任務と私情の狭間で(前編)

FF7

終局への秒読み

ニブルヘイムの神羅屋敷から、宝条博士の実験サンプルが逃走した。

逃亡者は2名——元ソルジャーと、そして一般兵。

科学部門からの要請により、幾人もの神羅兵が、その2名を“確保”するためにニブルヘイム方面へと向かった。

しかし、その結果は惨憺さんさんたるものであった。

実験サンプルの一人——元ソルジャーである「ザックス=フェア」の戦闘能力は尋常ではなく、数多の兵士たちが返り討ちに遭った。

神羅カンパニーにおける精鋭中の精鋭と呼ばれる戦士——その中でも突出した実力を持つクラス1stとして、かつてはウータイ戦役やジェネシス襲来事件にて数多くの武勲を立てたほどの人物である。

一般兵の小隊や中隊レベルでは、全く歯が立たないのは当然のことであった。

早い話、実験サンプルたちの“確保”とは、神羅軍といえでも容易ではない事案なのだ。

そして、逃亡中の2名はニブルヘイムからコスモキャニオン、ゴンガガ、コレル、コスタ・デル・ソルを経由し、さらには海を渡ってジュノンに現れた。

その度に治安維持部門は兵士を派遣したが、ことごとく全滅。

さらには、逃亡者たちがカーム方面からミッドガルへと向かっているという目撃情報も入り、治安維持部門は今まで以上の物量作戦に打って出た。

何と、一個師団——つまり1万人を超える程の兵士たちを動員することに決めたのだった。

そこに加えて、兵器開発部門から供与された武器弾薬——具体的にはミサイルや爆薬——も数多く投入する許可も下りた。

それは、治安維持部門にとっては社内での面子メンツを懸けた決断でもあった。

幾千万もの兵士たち、そして兵器類までもが駆り出される——それは即ち、殲滅戦を想定しているという意思表示でもあった。

言い換えるならば、もはや逃亡者たちの“確保”ではなく“抹殺”を目的としている——ということだ。

当然ながら、科学部門は反発した。

実験サンプルは“生け捕り”にしてこそ意味がある——と。

その背景には、科学部門統括の宝条博士による意向が働いていたことは想像に難くない。

しかし、治安維持部門の責任者であるハイデッカー統括は、聞く耳を持たなかった。

逃亡中の実験サンプル——つまり、神羅軍にとってのターゲットが、自軍の兵士たちを虐殺しながらミッドガルへと向かっている。

そのような凶悪にして冷酷非道のターゲットがミッドガルへと侵入することなど、断固として阻止せねばならない。

もはや、科学部門から要請された“確保”に拘っている場合ではない———。

ならば、ミッドガル近郊でターゲットを確実に“抹殺”するしかない。

それが、治安維持部門が下した決断である。

実際のところ、現時点の報告では、死傷者の数は3桁にも届こうかとしている。

治安維持部門の立場からすれば、ターゲットの2名——とりわけ元ソルジャーの方は、仇敵にも等しい存在である。

この期に及んで、科学部門への遠慮はいらない———。

ミッドガルの平穏を脅かす凶悪な実験サンプルたちを、何としても討て———。

そのような指令が神羅軍の内部で行き渡るのに、そう時間はかからなかった。

タークスへの指令

「……以上が、現況の要約だ。我々タークスは科学部門からの要請に基づき、あくまでターゲット2名を“確保”するべく行動する」

タークスの主任であるツォンは、目の前にいるメンバーたちに対して、そのような説明を行った。

タークス専用のブリーフィングルームには、10名を超えるメンバーたちが集まっている。

その中の1人——タークス内でも若手の部類に入る女性——シスネは複雑な心持ちだった。

逃亡者である実験サンプル——つまり、今回の任務におけるターゲットの片割れである「ザックス=フェア」とは、以前から親交があったからだ。

彼らが神羅屋敷から脱走して以降、今日に至るまでの間、シスネは彼らと2回も接触している。

1回目は、ニブルヘイムの付近にある平原にて。

2回目は、ゴンガガの郊外にて。

そして、その2回とも、シスネは意図的に彼らを逃がした。

それはシスネなりの考えに基づいての行動であったが、タークスとしては任務放棄に等しい選択であった。

果たして今回は、一体どのようにして行動するのが正しいのだろうか———。

そんな思考が、シスネの頭の中で逡巡していた。

「ツォンさんよぉ。1つ質問があるぞ、と」

「何だ?」

タークスの古株にして、エース格でもあるレノが声を上げた。

その表情は、決して明るくはない。

「軍の連中は、ターゲットの“抹殺”が目的なんだよな?でも、俺たちタークスは“確保”が目的であると。それって矛盾しているように思えるぞ、と。」

レノの意見はもっともである。

何しろ、タークス——正式名称「総務部調査課」は、組織図の上では治安維持部門に属している。

その治安維持部門のトップであるハイデッカー統括が、ターゲットの“抹殺”を目的として動けと言っているのだ。

この状況で“抹殺”ではなく“確保”を目的として行動することは、組織の方針に反するのではないか?

レノによる質問の意図は、まさにそこであった。

「今回、ハイデッカー統括から我々タークスへの指令は特に下されていない」

「だったら、この件にはノータッチで良いと思いますよ、と」

「だが——いや、だからこそ科学部門からの要請が入ってきた。軍によりも先にターゲットを“確保”してほしいとな」

「つまり、アレですか。治安維持部門と科学部門が水面下で喧嘩けんかしていると。その傍らで、俺たちタークスはコッソリと科学部門に協力するってことですか、と」

「そのように解釈してもらっても結構」

ツォンの発言を受けて、レノを含めたタークスの面々が顔をしかめた。

これは所謂いわゆる“極秘任務”というやつだ。

仕事柄、タークスにこういった類の任務が降りてくることは珍しくない。

だが、今回の場合は、相手が相手である———。

「ターゲットを“確保”する際、相手が抵抗した場合は?」

「その場合は直接戦闘を行い、何としても“確保”しろ」

「表向きは殉職扱いされているとはいえ、クラス1stのソルジャーを相手に?」

「そうだ」

今度はレノの相棒にして、タークス内では随一のパワーを誇るルードが声を上げた。

ターゲットの片割れであるザックス=フェアは、5年前まで神羅が誇る精鋭部隊——ソルジャーの中でも最上位の“1st”であった人物だ。

その戦闘能力は並大抵ではなく、幾多の修羅場を潜り抜けてきたタークスにとっても、一筋縄ではいかない相手であった。

それどころか、今までの敗れた兵士たちと同じく、返り討ちにされてしまう展開すらあり得る。

仮にタークスのメンバー複数が同時に挑んだとしても、勝利できる可能性は決して高くはないだろう。

それ程までに、ザックスは卓越した戦闘能力を有しているのだ。

勝敗はともかく、まともに戦えばタークスといえど死傷者が出るのは避けられない相手——それがタークス内でのザックスに対する評価であった。

「あのザックスが相手とはなぁ。“確保”が上手くいくかどうか以前に、こりゃ気分が乗らないお仕事だぞ、と」

「…いかなる任務も遂行するのが——」

「タークスだぞ、と。そんなこと、わかってるさ。相棒」

レノとルードが軽口を叩き合う。

ルードはレノのように感情や気分が表情に出るタイプではないのだが、この時ばかりは憂鬱そうな様子を隠せずにいた。

なぜなら、レノとルードを含めて、タークスとザックスは旧知の間柄だからだ。

共に任務をこなした回数も多いし、その過程で信頼関係も芽生えた。

一言でまとめるなら、戦友と言っても差し支えない関係だった。

「ザックスが大人しく投降してくれれば、俺たちにとっても有難いんだけどなぁ」

「…その可能性は、おそらく低いだろう」

「そうだよなぁ。もし投降する意志があるなら、シスネから逃げたりしなかっただろうしなぁ、と」

シスネがターゲットに2回も接触し、そして2回とも“逃げられた”。

そのことをレノとルード、そしてタークスの面々は知っていた。

なぜなら、シスネ本人がそのように報告していたからだ。

実際には“逃げられた”のではなく“逃がした”という表現が適切なのだが———。

レノとルードの掛け合いを見ていて、シスネは居たたまれない気持ちになった。

理由はどうであれ、神羅に対する背信行為であったことに違いは無いのだから。

公私混同とは、まさにこのことか———。

そのような罪悪感が拭えず、会議の場だというのにシスネは沈黙を貫いていた。

「ツォンさん。もう1つ質問がある」

「何だ?ルード」

「ターゲットを“確保”するにあたって、彼らの生死は問わないのか?」

「科学部門からの要請では、可能な限り“生け捕り”が望ましいそうだ。しかし、やむを得ない場合は死体でも構わないとのこと。これが回答だ」

ルードが“ううむ”とうなる。

この場合、タークスに下された指令は“死体でも構わないからターゲットを連れて来い”という意味と同義だ。

今回のターゲット討伐作戦において、治安維持部門は爆弾やミサイルといった兵器類をも持ち出すつもりだ。

それは即ち、ただ単にターゲットを“抹殺”するだけ留まらず、状況次第では死体が残らないほどに爆砕する事を辞さない覚悟の表れだ。

しかし、科学部門としては最低でもターゲットの死体を手に入れたい。

だからこそ、密命のような形でタークスへの協力要請が届いたのだ。

「生死は問わない、ねぇ。場合によっては、あのザックス相手に本気の殺し合いをする羽目になる訳ですか、と」

「…これは、骨が折れる仕事だな」

「ああ、相棒。俺も同じことを思っていたところだぞ、と」

レノとルードの会話を聞きながら、シスネはより一層陰惨な気分になった。

ザックスが大人しく捕まることなど、どう考えてもあり得ない。

ザックスからしてみれば、捕まることは再び科学部門の実験サンプルとして扱われることを意味するのだ。

肉体も、精神も、廃人同様になるまで使い捨てられるのは明々白々——それは、ザックスにとっては地獄に堕ちるのと同義である。

よって、ザックスがタークス自分たちに対して恭順な姿勢を示す可能性は皆無だと言える。

それどころか、戦闘という手段によって追手を振り切ろうとするに違いない。

それであれば、ザックスを発見したら直接戦闘へと持ち込み、たとえ苦戦を強いられたとしても、彼の生死を問わずに“確保”するしかない。

タークスの立場上、任務遂行だけを優先するのならば、それが最適解であることは疑いない。

しかしながら———。

仮にそのような展開となった場合、ザックスの戦闘能力を考えれば、タークス側が敗北を喫する可能性も低くは無いのだが———。

そこまで考えて、シスネは改めて思った。

ザックスを相手に、血生臭い戦いなんてしたくない——と。

それならば、タークスである自分に残されている選択肢は1つだけしかない。

まず、是が非でも軍より先にザックスと接触する。

その上で、否が応でもザックスを説得し、神羅に連れ戻すように工作しつつ、すきを見てザックスを安全な場所へと逃がす。

このシナリオを実現できるかどうかはさて置き、自分タークスの立場でザックスのために出来ることは、もはやそれしか思い浮かばなかった。

いかなる理由があっても、任務に私情を持ち込んではならない。

タークスに所属している者として、それは重々承知している。

しかし、ザックスに関わることとなると、どうしても感情が付いてこなかった。

何とかして、ザックスを助けてあげたい———。

それも、タークスとしての面目を保ちつつ、しかも社内の各方面に対して角が立たない形で———。

あまりにも虫の良い考え方だ——と、シスネは思った。

なおかつ、今の状況がそれを簡単には許さないこともまた、シスネは自覚していた。

もっと時間的な猶予があるならば、より実現性の高い策を考える余裕もあったかもしれない。

しかし、神羅軍は今この瞬間も出撃の準備を整えている。

ザックスの生命を助けるためには、もはや一刻の猶予も無いのだ。

タークスとしての責任感と、ザックスに対する私情——その狭間でシスネは揺れていた。

それ故に、シスネは今回の任務に関して腐心していたのだ。

「さて、お喋りはそこまでだ。各員、早急にヘリの準備を行い、ターゲットの“確保”に向かえ」

「……了解」

「最善を尽くしますよ、と」

ツォンが出立を促し、レノとルードが真っ先に立ち上がり、そしてブリーフィングルームを出ていった。

他のメンバーたちも、短銃やロッドといった各々の武器を握り締め、レノとルードに続いて立ち上がった。

そして、シスネもまた重い腰を上げた。

愛用している武器——深紅の十字手裏剣を携えながら。

いかなる任務も遂行するのがタークスである———。

レノとルードによる会話を反芻しながら、シスネはヘリポートへと向かった。

その一部始終を、ツォンは静かに見ていた。

会議の最中、シスネの表情は常に曇っていた。

覇気が溢れているとは言えない表情であり、現在の状況に関して憂いているのは明白であった。

主任という立場であるが故に、ツォンは部下たちのメンタル管理にも気を配っている。

そういった仕事上での習慣が、シスネの異変をいち早く悟る切欠きっかけとなったのだ。

シスネは今回の任務に対して、何か思うところがある——その理由について、ツォンには見当が付いていた。

ターゲットの一人であるザックスは、シスネにとって縁深い人物でもある。

今から6年前——彼らが出会った頃から、シスネは彼のことを憎からず思っている。

少なくとも、ツォンはそのように認識していた。

それならば、激励という意味でも自分から彼女に発破をかけてやらねばなるまい———。

そう思い立ったツォンは、シスネが向かったであろうヘリポートへと足を進めた。

その道中で、ツォンの携帯電話が鳴った。

架電してきた相手は別動隊のタークスメンバーであり、その連絡内容は“軍の一個師団がミッドガルを出立した”というものであった。

シスネの苦悩

普段よりも、足が重い気がする———。

自分用に手配されたヘリポートへと来た瞬間、シスネはそのように感じた。

きっとそれは、今回タークスに与えられた任務について葛藤していることと無関係ではないだろう。

ザックスの“確保”——いや、ザックスの“生死”に関わる仕事が、まさに今から始まるのだから———。

「シスネ——軍も動き出した。奴らよりも先に確保しろ」

背後からツォンの声が聴こえた。

ついさっきブリーフィングルームでの打ち合わせを終えたばかりだというのに、一体なぜ、ツォンは自分のもとに現れたのだろうか?

そんな疑問よりも早く“ああ、ついにか——”という思考がシスネの脳内を駆け巡った。

軍が動き出した——それは即ち、ザックスの生死を分ける瞬間が秒読みの段階に入ったということだ。

「わかってるわ。軍は加減を知らないもの」

普段のような口調で、そのように相槌を打つのが精一杯だった。

だが、内心では動揺していた。

その動揺を、そしてタークスらしからぬ挙動を、目の前にいる仲間ツォンに見透かされたくはない———。

そのように思うのは、シスネがタークスへと入って以来、初めてのことであった。

「生きたままだ——必ずだぞ」

これはまた、意外な言葉が聴こえてきた——と、シスネは思った。

先ほどまでの怜悧冷徹なツォンとは思えない、強い感情が前面に出ている口調であった。

ツォンの意図を確かめたいと思ったシスネは、背後を振り返った。

そして、ツォンの表情を見た瞬間、シスネは合点がいった。

ああ、ツォンも納得している訳ではないのだ——と。

タークスの主任という大役をヴェルドから引き継いで以降、ツォンは努めて無感情に振る舞ってきた。

タークスたる者、任務に私情を持ち込むのはご法度はっとである。

私心を排して、ただ冷徹に任務を遂行することこそが大切である。

ツォンは、そのことを身をもって示そうとしている。

少なくとも、シスネはそのように認識していた。

だからこそ、公の場——例えば先ほどの会議のような場面では、感情を感じさせない淡々とした口調で指示を出していた。

そのツォンが、今のこの場においてはザックスの“確保”について“生きたまま”という部分を強調した。

その言葉が意味するのは、ツォンもまたザックスの“生”を望んでいるということだ。

「お前がザックスの命を救うんだ」

普段は感情を表に出すことが少ないだけに、ツォンの言葉はシスネの心に響いた。

そして、シスネはツォンに感謝した。

これまでにシスネはザックスと2回接触し、その度に“逃げられた”。

その報告について、多かれ少なかれ自分シスネの私情が含まれていることにツォンは気付いているはずだ。

何と言っても、ツォンは勘が鋭い。

ヴェルドが在任していた頃から“切れ者”と呼ばれ、若くして副主任を務めていたほどの人物である。

そのツォンが、一度ならともかく、二度もザックスに“逃げられた”と主張する自分に対して、何の疑問も抱かないはずがない。

部下シスネ標的ザックスに接触した際に“何か”があった。

それも、標的ザックスを利するような“何か”が。

ツォンであれば、十中八九そのように推測したはずである。

しかし、ツォンは任務を遂行できなかったシスネを厳しく叱責することはなかった。

部下シスネの任務失敗について、ツォンが内心ではどのように思っているか定かではないが———

おそらく、任務失敗の理由を追及しないこと自体が、ザックスと懇意にしていた部下シスネに対する配慮なのだろう。

「もちろん——私の本当の名前、まだ教えてないよ」

ザックスのことを、何とかして助けたい。

彼とは、まだ話したいことが沢山あるのだ。

自分の名前——即ち“シスネ”とは、タークスとしてのコードネームである。

愛着のある名前であるものの、本名ではない。

そして、ザックスは自分の本名を知らない。

その事実もまた、自分が今回の任務に入れ込んでいる理由の1つだ。

「彼らを頼む。手紙を渡したいんだ——88通もある」

手紙———。

それはおそらく、古代腫エアリスから預かっているものだろう。

当然ながら、それらはザックスに宛てて書かれたものに違いない。

そして、その内容についても大方の予想は付く。

ザックスとエアリスが恋仲であることは、以前から知っている。

その件に関して、何か釈然としない感情があるのも事実だ。

しかしながら、シスネ自身はその“釈然としない感情”の正体を掴みかねていた。

なぜなら、今までの人生において体験したことがない類の感情だったからだ。

これは、羨望なのだろうか?

それとも、嫉妬なのだろうか?

あるいは、さらに別の何かなのか?

どれだけ自問自答を繰り返しても、シスネは満足のいく答えを得ることは出来なかった。

そもそも、自分はザックスという人物に対してどう想っているのか——シスネにとっては、それさえも判然としていない。

ただ単に、友人として好感を抱いているだけなのか?

それとも、異性として惹かれているのか?

この明確さに欠ける気持ちもまた、シスネが今回の任務に入れ込む原動力となっていた。

もしザックスが死んでしまったら、この感情の正体を知る機会が、永遠に失われてしまうように思えた。

そして、それは自分にとって最も受け入れがたいことでもあった。

だからこそ、ザックスには死んでほしくない。

どうか、生き延びてほしい———。

そのために、自分は自分のすべきことをする———。

決意を新たに、シスネはヘリへと乗り込み、操縦桿を握った。

焦燥に駆られて

ミッドガルを出立してから、既に数時間が経過していた。

自分を含めたタークスのメンバーたちがミッドガル近郊の荒野にて哨戒しょうかい活動を行っているが、ザックスらしき人影は見付からない。

今この瞬間にも、軍はザックスを見つけ出して“抹殺”を敢行しているかもしれない。

いくら一個師団が動いているとはいえ、ザックスほどの強者が簡単に敗れるとは思えない。

戦うにせよ、逃げるにせよ、ザックス単体であれば決して難しい行為ではないはずだ。

しかし、いくらザックスといえども、幾千人もの兵士たち相手に延々と戦い続けたら、流石にどう転ぶかは分からない。

しかも都合が悪いことに、ザックスは魔晄中毒の一般兵——「クラウド=ストライフ」という名の人物を連れている。

そのクラウドを、シスネは一度だけだが直接見たことがあった。

それは、ニブルヘイム付近の平原でザックスと接触した時だった。

金髪で整った顔立ちの、おそらくは自分やザックスよりも少しだけ年下であろう青年。

そんなクラウドだが、医者ではないシスネにも一目で“様子がおかしい”と判別できる状態であった。

ザックスから重度の魔晄中毒であると聞かされた際には、なるほど確かにと合点がいった。

自力で立ち上がることはおろか、言葉を発することすら出来ない。

生きているのが奇跡と言っても差し支えない程に、クラウドの容態は悪かったのだ。

そのような人物をかばいながら神羅軍と交戦することは、ザックスの敗北を招きかねないのではないか———。

自分の中で増大していく不安と恐怖を振り払うかのように、シスネはヘリの操縦桿を握り直した。

「……急がなければ」

幸いなことに、搭乗しているヘリには自分一人しか乗っていない。

軍よりも先にザックスとクラウドを見付けさえすれば、何らかの手を打つことも不可能ではない。

場合によってはタークスのメンバーたちにも気取られないようにしつつ、誰も血を流さずに済むような可能性を模索することだって出来るはずだ。

もし命令通りにザックスを生きたまま“確保”したとしても、その後の展開は容易に想像できる。

ニブルヘイムの神羅屋敷——あの陰鬱な館の地下にあるような、科学部門の実験室へとザックスの身柄が送られるだけだ。

それはザックスにとって、死にも等しい処遇であろう。

いや、ある意味では死んだ方がマシかもしれない——などと思っている可能性すらある。

それ程までに、神羅の科学部門は非人道的な集団として恐れられている。

ならば、やはり自分が軍よりも先んじてザックスを見つけ出し、彼らを安全な場所へと逃がすようにする他ない。

たとえ、それが神羅への裏切りとなろうも———。

具体的な“上手いやり方”は今後考えるとして、まずはザックスたちを発見するのが最優先事項である。

だが、肝心要の彼らの居場所が中々見付からない。

操縦席から目に入る景色は、魔晄を吸い上げた影響で草木が枯れてしまった荒野だけだ。

どれだけ目を凝らしても、人影らしきものは全く見当たらない。

焦りの感情が、シスネの精神を苦しめていた。

「レノ、ルード。状況は?」

『全然だぞ、と』

『そっちは?』

「……同じく」

レノとルードの搭乗機に通信を入れてみたが、成果は芳しくない。

何と言っても、広さが広さだ。

タークスには何らかの捜索任務が下されることは珍しくないが、如何せん今の状況では人手が足りな過ぎる。

ましてや、ターゲットの発見を競っている相手は神羅軍の一個師団である。

タークスの各メンバーが一騎当千の強者だとしても、今回ばかりは分が悪い。

しかし、そんな弱音を吐いている暇など無い。

任務を遂行しようとする使命感以上に、ザックスを助けたいという個人的な感情がシスネを突き動かしていた。

「これからポイント235へ向かうわ——レノ、ルードはポイント120へ」

『了解』

『急ぐぞ、と』

新たな捜索ポイントを決め、シスネは操縦桿を傾けた。

進路を変えたヘリから見える、草木のない荒野。

先ほどまでと全く変わらない、彩りに乏しい景色。

この景色の中のどこかに、ザックスは本当にいるのだろうか。

ザックス——あなたは、どうしてミッドガルに向かっているの?

こんな状況でミッドガルまで行けば、軍が待ち構えているのは想像できるでしょうに———。

シスネは、ザックスがミッドガルを目指して移動している経緯について思いをせた。

危険を冒してでも、ザックスがミッドガルへと向かう理由。

それは、腕の良い医者にクラウドを診せて、彼の魔晄中毒を治療するためだろうか?

それとも、5年前に別れたきりのエアリスに再会したいという一心だろうか?

その真実はザックス本人しか知らない訳だが、何れにしても、その理由について直接尋ねてみたいとシスネは思った。

そして、その理由次第では文句の一つでも言ってやりたいとも思っていた。

特に、エアリス絡みの理由で、これまで無茶を続けてきたのだとしたら———。

そのように考える度に、シスネは自分の中で悶々もんもんとした感情が湧き立つのを感じていた。

ニブルヘイム付近の平原で会った時に“しっかり逃げなさいよ”と言ったのに。

ゴンガガの郊外で会った時に“気を付けてね”と言ったのに。

全く、人の忠告を無視して———。

そのくせ、危険なことばかりして———。

こっちの気も知らないで———。

この釈然としない思いを自分の言葉でザックスに伝えないと、今後の人生で後悔が残るに違いない。

何の根拠もないが、シスネはそう確信していた。

だからこそ、ザックスが助かる道を諦めない諦める訳にはいかない。

自分自身にそう言い聞かせ、シスネは再び目を凝らして荒野を見下ろした。

残酷な結末

ザックスは依然として見付からない。

しかも都合が悪いことに、数時間ほど前から雨が降ってきた。

ヘリの窓に水滴が勢いよく打ち付けられ、先ほどから捜索の妨げになっていた。

これ程までに視界が悪いとなると、もはや肉眼でザックスを発見するのは至難のわざである。

今こうしている間に、軍がザックスを発見していたとしたら———。

そして、ザックスの生命が脅かされているとしたら———。

先ほどから、そのような悪い想像が拭えない。

不安は募る一方であり、そのせいで平常心を欠いていることをシスネは自覚していた。

シスネは深呼吸し、窓の外——水滴に塗れた景色を見据えた。

自分が今、集中するべきことは何か———?

それはザックスを発見することである。

不確定な未来に怯えたりすることでは、決してない。

そのように言い聞かせることで、シスネは自分自身が生み出した不安の感情——言うなれば雑念を振り払いつつ、目を凝らすことを意識した。

そのとき、通信機からツォンの声が聞こえてきた。

『シスネ——現時刻をもって、ターゲットの捜索は中止。これよりミッドガルへ帰投せよ』

ツォンの言葉を聞いた瞬間、シスネは頭の中が真っ白になるのを感じた。

さらにその数秒後、漠然とだが嫌な予感がした。

捜索は中止———。

一体なぜ?

ミッドガルへ帰投———。

一体どうして?

ツォンが発した僅かな情報から、シスネはその背後にある事情を推理した。

別働隊のタークスがザックスを発見したため、捜索中止の命令が出されただけなのか?

タークスよりも軍がザックスに接触し、戦闘が始まってしまったのか?

シスネは、現在考えられる様々な可能性を推し測った。

ザックスが生きているのなら、まだ望みはある。

自分もザックスもとへと駆け付けられれば、まだ何とかなるかもしれない。

そのような希望を持とうとした反面、タークスとして培ってきた怜悧れいりな思考が、それを許さなかった。

通信機から聞こえてきたツォンの声は、どうにも暗い印象があった。

その声色から、シスネはツォンからの連絡が“凶報”であることを悟った。

しかし、理性ではそのように悟れても、感情では納得していなかった。

むしろ、その“凶報”の詳細な内容について、聞きたくないとさえ思った。

『シスネ——どうした?こちらからの声は聞こえているか?』

「え、ええ…聞こえているわ……」

ツォンからの呼びかけに対して、シスネはそう答えるのが精一杯だった。

自分でも不思議なくらいに、心が動揺していることが分かった。

口の中が、妙に乾いている。

動悸どうきが激しくなり、心臓の音がうるさく感じられる。

ただヘリの操縦席に座っているだけなのに、まるで戦闘を行っているかのような緊張感——それも、極めて不快な類の緊張感に襲われた。

シスネは平静を装いつつ、ツォンに現況を尋ねた。

「……今、どういった状況かしら?」

『軍とターゲットが交戦し、その結果———』

お願いだから、どうか“凶報”ではありませんように———。

ザックスが、無事でありますように———。

そのようなシスネの祈りは、天に届くことはなかった。

次の瞬間、通信機から聞こえてきたツォンの言葉は、シスネにとって最も聞きたくない類のものであった。

『ターゲットの死亡を確認したと、軍から連絡が入った』

「そんな———」

神羅軍によって、ターゲットの死亡が確認された。

それは即ち、タークスよりも先に軍がザックスを発見したことを意味する。

そして、軍はザックスを“確保”するのではなく“抹殺”を敢行したということだ。

先ほどから拭えずにいた嫌な予感が、的中してしまった。

それも、最悪な形で———。

シスネにとって、それは最も残酷な結末だった。

『現状の共有は以上だ——直ちにミッドガルへと帰投せよ』

「………了解」

『ただし、帰投するのは“ゆっくり”で構わない』

妙に含みのあるツォンの言葉の意図を吟味ぎんみする間もなく、シスネは通信を切った。

もはや、シスネにはツォンの意図を察する余裕も、気力も、何も残っていなかった。

ただ条件反射のように、帰投命令に対して“了解”と応えただけだ。

あまりにも耐え難い、無力感と喪失感———。

シスネの胸中で、その二つが増大していった。

「ザックス………」

自分が捜索していた人物の名を呟きつつ、シスネは項垂うなだれた。

先ほどまでの動悸と取って代わるように、今度は眩暈めまいに襲われた。

次いで、目に映る全ての事象が、急激に色褪せていくような錯覚に陥った。

まるで自分の精神や魂を半分ほど引き千切られて、強引に星の内部ライフストリームへと連れ去られたかのような感覚すらあった。

自分は、間に合わなかった———。

ザックスには、もう二度と会えない———。

もう、会話を交わすことも叶わない———。

そのように思った途端、シスネの視界がぼやけた。

おかしい——これは一体、どうしたことだ。

ヘリの操縦席から見える荒野の景色に、なぜか違和感がある。

視線の先で、焦点が合わない。

それどころか、目頭が熱くて仕方ない。

視界がにじむ。

前が見えない。

気が付いたら、何か水滴のようなものが頬を伝い、襟元へとこぼれてきた。

そこで初めて、シスネは自分が泣いていることに気付いた。

先ほどから自分が視界を邪魔していた正体とは、他でもない自分自身の涙だったのだ。

涙の存在を認識した直後、喉の奥に違和感を覚えた。

どういった理屈か知らないが、声が漏れる。

それは、嗚咽おえつの前兆だった。

しかし、シスネの内にあるタークスとしての矜持きょうじが、その事実を認めようとしなかった。

そう、自分はタークスなのだ。

ザックスが死んだからといって、こんなところで感傷に浸っている時間は無い。

ツォンが“帰投せよ”と言った以上、自分はタークスの一員としてミッドガルへと戻ることこそが最優先である。

よって、こんな荒野の上空で涙を流している暇など無い。

——はずなのだが、そのような思考とは裏腹に、涙が溢れ出てくる。

襟元だけでなく、胸元のネクタイやスーツに染みが次々と出来ていく。

それはシスネにとって、人生で初めての体験だった。

ここまで大量の涙で衣類を濡らしたことなど、これまでに一度も無かった。

物心つく前に孤児となり、神羅の施設でタークスとなるべく訓練を受けてきた自分にとって、涙など縁遠い存在でしかなかった。

それ以前に、そもそも“涙を流す”という状態自体に疎かった。

幼少の頃に泣いた経験が無いわけではない。

しかし、過去に自分が泣いた体験について、シスネはどうも記憶が曖昧だった。

最後に泣いたのは、果たしていつだったか——それさえも思い出せないくらいだ。

だからこそ、シスネは“泣いている”という現在の状態について戸惑っていた。

落涙が生理的な現象であるという知識は持ち合わせていても、どういった感情がそれを引き起こすのかについての理解は乏しかった。

そんな自分自身に呆れつつ、シスネは涙が止まるように念じた。

しかし、その効果は全く無かった。

それどころか、感情の収拾がつかない。

自分の意志では、どうしようもない程に。

一丁前に泣くなんて、タークスには似合わない———。

子供じゃあるまいし、自分は一体何をしているのだ———。

そう自分自身に語りかけるも、それは無駄な努力だった。

なぜなら、既に“泣いている”のだから。

涙が、止まらない———。

このままではヘリの操縦も覚束おぼつかない。

下手をしたら、誤って墜落してしまう可能性すらある。

そこまで思考を巡らせたところで、今の自分は危機的な状況にあることをシスネは悟った。

僅かに残っている理性を総動員して、シスネは雨音が絶えない荒野へと着陸した。

エンジン音が小さくなり、一旦は窮地を脱したことを自覚した瞬間、先ほどツォンが発した言葉が頭の中を過った。

ツォンは『帰投するのは“ゆっくり”で構わない』と言った。

その意図について、シスネはようやく察した。

ああ、そうか———。

自分がこういった状況に陥ることを見越して、ツォンは“ゆっくり”という言葉を口にしたのだ。

ザックスの訃報によって、自分は動揺することを——そして、精神的に落ち着くにはある程度の時間が必要であることを、ツォンは予見していたのだ。

存分に泣いて、気持ちが落ち着いてから帰ってこい———。

ツォンの言葉を意訳するならば、大方そんなところだろうか。

つまり、あの言い方はツォンなりの、自分に対する配慮だったのだろう。

「……だったら、お言葉に……甘えようかしらっ———」

シスネは、泣いた。

それも、子供のように大声を出して。

間違いなく、今までの人生の中で最も泣いた。

タークスへと配属されて以降、幾度となく会社の暗部に関わってきた自分には、もはや涙なんて存在していないと思っていた。

神羅カンパニーの裏側で“汚れ仕事”を担ってきた自分タークスは、冷徹で酷薄な人間だと思っていた。

しかし、それは間違いだった。

自分の身体のどこに、これ程の涙があったのだろうかと不思議に思えるくらい、目から滝のように水滴がこぼれ落ちてくる。

ヘリの操縦席という密室で、周囲には誰もないことが唯一の救いだった。

ザックスは、もう喋らない———。

ザックスは、もう笑わない———。

その事実を悟ったことで、涙の勢いが、より一層増した。

悲しいのか、悔しいのか、それさえも分からなかった。

もし、自分が軍よりも先にザックスを発見できていれば———。

もし、自分がゴンガガでザックスと会った時に、まずは身を隠すように強く説得していれば———。

現実とはならなかった、仮定の可能性——それらについて考える度に、悔恨の感情が波のように押し寄せてくる。

いくら悔やんでも、過ぎ去った時間は巻き戻せない。

だが、たとえそうだとしても、シスネは過去を振り返らずにはいられなかった。

ザックスのことを思えば思うほど、ザックスとの想い出が鮮やかに蘇ってきた。

否、それは“想い出”と呼ぶほど美しいものでない出来事も含まれていたが、そんなことはシスネにとって関係なかった。

ザックスと関わり、ザックスと交わした言葉の一つ一つが、シスネにとっては大切な“想い出”であった。

涙を流しながら、シスネの心の中にザックスとの“想い出”が次々と去来した———。


任務と私情の狭間で(後編)へと続く

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