだ。

“ずっと考えてた——ナミネも言ってたんだ”

“ロクサス、おまえには心があるんじゃないか?”

“いや、俺やナミネにも……”

“俺たちには、本当に心は無いのか?”

「決着…付けてきたよ。これでひと区切りってところかな……」

ロクサスは、今は亡き親友の顔を思い浮かべた。

彼だったら、今の自分に対してどう思うだろうか。

「ディズが…いや、アンセムが言ってた。俺たちには理論上はやっぱり心は無いらしいけど……」

心なんて、見えるものじゃない。

感じるものじゃないのか。

かつて、自分は親友に対してそう告げた。

「俺や…俺たちには心があるのかどうかなんて、俺自身は相変わらず分からないままけど……」

心とは、一体何なのか。

その答えは、ソラが見つける。

なぜなら、あいつは俺だから———。

そして今なら、合点がいく。

「ソラが言ってたんだ。『心は怒りや憎しみだけじゃない。色んなものが詰まってる』…ってさ」

ロクサスは静かにコートのフードを外し、“Ⅷ”と刻印されている足元の墓標に視線を落とした。

「ソラに先を越されたって気もするけど、俺の中には怒りや憎しみ以外の別の気持ちもあるってことに気付いたんだ。俺がまだ機関にいた頃は、そんなことを考える余裕なんて無かったけど……」

“機関に刃向かうのかよ?組織を敵に回したら生き残れないぞ!!”

“誰も悲しまないさ”

「あの時はごめんな。色んな人たちのおかげで…何となくだけど自分の気持ちが分かってきた気がするんだ。俺……」

(俺は……悲しいな)

「俺も…本当は悲しかったよ…アクセル……」

夕陽に照らし出された墓標の上に、一雫の涙が落ちた———。

過去を振り返る二人

ナミネは時計台の段差に腰を下ろし、赤い光の眩しさに少しだけ目を細めながら夕陽を眺めていた。

そう言えば、この黄昏色の街はロクサスの故郷でもあるんだよね———。

そんなことを考えながら、ナミネは赤い夕陽を見つめる。

自分には、故郷が無い。

ロクサスとは違い、自分には帰るべき故郷が無い。

強いて言えば、自分が生まれ落ちた狭間の世界が自分の——『ナミネ』の故郷ということになるのかもしれないけれど———。

「戻りたいとは……思わないかな」

ナミネの独り言は微風に交じり、そして流されていった。

“誰の心にも私はいないの”

“私は何処にもいなかったの”

忘却の城でソラと会った時、ナミネはそう告げた。

その内容は、紛れもない真実だった。

自分は、孤独でいることが怖かった。

自分の居場所が欲しいと思った。

だから、自分と一緒に居てくれる人を探していた。

そして、彼に出会った———。

出会って、別れて、また出会って。

そして自分は今ここに生きて存在している。

微風は気持ちいいし、夕陽は眩しい。

そのことが、たまらく嬉しく思えた。

「……綺麗」

「夕陽が?」

ナミネが後ろを振り向くと、そこにはコートのフードを取ったロクサスがアイスを2本持って立っていた。

「ロクサス、それ…?」

「ああ、これ?シーソルトアイス」

ロクサスはナミネにアイスを1本手渡した。

「俺の奢り。色々とナミネに心配かけちゃったみたいだから、そのお詫び」

「…ありがとう」

ロクサスもナミネの隣に座り、ナミネと一緒にアイスをかじる。

甘くて、しょっぱい味。

「冷たくておいしいよね…」

「ナミネはシーソルトアイスを食べるのは初めて?」

「初めてじゃないけど、このアイスを食べるのは久しぶり」

「俺、機関にいた頃からこのアイスが好きでさ……」

任務の後、よくこの場所から夕陽を眺めながらシーソルトアイスを食べた。

食べながら色々なことを考えていた。

「ああ、そうだった。ディズ…いやアンセムから頼まれたことがあったんだったな」

「頼まれたって…何を?」

何のことか分からない——といった顔をしているナミネの方を向いて、ロクサスが僅かに微笑む。

「アンセムが言ってたよ。“すまなかった”…ってさ」

「それって……私に?」

「ああ。アンセムからの伝言ってこと」

「そっか……」

ナミネは少しだけ目を伏せ、アイスをまた一口かじる。

「……意外か?」

「うん。少しだけ……」

「俺も驚いたよ。あいつがあんな風に謝るなんて、思いもしなかった」

「ロクサスは…あの人と決着を付けるの、苦しくなかった?逃げたくなかった?」

「……逃げなかったよ」

ナミネから目線を外し、ロクサスも再びアイスを一口かじる。

「逃げる場所なんて…俺には無いしな」

「逃げる場所なんて…私たちには無いってこと?」

「少なくとも俺には無いと思う。辛くても、苦しくても、自分のことは自分でどうにかしないといけないってことかな……」

「ロクサス、頑張ったね」

「はは…何だよ、それ」

苦笑いしながらロクサスは棒にくっついている残りのアイスを口に入れた。

「あ………」

「どうしたの?」

無言でアイスの棒を見つめているロクサスにナミネが尋ねた。

「なあ、ナミネ。ナミネのアイスの棒には何か書いてある?」

「アイスの棒……?」

ナミネは自分が食べ終えたアイスの棒を見てみたが、その棒の何処にも何も書かれていない。

「私の棒には何も書かれていないけど…?」

「ナミネはさ…アイスの『当り』って知ってる?」

「『当り』って……?」

「自分の買ったアイスの棒が『当り』で、そのアイスを買った店に『当り』の棒を持っていくと新しいアイスがタダでもう一本もらえるんだって」

「そうなんだ。私、全然知らなかった」

「もう随分と昔のことなんだけど……」

「…………?」

アイスの棒を見つめながらロクサスは言葉を紡ぐ。

自分が、まだ機関の一員だった頃のことを思い出しながら。

「任務が終わった後とか、特にすることが無い日とかにこの場所でアイスを食べている時にさ、ふと思ったんだ。もしアイスの『当り』が出たら、俺はどう思うのかなって」

『当り』が出たら、大好きなシーソルトアイスがもう一本貰える。

「もし『当り』が出たら、ノーバディでも嬉しいと思えるのかな……ってさ」

たとえ自分が、ノーバディだとしても———。

たとえ自分には、心が無いのだとしても———。

「……嬉しいな」

「ロクサス?」

「俺、今ならよく分かる気がする。これが“嬉しい”って気持ちなんだな……」

ロクサスは小さな字で『アタリ』と書かれているアイスの棒を見つめながら静かに微笑む。

「私も………」

「ナミネ?」

「私も、ロクサスが笑っているのを見ると、何だか胸が暖かくなる感じがするの。これが“嬉しい”ってことなのかな?」

「……そうかもな。アイスのせいで口の中は冷たいけど、俺も何だか胸のあたりが暖かい感じがする」

「いいよね、こういう暖かい気持ち。こういう気持ちがずっと続くといいのにね……」

「…ああ、そうだな」

『心が無いから』という理由で存在を否定された二人にとっては、何よりも必要で、何よりも大切な気持ち。

「ノーバディに感情は存在しない……か。そんなことは無いみたいだな」

「…そうだね」

本当は、そのことに気付いていなかっただけなのかもしれない。

賢者アンセムだけではなく、ノーバディたち当人にとっても———。

「不思議な気分だよ。何て言うか、今の俺は昔の俺とは全然違うって感じがする」

「どういうこと?」

「そうだな…ナミネと初めて会った頃には確かにあったはずのモヤモヤしていた気持ちが、今はスッキリとしているって感じかな」

ナミネと出会った頃のロクサス。

その当時に起こった出来事は、ナミネにとってもロクサスにとっても、非常に苦い記憶として胸に刻まれていた。

「ナミネは覚えているか?あの白い部屋で、俺たちが話したことを……」

「…ごめんね」

「どうしてナミネが謝るんだ?」

「あの時のロクサスは、本当のことなんて知りたくなんかなかったでしょ?」

「さぁ、どうかな……」

ロクサスはアイスの当たり棒を見つめながら、あの時のことに思いを馳せた。

“君は、本当は存在してはいけないの”

あの時——ナミネに真実を告げられた時。

自分の存在そのものが、全て否定されたように感じた。

「確かに信じたくはなかったし、認めたくもなかったな。俺は俺だって…そう思いたかった」

「そう…だよね……」

ナミネの薄い金色の髪が、風に揺れている。

少しばかり風が強くなってきたようだ。

その風が、自分の中にある苦い思い出を吹き飛ばしてくれたらいいのに——と、ロクサスは思った。

何も知らずに屈託なく笑っていられることと、真実を知って悩み苦しむことでは、一体どちらの方が幸せなのだろうか?

「俺さ……」

「ん……?」

「機関にいた頃から…いや、俺が『ロクサス』としてこの街に生まれ落ちてから、ずっと考えていたんだ。自分はなぜ生まれたのか、何のために存在しているのか。心のこととか、キーブレードのこととか、ずっと考えてたんだ」

「……うん」

「でも、答えなんて見つからなかった。何処にも無かったんだ。どれだけ考えても、俺が存在する意味も理由も、全然見つからなかった」

考えに詰まった時、ロクサスはいつもこの場所から夕陽を眺めていた。

大好きなシーソルトアイスを食べながら、夕陽の向こうに自分には無い“何か”を求めていたのかもしれない。

「いつかナミネにも話したように、機関にいた頃の俺がやっていたことは誰かを不幸にすることにも繋がることだった。知らない誰かを無理矢理ハートレスにして、そのハートレスをキーブレードで斬ったのも、一度や二度じゃない」

機関から命じられるままに、自分はキーブレードを振るった。

その意義も、理由も分からないまま、キングダムハーツの完成だけを目指してハートレスと戦い続けた。

でも、いつの頃からだったか——ハートレスと斬ることに疑問を抱くようになったのは。

自分が散々切り捨ててきたハートレスも、元を辿れば人間で、誰かにとっての“大切な人”なのかもしれないのに——。

そんな考えが脳裏を過る度に、心が痛んだような気がした。

でも、痛むような“心”なんて、自分には無いはずだった。

だから、心なんて自分には無いと思っていた。

そのように思い込んでいた。

「“真実を知りたい”という俺の自分勝手な考えのせいで、多くの人たちが闇に囚われた。不幸になってしまった。アクセルに『それは仕方の無いことだ』って言われたこともあったけど、任務だからだとか、自分のためだとか、そんなのはやっぱり言い訳だ」

「ロクサス……」

「今思えばさ、確かに不思議だよな。ノーバディが誰かを傷つけることに躊躇したり、悩んだりするなんてさ。おかげで益々分からなくなっていったよ。俺が何のために存在しているのか…その理由がさ……」

ただ誰かを不幸にするためだけに、自分は存在しているのだろうか?

そんな問いを、自分自身に何度ぶつけただろうか?

「“ノーバディは存在すら許されない者”って言ったアンセムの考え方も、今なら少しだけ分かるんだ。少なくとも、俺が機関の一員として罪を犯したことは事実だから……」

「ロクサス、そんなに自分を責めなくても……」

ロクサスはナミネの方に顔を向け、少しだけ微笑んだ。

「ナミネは優しいな。もし俺も忘却の城に派遣されていたら…ナミネのことを守ってやれたかもしれないのに……」

ロクサスはナミネから目をそらし、赤い夕焼け空を見上げた。

ナミネの澄んだ碧い瞳をこれ以上見つめていたくなかった。

「ごめん。今のも言い訳だな。本当は、俺———」

苦しくて、逃げ出したかった——。

目の前にあるものを全て放り出して、ただ楽になりたかった——。

未来への希望

「俺は、誰かに救ってほしかったんだと思う。本当はやりたくないようなことを毎日のように繰り返して、その度に気持ちが暗くなっていくような気がして……」

本当は、今の自分がやっていることに嫌気が差しているだけではいのか?

親友に——アクセルにそう言われて、初めて気付いた。

自分の真意——自分の本当の気持ちに。

「真実を求めていたんじゃなくて、本当は真実から逃げていただけだったんだ。あれこれ理由を付けて、無理矢理にでも自分を納得させて……」

でも、自分の本当の気持ちを誤魔化して、自分は何を得たのだろうか?

いや、得たものなんて何も無かった。

ただ、鬱々として、虚しいだけだった。

「格好悪いよな、俺……」

「ロクサス…それは違うと思うよ?」

「……え?」

「人は誰だって過ちを犯してから後悔するでしょ?人間なら…ううん、私たちノーバディだってそう。その時はどうすれば良いのか分からなかったことも、時間が経った後でなら過去として見つめ直せる」

「見つめ…直す……」

「その過去を見つめ直した時にね、哀しいと思ったり、悔しいと思ったり、自分はあの時ああすればよかったとか——人でも、ノーバディでも、そう思うことはとても自然なことなんじゃないかな?」

「……心が無くても?」

「少なくとも、私やロクサスはそうでしょう?私も、ロクサスも、涙を流したこと——あったでしょ?」

哀しいという感情があるから、自分も、ナミネも、そしてアクセルも涙を流すことが出来たのではないのだろうか?

そういった感情こそが、まさに“心”なのではないのだろうか?

「俺には、わからないよ……」

「私は、わからなくても良いんじゃないかなって思うの。誰にも心の本当の意味なんてわからない。もちろん、私にだって……」

ナミネの言葉を受けて、ロクサスは因縁ある相手たちが語ったことを思い出した。

ゼムナスは“心こそが力を生みだす”と言った。

賢者アンセムは“心のことなど何もわかってはいない“と言った。

自分よりも遥かに頭が良い者たちですら、心の謎を完全には解き明かせなかった。

そして、自分もナミネも心について十分すぎるくらい考えたのに、未だに心の本質というものには手が届いていない。

「だからね、いくら考えてもわからないものが心なんじゃないかなって、私は思うの。ノーバディじゃないソラやリク、カイリだって、心とは何なのかって訊かれてもハッキリとは答えられないんじゃないかな……」

「そうか…そうだよな……」

心なんて、見えるものじゃない。

心とは、感じるものではないのか。

もし、その前提が正しいのだとすれば———。

「最初から、深く考える必要なんて無かったのかもな」

「心について?」

「そう。ただ頭の中で考えるだけで、答えなんか出るわけないよな。俺も、ナミネも、もう十分すぎるくらい心について考えたんだ。それで今は駄目だっていうなら、いつか何かのきっかけを通して、心について知ることが出来る日が来るかもしれない」

「うん。やっぱり一人で考え込むだけじゃ、わからなくなってくるもんね……」

「一人で考え込んで、悩んで、迷って、どうすればいいかわからなくなっていく。これって実は凄く苦しくて辛いことだもんな」

「うん。私、その気持ちはよくわかるよ。痛いくらい…わかるよ」

一人で悩みを抱え込む苦しみ。

その辛さを、ロクサスとナミネはこれまでに嫌というほど体験してきた。

深い闇の淵で苦悩する者には、時として光が届かないことさえある。

光が届かなければ、苦悩の闇に飲み込まれるしかない。

ロクサスもナミネも、そのことをよく知っている。

「でも、今の俺たちは今は実体を持って存在している。俺たちがノーバディとして存在している限り、ノーバディとしての悩みが尽きることはないかもしれない。いや、多分悩みが尽きることなんて、この先も有り得ないと思う」

「それは私もわかってる。だけど、現実から目を背けたりなんかしちゃいけない…よね?」

「ああ」

「とても大変なことだけど、仕方がないことなんだよね」

「そうだな。でも……」

「……でも?」

でも、やっぱり苦しいは嫌だ。

そんなもの、嫌に決まっている。

自分がノーバディであることや、自分の過去なんか囚われずに、縛られずに、ソラみたいに心のままに笑ってみたい。

ソラのように笑えるようになりたい。

ソラのように、生きたい———。

ロクサスに問い返した刹那、ナミネはロクサスの口からこんな言葉が出てくるのだろうかと予想した。

しかし、実際にロクサスの口から紡がれた言葉はナミネの予想したものとは大きくかけ離れていた。

「ナミネと一緒なら、俺はどんな悩みでも乗り越えていけると思うんだ」

「私と……一緒なら?」

「ナミネには、俺の格好悪い所を何度も見られちゃったよな。だから、今さらこんなことを言うのはおかしいかもしれなけど、俺は何度もナミネに救けられた。俺みたいな悩んでばかりの弱虫を、ナミネは見捨てたりなんかしなかった」

「ロクサスよりも、私の方が全然弱虫だよ?ノーバディなのにすぐ泣いちゃうし……」

「別にそこは問題じゃないんだ。一番大切なのは———」

弱くても、構わない。

時には、泣いてしまったって構わない。

たとえノーバディでも、心が無くても構わない。

そう、全く構わない———。

「ナミネが傍にいるだけで、俺は強くなれる。前向きな気持ちになれるんだ」

ロクサスとナミネは、二人が二人であるために、お互いを必要としている存在。

二人の想いが通じ合った時、ロクサスとナミネはそのことに気付いた。

「ナミネの傍に俺がいれば、ナミネが悲しんでいる時でも元気付けてあげることくらいなら出来る。ナミネが泣いてしまった時は、涙を拭ってあげることくらいなら出来る」

「それって、ロクサスは私のために犠牲になっているだけじゃ……」

「犠牲なんかじゃない。俺にはナミネのことが必要でなんだ。だからナミネも、辛い時や悲しい時はもっと俺のことを頼って欲しいんだ」

ロクサスは知っていた。

ナミネは何でも一人で抱え込み、そのことについていつも悩みがちな性格をしていること。

悩みながらも、ナミネも自分と同じように前を向いて、不器用ながらも『存在しない自分』の在り方を必死に探していること。

機関を飛び出し、偽りのトワイライトタウンで記憶を無くした自分のために、ナミネが救いの光を灯してくれた。

ナミネが灯してくれた光があったからこそ、自分は『ソラ』ではなく『ロクサス』としての存在を取り戻すことが出来た。

ロクサスの記憶の一つ一つに散りばめられた、暖かくて、それでいて切ない想い。

それらはナミネからの贈り物だということを、ロクサスは知っている。

今の自分にとって、ナミネはどれだけ大切な人かということをロクサスは知っている。

だから、自分もナミネのために何かがしたいと思った。

「ナミネにはさ、笑っていて欲しいんだ。そのためなら、俺に出来ることなら何でもするよ」

「そんな…でも私……」

気恥ずかしさからか、ナミネは俯いた。

顔が赤くなっているのは、決して夕陽のせいだけではなかった。

「遠慮なんかしなくていいよ。ナミネはいつもそうやって誰の前でも遠慮がちな態度をしているけど、せめて俺と一緒に居る時くらいは、何も遠慮しないで話して欲しいんだ」

「遠慮しないで…か…。私には結構難しいこと…かも」

「焦る必要なんて無いさ。俺もナミネがいきなり…例えばカイリみたいにハッキリと物事を言うようになるとは思っていないしさ」

「でも……」

「ゆっくりでいいんだ。ゆっくり変わっていけばいい。変わったって、ナミネはナミネなんだ。俺がソラじゃなくて、ロクサスであるように」

「じゃあ改めて…私のこと、よろしくお願いします」

「こっちこそよろしく…ナミネ」

ロクサスがナミネの手を取って立ち上がった。

「これから駅前のアイス屋に行って、さっきの『当り』の棒を交換してこようかと思うんだ。ナミネも一緒に来るだろ?」

「…うん。一緒に行く」

夕陽に照らされながら、時計台から駅前への道を歩くロクサスとナミネ。

二人の手はしっかりと繋がれていた。

「『当り』の棒を持って、アイスを買ったお店に持っていくと、お金を払わずにもう一本アイスが貰えるんだったよね?」

微笑みながらナミネがロクサスに問い掛ける。

「ああ。タダでシーソルトアイスがもう一本」

「いいなぁ……」

「はは、心配ないよ」

「え……?」

隣を歩いているロクサスの意味深な言葉を受けて、ナミネは怪訝な眼差しをロクサスへと向けた。

「貰ったアイスはナミネと二人で食べるつもりだから」

「…ありがとう ロクサス」

ナミネとなら、二人で1本のアイスを食べるのも悪くない。

黄昏色の陽光を見つめながら、ロクサスはそう思った。

《終》

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