決別の刻(前編)

キングダムハーツ(シリアス系)
本作は【巡り合う心-Roxas & Namine-】の続編です。

闇夜の出立

デスティニーアイランドの離れ小島で、夜間の光源となり得るのは月と星の光だけだ。

そんな離れ小島の茂みには、ある洞窟への入り口がある。

島の子供たちの間で『秘密の場所』と呼ばれている洞窟への入り口である。

その秘密の場所の最深部にある岩肌には、島の子供たちの中でも特に仲良しだった3人組によって描かれた落書きが所々に見られる。

日中でさえ薄暗いこの場所は、夜ともなればほとんど光が差し込まず、視界は非常に暗い。

今この場を支配しているのは静寂。

そして、闇———。

その闇に溶け込むかのようにして、黒いコートを着た“彼”は岩肌に寄り掛かっていた。

“彼”の顔はフードに隠されていてよく見えない。

こんなに暗い場所ならばそれは尚更であった。

“彼”は今夜、ある人物とここで待ち合わせをしていた。

「そろそろ時間だな……」

彼がそう呟いた瞬間、誰かがこの洞窟の中をこちらへ向かって歩いてくる足音が聴こえた。

足音の正体は白いワンピースを着た少女だった。

「ごめんなさい。ちょっと遅刻……かな?」

「いや、一応…時間通りだ。ナミネ」

ナミネと呼ばれた少女は『それならよかった』と言い、彼に歩み寄った。

「じゃあ、そろそろ……行こう?」

「…ああ」

“彼”はそう言うと片手を前方にかざした。

するとその先に闇色の穴が———闇の回廊が口を開けた。

「闇の回廊を通るのは……ナミネは大丈夫か?」

「大丈夫。何度か通ったこともあるし、心配いらないよ?」

「…そうか。それなら安心だな」

“彼”はフードの下で薄く笑うと、闇の回廊の中に身を埋めた。

続いてナミネも、“彼”が入っていった闇穴の中に飛び込んだ。

二人の姿を飲み込んだ闇穴は音もなく静かに閉じ、秘密の場所は再び静寂な闇に包まれた。

存在した証

「まさか、もう一度この回廊を歩くことになるなんてな…」

ナミネと肩を並べて闇の回廊を歩くなかで“彼”はそう言った。

「でも、便利だよね?」

「確かに…そうかもな」

心がある者が闇の回廊を通る時、心は闇に蝕まれる。

それでも便利であるということに変わりはなかった。

「そろそろだな……」

“彼”とナミネは一日中夕暮れの街——トワイライトタウンに向かっていた。

「いい場所……見つかるかな?」

ナミネが独り言のように呟いた。

「無かったら探せばいい」

“彼”はナミネの方を見ないで、前を向いたまま言った。

「一緒に?」

「ああ、もちろん」

やがて二人の前に、闇色ではなく黄昏色に染まった景色が広がった。

そこはトワイライトタウンのサンセットヒルと呼ばれる場所だった。

「どうする?陽当たりも良いし、ここにする?」

「いや……ここは結構人が集まる場所だからな」

“彼”は、サンセットヒルは街の住民にとって隠れた人気スポットであるということを知っていた。

「まあ、一口にサンセットヒルと言っても広いしな。もっと人気の無い場所を探そう」

「……見つかるかな?」

ナミネが不安そうな表情で言った。

「探すって言っただろ?」

「ふふ……そうだったね」

深く被ったフードから僅かに見える“彼”の穏やかな表情を見て、ナミネはくすっと笑った。

数十分程して、“彼”とナミネは人気も無く、陽当たりもいい場所をようやく見つけることが出来た。

その場所は、さっき二人が居たサンセットヒルの上部に位置する、水平線まで遠く見渡すことが出来る海に面した広い崖だった。

「いい場所だな。海が見渡せる。俺もこんなにいい眺めの場所があるとは知らなかったな……」

“彼”は夕陽と、夕陽の光が反射して輝いている海の眩しさに目を細めた。

「今日は……その服なんだね」

ナミネが言った“その服”とは——ⅩⅢ機関の黒いコートだった。

「そのフードは…外さないの?」

「……ああ」

コートのフードを外せば、もっと景色が明るく綺麗に見えるのはずなのに——。

ナミネはそう思ったが敢えて口には出さなかった。

今の“彼”はフードを外すわけにはいかない。

それは“彼”にとって、ある種のケジメなのだから———。

「じゃあ、始めるか?」

「うん。頑張らないとね」

“彼”とナミネはあらかじめ準備してきた道具を使って、あるものを作り始めた。

“それら”を作ること自体は、思ったよりも楽な作業であった。

だが精神的には少し——いや、かなり辛いものがあった。

二人が“それら”を作り始めてから数時間ほどが経って、ようやく“それら”は完成した。

“彼”とナミネの前には、全部で12個の小さな墓標のようなものが並んでいた。

そして、二人によって作られた墓標には、それぞれⅠからⅩⅡという数字が刻み付けられている。

その12個ある墓標の一つ一つに、ナミネが丁寧に花を供えていく。

その様子を、“彼”は少し後ろから黙って見ていた。

やがて全ての墓標に花を供え終えたナミネが“彼”の方を振り返った。

「13番目は……いいの?」

ナミネが“彼”に尋ねた。

13番目の墓標は作らなくてもよかったのか。

花は用意してこなくてもよかったのか。

つまり、そういう意味である。

「構わないさ。No.13は——“ⅩⅢ機関ロクサス”は消えてしまったわけじゃない」

フードの合間から覗いて見える“彼”の表情は、決して穏やかではなかった。

いや、どちらかと言うと苦しそうな表情だった。ナミネにはそう思えた。

「ノーバディが墓を作ってもらって喜ぶとは思えないけど……」

「けど……?」

“彼”が少しだけ荒んだ声で言った言葉に、ナミネが優しく相槌を打つ。

「これは、この墓標はあいつらが——ノーバディが、たとえただの“脱け殻”だったとしても、この世界に確かに存在した証だ」

“彼”は目の前に並ぶ墓標を見下ろしながら言った。

13人で構成された機関のうち、12人はもう既にこの世にはいない。

「それぞれが考えていたことは確かに違っていたかもしれない。純粋に心が欲しかったやつもいれば、力だけを求めたやつもいた」

“彼”が抑揚のない声で、それでいて淡々と語る言葉をナミネは静かに聞いている。

「ノーバディなのに、自分以外のために犠牲になった奴もいた……」

“彼”は今何を思っているのだろうか。

もしかしたら、後悔しているのだろうか。

ナミネはそんなことを考えながら“Ⅷ”という数字が刻まれた墓標を見つめた。

「それでも、あいつらは確かに存在していた。たとえ心が無かったとしても、確かに生きて存在していた」

「…うん。善いことをしたか、悪いことをしたかは別にしても、確かにあの人たちは存在していた。必死に、生きようとしていた……」

「だからこれはあいつらが…“存在しない者”が存在した証だ」

存在すること自体が罪と位置付けられた者たち——ノーバディ。

彼らが自分にとって大切な何かを求め、必死に戦い、生き抜いた証。

「存在が——いや、意識そのものが消えてしまったら…」

「消えてしまったら……?」

「……一体、何処へ行くんだろうな」

心を失い、行く宛ても無く彷徨う誰かの“影”——ノーバディと呼ばれる者たち。

そんなノーバディが最後の最後に、本当の“最期”に行き着く場所。

そこは一体、どこなのだろうか?

「行くべき場所は、無いかもしれない」

ナミネは目を伏せながら、静かにそう言った。

ノーバディの“最期”とは、闇に消え去ることなのだろうか?

それとも、虚無へと回帰することなのだろうか?

それとも、何か別の形があるのだろうか———?

「でも、行きたい場所はある。たとえ、ノーバディであっても……」

「ああ、そうだな」

「でも、本当のところは、そんなこと……誰にもわからないと思う。私にも、君にも……」

ナミネの言葉を受けて、“彼”は小さく頷いた。

“最期”に行き着く場所——それが何処なのだろうか。

その答えは、自分が“最期”を迎える時にならないとわからないのだろう。

“彼”は赤く染まった水平線と夕陽を見比べた。

消えていった機関の者たちも、その他のノーバディたちも、“最期”に行き着く場所は今自分の目に映っているような綺麗な場所であったらいいな——と、“彼”は思った。

たとえそれが、幻想に過ぎない願いであったとしても。

「もうあいつらは消えてしまったけど……俺はあいつらを忘れない」

夕陽に照らされた“彼”の瞳は遠くを見据えていた。

フードを深く被っているのでわかりにくいが、ナミネが見た“彼”の表情は深い憂いを帯びていた。

「消えてしまっても、消えた者たちのことを俺たちが忘れなければ……」

「報われる……かな?」

“彼”は首を横に振った。

「それはわからない」

実際の所、消えてしまった彼らが、何を思っているのか。

何を願っているのか。

そんなことは“彼”にも、ナミネにもわからない。

わかるはずがなかった。

消えてしまえば、もう何かを思うことも、何かを願うことも出来なくなるのだから———。

消えるとは——“生命”を失うとは、そういうことだ。

「でも忘れさえしなければ…消えていった者たちは俺たちの記憶に残る。俺たちの記憶の中で生き続ける」

「うん。私も…そう思う」

消えていった者たちにとっての本当の“最期”とは、果たして何だろうか。

それはおそらく、彼らを覚えている人たちが彼らのことを忘れてしまった時ではないか———。

「あいつらはもう“過去”の存在なんだ。もう何かを思うことも、願うこともない。だからこうやって墓を作った。それでも………」

何があろうと、絶対に———

「俺は……忘れはしない」

「私も……忘れはしない」

一列に並んだ12個の墓標の前に立っている“彼”とナミネの間を、強い風が吹き抜けた。

自分たちの中にある“何か”を吹き飛ばそうとしているような——そんな風だった。

「……ソラはね」

「ん……?」

「忘却の城で眠りにつく前に、記憶の鎖は解けても記憶の欠片は消えない——大切な思い出は必ず心の中に残る——私にそう言ったの」

“彼”は少し驚いた表情をしながらナミネの方を向いた。

ナミネは切ない微笑みを浮かべながら“彼”の瞳を見つめている。

「あのときにソラが言ったのって……もしかしたら、こういう意味だったのかもしれない」

「……意味?」

「ソラはそう言ったことを忘れてしまっても、ソラの言葉は私の記憶の中に残っている。今も……私の記憶の中で息づいている」

“彼”は何も答えず、少しだけ複雑な表情をしながらナミネの碧い瞳を見つめている。

「記憶って……不思議だよね」

「ああ……とても不思議だ」

“彼”はナミネから視線を外し、再び水平線と夕陽を眺めた。

この場所から見渡せる景色は、本当に赤く、そして美しい。

自分とナミネが作った墓標は、仮初めのものに過ぎない。

だが、たとえそうでもこの場所に“彼ら”を葬ってやることが出来てよかったと“彼”は思った。

この街の夕陽は、どこまでも穏やかだ。

いつまでも“彼ら”のことを、優しく見守っていてくれるだろう———。

「じゃあ、俺はそろそろ行く」

「やっぱり……行っちゃうの?」

不安そうな表情でナミネは“彼”に尋ねた。

「ああ。もう……終わりにしないとな」

「……帰ってくるよね。戻ってくるよね?」

ナミネは少しだけ涙目になっていた。

“彼”はフードの下で少し困ったように笑いながら、ナミネの肩に片手を置いた。

「必ず戻るよ。約束する」

「必ずだよ……!!」

ナミネは涙声でそう言った。

“彼”は何も言わずにナミネの言葉に頷き、彼女の肩から手を離した。

“彼”が着ている黒いコートの裾が風に揺られた瞬間、“彼”の背後に闇色の穴が——闇の回廊が開いた。

“彼”はナミネに背を向けてその闇穴の中に飛び込み、姿を消した。

“彼”の姿を飲み込んだ闇穴が閉じていく様子を、ナミネは静かに見つめていた———。

終局に向かって歩む者

“彼”は闇の中を歩きながら考えていた。

自分がこれからすることは正しいはずだ。

決して、間違ってはいないはずだ。

他でもない自分自身が、この“俺”がやらなくてはならないことだ———。

迷いが無いと言えば、嘘になる。

それでも、自分には会わなければならない者がいた。

ある意味では、全ての始まりであり、そして“彼”が憎んだ人物——。

“あいつ”は、まだ生きている———。

憎い、憎い、憎い———。

その感情こそ、“彼”が歩を進める原動力となっていた。

しかし、ただ単に憎しみに駆られて動いているという訳でもない。

なぜなら、心は怒りや憎しみだけではないからだ。

かつて世界を救ったキーブレードの勇者——ソラは、ⅩⅢ機関の指導者ゼムナスに向かって、そう言い放った。

そう、心には色々なものが詰まっている。

自分にしてもそうだ。

自分の中で憎悪の炎が燃え盛っているのは、紛れもない事実だ。

しかし、そうではない温かな感情もある。

言うなれば光と闇が、彼の中で混在していた。

自分の中にある光に従うべきなのか、それとも闇に従うべきなのか。

“彼”は幾度となく考えたが、残念ながら結論は出なかった。

こういった事は、ただ考えるだけでは駄目なのだ。

だから、かつて憎んだ“あいつ”と相対すれば、その時に答えが得られると思った。

そして何より、自分の過去と訣別を果たすためには、“あいつ”と会う必要があると思った。

身体中に決意を漲らせながら進む“彼”の視界が、闇以外のものに変化した。

しかし、それは闇と大して変わりのない光景でもあった。

闇色のくすんだ空と、暗色の摩天楼が放つネオンの光。

中途半端な街灯によって照らし出された、薄暗い街並。

“彼”は、この世界特有の固い地面を踏みしめた。

そこはかつてⅩⅢ機関と呼ばれた組織の本拠地があった、狭間の辺境地——『存在しなかった世界』だった。

この世界の上空で鈍い光を放っていた『月』——即ちキングダムハーツは既に無い。

機関の指導者たるゼムナスが滅ぼされたことで、この世界には静寂が訪れたはずだった。

しかし、まだ“彼”がやらなければならないことが、この世界には残っていた。

私怨の赴くままに、かつて“彼”の運命を大きく狂わせた人物。

彼奴との決着は、付けなくてはならない———。

過去との対峙

“彼”のことを見送った後、ナミネはトワイライトタウンの幽霊屋敷の前に来ていた。

ふと気の向くままに歩いていたら、いつのまにかこの屋敷の前に立っていた。

約1年の間、自分が生活していたこの屋敷では本当に色々なことがあった——と、ナミネは思う。

もっとも、その“色々なこと”の大部分は自分にとって辛い思い出ではあるけれど——。

それでも、この屋敷を見るとどこか懐かしさが湧いてくる。

それは言うなれば、郷愁の念のようなものだった。

そんな心情を自覚している自分自身が、ナミネには不思議だった。

自分にとって、この街は故郷などではないというのに———。

ナミネは今では誰も住んでいない屋敷の中に入り、大広間から書斎へ、そして書斎から地下のコンピュータールームへ向かった。

誰も居ない、無機質な部屋。

かつて、ディズ——いや、賢者アンセムが使っていたコンピューターと、その周りにある機械が発している小さな電子音以外、この部屋には何も残されていなかった。

ああ、この部屋には本当に辛い思い出しかない———。

自分の過去を振り返って、ナミネはそう思う。

ソラの記憶の再生が上手くいかなくなった、あの頃——。

“ナミネよ。一体何をしている?おまえの役目はソラの記憶を元通りにすることだろう?”

“ごめんなさい……”

“原因不明だから仕方が無い、とでも思っているのか?甘えるな。ソラが今も眠り続けているのは誰のせいだ?”

“私のせい……です”

“自分でもわかっているのだろう?そもそもソラの記憶の鎖を繋ぎ直せないならば、おまえは正真正銘の役立たずということになるのだぞ?”

“そう…ですね……”

“存在理由の無いノーバディの分際で、しかも役立たずともなれば話にもならんな”

“すいません………”

“ふん、まあいい。なぜ記憶の再生が上手くいかないのかは私とリクで調べておく。おまえはもう部屋に戻れ”

“はい……”

自分がディズに何か言われた日は、よくリクが自分の話相手になってくれた。

けれども、それでも辛さは拭いきれなかったし、独りで泣いたこともあった———。

哀しい記憶が、ナミネの頭の中を巡る。

でも、誰よりも、何よりも哀しいのはディズ——いや、賢者アンセムその人だったかもしれない——ともナミネは思っている。

かつて一つの世界を統治し、多くの人々から尊敬され、そして慕われていた賢者アンセム。

その彼を『賢者』から『復讐者』に変えたのは、怒りと憎しみ——強烈な“負の情念”だった。

憎悪の赴くままに非道な行為を重ね、ついには心の温かさを失ってしまった、可哀相な人——。

ふとナミネはディズが使っていたコンピューターに目を向けた。

このコンピューターが今でも機能しているかどうかは分からない。

でも、このコンピューターのモニターを見ていると、様々な記憶が呼び起こされる。

ここにあるモニター画面を通して、ナミネはよく偽りのトワイライトタウンで暮らすロクサスを見ていた。

何も知らずに、ただ“普通の少年”として友達と夏休みを過ごしていた、あの頃のロクサス。

友達と一緒に笑ったり、海に行くためにアルバイトをしたり、時には友達と気まずい関係にもなったりしたロクサス。

時計台から夕陽を眺めながら、美味しそうにアイスを食べていたロクサス——。

でも、ロクサスは知りたがっていた。

自分は何者なのかという“真実”を———。

彼の心情を汲んで、ナミネはロクサスに“真実”を伝えた。

しかし、ロクサスはナミネの言葉が信じられないという顔をしていた。

その後、ソラが目を覚ます少し前に、ナミネはディズによってロクサスのもとからこの場所へと引き戻された。

その時、ナミネは今自分の目の前にあるモニターを通じて、ロクサスがもう一つの“この部屋”で、このコンピューターをキーブレードで叩き壊す場面を見ていた。

あの時は、ロクサスを見ていて涙が出た。

激情に駆られて、コンピューターを破壊したロクサス。

自分がロクサスに伝えた “真実”は、彼にとってあまりにも残酷すぎるものだった。

自分の友達も、街も、思い出も、それら全てが偽物だった。

そう悟ったロクサスは、どんな思いでコンピューターを破壊したのだろう———。

あの時のロクサスを思い出すと、胸が痛くなる。

今はもう何も映っていない、液晶がひび割れているモニター画面。

それを見つめていたナミネは、コンピューターの裏側に何か紙きれのようなものがあることに気付いた。

何らかの文章が記されている用紙のようだった。しかも、2枚ある。

ナミネはその2枚の用紙を手にとってみた。

それらの紙は少々痛んではいたが、レポート用紙であるということにすぐ気付いた。

「これは……?」

ナミネはレポート用紙の一枚を広げ、その内容を読んでみることにした。

賢者の手記

No.14:ⅩⅢ機関ロクサスを含むノーバディについての考察

今日、ようやくソラが目覚めた。

これでキーブレードの勇者であるソラはⅩⅢ機関といずれ敵対することになり、私の復讐も終焉に近づいたという訳だ。

今日まで私と行動を共にしていたリクとナミネは、私と袂を分かった。

そもそも私とリクによる協力体制はソラが目覚めるまで、という約束ではあった。

だが、リクが私のもとを離れていったのは、彼にナミネの始末を命じた私のことが気に喰わなかったためだろうか。

ノーバディとは、存在を許されない者———。

こういった私の持論が、リクには不愉快であったのだろうか。

私が命じたナミネの始末について彼が応じなかったのも、そのためだったのかもしれない。

それよりも、些か気掛かりなことがある。

既にソラへと還元され、消滅したロクサスについてである。

データによって構築された虚構のトワイライトタウンへとロクサスを転送した際、私は一計を案じた。

ロクサスが街の生活に違和感なく溶け込めるように、私は彼の過去の記憶を意図的に封印したのだ。

もっとも、機関の者やナミネが相次いでロクサスに接触した結果、ロクサスはソラの記憶が完全回復する直前に、彼自身の記憶を取り戻すに至ったのだが——。

結果論ではあるが、ロクサスが本来の自分を思い出したこと自体は、ソラの覚醒の支障となることは無かった。

しかしながら、不可解な点がある。

データで創った私の分身と対面したロクサスは、私に向かって『憎い』と言い放った。

あの時点でロクサスは本来の自分——即ち、ノーバディとしての自分を取り戻していたはずである。

理論上、ノーバディに心は無い。

その事実を否定するかのように、ロクサスは私に対する“憎悪”を剥き出しにした。

あれは、決して見せ掛けの演技ではなかったように私には思えた。

ⅩⅢ機関の主要メンバーたる『人型のノーバディ』——彼らは自らの記憶に基づいて、まるで感情があるかのように振る舞う。

しかし、あの時のロクサスが見せた憎悪の念——あれは決して偽りではなかったように思える。

確かに、ロクサスはノーバディとしては特殊な生まれ方をした存在である。

だが、それでも理論上は心を持っていないはずである。

しかし、強い心を持つ者を主として認めるキーブレードを使えたという点は、未だに謎である。

しかも、ロクサスと戦ったリクから聞いた話によると、ロクサスはキーブレードを2本同時に操っていたらしい。

いくらソラのノーバディとはいえ、心を持たないノーバディがキーブレードを——しかも2本同時に扱うことは、果たして可能なのだろうか?

一体どうなっているのだろうか?

ロクサスには、実は心があったとでも言うのか?

理論では説明できない“何か”が、ロクサスの身に起きていたというのだろうか?

そこで、私はある仮説を立ててみた。

心を持たない『人型ノーバディ』——彼らは当然、肉体と魂だけの状態だ。

しかし、闇に囚われた心が肉体を離れる際に、ある程度の『感情』が肉体の方に残ってしまうことがあるのではないだろか?

肉体を離れた『闇に囚われた心』は、無論ハートレスとなる。

ハートレスとは、言うなれば心の闇が具現化した姿である。

では、心の闇とは具体的に何だろうか?

端的に言えば、それは『怒り』『憎しみ』『嫉み』『野心』——そういった類の“負の感情”である。

以上のことから、ハートレスを生み出す媒介となり得る『闇に囚われた心』には“正の感情”——即ち、心の中の光とも言える感情——『愛』『勇気』『希望』『喜び』といった感情は含まれていないと考えられる。

では、心の中にある光の行方は?

心が闇に染まった時点で、その者の心には既に光など存在していない場合がほとんどである。

しかし、仮に“心の闇”と分離した状態の“心の光”とも呼ぶべき感情が、もしノーバディの肉体と魂の中で眠るような状態で存在しているとしたら?

その場合、ノーバディたちが心ある者のように振る舞う行為も、100%演技だとは言い切れないかもしれない。

あくまで仮説に過ぎないが、可能性はゼロではない。

もしこの仮説通りに、人型ノーバディの『感情』が、彼ら自身も知らない意識の奥に眠っているのだとしたら、私はこれまでのノーバディに対する考えを改めねばなるまい。

ロクサス——彼にはソラとしての記憶や心は無くとも、喜怒哀楽の感情はあったのだろうか?

それ故に、彼はキーブレードの所有者となり得たのだろうか?

しかし、ロクサスが消えてしまった今となっては、真実を確かめる方法はもはや存在しない。


それはディズ——いや、賢者アンセムが遺したレポートに間違いなかった。

その内容を一読したナミネは、驚きを隠せなかった。

「人型ノーバディに、感情が眠っている……?」

人の姿を留めたノーバディであるナミネにとって、それは信じられない話ではなかった。

むしろ、今読んだレポートの中に記されていたアンセムの“仮説”は正しいのではないか?

ナミネにはそう思えた。

ナミネ自身、自分に心があるかどうかは分からない。

しかし、自分は嬉しいと思うこともあれば、哀しいと思うこともある。

もしかしたら、自分の中には人並みの感情はあるのかもしれない。

それでも、自分には心があると言い切れる自信は無い。

そもそも、“心”とは何なのか?

それが分からないことには、自分やロクサス、そして今はもう消えてしまった機関の者たちの精神は説明がつかない。

ただ、それでも———

ロクサスには感情があると思うし、ロクサスを——ソラを救おうとして自分を犠牲にしたアクセルにも感情はあった。

あったはずだと、ナミネは信じたかった。

いつだったかリクが言ったように——“心が命じたことは誰も止められない”ならば——

ソラに会いたいと思って機関を抜けたロクサスにも、なりふり構わずに親友を救けようとしたアクセルにも、どんな手を使ってでも『完全な存在』になりたいと思った機関の者たちにも、実は“心”が——“感情”があったのではないだろうか?

『存在しない者』たちが、自分にとって大切な“何か”のために必死で戦い、生きようとした意志は、決して偽物なんかじゃないはず———。

ナミネはそう信じたかった。

そうでなければ、あまりに哀しすぎるから———。

“ノーバディに権利など無い”

“そもそもノーバディは存在すら許されない者”

かつて賢者アンセムがディズと名乗っていた頃、彼はロクサスにこう言った。

あの頃の自分は、自分がノーバディであるということに負い目を感じて何も言えなかったけれど、今ならば断言できる。

あの時、ディズがロクサスに言った言葉は、間違っている———。

存在してはいけない“生命”なんて、絶対にあるはずがない———。

そのようなことを考えながら、ナミネは2枚目のレポート用紙を広げた。

賢者の悔恨

No.15:“心”の本質とは何か?

前回のレポートで私は『人型ノーバディ』には感情が眠っているかもしれない——という仮説を立てた。

だが、果たして『感情』=『心』という構図は成立するのだろうか?

かつて私を無の世界へと追放し、私の名前を奪った愚かな弟子——ゼアノートを例として考えてみる。

ゼアノートのハートレスとは紛れもなく『ゼアノート自身』であり、その人格は当然『ゼアノート』のものである。

ゼアノートのノーバディである『ゼムナス』は、ゼアノートとしての記憶は残ってはいるが、人格そのものはゼアノートとは異なる。

ならば、ゼムナスが目指しているキングダムハーツとは何か?

仮にゼムナスがキングダムハーツを完成させ、“心”を手に入れたとする。

そのときゼムナスが手に入れる“心”とは元の自分、即ちゼアノートとしての『人格』なのだろうか?

それとも、普通の人間なら誰もが持っている『感情』の方なのか?

おそらく、前者の可能性は低い。

もちろん、根拠はある。

ゼアノートの『人格』——つまり、ゼアノートのハートレスは既にリクの手によって忘却の城で消滅させられている。

現在、リクの姿はゼアノートのものに変化してしまっているが、それもリクの中にわずかに残ったゼアノートの心の闇によるものだろう。

つまり、ゼムナスが“心”の集合体であるキングダムハーツと一体化することで、『ゼムナス』という存在が『ゼアノート』の人格を持つ存在へと変化する可能性は、ほとんど皆無だと言える。

ならば、やはり“心”の正体とは『感情』のことを指すのだろうか?

私は前回のレポートにて、ロクサスを例に人型ノーバディの感情の有無に関する可能性について考察してみた。

理論上は心を持たないはずのロクサスに、『感情』——少なくとも“怒り”や“憎悪”は確実に存在していた。

しかし、これでは先程のゼアノート・ゼムナスに関する考察に照らし合わせると、矛盾が生じることになる。

『心』=『感情』という構図が、成立しないことになってしまう。

やはりロクサスには、『心』や『感情』を越えた、理論では説明できない“何か”があったのだろうか?

もしや、ロクサスと同様に特殊な生まれ方をしたナミネ、さらにはⅩⅢ機関の者たちにも、理論では説明不可能な、心を越えた“何か”があるとでも言うのだろうか?

ノーバディではない私に、彼らの精神構造は完全には理解できない。

しかしながら、である。

今にして思えば、ロクサスが私に見せた“憎悪”も、ナミネが時折、私に見せた“哀しみ”も、機関のNo.8――アクセルがロクサスの“親友”であったという事実も、それら全てが肯定されるべき事象だったとしたら?

彼らが見せた“感情”が、私が組み上げた理論を越えた“何か”によるものであったとするならば、私は人間として決して許されないことをしてしまったのかもしれない。

人の姿を留めたノーバディには、生きようとする意志——生きたいという意志が確実に存在している。

心の有無はどうあれ、彼らにも“生命”はある。

ⅩⅢ機関なる集団が、世界の秩序を乱していることは間違いない。

しかし、だからと言って彼らの“生命”を一方的に奪う権利が、私にはあるのだろうか?

私にはわからない。

だが、私は私的な復讐のためにロクサスを犠牲にしてしまった。

彼の“生命”を犠牲にしてしまった。

今さら後悔しても既に遅すぎるが、今後ソラに——いや、ロクサスに会うことが出来たなら、私は彼に謝り、そして償いたいと思う。

そのときは、私の“生命”を懸けて。

ここまで記してみたが、私はNo.1~13までのレポートが正しい心を持つ者たちの手に渡ればそれで良いと思っている。

このNo.14、15のレポートの内容は、あくまで私の仮説と気持ちだけを書き綴った物にすぎない。

敢えて人目にさらす必要もないだろう。

後ほど、何処かに放棄・処分しよう——。


ナミネは屋敷の2階へと上がり、かつて自分が使っていた白い部屋のカーテンを開けた。

大きな窓から見える夕陽はとても穏やかで、どこか切ない気持ちにさせられる。

テーブルの上には、ナミネが地下で見つけた2枚のレポート用紙が置かれている。

あのレポートを読んだ限りでは、やはり賢者アンセムはロクサスに対して自責の念を抱いていたのだろう。

ナミネは白いテーブルの脇にある椅子に座った。

今まで、このテーブルを挟んで色々な人と、色々な話をした。

リクとは、なぜ自分はノーバディとして生まれてしまったのか——という話をしたことがあった。

ロクサスとは、彼の “真実”について、そして、ソラが目覚めたらロクサスはどうなってしまうのか——という話をした。

もっとも、あれは正確には、この部屋とよく似た別の場所だったけれど———。

それでもディズとは、いや賢者アンセムとは、この部屋でテーブルを挟んで話をしたことは一度もなかった。

私は、自分の考えを悔い改めた貴方と、一度お話してみたかった———。

この部屋の真っ白な壁には、以前ナミネが描いたスケッチがいくつも貼り付けられている。

ソラ、リク、カイリが故郷の島で遊んでいる絵。

互いに食べさせあった者は、必ず結ばれるという伝説があるパオプの実の絵。

忘却の城で機関の者によって創造され、そして消えてしまったリクの“複製レプリカ”の絵。

機関に所属している人たちの絵。

ロクサスとアクセルが並んで立っている絵。

機関を抜けたロクサスが知らない場所を走り抜けている絵。

ソラとロクサスが手を繋いでいる絵———。

ナミネは部屋にあるスケッチブックとパステルで、ある人物の顔を描き始めた。

あまり近くで見たことはなかったので、その人の顔を、それも笑顔を描くのは、スケッチを得意としているナミネにとっても一苦労だった。

あの時——『存在しなかった世界』で、闇夜に浮かぶキングダムハーツが砕け散る直前——。

物陰に隠れながら、ナミネは初めてディズ——賢者アンセムの素顔を見た。

そして、あの人がソラに——ソラに戻ったロクサスに謝る場面も見ていた。

その声も、少しだが風に混じって聴こえていた———。

あの人は確かにこう言った——“すまなかった”と——。

ナミネはパステルを置き、完成した絵を眺めた。

あまり似ていないかもしれないけれど、そこは別にいいかな、とも思う。

ナミネは椅子から立ち上がり、白い壁の空いているスペースにその絵を貼り付けた。

穏やかに笑う“賢者アンセム”の絵を———。

絵を貼り付けたナミネは、再び窓から夕陽を眺めた。

人も、ノーバディも、みんなこの夕陽のように穏やかになれたらいいのに——。

頭では叶わぬ想いであると理解しつつも、ナミネはそう願わずにはいられなかった。

“生命”の痛みは、何よりも痛いと思うから。

ナミネは悲哀に満ちた表情で、赤く染まった空に祈る。

今頃、“彼”はどうしているのだろうか?

“決着”を付けている最中なのだろうか?

それとも、もう———?

“彼”は終わりにすることが出来たのだろうか?

決着を付けることは出来たのだろうか?

それ以前に、“彼”は一体どのような形で“決着”を付けようと考えていたのだろうか?

“彼”は、自分の過去と決着を付けたいと言っていた。

でも、具体的に何をするのか——ということについて、ナミネは聞かされていなかった。

存在してはいけない“生命”なんて無い——それは“彼”もよく分かっているはずだ。

でも、何か胸騒ぎがする。

ナミネは夕陽の光を遮るように窓のカーテンを閉め、テーブルにスケッチブックとパステル、そして2枚のレポート用紙を置いた。

そして、着の身着のまま白い部屋を出て、“彼”が今いるであろう世界へと向かった———。


訣別の刻(中編)へと続く

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