任務と私情の狭間で(後編)

FF7
本作は【任務と私情の狭間で(前編)】の続編です。

去来する記憶

大切なものを失ったとき、人間はその価値を知って慟哭どうこくするという。

そして、悲壮と後悔の念に苛まれるという。

私に関して言えば、今の状況が、まさにそうなのだろう。

ザックスの訃報は、これ以上ないくらいに私の精神をえぐった。

タ—クスの仕事柄、私は“死”に慣れていたはず。

しかし、これ程までに“死”によって心を揺さぶられたことは一度も無かった。

神羅カンパニ—の暗部に関わる仕事をこなしながら、私は常に“死”と隣り合わせの世界で生きてきた。

他者に“死”を与える役回りもあれば、私自身が“死”の危機に瀕したこともあった。

そんな私が——幾人もの命を奪い、見る者によっては死神以外の何者でもない私が、このように思うのは滑稽なことなのだろうけど——。

どれだけ悔やんでも、過ぎ去った時間は巻き戻せない。

そのくせ、今になって“過ぎ去った時間”が脳裏に浮かぶ。

ザックスと出会ってからの6年間——即ち、私が16歳から22歳になるまでの時間——。

私自身の意志とは無関係に、ザックスに関する記憶が、想い出が、鮮やかに蘇ってくる———。

ミッドガル八番街での出会い

ザックスと初めて会ったのは、一体いつだっただろうか?

ああ、思い出した———。

それは、私が16歳だった頃——ジェネシス・コピ—の大群がミッドガルを襲撃した時だ。

“タ—クスまで駆り出されてんのか——”

“ソルジャーが出払っているからよ”

“人手不足だからな——って、あんたもタ—クス?”

驚きを隠そうともせずに、私の顔を覗き込んできた黒髪の青年——それがザックスだった。

男性としては大柄な部類に入る体躯たいくながらも、少年らしさを多分に残した雰囲気が感じられた。

“シスネよ”

“俺、ソルジャーのザックスな!”

タ—クスの警備担当区域であった八番街に颯爽と現れ、自己紹介もそこそこにして、ジェネシス・コピ—たちを薙ぎ倒していったザックス。

そんな彼への第一印象は“気持ちの良い人”だった。

ソルジャーとは、神羅カンパニ—が雇用している戦士——言うなれば職業軍人だ。

そんな戦場に身を置く人間としては珍しいとでも言うか、とても陽気で朗らかな気性を感じた。

そのような彼の内面とは裏腹に、ザックスの実力は本物だった。

黒い片翼を持つジェネシス・コピ—を相手に、ザックスは互角以上に戦っていた。

その姿に、私は思わず見とれた。

しなやかな体捌きから繰り出される剣閃は、とても力強く、それでいて鮮やかだった。

そのことを、私は今でも覚えている。

でも、もっと印象的だったことがある。

それは、黒い羽根をき散らしながら死んだジェネシス・コピー——その亡骸に対して、ザックスが憐みの視線を向けていたことだ。

ジェネシス・コピ—とは、元を辿ればジェネシスの情報をコピ—されただけの一般ソルジャーである。

つまり、何の罪もない兵士と言っても良い存在だ。

任務かつ正当防衛とはいえ、そのような相手をあやめてしまったザックスの内心は、決して穏やかではなかったはずだ。

その証拠に、ザックスの表情には沈痛としたものが滲んでいた。

そんな彼の様子を見て、この人はきっと優しい心の持ち主なのだろうと思った。

“子供の頃ね、翼があればいいと思ってた——天使みたいな翼———”

“人間に翼があったら、それはモンスタ—だ”

“翼は、自由になりたい人たちの憧れ——決してモンスタ—の証じゃない”

知り合ってから間もないというのに、なぜか私は子供の頃の心情を吐露していた。

孤児だった頃の、無力で矮小だった自分。

早く大人になって、誰かの庇護に頼ることなく、自分自身の意志で自由に生きる———。

そのような人物になりたいと強く願っていた頃の自分。

ザックスの切なそうな顔を見て、私はほとんど無意識のうちに、幼少期の気持ちを口に出していた。

その理由は、自分でも分からない。

でも、ザックスなら——ザックスになら、どんなことを話しても耳を傾けてくれる。

何の根拠も無いけれど、そのような確信めいたものがあった。

事実、ザックスは私の話を小馬鹿にはしなかった。

“翼”という存在について、ザックスも色々と思うところがあったのだろう。

既にこの時、ジェネシスやアンジ—ルといった“翼が生えた元ソルジャー”との因縁を抱えていたザックス。

翼の有無が、モンスタ—か否かの境界線なのか?

ソルジャーとモンスタ—の違いとは、一体どこにあるのか?

きっと、彼はそんなことを考えていたに違いない。

それでも、ザックスは苦慮や葛藤に囚われることなく、その瞳には力強い光が宿っていた。

“さすが、ソルジャー・クラス1stね——本当に強いわ”

“ソルジャーは、タ—クスと違って戦うのが仕事だからな”

そのように得意気に話すザックスは、年相応の少年のようであり、それでいて逞しい青年のようにも思えた。

その一方で、どこか無理をしているようにも見えた。

ソルジャーは、戦うのが仕事———。

まさにその通りだと思った。

実際のところ、ソルジャーとは神羅カンパニ—の敵を倒すために存在していると言ってもいい。

ソルジャーとは、悪く言うならば神羅の尖兵に過ぎない。

今にして思えば、その現実が、当時のザックスを苦しめていたのかもしれない。

そういった経緯があるからこそ、ザックスは理想と現実との狭間で葛藤していたのではないだろうか?

そして、現実に負けまいとして、己自身と向き合っていたのではないだろうか?

どのような境遇にあっても、前向きであり続けたザックス。

でも、少なくとも私の目の前でザックスがジェネシス・コピ—を倒した時点においては、彼が発した声には迷いの色が混じっていた。

過酷な戦場に身を置きながらも、決して明るさを失わないに努めている——そのような印象を受けた。

ザックスは、今までの人生で関わったことがないタイプの人物だった。

少なくとも、タ—クスの中にザックスのような人物はいなかった。

そのせいか、私が八番街の現場から離れた後も、ザックスという人物に興味関心が薄れることは無かった。

後から知ったことだが、この時のザックスは17歳だったらしい。

つまり、自分より1歳だけ年上だったということだ。

立場は違えど、神羅のために働く者同士———。

なおかつ自分と同年代でもあるという事実が、私の中で、ザックスに対しての親近感を生むことになった。

公私を問わない交流

八番街でジェネシス・コピ—を倒し、互いにその場を去った後も、仕事を通じてザックスと関わることがあった。

あれは確か、伍番魔晄炉でホランダ—を探している最中のことだ。

ジェネシス・コピ—の襲来事件の裏で糸を引いている容疑者として、捜査線上に浮上してきた人物——ホランダ—。

かつてはジェノバ・プロジェクトの派生計画である「プロジェクト・G」の責任者であり、後に閑職へと追いやられた神羅カンパニ—の科学者。

そのホランダ—を捕縛する任務のため、私は伍番魔晄炉の内部を捜索していた。

ある筋から、同地には私設の研究スペ—スがあるという情報がもたらされたからだ。

しかし、ホランダ—の行方は中々掴めなかった。

思うような結果が得られなくて少しばかり苛立ち始めたタイミングで、私は魔晄炉内の連絡通路でザックスと顔を合わせた。

その際に、ザックスからホランダ—の共同探索を持ちかけられたことがあった。

“ホランダ—の奴、どこ逃げたんだ?”

“見失ったようね”

“ああ、中々厳しい。せめてタ—クスが一緒ならな—”

“一緒は無駄ね。手分けして探しましょう”

もしザックスと一緒にホランダ—を探すことについて同意していたら、私はザックスとどのような会話をしたのだろうか?

無味乾燥な、仕事の話ばかりをしていたのだろうか?

それとも、緊張をほぐすために軽口を叩き合っていたのだろうか?

ザックスのことだから、仕事の話よりは雑談めいた話を好んでしてくれただろう。

そんな根拠の無い確信が持てるくらいには、ザックスの人柄は理解しているつもりだ。

ザックスはソルジャーでありながら、陽気な雰囲気を絶やさない人物だった。

それはプライベ—トだけではなく、仕事の最中においても当てはまっていた。

ただ、まだザックスとの面識が浅かったあの頃は、正味な話、ザックスは“ソルジャーらしくない”と思うことが多々あった。

ザックスの言葉を借りるなら、神羅のソルジャーとは、言ってみれば“戦うこと”が仕事だ。

そう、会社が命じるまま、ただひたすらに戦う———。

そして、敵対者を打ち倒す———。

戦闘の対象は人間からモンスタ—まで幅広く、会社から“戦え”と指示されれば、相手が絶命するまで戦うのが道理というものである。

そんな労働環境で過ごしていれば、否が応でも精神が蝕まれていくものだ。

命を奪う行為とは、いくら経験しても慣れるものではない。

その相手が人間であれば尚更なおさらだ。

たとえ“仕事”と割り切っていたとしても、命の重さが軽くなる訳ではない。

少なくとも、私はそのように思っている。

それ故に、殺生に対する罪悪感に耐えられるかどうかが、戦闘を生業とする者に問われる資質の一つなのだと思う。

その点、ザックスはソルジャーに向いているとは言えない人柄だった。

私自身がタ—クスとして神羅の暗部に関わる仕事をしているから、余計にそう思うのかもしれないけど——職業軍人として過ごすには、ザックスは些か甘い部分があったことは疑いない。

ザックスが持ち合わせている、戦士ソルジャーとしては重大な弱点となるであろう“甘さ”——。

ああ、そう言えば———。

風の噂で、ザックスは戦場で必要以上の殺生はしないと聞いたこともあった。

ウ—タイ戦役での最終盤——ザックスが同地のタンブリン砦に潜入した際、彼はウ—タイの特殊部隊“円月輪”と交戦して勝利を収めたものの、命までは奪わなかったという。

それは、ザックスなりの考えがあっての判断だったのだろう。

そのようなザックスの意図はさて置き、結果だけを見ればソルジャーとして正しい行動ではなかったと言える。

少なくとも、敵の殲滅を目的とした作戦において、その行動が理に適ってるとは言い難い。

もしタ—クスで同様の事例が起こった場合、良くて厳重注意、最悪の場合は更迭という展開だってあり得る。

そのようなタ—クスとしての見識に照らし合わせてみると、ザックスはますます戦闘に不向きなタイプの人物であるように思えた。

相手の命を奪わないことで、将来への禍根を残す———。

それは即ち、神羅のソルジャー部門に籍を置く者として、決して誉められた行為ではない。

つまり、ザックスは“神羅のソルジャーらしくない”のだ。

だが、そういった人間性こそがザックスの本質であったこともまた、想像に難くない。

きっと彼は、破壊や殺戮を行う戦士ではなく、弱者の守護や救済を全うする戦士に憧れていたのだろう。

だからこそ、無益な殺生は行わない。

だからこそ、殺伐として雰囲気を漂わせることなく陽気でいられる。

もしかすると、私はザックスのそういった部分に惹かれたのかもしれない——と、今になって思う。

実際のところ、ザックスと知り合って数ヶ月が経つ頃には、社内ですれ違うごとに会話を交わす仲になっていた。

そして、その度に私はザックスとの会話を“心地いい”と思うようになっていた。

その理由は、自分にも分からなかった。

当時はまだ16歳だった私にとって、ザックスと会話する度に湧き起こる感情は、新鮮であると同時に、どこか不可解なものでもあった。

神羅の養成所でタ—クスになるべく育てられた私にとって、タ—クス以外の人物——それがたとえソルジャーであっても——容易に気を許すことは好ましくないと自分でも思っていたのだから。

そうは言っても、神羅カンパニ—の社員という意味では、ザックスのことは“同僚”とも呼んでも差し支えないのだけど———。

そんな私の心理的葛藤なんてお構いなしに、ザックスは私によく声を掛けてくれていた。

そう言えば、ジェネシス・コピ—による襲撃被害が落ち着いた頃、晩御飯に誘われたこともあったかな———。

“おっ シスネ!今夜メシでもどうだ?”

“残念。たった今、任務が入ったところよ”

“う—ん、そうかあ。俺が上に掛け合ってみようか?”

“やめた方がいいわ。タ—クスの主任は怖いわよ”

公私の区分で言えば、あれは間違いなく“公”ではなく“私”に分類される誘いだった。

それだけに、あの時は少しだけ残念に思った。

いや、正確には既に6年近くが経った今でも、残念に思っている。

当時の上司——ヴェルド主任にザックスが掛け合うという限りなく実行困難な話はともかく、タイミングという意味では、お互いに上手くかみ合わなかったのも事実だ。

つまり、誰が悪いとか、誰の責任とか、そういった類の話ではないのだけど——。

タ—クスとして、任務を優先して動くのは当然のこと。

だけど、あの時もし任務が無かったら、私はザックスの誘いを受けていただろうか?

多分——いや、きっと“Yes”という返答をしていたに違いない。

そして、もし私が“Yes”と言ったのなら、ザックスはどのような対応をしたのだろうか。

どんな店に行き、どんな料理を食べ、どんな会話をしたのだろうか。

そもそも私は、どのような服装で食事に出掛けただろうか。

タ—クスの制服のまま行ったのか、それとも小洒落たドレスでも着て行ったのだろうか。

何れにせよ、当時16歳だった私にとってザックスと——いや、男性と二人だけで夜の食事に出掛けるということは、きっと大きな意味を持つ出来事になっていたに違いない。

今となっては、想像の範疇はんちゅうを出ないし、むしろ想像すること自体が虚しい行為であるように思えて仕方ないけれど———。

それでもなお、こういった“仮定”の展開を夢想してしまうのは、私が後悔や未練に囚われている何よりの証なのだろう———。

エアリス・ゲインズブ—ルへの嫉妬と羨望

太古の時代に存在し、星と対話する能力によって隆盛を極めていたとされる種族——古代腫。

伍番街スラムにて生活しているエアリス・ゲインズブ—ルという名の少女は、その古代腫の末裔であった。

詳細については私も知らないけれど、エアリスの母親は科学部門の過酷な実験に耐えかねて早逝そうせいしたらしい。

その後、エアリスは伍番街スラムのゲインズブ—ル家に身を寄せ、そこで生活するようになったのだとか。

神羅にとっても貴重な存在とされている古代腫エアリスは、タ—クスによる“護衛”という名目の監視が続いていた。

私自身がその任務を経験したことは無いけど、ツォンは何年も前からエアリスの“護衛”を頻繁に行っているらしい。

そんなエアリスとザックスが知り合い、そして親密な関係になったことは偶然だったのだろうか。

それとも、必然だったのだろうか。

どちらにせよ、その事実は私にとって快いものではなかった。

男女の仲というものに疎かった当時の自分にとって、ザックスがエアリスとの逢瀬を重ねているということ自体、私の精神をかき乱していたように思える。

もちろんそれは、ザックスにも、エリアスにも、何ら非の無いことなのだけれど———。

当時16歳だった私は、そのもやがかかったような感情の正体を掴みかねていた。

なぜなら、それまでの人生で経験したことがない類の感情だったからだ。

一体なぜ、私はそのような感情を抱くに至ったのか。

何もかもが初めての感覚であり、私自身もその感情を持て余していた。

そんな中で、ひとつの転機が訪れることになる。

それは私自身にではなく、ザックスにとっての転機——いや、悲劇だった。

極寒の地であるモデオヘイム———。

ジェネシスを討伐するために同地へと赴いたザックスは、当初の討伐対象であるジェネシスだけでなく、何とアンジ—ルまでも倒した。

アンジ—ルはザックスの先輩でもあるソルジャー・クラス1stで、言ってみればザックスにとって師匠にあたる人物である。

そのアンジ—ルを、ザックスは倒した。

どういった経緯で彼らが戦闘へと至ったのかは定かではないが、ザックスがアンジ—ルをあやめたのは事実だ。

確かに当時、会社はジェネシスだけでなく、アンジ—ルも抹殺対象として動いていた。

だから、神羅のソルジャーであるザックスがアンジ—ルを討ったこと自体は、表面上は何ら不自然なことではない。

現地に同行していたツォンからは、アンジ—ルが絶命した件については断片的な情報しか聞いていないので、私も全ての事情を知っている訳ではない。

だからこれは、私の想像なのだけれど——ザックスにとっては、きっと不本意な戦闘だったに違いない。

その証拠に、アンジ—ルとの戦いを終えて以降、ザックスは持ち前の陽気さをすっかり失っていた。

いや、陽気さどころか、生気そのものを失いかけているようにさえ見えた。

以前なら神羅ビルですれ違う度に軽口を叩いていたのに、その頃は私が声を掛けても“ああ”とか“うん”といった短い相槌しか返ってこなかった。

そして、その表情は常に悲痛なものだった。

そのようなザックスの様子を見る度に、私はこう思った。

ザックスのために、自分に出来ることは無いのだろうか——と。

結論から言うと、あの頃の私には何も出来なかった。

今となっては言い訳にしかならないけれど、私は相変わらずタ—クスとしての任務で忙殺されているような状況だったし、まとまった時間を作ってザックスに接することは容易ではなかったからだ。

だけど、もし仮に私の仕事が閑散としていたとしても、私がザックスを元気づけることが可能だっただろうか?

正直に言うと、自信はない。

タ—クスとして他者を傷付けることには慣れていても、他者を癒す方法——とりわけ精神の痛みを和らげるやり方なんて、私には皆目見当も付かない。

今ですらそのように思うくらいなのだから、当時はまだ16歳の小娘に過ぎなかった私にとって、最初から為す術なんて無かったのだ。

そのような私自身の不甲斐なさに葛藤している間も、ザックスはエアリスに会うために伍番街スラムへと通っていたらしい。

そして、徐々にではあるが、ザックスは本来の調子を取り戻していった。

ザックスとエアリスとの間で、具体的にどのようなやり取りがあったのか、私には分からない。

でも、私の中にある直感的な部分が——月並みな表現をするなら“女の勘”というやつが、私自身にこう告げた。

“エアリスの存在によってザックスは立ち直った”と———。

そう、気持ちが沈んでいたザックスにとって、エアリスが精神的な拠り所になっていたのは間違いない。

明確な根拠な無くとも、私は“勘”によって、そのことを確信していた。

そこに至って、私はエアリスに対して、以前から抱いていた“ある感情”が、より一層強くなったことを自覚した。

それは、私にとっては不愉快な類の感情であった。

この心情の変化については、エアリスが私と同じ16歳であることも大いに影響していた。

私に出来なかったことを、同年齢のエアリスは成し遂げたのだ。

その事実は、私の心を少なからず打ちのめした。

どうして自分はショックを受けているのか、当時の私には分からなかった。

ザックスとエアリスの関係性について、私はどのように感じているのか。

さらに言えば、エアリスに対する感情を何と呼ぶべきなのか。

ただ一つだけ明らかなのは、私は決して良い気分ではなかったということだ。

“快”か“不快”かで言えば、間違いなく後者に分類されるであろう感情———。

16歳だった私の心中で、この類の感情を言語化するのは容易ではなかった。

でも、22歳となった今ならば、確信を持って断言できる。

私は、エアリスに対して“嫉妬”していのだ———。

そして、彼女とザックスの関係性について“羨望”していたのだ———。

コスタ・デル・ソルでの想い出

アンジ—ルの死から立ち直りつつあったザックスは、ある日突然、髪形を変えた。

それは、私が17歳になった頃のことだ。

一体なぜ、ザックスは髪形を変えたのだろうか?

ザックス自身が18歳になった記念に——という訳では当然なかった。

これは私の想像でしかないけれど、あれはザックスにとって、過去を乗り越えるための——ある意味では心機一転するための行為だったのだろう。

ザックス自身は明言しなかったけど、当時の私の目にはそのように映っていた。

アンジ—ルが使用していた大剣——バスターソードを背負う姿からも、ザックスが辛い過去から逃げずに生きようとしているのは明らかだった。

自らがあやめたアンジ—ルの武器を使うこと自体が、ザックスにとってはアンジ—ルに対する“けじめ”だったのかもしれない。

そんなザックスの心意気とは裏腹に、会社はザックスに対して冷淡だった。

アンジ—ルが死亡した直後から、ザックスに与えられるソルジャーとしての任務が激減したのである。

神羅カンパニ—が誇る英雄たるソルジャー・クラス1st——ジェネシスとアンジ—ルという2名の“殉職”に関わったザックスは、明らかに会社から疎まれていた。

特に「プロジェクトG」と呼ばれるソルジャー関連の機密に触れてしまったという事実が、社内におけるザックスの立場を複雑なものとしていた。

さらに都合が悪ことに、同時期にソルジャー統括のラザードが失踪したという事実が、事態をより厄介なものとしていた。

早い話、ザックスは神羅カンパニ—の暗部を“知り過ぎてしまった”のだ。

このような場合、会社にとってザックスは警戒すべき存在以外の何者でもなかった。

その理由とは単純明快で、詰まるところ会社の秘密を不用意に口外されたら困るからだ。

そういった事情により、ザックスは会社から半ば強制的に“休暇”を命じられ、風光明媚で名高いコスタ・デル・ソルで過ごすことになった。

もちろん、この“休暇”とは建前であり、会社の真意としてはソルジャーの通常業務からザックスを遠ざけるのが狙いだった。

さらに並行して、“ザックスが不穏な行動を起さないように監視せよ”という趣旨の任務がタ—クスに下った。

そして、実際の監視役として私が選ばれた。

この人選の裏側には“ザックスと懇意にしている人物ならば怪しまれることなく監視できる”という意図も含まれていた。

もっとも、ザックスには早い段階から勘付かれていたようだけど——。

“ザックス!”

“シスネ?”

“こんなところで何してるの?”

“突然コスタで休暇取れって言われてさ——そっちは?”

“偶然ね…私も主任に休暇をもらったのよ”

ジュノンからコスタ・デル・ソルへと向かう運搬船の甲板上で、私は偶然を装ってザックスに声を掛けた。

ヴェルド主任から休暇を与えられたことは真実だった。

でも、その真実ゆえにザックスを騙しているとも言える状況だった。

“せっかくだから、コスタでバカンスしようと思って”

“この休暇、統括の指令じゃないんだよ”

“せっかくの休暇よ?仕事なんて忘れて、羽を伸ばしましょ——じゃ、またね”

嘘の中にも真実を織り交ぜる——それは潜入任務を行う際の基本なのだが、そのテクニックをザックスに対して使うのは些か気が引けた。

いくら仕事とはいえ、親しい人間を意図的に欺くという行為は、私にとって本意ではないからだ。

そう思うのは、私にとってザックスが何かと気になる人物——いや、気になる男性であったことと、決して無関係ではなかった。

そんな私情はさて置き、上司から命じられた“休暇”という名の監視業務——それが任務であれば、私はタ—クスとして遂行するのみ。

こういった歪な状況にあって不幸中の幸いであったのは、任務地がコスタ・デル・ソルであったという点だ。

たとえ“仕事”であろうと、世界屈指のリゾ—ト地でザックスと共に過ごす———。

それは私にとって、決して嫌な話ではなかった。

その一方で、私はまた新たな感情に戸惑うことにもなった。

コスタ・デル・ソルとは、海辺のリゾ—ト地である。

そんな場所に、建前とはいえ“休暇”で行くのだ。

このような状況であれば、ザックスと共に浜辺で過ごすことになるのは必然であると言えた。

まさか、炎天下の砂浜でタ—クスの制服を着たまま過ごす訳にもいかない。

以上の理由により、私は水着を着用する必要性に迫られた。

ただ単に水着姿となるだけなら、大した問題ではない。

問題なのは“自分の水着姿をザックスに見せる”という点にあった。

その命題を突き付けられて、私は柄にもなく右往左往した。

果たして、どのような水着を着用すれば良いのか。

そもそも、ザックスが好むような水着とはどんなものか。

そして、水着姿のままザックスとどのような会話をすれば良いのか。

当時17歳だった私にとって、いくら知恵を絞ったところで答えが見付からない問いであった。

結局のところ、私は動きやすさを重視した水着を選んだ訳だけど、それが仇となったのか、ザックスからの好意的な反応などは特に無かった。

ザックスの性格を考えれば、多かれ少なかれ水着姿を褒めてもらえると思っていた私は、内心ではかなり落ち込んだ。

17歳という多感な時期だったことが、その落胆に拍車をかけていたようにも思える。

そんな私の心情なんてお構いなしと言わんばかりの様子で、ザックスときたら浜辺でスクワットに励む始末だった。

“オイル塗ろうか?”

“そんなことはいいんだよ——”

「そんなこと」——という一言で済まされたことに関して、私の中で釈然としない気持ちが膨れ上がった。

でも次の瞬間には、そういった言い草もザックスらしいと思えてきて、何だか可笑しくなった。

コスタ・デル・ソルというリゾ—ト地で、しかも汗ばむ陽気が漂っている浜辺で、バカンスではなく、なぜかスクワットに勤しんでいるザックス。

そんなシュ—ルな光景を目の当たりにして、私は一時的にだけど“仕事”を忘れてザックスとの交流を楽しんでいた。

“何だよ これ——俺、また干されてるのか!?”

“息抜きも良いんじゃない?”

“もう飽きた——よし、こっちから連絡する!”

“統括ならもういないわよ——”

自ら任務を求めるほどのバイタリティを発しているザックスを見て、私は安堵した。

アンジ—ルの一件以降、陰りを隠せなかったザックスだったけど、すっかり以前の元気が戻ったように思えた。

ただ、ラザ—ド統括が退職した——いや、正確には行方不明となっている件については、この時が初耳だったようだ。

しかも、彼が横領という罪を犯してまでホランダ—への資金提供を行っていたことを伝えた際には、ザックスも目を丸くしていた。

だが、その表情も長くは続かなかった。

ザックスがエアリスに連絡を取ろうとしたからだ。

“シスネ、ちょっとあっち行ってろよ”

“今度はエアリス?”

“何で知ってるんだよ——俺は監視されてるか?”

“監視されてるは、あの子”

“え?”

“彼女は古代種よ——世界でたった一人きりのね———”

私がエアリスの名前を口に出した途端、ザックスは意表を突かれたと思ったのか、苦虫を噛み潰したような表情になった。

気恥ずかしさを誤魔化そうとして、けれど最早、それは意味を為さないことも知っている——そんな心情が窺えるような表情だった。

でも、私が「古代種」という言葉を発した直後、先ほどとは違う意味でザックスの表情が強張った。

その瞬間に、私は失言してしまったことを悟った。

“知らなかったの?”

“アイツ、何も言わなかったから——”

どうやら、図らずも私はエアリスの“秘密”を暴露してしまったらしい。

ザックスとエアリスが恋仲であるならば、当然ながらエアリスが古代種の末裔である事も知っていると思ったのだが、その思い込みが仇になってしまった。

もしエアリス本人に何らかの意図があり、自分が古代種であることをザックスに伏せていたとするならば、私はエアリスの意志を無下にしてしまったことになる。

そうは言っても、私にとってエアリスとは、会ったこともない人物だ。

言ってみれば、“友人”どころか“知り合い”ですらないのだ。

ただ単純に、タ—クスの“護衛対象”として名前と存在を認知しているだけに過ぎない。

つまり、私の立場からすれば、エアリスの心情について必要以上に配慮する義理は無いのだけど——。

それでも、ザックスの複雑そうな表情を見ていると、何だか胸の中に罪悪感が広がる心地がした。

古代種という存在について、ザックスがどの程度の知識を持ち合わせているのかは分からない。

ただ、一つだけ確信があった。

それは、エアリスが古代種であることを知っても、ザックスがエアリスのことを色眼鏡で見るようなことはしないだろう——というものだった。

古代種であるかどうかを問わず、ザックスはエアリスへの接し方を変えたりはしないはずだ。

何故そのように思うのかと問われると、言葉で表現するのは難しいのだけれど——端的に表現するなら“ザックスはそういう人だから”とでも言えば良いだろうか。

そして、これもまた私の勝手な解釈なのだが——おそらくエアリスは、そのようなザックスの気性にこそ惹かれたのではないだろうか?

良い意味で、自分を特別視しない男性——それはエアリスに限らず、多くの女性にとって好ましく映ることだろう。

そう、エアリスに限らず、私にとっても———。

そんなことを考えていた矢先、私とザックスのもとへツォンがやって来た。

次の瞬間には、何と海から水兵タイプのジェネシス・コピ—が現れて、彼らとの戦闘を余儀なくされた。

あまりにも突飛な展開だったので、私は呆気に取られてしまった。

期待や落胆、驚きといった様々な感情が入り乱れていた浜辺ビーチでの平穏は、予想だにしなかった敵の襲来によって幕を閉じたのだから。

つい数秒前まではザックスと二人で過ごしていただけに、目の前の現実を直視するには些かの時間を要した。

タ—クスとソルジャーが過ごす“仮初めの休暇”であることを考えれば、それほど不自然な終幕ではないかもしれないけれど———。

今にして振り返ってみると、男女が過ごす一般的なバカンスとはかけ離れた一部始終だったと思う。

でも、たとえ普通のバカンスではなかったとしても、私にとっては大切な想い出だ。

17歳だった頃から5年が経った今でも、決して色褪せることなく細部まで憶えているのだから———。

バカンスに期待し、水着のことで悩み、エアリスのことで悶々として———。

多少の苦さは感じつつも、私にとって“幸福な時間”だったことは間違いない———。

ジュノンでの身の上話

ザックスのファンクラブが誕生した正確な時期について、実のところ私には分からない。

人伝に聞いた話によると、ザックスがアンジ—ルを打倒した前後くらいのタイミングらしいのだが——私にとって、ファンクラブが誕生した時期は重要ではなかった。

何を隠そう、私自身が“ザックスのファンである”という事実こそが重要なのだから。

実際のところ、17歳という若さでソルジャー・クラス1stへと昇格して以降、ザックスの戦果は目覚ましいものだった。

ミッドガルに襲来したジェネシス・コピ—たちを幾度となく撃退し、さらにモデオヘイムでは神羅内でも精鋭中の精鋭と謳われていたジェネシスとアンジ—ルの2名を討ったのだから。

もちろん、後者については一般には開示されていない情報である。

ただ、人の噂とは勝手に広まっていくもので——ザックスが“神羅と敵対している強敵を次々と撃破した”という事実だけは、ミッドガル市民の中で急速に広まっていった。

そのような背景も相まって、ザックスのファンクラブは誕生したという。

ミッドガルにザックスのファンクラブが存在することを私が知ったのは、確かザックスが髪形を変えて間もない頃だっただろうか。

私は考えるよりも早く行動を起こし、ファンクラブへの加入手続きを済ませた。

そうは言っても、“シスネ”という名前で会員登録するのは流石に気恥ずかしかったので、タ—クスの制服にちなんだ“黒服”という筆名ペンネームを使うことにしたのだけれど——。

今にして思えば、自分でも不思議に思えるほどの行動力だった。

仕事ならばともかく、プライベ—トにおいて、あの時ほど即断即決をした経験は、私の人生の中でも多くはない。

よって、ある意味では思慮に欠けた行動だったと言えなくもない。

しかしながら、後悔や反省は全くしていない。

むしろ、思考よりも行動が先立ったことについて、誇らしいとさえ思っている。

タ—クスとなるべく訓練を受けていた頃は、熟慮熟考に基づいて行動するように教え込まれてきたのだから。

こういった私自身の変化は、間違いなくザックスに感化された影響だろう。

ところが、意外なことにザックス本人は自分のファンクラブが存在していることを知らない様子だった。

周囲からの評判に興味が無いのか、ただ単に鈍感なのか、それは定かではない。

ただ、仮にも私自身は“ザックスのファン”なのだから、何かの折にファンクラブの存在をザックスに教えたいとは思っていた。

そんなことを考えていた矢先に、ザックスと一緒に“休暇”でコスタ・デル・ソルへと行く機会を得た。

この幸運な巡り合わせを活かすことで、私はタイミングを見計らってファンクラブのことをザックスに伝えようと考えていた。

ただし、私自身がファンクラブの会員であることは伏せた上で——。

しかし、私の目論見は上手くいかない結果となった。

ジェネシス・コピ—の集団がコスタ・デル・ソルに現れ、しかも同時並行でジュノンまでもが襲撃されたからだ。

ジュノンにはホランダ—が拘束されていたことから、ジェネシス・コピ—たちの狙いがホランダ—を奪還することであるのは明白だった。

加えて、ラザ—ド統括の失踪に伴ってソルジャーの指揮系統が混乱していたことも不味かった。

言ってみれば、ジュノンは警備が手薄な状況だったのだ。

ジェネシス・コピ—にとっては千載一遇の好機であり、そして神羅にとっては歓迎ならざる窮地であった。

当然ながら、私とザックスの“休暇”は強制終了となり、2人とも戦闘要員としてジュノンへと駆り出される羽目になった。

ホランダ—の保護はザックスに任せ、私はジェネシス・コピ—たちの掃討任務に当たっていた。

ジェネシス本人はモデオヘイムで死亡したとの社内報告を受けていただけに、あの時に押し寄せてきたジェネシス・コピ—たちの人数には驚いた。

一体この世界のどこに身を潜めていたのかと問いたくなるほどの大群であり、戦いの末に彼らを討つ仕事は、肉体的にも精神的にも私を辟易させた。

それでも数十体のジェネシス・コピ—を倒したところに、ザックスが現れた。

あの時は夕日が綺麗で、戦場にも関わらず少しばかり情緒的な気分になっていたことを憶えている。

“あら——ザックス、何の用?ホランダ—はどうしたの?”

“あんたがちょっと気になってな——でも、そんな必要なかったみたいだな”

どうやら、ザックスは私の身を案じて駆け付けてくれたらしい。

その行為について嬉しく思う反面、少しばかり呆れたのも事実である。

ソルジャーとは、平たく言えば軍人である。

軍人である以上、命令には従う義務がある。

あの場合において、ザックスが果たすべき義務とはホランダ—の確保——のはずが、ザックスはその本来業務を放り出し、私のもとへとやってきたのだ。

ある意味、それはザックスらしいとも言える行動なのだけど——。

任務遂行を第一に行動している私——いや、タ—クスにとっては少々理解しがたい行為でもあった。

“さすがシスネ 仕事が早い。そのうちタ—クスの主任じゃないの?”

“さあ、どうでしょうね”

“褒めてんだから素直に喜べよ。昇進したら俺がお祝いしていやるよ”

“誰かにお祝いされるなんて、考えたこともなかった——”

“えっ?”

私の思考とは裏腹に、ザックスは冗談を交えながら会話を展開していった。

その過程で“お祝い”という単語が出てきたのは、私にとって予想外のことであった。

誰かにお祝いされるとは、一体どのような気分なのだろうか?

そもそも、お祝いとは具体的には何を指すのだろうか?

良し悪しで言えば、当然ながら“良”に分類される事柄であることは理解できる。

しかし、それは私が受けてきた教育内容からは、あまりにもかけ離れている概念だった。

“自分以外はまず敵と思え——そう教え込まれて育ったの”

考えるよりも先に、私の口は動いていた。

そして、紡ぎ出された言葉は、おそらくザックスにとって理解しがたいものだったに違いない。

自分以外は、敵———。

それは突き詰めれば、性悪説そのものとも呼べる考え方であった。

実際問題として、タ—クスの仕事には、社内で蠢く不穏分子の粛清も含まれている。

そういった関係上、私は“常に冷徹であれ”と叩き込まれた。

たとえ身内であっても、必要とあらば容赦なく抹殺する。

むしろ、身内に対して情けをかけるようではタ—クス失格。

タ—ゲットの排除・殺害に際して、迷いや躊躇いは不要。

タ—クスへと入る前の段階で、私はそのことを徹底的に教え込まれたのだ。

今にして思えば、あまりにも非人道的な指導だったと思う。

しかし、その冷酷さが神羅カンパニ—の繁栄を支えていることもまた、否定しようがない事実だった。

だけど、17歳だったあの頃——私は少しずつ変わり始めていた。

“でも、最近やっと変わってきたのよ——タ—クスの仲間たちのおかげね”

自分以外の全てが敵だなんて、そんな風に思う必要は無い——。

そして、そのような価値観の形成に寄与したのは、間違いなくタ—クスの仲間たちによる影響だった。

だが、それは私の変化に関する全容を表している訳ではなかった。

タ—クスの仲間たちから受けた影響以外の、もう一つの要因——。

私を変化させたのは、目の前にいる人物——つまりザックスによる影響も多分にあることは間違いなかった。

“シスネってさ、タ—クス入る前は何してたんだ?タ—クスの中じゃ、かなり若いよな”

“ずっといろんな訓練を受けてたの——そしてタ—クスに入ったってわけ”

ザックスの言葉を受けて、私は身の上を語った。

でも、私が孤児で、幼少期から神羅の養成所に居たことまでは話さなかった。

いや、話せなかった。

それは、時間的な余裕が無かったことだけが理由ではない。

幼い頃から人間心理の悪面について説かれ、敵対者を滅ぼすべく様々な技能を仕込まれた人間。

感情を排して、ただ機械のように任務の完遂だけを考えて動く人間。

即ち、私のような人物がザックスの目にどう映っているのか——それを確かめるだけの勇気が無かったからだ。

タ—クスの仕事には、後ろ暗い部分が山ほどある。

会社の存続を脅かす者に対して、尋問や拷問を行うことは珍しくない。

たとえタ—ゲット本人には非が無くとも、社命によって暗殺を決行することもある。

その他にも、誘拐、隠蔽、破壊工作——神羅の暗部に関わる仕事を数え上げたら、それこそ枚挙に暇がない。

そして、私はそれらの任務にも万遍なく対応できるように訓練されて育った。

それはタ—クスとして誇るべきキャリアなのかもしれない。

でも、ことザックスとの交流において考えてみると、話は別だった。

ザックスならば、私の来歴や価値観について、決して否定はしないだろう。

そのように思う反面、否定とまでは言わずとも、嫌悪感を抱く切っ掛けとなり得るのではないか?

そのよう疑念が、自分の口から過去を語ることを躊躇わせた。

そう、私はザックスから嫌われることを恐れていたのだ——。

それもまた、私がザックスとの交流を通じて知った“新たな自分”だった。

“さぁ、仕事に戻りましょう。無駄話はこのくらいにしないとね”

“ああ、ちょっと待てよ、シスネ!”

心の奥底にある怯弱な気持ちを気取られなくなくて、私は半ば強引に会話を打ち切った。

そこへ至って、私はファンクラブの件を思い出した。

この会話の流れならば、ごく自然な形でファンクラブの存在をザックスに伝えることが出来る——。

そう悟った私は、この期せずして訪れた機会を活用することにした。

“サボってばっかりいると、せっかくのファンが減っちゃうわよ”

“ファン——俺の?”

“ミッドガルに帰ったら調べてみることね。あなたの活躍を期待してる人たち、たくさんいるみたいよ”

“俺のファンか——どんな奴がいるんだろ——”

自分のファンクラブが存在しているという事実に、ザックスは大層驚いていた。

自分の人気——いや、魅力というものに自覚が無いからこその反応だったと思う。

ザックスが逡巡している様子を横目に、私は彼のファンの一人として、密かな優越感に浸っていた。

その後、ジェネシス・コピ—たちの掃討作戦に一通りの区切りがついた。

ジュノンに現れたジェネシス・コピ—の大半は倒したものの、残念ながらホランダ—には逃げられてしまった。

つまり、結果だけを見れば、私もザックスも任務失敗と言って差し支えない状況だった。

だけど、いくら嘆いたところで時間は巻き戻せない。

ザックスは早くも前を向き、次に為すべきことを見据えているようだった。

そんなザックスを見送るために、私はジュノンのヘリポ—トへと赴いた。

騒動が落ち着いた今だからこそ、コスタ・デル・ソルでの“休暇”の件でザックスに弁解を——いや、謝罪をしたかったからだ。

“ザックス!”

“シスネか——”

“俺はこれからミッドガルに戻るけど?”

“そう——私たちタークスはこの騒ぎの後始末よ”

“ザックス——休暇のことなんだけど、私——本当は——”

“気にすんなって。昔のことは、もう忘れた”

タークスによって監視されていたことに関して、ザックスは全てを察しているようだった。

なおかつ、これ以上の言葉は不要とばかりに私の話を遮り、彼は屈託なく笑った。

私には、その笑顔がとても眩しく見えた。

それは、夕陽の赤い光による影響だけでは決してなかった。

過去のことを気にすることなく、笑って水に流す——そういったザックスの度量が、彼の笑顔を際立たせていたのかもしれない。

そして、私はザックスのそういった部分に惹かれていたのかもしれない。

ああ、あの時しっかりと、自分の言葉で謝っておけばよかった———。

そうしておけば、後悔の念も少しは減っていたかもしれないのに———。

あの日から5年が経った今、そう思わずにはいられなかった。

デートに関する躊躇ためら

私は一度だけ、自分の側からザックスをデートに誘ったことがある。

だたし、それは“デートの誘い”と呼ぶには、あまりにも遠回りな手法だったのだけれど———。

当時の心境を思い出すと、今でも気恥ずかしくなってくる。

なぜかと言うと、誘うための口実として「LOVELESSラブレス」を利用したからだ。

ミッドガルでも歓楽街として名高い八番街。

その八番街にて公演している「LOVELESS」を一緒に観劇しないかと、私はメ—ルで誘ってみたのだ。

時期としては、ザックスが任務のためにニブルヘイムへと赴いたばかりの頃だっただろうか。

同時期、私もまた任務で別地域にいたことから、敢えてメ—ルという手段で誘いをかけた訳だけど———。

あのメ—ルを一通送るだけでも、当時17歳であった私にとっては、人生経験の乏しさと相まって中々の試練だったように思える。

たかがメ—ル如きに気負ってしまうとは、タ—クスらしからぬ姿だと自分でも呆れてしまったくらいだ。

ましてや「LOVELESS」の舞台に、異性を誘おうとして躊躇していたのだから———。

「LOVELESS」の原典は、古来より伝わる叙事詩だと言われている。

その内容について詳しく知っている訳ではないけど、愛と友情のストーリーだということは記憶している。

男女の恋愛的な要素も含まれている古典劇ということもあり、恋人同士で観に行くカップルも少なくないらしい。

付け加えると、「LOVELESS」はジェネシスの愛読書であることも相まって、一部の界隈では原典の解釈を巡って、それはもう熱心に研究されているのだとか。

そのような「LOVELESS」に——さらに言えばラブストーリーを題材とした舞台について、ザックスが興味を示すのかどうか、私には分からない。

分からないのだが——ザックスをデートに誘うにあたって、私としては何の根拠もなく「LOVELESS」を引き合いに出した訳ではなかった。

ザックスが「LOVELESS」の観劇に興味を示すかもしれないと思った理由——それは、コスタ・デル・ソルでのバカンス中に、ザックスが「LOVELESS」を読んでいる場面を見かけたことがあったからだ。

ザックスに文学的な趣味があるとは知らなかった私は、その光景を見て驚いた。

もしかしたら、ザックスは以前から文学をたしなんでいたのだろうか?

あるいは、過去にジェネシスから「LOVELESS」を読んでみるように勧められた経験があったのだろうか?

いや、ザックスにしてみれば「LOVELESS」を手に取って読んでいたこと自体、実は深い意味なんて無かったのかもしれないけれど———。

その時の出来事が随分と印象的だったので、私は人生で初めて“異性への誘い文句”を考えるにあたって、その「LOVELESS」を利用しない手はないと思った。

——と言うよりも、「LOVELESS」のこと以外で、ザックスを上手く誘う口実が思い浮かばなかったのだ。

だから、自分でも殆ど思い付きに近い行為だった訳だけど——ただの思い付きで終わらせないために、ザックスに送るメ—ルの文章は幾度となく推敲すいこうした。

「コスタでLOVELESSを呼んでいたでしょ?」

「あれってジェネシスの愛読書よね」

「全部読めたの?」

「今、ミッドガルでLOVELESSの演劇をやっている」

「一緒に行ってみない?」

無い知恵を絞り、ザックスが興味を持ちそうな単語を織り交ぜつつ、私は誘いの文章を完成させた。

もちろん、ザックスがニブルヘイムにて任務中であることにも配慮して、あくまで任務から帰還した後で差し支えないという旨も文中に記載した。

何度も何度も本文を見直して、何度も何度も“この誘い方で良いのだろうか?”と自問自答して———。

携帯電話の「送信」というボタンを押すまでに、かなりの時間を要したことを憶えている。

文才なき身であるが故に、文章の出来について自信が無かった——というだけではない。

自分で考えたメ—ルの文章を眺めている時に、エアリスの存在が脳裏を過ったからだ。

ザックスを「LOVELESS」の観劇に誘うにあたって、ザックスとエアリスの関係性について、考えなかった訳ではない。

考えなかった訳ではないけれど——ザックスとエアリスがどの程度の仲であったのか、私の視点からだと、どうも判然としなかった。

一般的な見方をするなら、彼らの関係は“恋仲”という言葉に集約されるのだろう。

でも、男女の付き合い方においては様々な形がある。

ザックスも、エアリスも、お互いを異性として意識している。

十中八九、それは間違いない。

しかしながら、何事にも程度の差というものがある。

二人の関係は“友人”という枠内に収まる範疇なのか?

それとも“恋人”と呼べる領域に達しているのか?

もしも“恋人同士”なのだとしたら、ハグやキス以上の行為にまで及んでいるのか?

それは私には分からないけれど、だからといってザックスに直接尋ねる勇気や度胸も無かった。

では、どうすれば良いのだろうか?

そのような命題について思案した結果、私の中で導き出された答えが“自分からデートに誘ってみる”というものであった。

ザックスが私のことを多少なりとも異性として意識していて、なおかつエアリスとの仲が深いものでないならば、おそらく“Yes”という返事が来るだろう。

逆に、ザックスがエアリスのことを唯一無二の異性だと認識しているならば、他の女性——つまり私からの誘いに“No”と回答する可能性は高い。

詰まるところ、私からデートの誘いを行った意図としては、ザックスの真意を測る試金石という意味合いもあったのだ。

こうして当時のことを振り返ってみると、こすいやり方だったと思う。

でも、17歳だった私にとっては、あれが自分なりの精一杯だった。

そして、もし誘いを断られてしまったらと思うと、震えが止まらなかった。

ただ、駄目なら駄目で諦めがつく——そのような諦観に近い気持ちもあったと思う。

「LOVELESSの観劇に行くなら、自分はエアリスと行きたい」——とでも返事が来たら、それならそれで構わなかった。

いや、全く構わないということはないけれど——

ザックスの回答次第で、私自身の気持ちにも整理がつくのではないか——という予感があった。

実のところ、私がザックスに対して抱いている感情がどういった類のものなのか、自分でも解釈に困っていたからだ。

“好き”という感情には、色々な種類がある。

ましてや、異性同士の“好き”であれば尚更なおさらである。

異性に向ける好意的な感情——それは本当に度し難く、それでいて複雑怪奇なものなのだから。

22歳の現在はもちろんのこと、17歳だった頃には、既にそのことを理解していた。

しかし、肝心要のザックスへの気持ちというものを考えると、私は確固たる自信を持って断言することが出来なかった。

私はザックスのことを、一体どのように思っているのだろうか?

私にとって、ザックスという人物はどんな存在なのだろうか?

ファンとして、愛好の念を抱いているだけの対象——であるはずがない。

頼れる同僚なのか、親しい友人なのか、それとも別の何かなのか———。

考えれば考えるほど、自分でも分からなかった。

ザックスのことを人間として“好き”なのだろうか?

ザックスのことを異性として“好き”なのだろうか?

その答えを見極めるために、推敲すいこうを重ねたメ—ルの文章を眺めながら、私はついに送信ボタンを押した。

かくして二重三重の意味を帯びたメ—ルが、ようやくザックス宛に送られた訳だけど、残念ながら返信は無かった。

私からのメ—ルなんて、返事を出すに値しないということなのだろうか———。

私からデートに誘われたことが、そんなに不愉快だったのだろうか———。

そのような悲観に満ちた想像に駆られていた私は、後になってメ—ルの返事が来なかった理由を知った。

ザックス当人にしてみれば、デートの誘いに応じるか否かの判断を下す精神的な余裕など、一切持ち合わせていなかったに違いない。

後に「ニブルヘイム事件」と呼ばれる惨劇———。

その災禍の中心地に、ザックスは居合わせていたのだから———。

ニブルヘイムでの“汚い仕事”

突如として、ニブルヘイムの村が焼き払われた。

広範囲に渡る火災は夜の空を煌々と焦がし、その光景はニブルヘイムの南方に位置しているコスモキャニオンからも視認できる程だったらしい。

村人たちの大半が死亡し、決して多くはない生存者に関しても、無傷の者は皆無。

現地に派遣されていた神羅の関係者にも死傷者が多数。

しかも、それらは全てセフィロスによる仕業だという。

その凶報はタ—クスのみならず、神羅カンパニ—全体を震撼させた。

ソルジャー・クラス1stの中でも最強と謳われた英雄・セフィロス——彼が神羅に対して弓を引いたという事実は、今までに起きた不祥事とは一線を画していた。

同じくソルジャー・クラス1stであるジェネシスが、自身のコピ—たちを率いて世界各所を襲撃していた事件——それらも十分に衝撃的ではあった。

しかしながら、今回は被害地こそニブルヘイムだけに限られていたものの、下手人がジェネシス以上の大物とあっては、社の関係者が狼狽するのも無理はなかった。

なお、セフィロスが凶行に及んだ詳しい経緯は不明だった。

冷厳とした近寄りがたい雰囲気を醸し出しているものの、ソルジャーたちの間でセフィロスは人格者として知られていた。

かつてザックスも、セフィロスに信頼を寄せているという趣旨のことを私に話してくれたことがあった。

そのような人望溢れるセフィロスが、一体なぜ、このような暴挙に出たのか——?

そもそも、セフィロスは老朽化した魔晄炉の調査のためにニブルヘイムへと派遣されただけだったのでは——?

その真相究明のため、すぐに治安維持部門と科学部門が現地に入り、詳しい調査が行われた。

また、タ—クスからは副主任であるツォンを含め、私以外のメンバ—複数名がニブルヘイムへと赴いた。

それは即ち、会社としてはニブルヘイムでの一件に関して、隠蔽を視野に入れていることを意味していた。

機密の隠蔽工作——それは神羅のお家芸とも呼ぶべき行為だが、その実行部隊としてはタ—クスが割り当てられることが多い。

そして案の定と言うべきか、様々な調査が行われた結果、神羅にとっては都合が悪い事実が次々と浮かび上がってきた。

死傷者の身体に鋭い切り傷が多数確認されたことから、セフィロスの武器——「正宗」という名の長刀によって殺傷されたことは明白だった。

その中には、ニブルヘイムの住民も多数含まれていた。

つまり、セフィロスは神羅とは何の関係のない者たち——無辜むこの人々をあやめたのだ。

言うなれば、それは残忍極まりない無差別殺人であった。

神羅に反旗を翻したジェネシスですら、神羅とは無関係の一般人には手を出してはいなかった。

被害の規模はともかくとして、攻撃対象という一点に関して見てみると、セフィロスの残虐さはジェネシスのそれを上回っていたのだ。

では、肝心のセフィロスはどうなったのか?

ニブル山の中腹に建設された旧式の魔晄炉——同地での調査結果によると、現場の破損状況や血痕などから推測するに、セフィロスが魔晄炉内の採掘層へと落下した可能性が高いという。

採掘層とは、地表から魔晄を汲み出すためのポンプ部分に該当する箇所である。

その採掘層へと落下したということは、つまり地殻の底を流れているライフストリ—ムの奔流に飲み込まれたことを意味する。

当然ながら、そうなっては二度と地表には戻れない。

いくらセフィロスが強靭な肉体の持ち主であろうと、生きて帰還する可能性は無い——それは即ち“死”を意味しているからだ。

神羅にとって最も敵に回したくない人物が死亡したことは、神羅にとって幸運だったと言えるのだろうか——。

だが、何よりも私が驚いたのは、ニブル魔晄炉内で瀕死のザックスが倒れていたという情報だった。

神羅の調査スタッフが魔晄炉内部へと駆け付けた際、発見された生存者は2名——ソルジャー・クラス1stのザックスと、若い一般兵だけだった。

その2名は身体中に切創や刺創が散見されたことから、状況から推測するに、セフィロスと交戦した可能性が高いという。

それならば、セフィロスは生存者2名と戦闘を行った結果、魔晄炉内の採掘層へと落下するに至ったという仮説が成り立つ。

私個人としては、セフィロスの凶行を止めるためにザックスが一役買ったのだと推測している。

何が原因でセフィロスが豹変したのか——それは私には分からない。

でも、ザックスの性格を考慮すれば、セフィロスによる悪虐を看過するはずが無い。

だからこそ、ザックスはニブル魔晄炉の内部でセフィロスと戦い、セフィロスを敗死せしめたのではないだろうか?

何れにしても、ザックスが生存しているという報せは私を安堵させた。

しかし、その後の展開について聞かされた時、私は愕然とした。

神羅の科学部門統括である宝条博士は、何を思ったのか生存者たちを実験のサンプルとして使うことを決めたのだという。

その実験の対象者には、何とザックスも含まれていた。

実験の詳しい内容については不明だが、生存者たちには何らかの処置あるいは手術が施され、その後の経過をニブルヘイムにて観察するのだという。

これは宝条博士の好奇心を満たすだけでなく、セフィロスの悪行を目撃してしまった者たちを監視するためでもあった。

神羅にとって不都合な事実を目の当たりにした者たちが、その件について吹聴して回るようなことは何としても避けたい。

よって、宝条博士の“実験”とやらは、事実上の“口封じ”でもあった。

神羅の広告等のような役割を担っていたセフィロスのイメ—ジを損なうことなく——より正確に表現するならば、神羅カンパニ—へのイメ—ジダウンを回避するための、まさに一石二鳥の策。

だからこそ、会社は宝条博士の“実験”について容認した。

ニブルヘイムの住民のみならず、神羅のソルジャーであるザックスをも実験サンプルとして扱うことは、宝条博士にとっても会社にとっても好都合だったのだ。

ご丁寧に——とでも言うべきか、多額の資金を投じてニブルヘイムの村を再建し、あたかも何事も起きなかったかのように偽装して——である。

その一部始終をツォンから聞かされて、私は沸々と湧き上がってくる怒りを感じた。

我を忘れてツォンに詰め寄り、あまりにもむごい顛末を迎えたことについて抗議した。

一体どうして、ザックスが実験サンプルとして捕えられなければいけないのか——。

セフィロスの凶刃へと立ち向かったであろうザックスが、なぜこのような不遇を被らないといけないのか——。

せめて、ザックスだけでも解放されるように取り計らうことは出来ないのか——。

こんな非道なやり方には、私は到底納得できない——。

そう、納得できるはずがなかった。

宝条博士が言うところの“実験”とは、きっと人道に反した内容であるに違いない。

少なくとも、心身ともに健康な状態が約束される可能性など皆無だろう。

実験の結果として、廃人のような状態になるか、最悪の場合は死亡するか——何れにせよ、ザックスがそのような目に遭うことなど考えたくもなかった。

悪い想像ばかりが頭の中を駆け巡り、そのことが私を余計に苛立たせた。

会社からの指示を忠実に——いや、甘んじて実行したであろうツォンに対しても、強い怒りを覚えた。

憤慨、不満、哀願——私は感情の赴くままにまくし立てた。

そんな私の目を見ながら、ツォンは氷のような冷たさで言った。

“タ—クスとして優先すべきことは何だ?”と———。

私は、何も言い返せなかった。

なぜなら、それはヴェルド主任がタ—クスのメンバ—たちに常日頃から問いかけてきた言葉だったからだ。

タ—クスとして優先すべきこと——それは、会社の利益を守ることだ。

言い換えるなら、それは社命に対しては絶対的な服従が求められる——という意味でもある。

そう、それがどんなに非人道的な指示であったとしても、タ—クスには最初から拒否権など無いのだ。

倫理的な善悪などは考えずに、ただひたすら任務を遂行する——。

それは、タ—クスにとって必須とも言える資質である。

むしろ、神羅の暗部をタ—クスが上手く処理し続けてきたからこそ、今日の繁栄があるのだ。

今までそうしてきたように、これからも同じことを行っていくだけ——。

タ—クスとして私が行ってきたことと、何ら変わりはない——。

普段は黙して語らないことがツォンだけど、この時ばかりは私に冷水を浴びせるかの如く“現実”を突き付けてきた。

ある意味では、それは詭弁きべんだったかもしれない。

タ—クスの仕事を正当化するための方便だったかもしれない。

でも、本当は——私には分かっていた。

ツォンだって、このようなやり方に納得している訳ではないのだ。

ツォンは努めて無表情に一連の経緯を私に語ったけれど、彼とてこのような結末を望んでいたはずが無い。

しかし、私情に流されて社命に背いたとしたら、それはタ—クスとして失格であることを意味する。

“タ—クスとして優先すべきことは何だ?”

あの言葉は私に対してだけではなく、もしかしたらツォンが自分自身に言い聞かせるためのものだったのかもしれない。

ましてや、ツォンはタ—クスの副主任である。

ヴェルド主任の教えを継承し、ゆくゆくはタ—クスのトップへと就くことを嘱望しょくぼうされている人物だ。

そのような立場にあるツォンだからこそ、ニブルヘイムの一件においても、タ—クスとしての在り方について、身を以て示そうとしたのではないだろうか?

私はツォンの心情を察するとともに、それでもなお釈然としない気持ちを抱えていた。

そこまでして会社に尽くすことを強いられるタ—クスとは、一体何なのだろうか?

これほどの怒りや不満を堪えながら遂行する仕事なんかに、一体どんな意義があるのだろうか?

そんな風にさえ思った。

現在に至るまでの自分の行為が、キャリアが、プライドが——それら全てが、足元から崩れ去っていくような感覚すらあった。

“こんなに汚い仕事なのかよ———”

ツォンと共にニブルヘイムへと同行し、事態の隠蔽に携わった他のタ—クスメンバ—は、仕事の最中にそう漏らしたという。

その事実を人伝ひとづてに聞いて、私はより一層の無力感に苛まれた。

私も、ツォンも、その他のメンバ—も、今の状況を変えるだけの力はない。

科学部門に——いや、宝条博士に異議を申し立てる権限すら無い。

ニブルヘイムの一件そのものを闇へと葬り、あまつさえ、生存者たちが非人道的な実験の被験者となることを黙認した。

そういった意味では、タ—クスによる今回の働きは“汚い仕事”と評する他なかった。

そして、私個人に関して言えば、ザックスへの処遇を知ったことで耐え難い精神的苦痛に苛まれた。

ザックスの現状について、私は見て見ぬ振りをしている——。

ザックスが窮地に陥っているのに、私には何も出来ない——。

ザックスが科学部門の実験サンプルとして扱われている以上、私の立場ではどうにもならない——。

そう、私にはどうしようもないのだ。

こればかりは、仕方がない。

だから、割り切るしかない。

大体にして、私自身もタ—クスとして多くの人間を不幸にしてきたではないか。

私怨は無いにせよ、神羅と敵対する者たちを数多く葬ってきたではないか。

命令に従って、社内の不穏分子を非道な手段で粛清してきたではないか。

他者の命を奪い、未来を潰し、人生を蹂躙じゅうりんしてきたではないか———。

そう、私の手は——既に血に染まっている。

そんな汚れた人間である私が、今さら善人面をしてザックスの身を案じる資格など無い。

だから、今までと同じようにザックスへの処遇も“受け入れる”しかないのだ。

それが、タ—クスとして正しい姿勢なのだから———。

そんな気休めのような言葉を、何千回——いや、何万回反芻はんすうしたか分からない。

いくら呪文のように繰り返したところで、結局のところ自分を納得させることは不可能だった。

そして、そんな自分に対して嫌悪感がつのり始めた。

だから私は、仕事に没頭することでザックスを忘れようとした。

会社がセフィロスとザックスの“殉職”を発表した後、自分がザックスのファンクラブ会員であったことも忘れて、ただひたすらタ—クスとしての任務に精励した。

不幸中の幸いと言うべきか、反神羅組織であるアバランチとの抗争は激化する一方であり、タ—クスとしての仕事が途切れることは無かった。

でも——駄目だった。

ザックスことを頭の中から消すなんて、私には無理だった。

考えまいとするほどに、思い出すまいとするほどに、ザックスことが脳裏を過った。

皮肉なことに、そのような事態に直面したことで、私にとってザックスがいかに大きな存在なのかを痛感させられた。

そのような悶々とした状態が、かれこれ4年以上も続いた。

私は17歳から21歳になっていた。

そして、転機は急に訪れた。

ニブルヘイムから逃亡したという、宝条博士の実験サンプル2名———。

その2名を早急に捕縛せよという命令が、タ—クスに下されたからだ。

ニブル平原での邂逅かいこう

実験サンプルとは、生きていてこそ価値を有する存在である。

よって、サンプルの“抹殺”は許可できない。

何としてでも、生かして捕らえるように——。

それが科学部門からタ—クスへの依頼内容だった。

タ—ゲットの“抹殺”ではなく“生け捕り”——そのような形で命令を受けることは、タ—クスおいては珍しくない。

神羅において、一般兵やソルジャーの得意分野は殲滅や鎮圧といった行為である。

しかしながら、彼らは“生け捕り”を実践するような訓練は受けていない。

その一方で、タ—クスに会社の暗部に関わる“汚れ仕事”を一手に引き受けている。

隠密行動によってタ—ゲットを確保し、場合によっては非合法な尋問や拷問なども辞さない——それもまた、タ—クスが持ち合わせている一面である。

もちろん、私自身もタ—クスとして“汚れ仕事”を遂行するための知識や技術は一通り持ち合わせている。

よって、ある意味では消去法とでも呼ぶべき流れで、タ—クスに“生け捕り”の命令が下されたとも言える。

ただし、逃亡者2名の詳細について、タ—クス側には伝わっていなかった。

年齢、性別、風貌——それらの情報は一切開示されていなかったのである。

ただ一つ判明しているのは、タ—ゲットが2人組であるということ。

なおかつ、逃亡してから間もないということ。

急を要する事案であることも相まって、初報の時点では断片的な情報だけがタ—クスに伝わってきたのだ。

そして、タ—クス内でこの任務の命じられたのが——私だった。

遂行役として私を指名したのはツォンなのだが、彼がこの人選を行った意図は分からない。

すぐに動けるメンバ—が私しかいなかったためなのか、それとも別の理由によるものなのか——。

何れにしても、私にとっては有り難い話であった。

“任務”という名目ではあるけど、堂々とニブルヘイムへと赴き、なおかつ宝条博士が行っているという“実験”の一端を知れる機会を得たのだから。

私は二つ返事で任務を受諾し、空路でニブルヘイムへと赴いた。

まずは手始めに現地での状況を改めて確認してみたところ、ニブルヘイムに駐屯していた神羅兵たちは、逃走したサンプルによって痛手を被っていた。

重傷者が多数おり、中には死人もいた。

このことから、少なくとも逃走したというサンプルの戦闘能力は、一般兵を上回っていることが窺えた。

死傷者たちの状況を確認した後、私はニブルヘイムにある科学部門の研究施設——通称「神羅屋敷」の実験室も視察することにした。

逃亡中のサンプル2名についての情報を一つでも多く仕入れた上で、追跡調査に臨もうと思ったからだ。

タ—ゲットたちは、どのような状況下で、どのような手段を用いて神羅屋敷から脱走したのか?

追跡と生け捕りの両方が求められる今回の任務において、それらの情報は重要である。

そのような判断のもとで、サンプルの管理を行っていた科学部門の社員に情報提供を求めた。

かくして私は、神羅屋敷の地下に備えられた、見るもおぞましい実験室を知ることとなった。

人間を収容し、なおかつ魔晄を充填できるカプセル容器——その形状は、ジェネシス・コピ—を造るために使用されていたものに似ていた。

科学に関しては門外漢である私も、それが一般的な倫理観から逸脱している装置であることは容易に想像できた。

科学部門の社員曰く、実験サンプルはカプセル容器から自力で出て、逃走したのだという。

さらに新たな情報として、サンプルは2名とも男性であることが判明した。

なおかつ、片方は黒髪かつ長身であり、もう片方は金髪で中肉中背だという。

前者の情報を聞かされた際、私は全身が総毛立つ思いがした。

黒髪かつ長身に、一般兵を圧倒するほどの戦闘能力———それらの情報は、私の中でザックスの容貌を生々しくイメ—ジさせた。

実際のところ、神羅屋敷内にザックスの姿は見当たらなかったので、私の想像もあながち間違いではないように思えた。

でも——だけど———。

もし仮に、神羅屋敷から逃亡したという実験サンプルの正体がザックスだったとしても、私がやるべき仕事は変わらない。

サンプル——いや、タ—ゲットを発見次第“生け捕り”にする。

その点に関しては、もはや決定事項なのだから。

そう思った瞬間、私の気分は一気に陰鬱なものへと転じた。

私は敢えてザックスのことは考えないようにしながら、神羅屋敷を出てタ—ゲットを追跡することに集中した。

ニブルヘイム近郊の平原に配備されていた機械兵器——それらが破壊されていたことから、まず間違いなくタ—ゲットによる仕業であることが窺えた。

この様子であれば、タ—ゲットはまだ遠くには行っていないだろう——。

タ—クスとして培った仕事勘と経験が、私にそう告げた。

このペ—スで追えば、タ—ゲットを発見するのは時間の問題だろうと思った。

破壊された機械兵器の後を辿る道中で、私はタ—ゲットの正体について再び想像を巡らせていた。

これ程の手際で、神羅兵や機械兵器を撃破いると実験サンプル——その正体は、やはりザックスなのではないか?

神羅屋敷の地下実験室で抱いた疑念が、ここにきて私の頭の中を急速に支配しつつあった。

もしタ—ゲットの片割れがザックスであるならば、私はどうすれば良いのだろうか?

タ—クスとしての立場を考えるならば、ザックスを捕えれば良いだけだ。

しかし現実問題として、私はザックスと戦って勝つ自信は無かった。

ソルジャー・クラス1stであるザックスと一対一で戦い、そして“生け捕り”するのは容易ではない。

いや、そもそも私の実力では、相打ちに持ち込むことすら難しいだろう。

そこまで考えて、任務遂行を最優先にして動いている自分自身に嫌気が差した。

いや、違う——この場合は、それ以前の問題だと思った。

私は、ザックスと戦いたくない——それこそが偽らざる私の本音だった。

それはタ—クスとしては決して許されないことであり、そして私の甘えでしかないことは十二分に分かっていた。

タ—クスの責務とは、命令に従って任務を遂行すること——それは理解している。

でも、本当にそれで良いのだろうか?

本当に、後悔しないだろうか?

考えがまとまらないながらも、私は平原を歩き続けた。

ザックスと邂逅かいこうする可能性を、頭の片隅に留めたまま——。

そして、平原を抜けた先に広がっている浜辺で、私はついにタ—ゲットの人影を発見した。

その背格好は、間違いなくザックスのものだった。

逆立った黒髪に、アンジ—ルから受け継いだという巨大な剣——バスターソード。

見間違うはずがない——あれは紛れもなくザックスだ。

ニブルヘイムでの事件から既に4年以上が経っているにも関わらず、ザックスの後姿は私の記憶の中にあるそれと全く変わらなかった。

“アンジ—ル——俺、どうすりゃいい?”

海風に乗って、ザックスの声が聴こえてきた。

その口調には鬱屈としたものが含まれていた。

私は、ザックスに声を掛けられなかった。

何と言って声を掛ければ良いか分からなかったからだ。

ザックスの背後で躊躇ちゅうちょしていた私は、すぐにその気配を気取られた。

“よう、シスネ——久しぶりだな”

“ザックス——逃走中のサンプルって、あなただったの?”

“そういうこと”

ザックスの声色には、明確な棘が含まれていた。

彼が私を——タ—クスとの遭遇を歓迎していないのは明白だった。

この状況下で、旧知の仲とはいえタ—クスが出向いてきた。

その意味について、ザックスはすぐに悟ったのだろう。

“あの実験室で何をされたの?”

“まあ、色々とね——”

私は、4年前から気になっていたことを尋ねた。

でも、ザックスの回答は素気ないものだった。

それは無理もない話だな——と、今でも思う。

科学部門の“実験”とやらが凄惨極まりないものであることは、私にも容易に想像できたからだ。

神羅屋敷の地下にあった魔晄充填タイプのカプセルから察するに、ザックスはあの中に閉じ込められていたに違いない。

それも、4年という長期間に渡って———。

“なぁ、シスネ——俺たちを連れ戻しに来たんだろ?”

私は、二の句が継げなかった。

この問いに対しての回答は“Yes”以外にあり得ない。

私はタ—クスとして命令を受け、ザックスを——正確にはザックスともう1名のタ—ゲットを“生け捕り”にする義務がある。

タ—クスには、命令の拒否権など与えられていない。

社益のために、どんな汚い仕事だろうと成し遂げる——それがタ—クスである。

でも、ザックスが目の前にいるにも関わらず“Yes”と答えることなんて、私には到底無理だった。

“頼む——見逃してくれ!!”

返答に窮している私に対して、ザックスは懇願するように言った。

その表情は悲痛に満ちたものであり、私は彼の目を見ていられなくなった。

“軍なら逃げ切れると思ってたけど、タ—クス相手じゃ流石にキツい——”

ザックスの見立ては、まさに正鵠せいこくていた。

単純な戦闘能力だけを考えれば、ザックスが神羅軍よりも遅れを取るなんてことはあり得ない。

しかし、タ—クスと敵対した場合は話が別だ。

タ—クスの真の恐ろしさとは、手段を選ばない非情さにこそある。

直接の戦闘によって相手を制圧することですら、タ—クスにとっては選択肢の一つに過ぎない。

確かに、ザックスは強い。

戦闘能力という一点に限れば、クラス1stにまで上り詰めたザックスは世界でも屈指の実力者だろう。

いくらタ—クスには戦闘に秀でているメンバ—が多いとはいえ、ザックスと正面から戦って勝利するのは、おそらく難しいに違いない。

でも、直接の戦闘以外でのことを考えた場合は、この限りではない。

タ—ゲットの追跡や捕縛は、タ—クスにとって得意とするところなのだから。

いくらザックスが強くても、人間である以上、休息のための時間は絶対に必要である。

極端なことを言えば、集中力を四六時中保ったまま、周囲を警戒し続けることなど不可能に決まっているのだ。

いくらソルジャー・クラス1stとはいえ、休息によって無防備となる時間帯は必ずある。

そして、その“休息”というタイミングこそが、ザックスにとっては命取りとなる瞬間でもあるのだ。

僅かでもすきがあれば、たとえば毒を用いてタ—ゲットを昏睡させたり、あるいは麻痺させることだって出来る。

その程度の芸当は、タ—クスならば造作もないことである。

かつてソルジャーとして働いていたザックスは、タ—クスの戦い方をある程度は把握している。

だからこそ、ザックスにとってタ—クスが用いる“搦手からめて”は脅威でしかないのだろう。

タ—クスとして鍛えられた冷徹な洞察力によって、私はザックスの言わんとすることを看破した。

——けれど、そんな自分自身に嫌悪感も覚えていた。

この時ほど、タ—クスとしての自分が嫌になったことはなかった。

でも、タ—クスという立場にある以上、下された命令には従う義務がある。

“ザックス、ごめん———”

私は、謝罪の言葉を絞り出すので精一杯だった。

このような形でザックスに詫びるのは、烏滸おこがましいとさえ思った。

“これ、任務なの——逃げたいのなら、私を——!!”

私を、倒して———。

そう言おうと思ったけれど、私が口を動かすよりも先に、身体が動いていた。

心はザックスの安寧を望んでいるのに、身体は任務の遂行を望んでいるかのような——そんな錯覚に陥った。

そして気が付いたら、私の武器——深紅の十字手裏剣が宙を舞っていた。

次の瞬間には、手裏剣が描いた赤い軌道はザックスのバスターソードに弾かれていた。

時間にすれば1秒にも満たなかったはずなのに、私にとっては酷く長い時間であるかのように感じられた。

そのような奇妙な時間感覚を悟った時には、私は丸腰となっていた。

そのままザックスに歩み寄ろうとした矢先、ザックスがバスターソードの切っ先を私に向けた。

“来るな。もし来たら、次は本当に———”

自分と敵対するのならば、容赦はしない———。

一分いちぶすきも見当たらない構えから、必要とあらば私を斬ることもさないというザックスの意志が伝わってきた。

生半可な威嚇いかく行為ではなく、本気の警告であることが肌身で感じられた。

この緊迫とした状況下で、月明かりに照らされたバスターソードの鈍い光を見つめながら、私は自暴自棄な思考に陥っていた。

命令に従うくらいなら——ザックスを神羅屋敷へと連れ戻すくらいなら、今ここでザックスに殺されてしまう方が遥かにマシなのではないか——?

今にして思えば、あまりにも冷静さを欠いた考え方だったと思う。

タ—クスとしては、失格もいいところな発想だったとも思う。

でも、あの時は——本気でそう思った。

あの状況でザックスが逃げ延びるためには、私を倒すことが——いや、殺すことが最善策であることは間違いなかったのだから。

私はザックスの目を見たまま、動けなくなった。

まるで金縛りにあったようだった。

自分はどうすれば良いのか——どうするのが正しいのか——考えれば考えるほど、底なしの闇へと身体が沈んでいくような気がした。

次の出方を決めかねて逡巡している間に、ザックスはその場から走り去っていった。

そんな彼の後姿を見て、私はその場に立ち尽くすしかなった。

任務失敗——いや、あの場合は任務放棄と言った方が適切だろうか———。

私は、タ—クスとしての責務を放棄したのだ。

その事実をどこか他人事のように捉えながら、ザックスがいなくなった浜辺で、私は今後のことについて考え始めた。

今すぐにザックスを追えば、彼に追い付くことは難しくないだろう。

でも、ザックスに追い付いて、一体どうすれば良いのだろうか。

また先ほどのような、痛々しいやり取りを繰り返さないといけないのだろうか。

私は、ザックスを助けたいだけなのに———。

任務と私情——その狭間で、私は揺れていた。

タ—クスとしての私は「ザックスを生け捕りにしろ」と言っている。

タ—クスとは関係ない私は「ザックスを助けるべきだ」と言っている。

どちらの声に従えば良いのか、私には分からなかった。

でも、私は分からないなりに必死で考えた。

自分はどうしたいのか——どうすれば後悔しないかを———。

思考を重ねるにつれて、私の中にある価値観の天秤が、任務ではなく私情の側へと傾いていった。

そしてこの時、私は人生で初めて命令に背くことを決めたのだった。

ザックスのことを害してまで、私は任務をやり遂げたくはない———。

それが自分の正直な気持ちならば、その意志に従うべきなのではないか。

立場に囚われて、大切なことを見失っては駄目なのではないか。

あの時の私には、そのように思えた。

理性ではなく、感情が——ザックスへの想いが、私を突き動かした———。

そのことに関して、私も微塵も後悔していない———。

逃避行の手助け

私の立場で、ザックスのために何が出来るだろうか——?

そう思案した結果、私が真っ先に思い付いたのは、彼のために効率的な逃亡手段を用意することだった。

いくらザックスがソルジャー・クラス1stとはいえ、生身の人間であることに違いはない。

現時点で行く当てがあるのかどうかまでは分からないけれど、何れにせよ神羅の追跡を徒歩で振り切るのは流石に難しいだろう。

それならば、徒歩に代わる移動手段が必要なのは明白だった。

そこで私は、神羅製のバイクを秘密裏に手配することにした。

乗用車を用意するという選択肢もあったが、ザックスの身体能力を活かせる乗り物としてはバイクが最適だと判断したからだ。

たかがバイクを一台用意するくらい、タ—クスとしてのコネクションを使えば容易いことである。

しかし、そこに至って私はある事実に気付いた。

“なぁ、シスネ——俺たちを連れ戻しに来たんだろ?”

浜辺でザックスが発した言葉が、私の脳内で再生された。

ザックスは“俺”ではなく“俺たち”という表現を使っていた。

これは一体、何を意味しているのだろうか?

ザックスと相対した時は思考が硬直していて、彼が置かれている状況にまで視野が及んでいなかった。

でも、冷静さを取り戻してからは正確に状況を分析することが出来た。

ザックスの言葉と、ニブルヘイムで得た種々の情報から推測するに、ザックスは単独で神羅屋敷から脱出した訳ではないのだろう。

詳しい経緯までは分からないけれど、科学部門からの情報と併せて考えるなら「中肉中背の金髪男性」と共に、逃避行へと及んだことは想像に難くない。

また、ザックスの性格から考えても、同じ脱走者を見捨てて自分一人だけが雲隠れする可能性は低い——いや、皆無だろう。

それならばザックスが確実に取るであろう行動は一つだけ——今後も「中肉中背の金髪男性」を連れ立って、ニブルヘイムから遠く離れた場所へと向かうはずである。

今後の展開が予見できた段階で、私は単なるバイクではなく、サイドカ—を手配することに決めた。

それであれば、二人で移動するにしても苦労はしないだろう。

私は即座に社内の関連部署に連絡を取り、用途は上手く伏せたままサイドカ—を用意する手続きを済ませた。

それから数十分が経つ頃には、私のもとにサイドカ—が一台届けられた。

だが問題は——ザックスが素直にサイドカ—を使ってくれるかどうかだった。

私が純粋な善意で用意したものだとしても、それをザックスがどのように捉えるのかまでは未知数だった。

例えばだが、タークスがサイドカ—を用意したこと自体、罠だと勘繰られる可能性もある。

発信機を仕込んでおき、逃亡者の所在を常に把握できるようにしておく。

遠隔操作できる催眠ガスなどを仕込んで置き、頃合いを見計らって仕掛けを作動させる。

タ—クスならば、その程度のことはやってのける——ザックスならばそのように考えても不思議ではない。

早い話、ザックスに信用してもらえない展開だって十分にあり得るのだ。

それは私にとって不本意——いや、とても悲しいことではあるけれど、状況が状況だけに無理もない話である。

そう思った途端に、足取りが重くなった。

姿を消したザックスを手早く探し出し、サイドカ—の鍵を渡し、会社には“任務失敗”の報告を入れる。

それが今のタークスに実行できる最適解だというのに、なぜか身体は思うように動かなかった。

この期に及んで、私は何を迷っているのだろうか。

任務よりも私情を優先すると——ザックスを助けると決めたはずだったのに。

そこまで考えて、私は改めて“弱い自分”を自認した。

ああ、そうか———。

私はザックスに嫌われることが——信用してもらえないことが怖いんだ———。

それを確かめる勇気が無くて、自分の意志をザックスに伝える瞬間を先延ばしにしている———。

そのような葛藤が、ザックスの前に再び顔を出すことを躊躇ためらわせた。

そんな自分の精神的な脆さを自覚して、私はザックス絡みでは何度目になるかも分からない自己嫌悪に陥った。

そして、そんな自分自身が酷く矮小な人間であるようにも思えた。

全く、馬鹿馬鹿しいにも程がある。

ザックスから嫌われたくないと言うならば、浜辺で相対した時に、逃亡への協力を申し出れば良かったのだ。

それが出来なかったからこそ、ザックスは私に剣を向け、敵対する意志を示しただけだというのに——。

私は自分の優柔不断さを呪いながら、ザックスの足取りを追った。

今さら保身に走っても仕方がない———。

ザックスに嫌われようが、嫌われまいが、私は私に出来ることをすだけだ———。

私は自分自身にそう言い聞かせ、ニブル平原を歩き続けた。

そして、茂みに覆われた平原の一角で、私はザックスの姿を見付けた。

ザックスもまた私の気配に悟り、浜辺と時と同じようにバスターソードの切っ先を私に向けた。

その様を見ながら、私はザックスの背後にソルジャーの制服を着ている金髪の青年が居ることに気付いた。

“シスネ——”

“彼は——確かニブルヘイムであなたと一緒に回収された——”

容貌から推測するに、彼こそが「中肉中背の金髪男性」であり、ザックスと共に神羅屋敷から脱出した人物で間違いないだろう。

そのような確信を持った理由——なぜならば、私は彼の顔に見覚えがあったからだ。

ニブルヘイムでの“実験”において、ザックスと共にサンプルとして回収された者たちのリスト——その中に金髪の若い一般兵が含まれていた。

確か、姓は「ストライフ」と言っただろうか———。

なぜ彼がソルジャーの制服を着ているのかは定かではないが、記憶の中にある人相と一致したことで、私は状況を即座に理解した。

しかし、その金髪男性の様子は明らかに変だった。

目は虚ろで、微動だしない。

どうやらタークスが目の前に現れたことにも気付いていない様子だった。

“どうして来たんだよ!?”来るなって言っただろ!!

“彼、様子がおかしいわ——どうしたの?”

“魔晄中毒さ——それも重度のな——”

“実験のせいなのね?”

“ああ——”

ザックスとのやり取りを経て、私は金髪の男性——ストライフ青年の様子について合点がいった。

魔晄中毒——それは高濃度の魔晄に曝されることで発症する、ある種の認知機能障害である。

五感の機能低下——あるいは機能消失によって、日常生活すらままならなくなる深刻な病。

その影響は肉体のみならず精神にまで及び、記憶や人格が崩壊することも珍しくない。

魔晄炉での作業員に多く発症すると言われているが、一度発症してしまったら、その治療は困難を極めるという。

しかも重症となれば、元の状態にまで回復するのは絶望的だと聞く。

一体なぜ、彼——ストライフ青年はそのような状態になってしまったのだろうか?

その理由は一つしか考えられなかった。

神羅屋敷の地下にあった魔晄充填式のカプセル——あの中に放り込まれて、高濃度の魔晄に浸され続けたのだ。

彼もまた、科学部門の——いや、宝条博士の犠牲者であることを改めて悟った。

そして、次の瞬間には私も腹を括っていた。

私は懐から携帯電話を取り出し、ツォンに架電かでんした。

目の前にいる二人を、神羅屋敷に連れ戻すわけにはいかない———。

そう思ったからだ。

“おい!!”

“ツォン、タ—ゲットに逃げられたわ——”

警戒感をあらわにするザックスを片手で制しながら、私は嘘の報告をした。

ツォンは引き続き追跡を行うようにと私に指示し、そこで通話は途切れた。

これで、一時的にではあるがザックスとストライフ青年の安全は確保されことになる。

そのせいか、ザックスの表情には安堵の色が浮かんでいた。

“そういうことだから、しっかり逃げなさいよ——”

“シスネ……サンキュ—”

そう言って微笑むザックスの表情は、私にとって4年振りのものだった。

コスタ・デル・ソルやジュノンで見せてくれた、あの穏やかな笑顔。

4年という歳月を経たからこそ、あの時は無性に嬉しく思えた。

“プレゼントがあるわ。私を信じてくれるなら、どうぞ———”

ザックスとの別れ際に、私は予め用意しておいたサイドカ—の鍵を手渡した。

実際にザックスがサイドカ—を使うかどうかまでは分からない。

でも、そこから先はザックスの意志に委ねるしかない。

私に出来るのは、ここまで———。

そう心の中で呟きながら、私はザックスの前から立ち去った。

人生で初めての、神羅への背信行為——それは私にとって、多大な精神的負荷を強いられるものだった。

だけど、後悔はしていない。

あの時、ザックスとストライフ青年の二人を神羅屋敷へと連れ戻す道を選んでいたら、私は今以上に悔やんでいただろう。

そう思ったからこそ、私は“任務”よりも“私情”を優先した。

私は“タ—クス”である前に“人”でありたい——自分の気持ちに正直でありたいと思った。

その切欠きっかけを与えてくれたザックスには、今でも感謝している———。

ゴンガガで最後に交わした言葉

ニブル平原でザックスを捕縛する任務に“失敗”してからも、私は彼の動向を追う立場が続いていた。

そんな折、ゴンガガ付近でアンジ—ルらしき人物が目撃されたとの情報がタ—クスに入ってきた。

アンジ—ル——ザックスによって討たれたソルジャー・クラス1st。

彼が今でも生存しているはずがない。

そのような眉唾物の情報に振り回されるほど、タ—クスは暇ではない。

よって、普段のタ—クスならば一笑に付すところなのだが、会社としては看過できない問題であると見做しているようだった。

ジェネシスと同じく、アンジ—ルは神羅の暗部そのものと言える存在である。

たとえ他人の空似であろうと、そのような人物を野放しにしておけば、神羅にとってマイナスとなる可能性が高い。

少なくとも、プラスとなる可能性は一切ない。

それならば、不安要素の芽は早期に摘んでおく——そんな神羅らしい徹底主義のもとでタ—クスに密命が下った。

“アンジ—ルと思しき人物を発見次第、抹殺せよ”と——。

私は、この状況を上手く利用することにした。

奇しくも、ゴンガガはザックスの故郷である。

さらに、ザックスとストライフ青年の二名はコスモキャニオン方面を経由し、現在も南下中であるという情報も入っていた。

逃避行に際して、ザックスが実家の家族を頼るつもりなのか、それは定かではなかった。

しかし実際のところ、ザックスが実家に身を寄せる可能性は低くないように思えた。

そこで私は、アンジ—ルらしき人物の捜索を行うという名目でゴンガガに赴くことにした。

もとよりニブル平原でタ—ゲットの確保に“失敗”していた私は、挽回の機会を得たいという名目で、この任務に志願したのだ。

その件に関して、ツォンからは特に反対されなかった。

むしろ、ザックスがゴンガガに現れる可能性を考慮して、用心を怠るなと指示された。

過去に遡ると、神羅を抜けたジェネシスが故郷のバノ—ラ村に潜伏していたという事例もある。

私と同じく、ツォンもまたザックスの動向について大凡おおよその予想をしていたのだろう。

もっとも、もしゴンガガでザックスと遭遇したとしても、私としては彼が上手く逃げられるように手助けするつもりだったのだけど———。

ツォンに対して後ろめたさを感じながら、私はゴンガガの地を訪れた。

魔晄炉のメルトダウンという災禍に見舞われたゴンガガの村は、私が思った以上に荒廃していた。

生活レベルという意味では、ミッドガルはもとよりニブルヘイムよりも格段に下であることが窺える風景だった。

そんな中で、私がまず目指したのはザックスの生家だった。

仮にもザックスのファンクラブに所属していた手前、彼の家族構成は既に把握していた。

ザックスに兄弟はおらず、実家では両親が二人で住んでいる。

その事実を踏まえて、私はザックスの生家にも先回りして、彼の両親を無用な争いに巻き込まないようにする手筈を整えるつもりだった。

しかしながら、ザックスの両親——フェア夫妻に現状をどう説明するかについては、かなり迷った。

真実を話すべきか、虚偽を語るべきか——どちらのやり方も一長一短であったが、私は後者を選ぶことにした。

ザックスの両親を騙すのは忍びないのだが、まずは彼らに迷惑が掛からないような状況を作りつつ、全てを穏便に済ませることを優先するべきだと判断したからだ。

そのような心持ちのもとで、私はザックスの生家——フェア家を訪問した。

胡散臭そうな黒いス—ツ姿の女が突然訪ねてきたというのに、壮年の夫婦——フェア夫妻は警戒することなく迎え入れてくれた。

この場面では、タ—クスとして培った対人術や交渉術が大いに役に立った。

潜入や捜索といった任務においてタ—ゲットと親密となるスキル——一人前のタ—クスとなるべく叩き込まれた知識や技術の数々が、意図的に“任務失敗”を狙っている状況で活かされるとは、何とも皮肉な話だった。

ところで——フェア夫妻との会話を進めていく過程で気付いたのだが、彼らはザックスが“殉職”した事実を知らない様子だった。

フェア夫妻の話を聞く限りでは、ザックスは13歳の頃に「セフィロスのようなソルジャーになる」と言って村を飛び出して以降、一度も帰省していないらしい。

5年から6年ほど前に一度だけ「今ではソルジャーとして頑張っている」という旨の手紙が届いたらしいのだが、それ以外は全くと言っていいほど音沙汰が無いのだとか。

つまり、フェア夫妻は息子が現役のソルジャーとして、以前と変わらず働いていると思っていたのだ。

社内での公式記録では既に死亡したことになっているというのに、遺族に“殉職”の事実すら報せない神羅という会社の体制には、正直に言うと呆れすらした。

会社がザックスを不穏分子として認識している以上、遺族への対応なんて一切不要と判断したのだろうか?

何れにしても、それは私にとって愉快な事実ではなかった。

でも、私の狙い——“もしザックスがゴンガガに来た際には上手く逃がす”という目的を果たすためには、かえって好都合だった。

私はフェア夫妻の心情を慮りながら、ザックスに関する用件を簡潔に伝えた。

そうは言っても、私もタ—クスという立場上、フェア夫妻を相手に会社の機密情報を明かす訳にはいかなかった。

ましてや、息子ザックスが非人道的な実験のサンプルとして扱われ、現在も生死を賭けた逃避行の最中だなどと、口が裂けても言えない。

そのため、フェア夫妻にはかなり脚色した内容を伝えるしかなかったのだけど———。

この近辺での任務に臨んでいるはずのザックスさんから連絡が途絶えてしまい、今では行方が分かりません。

詳しい経緯は不明ですが、ザックスさんが身を寄せそうな場所の候補として、ゴンガガのご実家が思い浮かびました。

ザックスさんはソルジャー・クラス1stになるくらい強い人ですから、生命の危険については心配していません。

ですが、事情はどうであれ任務中に音信不通となった件について、もしかしたらザックスさんは気に病んでいるのかも知れません。

私はザックスさんの同僚として、彼が神羅カンパニ—の社内でとがめられないように計らうつもりです。

悪いようにはしませんので、もしザックスさんが実家こちらに帰って来たら、シスネに一報してほしいとお伝え頂けませんか?

このような趣旨のことを、私はフェア夫妻に話した。

少しばかり強引な論法ではあったけれど、フェア夫妻は私を疑うことなく信じてくれたようだった。

このように言い含めておけば、ザックスがゴンガガの実家を訪れた際に、私を頼ってくれるかも知れない。

もし私を頼らないという選択をしたとしても、神羅による厳戒態勢が敷かれていることくらいは察知できるはずだ。

ザックスの性格を考慮すれば、両親を巻き込むことを避けるためにゴンガガからは早急に離れようとするだろう。

あとは、ゴンガガ周辺でザックスと接触する機会があれば、私が上手くやればいい———。

目的を果たした私は、足早にフェア家から立ち去ろうとした。

でも、ここで想定外のことが起こった。

ザックスの母——フェア夫人に呼び止められたのだ。

そして、こうかれたのだ。

“もしかして息子のガールフレンドっちゅうのは、あんたのことかい?”

“ガールフレンド……ですか?”

それは私にとって、予想だにしなかった質問だった。

あまりにも唐突に出てきた単語だったので、自分の耳を疑ったくらいだ。

フェア夫人曰く、5年~6年前にザックスから届いた手紙には「ガールフレンドができました」といった内容も書かれていたらしい。

「ガールフレンド」——その言葉が意味するところについて、私は逡巡した。

それは男性にとって「恋人」という意味なのだろうか?

それとも、ただ単に「仲が良い女性の友人」という意味なのだろうか?

前者は論外だが、後者であればシスネが該当する可能性もある。

しかし、そのように考えるのは早計だ。

手紙に記されていたガールフレンドなる人物の正体とは、十中八九、エアリスで間違いないだろう。

少なくとも、私にはそう思えた。

手紙が届いた時期が5年~6年ほど前なのであれば、時期的にも一致する。

ただし、それは私とザックスが出会った時期とも被るのだけれど——。

その時、ふとザックスから晩御飯に誘われた際の記憶が甦った。

あれは、そう——私がまだ16歳だった頃だ。

今にして思えば、あれはデートの誘いだったのだろうか?

それとも、単なる社交辞令だったのだろうか?

もし前者だとしたら、私もまたザックスにとっては「ガールフレンド」だったのだろうか?

分からない——いくら考えても分からない。

詰まるところ「ガールフレンド」に関する真実はザックスしか知り得ないので、フェア夫人からの質問には即答しかねた。

“Yes”とも“No”とも言えず、ただただ困惑するばかりだったからだ。

あの時は、フェア夫人に対して適当な相槌でも打っておけば良かったのかもしれない。

でも、私には出来なかった。

「ガールフレンド」が意味するもの——それを考えるだけで頭の中が一杯になってしまい、ほんの数秒とはいえ自分がタ—クスであることすら忘れていた。

そんな私の様子を見て、フェア夫人は微笑んだ。

“いきなり変なことをいて悪かったねぇ。それにしても、ウチの息子も意外と隅に置けんなぁ。こんなに綺麗なお嬢さんと仲良くしているとはねぇ……”

私の見間違いでなければ、フェア夫人はとても嬉しそうな表情をしていた。

その理由は今でも分からない。

何と言うか——あの時は、他人を冷静に観察する余裕を無くしていたのだ。

その決定打となったのは、フェア夫人による次の発言だった。

“あんたの話によると、ザックスは何かをやらかしたんだろう?こんな状況じゃあ、息子のお嫁さんには会えそうにないかねぇ……”

“お嫁さん……ですか?”

“あの子は昔から破天荒はてんこうでねぇ……だから、しっかりとした気質のお嫁さんがいれば、親としても安心できるってもんさね”

“は、はぁ………”

“それで、あんたみたいな人が息子のお嫁さんだったら……なんて思ってねぇ”

もはや訳が分からなかった。

ザックスの逃避行を手助けする一環でフェア家を訪れただけだったのに、なぜ自分はこのような会話をしているのだろうか。

おそらく、あの時のフェア夫人の発言に深い意味はない。

しかし、それを差し引いても私の頭の中は混乱するばかりだった。

「ガールフレンド」に「お嫁さん」——今までタ—クスとして生きてきた私にとって、それらはまるで別世界の概念のように思えた。

血生臭い環境で日々を過ごしているタ—クスにとっては、一生縁がない言葉だとさえ思っていた。

そんな言葉をザックスの実母から向けられて、私はただ目を丸くするばかりだった。

恋愛ならばともかく、結婚なんて考えたことも無かったのだから———。

フェア夫人の前で二の句が継げないまま、一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。

私が無言のまま立ち尽くしている姿を見て、それがある種の回答だと思ったのか、フェア夫人は深々とお辞儀をした。

そして、私にこう言った。

“息子のこと、色々とありがとうございます”

私とザックスの関係性について、フェア夫人がどのように解釈したのかは分からない。

ザックスが手紙に記したという「ガールフレンド」なる人物がシスネだと思ったのか、それも定かではない。

ただ少なくとも、私が息子ザックスの身を案じて来訪したことだけは間違いないと確信したらしい。

それが必ずしも男女の情愛に起因するものではないとしても、ザックスの母——フェア夫人にとっては、何かしら思うところがあったのかも知れない。

何はともあれ、フェア夫人からから感謝の言葉を頂いたことについては、決して嫌な気分ではなかった。

私もまたフェア夫人にお辞儀をして、今度こそフェア家から退出した。

その後、程なくしてザックスがゴンガガに現れた。

“まったく、行動が安易ね。故郷で待ち伏せされるのは、想像できたでしょ?”

ザックスが無事に生存していたことを喜ぶのと同時に、少しばかり呆れもした。

危険を承知でゴンガガの地を訪れたということは、お世辞にも賢い行動だとは言えない。

ましてや、ザックスは自力では身動き出来ないストライフ青年を連れているのだから。

でも、危険な状況だからこそ家族の——両親の顔を見たいという衝動に駆られたのかも知れない。

“ご両親に会いたかった?”

“悪いかよ。普通のことだろ?”

“そう———”

ザックスの言い方には棘があった。

これもまた、私とザックスの間にある価値観の隔たりだった。

ザックスが言うところの「普通」とは、私にとっての「普通」ではない。

私は親の顔も知らずに育った孤児なのだから、ザックスの家族観を真に理解するべくもなかった。

そんな私を横目に、ザックスは急ぎ足で立ち去ろうとした。

両親フェア夫妻と会うことは諦めた——そんな意志が窺える表情だった。

“まぁ、でも……浅はかだった。あんたの言う通りだ。俺たち行くわ”

“気を付けてね。いつも以上に警戒が厳重よ。あなた以外にも、この村に来てる人がいるらしいの”

“誰?”

“アンジ—ル”

“そうか”

“そうか?あなたが倒したんでしょ——驚かないのね?”

アンジ—ルらしき人物がゴンガガの近辺に現れた理由。

それについて、おそらくザックスが関わっているのではないか?

ゴンガガに降り立った瞬間から、タ—クスとしての勘がそのように告げていた。

そして、その読みは的外れではないようだった。

“神羅屋敷から出られたのは、アイツのおかげかもしれない”

“なるほど、目撃情報は本当だったのね”

“でも、どうしてゴンガガなんかに来たんだろう”

“あなたに会いたがっている。それ以外、何があるの?”

“いるなら逃げろ!アンジ—ル!タ—クスが見張ってるぞ!”

ザックスが神羅屋敷から脱走した際、どのようなことが起きたのか私には分からない。

しかし、ザックスの発言から察するに、アンジ—ルが何らかの形で関わっていたのは間違いなさそうだった。

その前提で考えるならば、アンジ—ルと思しき人物がゴンガガに来たことは、やはりザックスと無関係ではないのだろう。

なおかつ、ザックスがアンジ—ルへの友好の念を失っていないことは、彼の発言から容易に読み取れた。

それならば、今の私に出来ることは、見て見ぬ振りをすることだけ——。

“10分だけ時間をあげるわ。それを過ぎたら、私はタ—クスに戻る”

“戻る?”

“今は、そんな気になれない。ご両親に悲しい報告はできないもの”

それは、私の本心だった。

フェア夫妻と言葉を交わしたのは、ほんの僅かな時間に過ぎない。

しかし、彼らの為人ひととなりを知るには十分な時間だった。

息子の身を案じる、善良な夫婦——そんなフェア夫妻のことを悲しませるような真似だけはしたくない。

あの時は、心の底からそう思った。

“おふくろ、どうしてる?”

“心配してるわ。こんなことになってしまったら、もうお嫁さんに会えないんじゃないかって”

“何だよ、それ”

“いいご両親ね——とってもお元気よ”

“そうか、元気ならいいや”

“ほんと———”

心身ともに元気なら、それだけでいい———。

それだけで十分———。

両親への想いを語るザックスの気持ちについて、親というものを知らない私は想像するしかない。

でも、何となくだが理解はできる。

なぜなら、それは私がザックスの身を案じる気持ちに通じるものでもあるからだ。

病気をせず、怪我もせず、安寧の中で日々を過ごしてほしい———。

それを他者に対して望むことは、決して奇妙なことではない。

むしろ、人間としてはごく自然な感情である。

神羅の汚れ役として働くタ—クスには、似つかわしくない感情かも知れないけれど———。

そんなことを考えていたら、今度はザックスから「両親」についての質問を受けた。

“あんたのとこは?”

“私は、神羅に育てられたの——”

それは、ジュノンで身の上を語った時以来の自己開示だった。

「神羅に育てられた」——その一言だけで、ザックスは大方の事情を悟ったらしい。

私は、ただ単にタ—クスに入るべく訓練を受けてきただけではない。

親や兄弟と呼べる存在自体、私は最初から知らないのだ。

幼い頃の記憶をいくら辿っても出てこない——それが私にとっての「両親」であり「家族」だった。

そんな私の過去を察したのか、ザックスはばつが悪そうに頭を掻いた。

別に罪悪感を覚える必要なんて無いのに、そういったことを必要以上に気にしてしまうあたりが何ともザックスらしい。

ここで少しばかり微妙な空気が流れたのだけど、当然ながらザックスとの会話はここでは終わらなかった。

先ほど失言したことに対する贖罪のつもりなのか、それとも単なる思い付きなのか、それは定かではないけれど、ザックスから意外な申し出——いや、頼みごとをされたのだ。

“なあ、シスネ。おふくろたちの、話し相手になってやってくれないか?”

それは、両親に寂しい思いをさせたくないという息子なりの気遣いだったのだろうか?

それとも、両親を知らないシスネの心の穴を埋めようとする配慮だったのだろうか?

何れにしても、私にとって断る理由は無かった。

だから、私は“Yes”と答えた。

“そうね——よろしくってよ”

“嫁にどうだって言われると思うけどな”

“もう言われたわ”

“何て答えたんだよ!シスネ!”

“それ、本名じゃないの”

“えっ?”

“ほら、あと5分よ!”

お嫁さん云々のことかれると予想していた辺り、ザックスとフェア夫妻は紛れもなく親子なのだなと思えてきて、それが私には可笑しくて仕方なかった。

何年間も会っていなくても、お互いの思考を理解している——それが彼らフェア家なのだろう。

とても微笑ましくて、それでいて羨ましい関係性だなと思った。

極めつけに、私からフェア夫人への回答を気にして慌てているザックスを見るのは、ある意味では眼福だった。

実際には、フェア夫人の前では気恥ずかしくて何も言えなかったというのに———。

そんな事実など露知らず、動揺しているザックスを横目に見て、私はささやかな優越感を浸った。

その優越感は、ザックスに対してなのか、それともエアリスに対してなのか——それは私自身にも判然としないけれど、決して悪い気分でなかったことは確かだ。

何と言っても、シスネの存在によって混乱しているザックスを拝めたのは、この時が初めてだったのだから———。

その後、私は「シスネ」という名前が本名ではないことを伝えた。

「シスネ」とは、タ—クスとして活動する際のコ—ドネ—ムである。

その事実を知って驚くザックスに背を向けて、私はゴンガガの村内から立ち去った。

今にして思えば、ゴンガガでは本当に色々なことがあった。

もしかしたら、ザックスと最もプライベ—トな会話が出来たのは、あの時だったのかも知れない。

それだけに、あれがザックスとの最後の会話になってしまったことが残念で——いや、悲しくて堪らない。

「おふくろたちの、話し相手になってやってくれないか?」というザックスの言葉が、まるで遺言のようになってしまった。

そして、その言葉は思いのほか私に重くし掛かった。

憎からず思っている男性の両親——その話し相手を務めるだなんて、私には荷が重過ぎる。

あの時——ザックスからの頼みに対して、確かに私は“Yes”と答えた。

だけど、それはザックスが健在であることを前提としての話だ。

ザックスがってしまった今の状況で、エアリスならいざ知らず、恋人ですらない私に、そんな重大な責任を果たせと言うのか?

たった一人の息子を亡くしたことで悲哀と絶望に苛まれるであろう壮年夫婦の相手を、血にまみれている私のような人間にやらせると言うのか?

いくら私がフェア夫人からお嫁さんに誘われたとはいえ、偶々たまたまゴンガガで会ったタ—クスの女なんかに、軽々しく頼んで良いことではなかったのだ。

こういった考え方は、結果論に過ぎない——そのことは私だって理解している。

だからこそ、私はゴンガガでの出来事について——ザックスから頼まれた内容について憤っている。

なぜなら、それは本来ならばザックスの役目だからだ。

ザックスは、自分が為すべきことを私に押し付けたのだ。

いや——そうじゃない。

責任という意味では、あの場で“Yes”と安請け合いしてしまった私にも非はある。

それでも、私はザックスに文句の一つでも言ってやりたかった。

たとえそれが叶わない願いだとしても、そう思わずにはいられなかった。

だって、貴方がってしまった今となっては、貴方との約束を反故ほごにするなんて出来る訳がないじゃないの———。

最後まで無茶をやらかして、あんなに良いご両親よりも先にってしまうなんて———。

ザックス、貴方は本当に無責任よ———。

のこされた人間の気持ちくらい、考えなさいよ———。

心痛から逃れるために

一体どのくらいの間、意識が過去に飛んでいたのだろうか。

ふと気付いた時には、日が暮れていた。

ヘリの操縦席からは月が見える。

どうやら、決して短くはない時間が経過していたらしい。

私は、なぜこんな場所に居るのだろうか?

ああ、思い出した———。

ヘリに乗り込んで上空からザックスを捜索している最中に、私のもとに彼の訃報が届いた。

そのことを私に伝えてきたのはツォンだった。

その後、私は感情の収拾がつかなくなり、ミッドガル近郊の荒野へと不時着したのだ。

そして、私は声を出して泣いた。

もし近くに誰かがいたら、一体何事かと驚いたに違いない。

自分でもそう思うくらいには、無様に涕泣ていきゅうしていたことだろう。

ヘリの操縦席という誰もいない密室空間であることが、唯一の救いだった。

それから数時間が経ち、落涙や嗚咽はかなり治まってきた。

ザックスと最後に言葉を交わしたのは、今から1年ほど前。

ゴンガガでの会話——まさか、あれがザックスとの最後の会話になるとは思わなかった。

だからこそ、16歳での出会いから22歳となった現在に至るまで、ザックスに関する記憶が蘇った。

この6年の間、私の心の中には常にザックスの存在があった。

それも、自分が思っていた以上に——である。

皮肉なことに、私はザックスの死亡を知ったことで、その事実を認識した。

普段は意識していなかっただけで、ザックスは私にとって、唯一無二の人物になっていたのだ。

そうでなければ、これ程の精神的苦痛を被るはずがない。

今この瞬間に私が感じているもの——悲しみも、後悔も、その根源は全てザックスにある。

それこそが、私にとってザックスがいかに大きな存在であったかを裏付けている、何よりの証拠であるように思えた。

ザックスには、自分の口から伝えたいことが沢山あった。

そして、ザックスにいてみたいことも沢山あった。

ガールフレンドとして付き合っている、エアリスのこと。

ゴンガガで暮らしている、ご両親のこと。

そして、シスネについて、どう思っているのか——ということ。

でも、それらの願いが叶う可能性は完全に絶たれてしまった。

今頃、ザックスの精神は星へと還り、ライフストリ—ムの一部となっていることだろう。

生命の奔流と化した今、ザックスという個人の意思を知る機会は、永遠に失われてしまった。

ザックスは、私などには手が届かない場所へと旅立ってしまったのだ。

生者と死者を隔絶している、目には映らない不可視の壁。

その壁を乗り越えることは、人間の身では決して出来ない。

でも、もし死者の声に耳を傾けることが可能だとしたら、それは星との対話が可能とされる種族——古代種しかいない。

古代種——その末裔であるエアリス。

ザックスの想い人である彼女ならば、星に還ったザックスの声を聴くことも可能なのだろうか?

生前のザックスが、何を願っていたのか。

なぜ危険を冒してまで、ミッドガルへと向かったのか。

死を迎える最期の瞬間に、ザックスは何を思いながらったのか。

エアリスであれば、その一端を知ることが出来るのだろうか?

そこまで考えて、私は自嘲じちょうした。

ああ、馬鹿馬鹿しい———。

この期に及んで、私はまたエアリスに嫉妬している———。

その事実を悟った直後、私の目から再び涙がこぼれた。


「戻ったか」

「……待たせて、悪かったわね」

「ザックスのことは、残念だった」

「……ええ、そうね」

ミッドガルの中央に位置している神羅カンパニ—の本社ビル——同地に併設されているヘリポ—トに降り立った私を、ツォンが出向かえてくれた。

本来であれば、ザックスが死亡したと知らされた時点で、私は即座にミッドガルへと帰投するべきだった。

それがタ—クスとして取るべき正しい行動なのだが、ザックスが死んだという現実を直視できない私は、ある程度の冷静さを取り戻すまでに幾ばくかの時間を要した。

その結果、実際に本社ビルへと戻ってきたのは深夜になってからだった。

こういった場合、タ—クスのメンバ—であれば上役である主任——つまりツォンから叱責されるのが通例だ。

外的要因によって帰還を阻まれたのならばともかく、今回に関しては、私の個人的な事情により本社ビルへの到着が遅れたに過ぎない。

よって、帰投時刻が大幅に遅くなった私としては、ツォンから何を言われたところで甘んじて受け入れるしか出来ない立場だった。

しかし、ツォンから譴責けんせきの言葉を浴びせられることはなかった。

それどころか、ツォンは無表情を装っているものの、普段とは雰囲気が明らかに違っていた。

そんなツォンの様子を見て、私は合点がいった。

彼との付き合いが長い私には分かる。

ツォンもまた、ザックスの死によって小さくはない衝撃を受け、少なからず動揺しているのだろう。

「ところで、もう“大丈夫”なのか?」

「ええ、もう“大丈夫”よ」

「……少しの間、休暇を取るか?」

「あら、優しいのね。でも、心配はご無用よ」

休暇に関する提案は、部下に対するツォンなりの配慮であることは明白だった。

ツォンは、私がザックスと懇意にしていたことを知っている。

エアリスとの間柄とは異なるものの、私もまたザックスとは浅からぬ関係だった。

その点について把握しているツォンだからこそ、私の心情について慮ってくれたのだろう。

その気持ちは自体は嬉しいのだが、今の私にとっては必要ない提案だった。

正直に言うと、肉体的にはともかく、精神的には堪えていた。

それ程までに、ザックスの訃報は私の心にダメ—ジを与えていた。

このような状態で休養もせず、新たな仕事に取り掛かってみたところで、良い成果が期待できるとは言い難い。

任務に支障が出てしまう可能性を考えた場合、ツォンが言うように、精神状態がさらに落ち着くまで休むことは理に適っているかもしれない。

でも、私は“Yes”と答える気なんて毛頭なかった。

「これでもタ—クスの一員よ?自分の立場は理解しているわ」

「その言葉、本当に信じて良いのか?」

「……信じて頂戴」

「では、おまえには早速、新しい仕事を任せたい。それで構わないな?」

「ええ、よろしくってよ」

上司ツォンの視点からは、単なる強がりにしか見えなかったことだろう。

私自身も、虚勢を張っているという自覚はあった。

でも、今は任務に没頭していたかった。

ザックスの死という現実を突き付けられて、私の心は悶えていた。

この悲しみと苦しみが癒える日が来るなんて、私には想像もつかない。

私自身が死を迎え、ライフストリ—ムへと回帰するまでの間、この悲哀の感情が色褪せることは決してないだろう。

それならば、たとえ一時だけでもいい。

この精神の痛みを忘れられるのなら、私はどんなに過酷な任務でも引き受けよう。

そうすることでしか、私はザックスの死がもたらした苦痛から逃れられそうにない。

だから、これで良いのだ。

神妙な顔をしているツォンに対して、私はこう言った。

「さあ、次の任務は何かしら?」

《終》

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