夜明けの道を歩む者-Riku-

キングダムハーツ(シリアス系)

狭間の世界

闇が、俺を導いてくれる。

口で言うのは簡単だけど、それはとても難しいことだ。

闇を身に纏い、それでいて闇に囚われることもなく、光を見失わずに歩き続ける。

俺は今、ナミネとディズと一緒に薄暗い道を歩いている。

俺だけが機関の連中と同じ服を着て。

忘却の城での一連の出来事は、俺にとって一生忘れられない記憶になるだろう。

多分だけど、ナミネにとっても。

「ディズ、これからどうするんだ?いや、そもそもこの道は何処に続いてるんだ?」

「この道は君が選んだ道だろう?今さら不安になったのか?」

確かに、この狭間の道を歩むことを決めたのは俺自身だ。

しかし、それとこれとは話が別だ。

「俺は、具体的な行き先まで考えていたわけじゃないしな」

「私には、君がその服を身に付けていること自体が、君にとっての行き先に思えるが」

俺が着ている機関の黒いコート。

ディズは似合っていると言うし、ナミネには似合わないと言われた。

一体どちらなのだろうか。

「俺がこの服を着ているのは、あんたが“協力”して欲しいと言ったからなんだぞ」

記憶の鎖を解かれて眠っているソラを目覚めさせるために、ディズは俺とナミネに“協力”してほしいのだそうだ。

ナミネは『ソラの記憶を書き換えたことを後悔している』と言わんばかりの表情だ。

ナミネがディズのような得体の知れない男に“協力”するのは、ソラに対する罪悪感からなのだろうか。

「ところで、ナミネよ……」

ディズがナミネに尋ねた。

「ソラ記憶の鎖を繋ぎ直すまで、時間はどのくらいかかる?」

「具体的には、まだ何とも言えません。ただ、時間がかかるとしか……」

「曖昧な答えだな……」

ディズが小さな声で、そして吐き捨てるように言った。

ナミネは相変わらず所在無さそうにしている。

重い空気に耐え切れずに、今度は俺が口を開いた。

「なあ、ディズ。いい加減俺たちが何処に向かっているのか教えてくれないか?」

ディズが言うには『ソラが安全に眠っていられる場所』らしいのだが、俺とナミネにとってはただそれだけの情報でしかない。

「狭間の世界に属するトワイライトタウンという街だ。そこに私の隠れ家がある。そこにソラを移すというわけだ」

トワイライトタウン——トワイライト——『黄昏の街』か。

「やはり、狭間の世界というのは存在するんだな?」

「ああ。ただしトワイライトタウンは位置付け的には光に近い。時計台からの眺めは一見の価値ありだぞ」

まるでガイドのような口振りだが、冗談のつもりなのだろうか?

それとも、案外本気で言っているのだろうか?

「君も忘却の城で訪れただろう?私が君に正体を明かした場所だ」

「……ああ、あの夕暮れの街か」

「あの…ディズ……さん」

今度はナミネが口を開いた。

「…“ディズ”で構わん。何だ?」

ナミネに対するディズの態度は妙に冷たい。

そのように思うのは俺の気のせいだろうか?

「トワイライトタウンという街は、ソラの心の“裏側”が知っている街だと機関の人たちが言っていました。心の“裏側”って……どういうことなんですか?」

「おまえと同じだ」

「………え?」

ナミネは訳がわからないと言った顔をしている。

全く、この男の物言いは謎だらけだ。

ワザとなのだろか。

「ナミネよ。おまえがそんなことを考える必要は無い。おまえはこれからソラの記憶の鎖を繋ぎ直すことだけを考えていれば良い」

「……はい。すいませんでした」

別にナミネが謝る必要は無いと思うのだが、ここは黙っておいたほうがいいだろうか。

「さて、リクよ。君はこの道を選ぶとき“夜明けの道”と言ったな?」

「ん?ああ、そうだな」

「君は、なぜ“夜明け”という言い方をしたのかね?」

「さあ、どうしてかな」

「私には言いたくないのか?」

「そんなところだ。悪いな」

この男は、本当に得体が知れない。

ソラのことで“協力”はするが、俺の本心まで全部話す必要は無いだろう。

「俺のことよりも、ディズ。さっきトワイライトタウンは光に近い……とか言ったよな」

「それが何か?」

「何かと言われてもな。狭間の世界にも、何か種類みたいなのがあるのかと思ってな」

「まあ、あると言えばあるが……」

「例えば?」

「トワイライトタウンは狭間の中でも光寄りにある世界だ。その逆に、闇に近い狭間の世界もある」

「闇に近い狭間……それはもしかして……」

「それが、ⅩⅢ機関の本拠地がある世界だ」

忘却の城で戦った、機関と呼ばれる組織の者たち。

奴らは、闇に近い狭間に生きる者たちということか。

「そろそろ到着だ」

そう言えば、この道を歩き出したときより空が幾分明るい。

まるで……そう、黄昏色だ。

「きれい……」

ナミネがそう呟いた。

「ナミネは夕暮れの空を見たことがないのか?」

「忘却の城で見た景色は全部……ニセモノだったから。本物の夕焼けを見るのは……初めて」

ナミネの青い瞳が、赤い夕陽の光を受けて輝いていた。

ナミネの瞳はカイリによく似ていて……俺もどこか懐かしい気持ちになった。

子供の頃から見慣れた、島から見た景色。

「確かに……きれいだな」

ナミネが隣にいると、カイリが隣にいるような感じがして、ひどく落ち着いた気分になる。

カイリ——元気かな。

「……到着だ。二人ともご苦労だったな」

目の前には黄昏色に染まった街。

かなり大きい街だと俺は思う。

少なくとも、俺の故郷の島にある街よりは。

「わあ……!」

ナミネもはしゃぎ気味だ。今までずっと忘却の城に閉じ込められていたのだ。

自分の目で本物の“街”を見るだけでも大感激なのだろう。

「すごいきれいな街……!人もたくさんいる……!」

まるで籠から出された鳥だ。

ナミネが初めて見る街の景色がこの街でよかった——などと柄にもなく俺は思った。

「私の隠れ家は街外れの森中にあるが……どうだリク?取り敢えず私と街の見物でもしてみるか?」

「……あんたと一緒にか?」

「私と一緒に街を歩くのは嫌なのか?」

ナミネはともかく、さすがに紅い包帯で顔をグルグル巻きにしている男と街を歩くのは気が引けた。

「悪いけど、遠慮しておくよ」

「では、さっさと私の隠れ家に来るか?」

「いや、街の見物はしたい」

「……要するに、私の案内は君には必要ないということだな?」

「まあ、そんなところかな」

しまった。

つい本音が出てしまった。

「……では、私は先に屋敷に戻ってソラの復活の準備を進めておく。ナミネのお守りは君に任せる」

「あ、ああ……」

俺がそう答えると、ディズは隠れ家である屋敷とやらへ歩いていった。

「あれ?ディズは?」

ナミネも街に見とれてないで、ディズにフォローの一つでも入れてやればよさそうなものなのだが。

きっと、そこまでは気が回らなかったのだろう。

「先に隠れ家の屋敷に戻ったよ。俺とナミネは、街を散歩してから来いだってさ」

「え、本当に!?リク、あの人結構いい人だね!」

ナミネもナミネで、随分と鈍いところがある。

顔や雰囲気だけじゃなくて、こういう所もカイリに似ている気がするな。

一通り街の中を歩いてみた後、俺とナミネは海岸でアイスを食べていた。

ナミネの白いワンピース姿は海辺の景色によく似合っていると思うけど、俺の黒いコートは絶対に海には似合わない。

自分でもそう思うくらいだ。

でも、狭間の道に足を踏み入れた以上、それは仕方ない。

光にも闇にも属さない者が纏う服。

そして、俺がこれからやるべきこと。

ディズへの“協力”と、それから———。

「……アイスって、おいしいね」

ナミネは嬉しそうに、そして何処か切なそうにしてアイスを舐めている。

「アイスを食べるのも初めてか?」

「うん。初めての味。甘くて、ちょっとしょっぱくて、とてもおいしい……」

トワイライトタウンの隠れた名物と呼ばれる、シーソルトアイス。

なるほど確かに、これは美味いと思う。

「ねえ、リク」

「何だ?」

「リクは、ソラが目を覚ます手助けをしたいんだよね?」

「まあ、そうだな」

「ソラが今眠っているのは、私がソラの記憶の鎖をバラバラにしてしまったから…っていうのも知ってるよね?」

「……ああ。ディズから聞いた」

この子——ナミネは、記憶を操る魔女。

そして、忘却の城に居た機関の連中と同じ“存在しない者”。

ディズからはそう聞かされていた。

見た目は、至って普通の女の子にしか見えないのだが。

「リクは私のこと、怒ってる……?」

ナミネは俯きながら言った。

「ソラの記憶を勝手に書き換えたことは、確かに許せない。でも、ナミネだけが悪いわけじゃないし、ナミネはその償いをこれから果たそうとしている。だったら、俺はそれでいいさ」

「……怒ってないの?」

「怒ってないって言うより、怒れないというか……だって、今ナミネに文句を言っても仕方ないだろ?」

そんなことよりも、今の俺にはやるべきことがある。

「だから、別にいいさ」

「ごめんなさい。あなたにも、ソラにも……」

「俺のことはもういいから。アイスも食べ終わったし、そろそろ行こう」

「……うん」

俺とナミネは海岸を後にして、街外れの幽霊屋敷——ディズの隠れ家へ向かった。

屋敷に続く森の中を歩いているとき、リクはナミネの肩が僅かにではあるが、確かに震えていることに気付いた。

「ナミネ?どうしたんだ?」

「ううん……何でもない」

俺には“何でもない”ようには見えないんだけどな。

「寒いのか?」

「そういうわけじゃないんだけど…怖くて……」

「怖い?……俺が?」

「ううん、リクじゃなくてあのディズって人……」

屋敷に近づくにつれて、ナミネはディズのことで不安になってきているようだ。

「あの人の雰囲気……特に目とか……私のことをすごく冷たい眼で見るから……それが怖くて……」

突然、リクがナミネの手を握った。

「……リ、リク?」

「こうしてれば怖くないだろ?俺はナミネの友達だから、ナミネが困っているときは、ナミネのことを助ける。それで良いだろう?」

「と、友達って、でも……」

「ナミネは、俺とは友達になりたくない?」

「え、でも……私はノーバディだし、魔女だし……」

「そんなことは関係ないさ。ナミネはずっと独りで、友達がほしくて堪らなかったんだろ?」

「そうだけど……」

ナミネにとって、初めての友達はソラであった。

だが、実際に『友達付き合い』をするのは、今回が初めてであった。

「ソラは……」

「………?」

「いつも後先考えずに行動して失敗して、そのくせ単純でお人好しだ」

「……うん」

「でも、あいつは困っている友達を見捨てるようなことは絶対にしない」

「……そうだね」

「俺はソラみたいにはいかないけど、誰かに怯えてる友達の力になることくらいならできる」

リクは強い眼差しで前を見ながら言った。

ナミネはリクの横顔を見つめている。

「大体、ナミネが魔女なら、俺は闇男だ。昔も、今も、そしてこれからも……」

俺は、かつて闇に負けた。

でも、その後で俺は自分を取り戻した。

俺の心は闇に打ち勝った。

闇を、自分の力にした。

「俺が闇に囚われずに今の道に踏み出せたのは、ナミネのおかげでもあるんだ。ナミネは、闇が俺を導いてくれるということに気付かせてくれた」

「…………」

「だから、ナミネは俺の友達だ。魔女だとか、ノーバディだとか……そんなことは関係ない」

「……うん。ありがとう、リク」

リクとナミネは手を繋ぎながら再び幽霊屋敷に向かって歩き出した。

三者三様の同盟

幽霊屋敷の扉をくぐると、大きな広間があった。

柱や壁に所々傷が付いているところを見ると、この屋敷自体かなり古いものなのだろう。

「待っていたぞ」

大広間でディズがリクとナミネを出迎えた。

「街の見物は済んだか?」

「ああ、いい街だな。景色も綺麗だし。なあ、ナミネ?」

「……うん。アイスもおいしかった」

ナミネは遠慮しがちに言った。

ディズに対する漠然とした恐怖や不安がまだ消えていないのだろう。

「ソラは既に私が闇の回廊を使って地下の施設にポッドごと移しておいた。安心していい」

「闇の回廊?何だそれは?」

リクは怪訝そうに言った。

「そのことを含めて、今後のことを説明したい。二人ともこっちへ来てくれ」

リクとナミネはダイニングのような部屋に案内された。

部屋の中央に大きな壊れかけのテーブルがある。

リク、ナミネ、ディズはそのテーブルを囲むようにして椅子に座った。

「まずソラのことだが、取り敢えずこの屋敷にいる限りは安全だ。この場所はⅩⅢ機関にも知られていていないからな」

「あんたとⅩⅢ機関の関係は?」

「因縁の相手……とでも言っておこうか」

ディズはⅩⅢ機関と敵対する立場にある。

それは理解できた。

しかし、それがソラを復活させることと、一体どう関係があるのだろうか。

「俺とナミネは、あんたがソラを復活させることに協力する。今のところ、俺達の目的は一致しているからそこに異論は無い。でもわからないのは、あんたがソラを復活させたい理由だ」

自分とナミネとは違って、ディズはソラとは赤の他人のはずだ。

仮に二人の間に面識があったとしても、ただの知り合いをここまでして手助けしようとするだろうか?

「理由か。私にはⅩⅢ機関を倒す人間が必要だから……とでも言っておこう」

「ソラが目覚めた後は、ソラを利用するつもりでいるってことか?」

「“利用する”とは言葉が悪いな。だが、私はそう解釈してもらっても構わない」

ここまで言うからには、ディズとⅩⅢ機関の間には相当深い因縁が有るのだろう。

しかし、ディズの話を聞いてもリクの決意が変わることはなかった。

「取り敢えず、俺達の協力体制はソラが目覚めるまで。そういうことでいいな?」

「ああ、私はそれで構わない」

「ナミネも、そういうことでいいよな?」

「……うん」

ナミネもリクに向かって小さく頷いた。

「よし、決まりだ」

その日からリクとナミネ、ディズの三人での生活が始まった。

リクが機関の者たちと同じ服装をしているのは、ある理由があった。

理由——つまり、『ⅩⅢ機関』と呼ばれる組織の動向を探るためだ。

ディズへの“協力”という意味合いもあるが、何よりリク自身、機関に対する興味があったからだ。

忘却の城で自分と敵対した“誰でもない者”たち。

しかし、リクが初めて対峙した機関のメンバーであるヴィクセンは“自分達とおまえは似ている”と言った。

それは“存在しない者”であるノーバディと、リクとの共通点を示唆した言葉だった。

両者に共通しているのは、闇の力を操ることが出来るということ。

そして、闇に囚われずに、光と闇の中間に身を置いているということ。

あのときは“おまえは闇から逃れられない”と言われたと思って、腹が立った。

でも、今は違う。

俺の中には光と闇がある。

光を怖れることなく、そして闇に怯えることもなく。

それこそ、俺が忘却の城で見出だした真実であり、その真実は俺の力になる。

では、あの機関のメンバーたちはどうなのだろうか?

ディズが言うには、奴らは心を持たない“脱け殻”らしい。

ノーバディと自称する彼らだが、『心を持たないノーバディ』=『闇の力を操る者』ということになるのだろうか?

今、リクが機関の黒いコートを纏っている理由はまさにそこにある。

自分と機関の者達は同類なのか?

あるいは、非常に似通った別の存在なのか?

それをリクは知りたかった。

何より、機関という組織自体が謎に包まれている。

組織としての目的・構成員・忘却の城で自分を付け狙った理由——。

今の所、機関そのものが自分の敵なのかは正直わからない。

その善悪も含めてだ。

いや、少なくとも自分が忘却の城で遭遇した機関のメンバーからは、多かれ少なかれ『悪意』が感じ取られた。

だからと言って、自分の心の中に宿ったアンセムのように、『絶対悪』的なものとして決め付けるにはまだ早いとリクは思っていた。

真実を知るために、リクは彼らに扮して色々な調査に踏み切ろうと思った。

ナミネとディズがソラの記憶を再生させる作業を手伝う一方で、機関の実状を知るために行動を開始したのだ。

ある日、リクはナミネに尋ねてみた。

「ナミネも、一応ノーバディなんだよな?」

「一応、じゃなくて本物のノーバディだよ」

「でも、ナミネには心があるんだよな?」

「そんなこと……ないと思う」

確かに、心の有無は外見からは判断できない。

しかしリクは、ナミネには心が、感情があると信じて疑わなかった。

もしナミネに心が無いならば、彼女が時折見せる哀しい表情は何だと言うのだ。

自分の心が、ナミネの心を感じている。

それは、決して理屈じゃない———。

ノーバディの“最期”とは

トワイライトタウンの屋敷を拠点に動き始めてから、既にかなりの時間が経った。

そろそろ1年程になるだろうか。

それでも、リクの中にある疑問は大きくなるばかりだった。

機関のこと。世界のこと。ノーバディのこと。ハートレスのこと。

そして——ナミネのこと。

地下のコンピュータールームのモニターに映し出されたソラの姿。

自分もソラも、この1年で随分と背丈が伸びたと思う。

しかし、ソラは眠ったままだった。

「リク?」

ナミネがポッドルームに繋がっている通路から現れた。

「今日もソラの記憶の鎖を直しに?」

「うん。でも……やっぱり上手くいかない」

実はここ最近、ソラの記憶の再生が上手くいってなかった。

ナミネが言うには、ソラの幼少期前後の記憶は既に再生が完了しているが、ソラがキーブレードを手に入れて旅に出るあたりからの記憶の再生が上手くいかないらしい。

原因は、不明だった。

「ごめんなさい、リク……」

「ナミネが謝ることないさ」

リクはナミネの肩に手を置きながら言った。

「わからないことを調べるのが、俺の仕事さ。少し顔色も悪いし、取り敢えず今日はもう休んだ方がいい」

「……うん。ありがとう、リク」

コンピュータールームから出ていくナミネの後ろ姿は、ひどく疲れているようにリクには見えた。

『友達』の記憶を上手く繋ぎ直せない焦りからか、それとも罪悪感からか、あるいはその両方がナミネを苦しめているのだろうか。

ある意味、見ているほうが辛い。

「あれに同情しているのか?」

いつの間にか、ディズがリクの背後に立っていた。

「せめて、名前で呼んでやったらどうだ?」

「本人が居ない場では、別に構わんだろう?」

低く響く声でそう言うと、ディズはモニターの前の椅子に座った。

「今日の回復率もほとんどゼロか。“記憶を操る魔女”が聞いて呆れるな」

「ディズ。ナミネもナミネなりに努力しているんだ。いくら彼女が居ない場だからといって、そこまで言わなくてもいいだろう」

「ナミネも所詮、ノーバディだ。私や君のように闇の力を操ることは出来ても、肝心の心は無い」

「俺はそうは思わない」

リクは少しだけ声を昂ぶらせて、モニターの前に座るディズに歩み寄った。

「人の姿を留めたノーバディ——例えば、機関のメンバーは過去の記憶に基づいて心がある“演技”をしている。それがあんたの推論だったよな」

「推論と言うよりは結論と言った方がいいな。実際、そうでなければ奴らは『人』としての姿を留めておくことすら出来ない」

「……その証拠は?」

「簡単なことだ。とりわけ強い心を持つ者がハートレス化するとき、機関の構成員のような『人型ノーバディ』が生まれるケースがある。ここまでは君も知っているな?」

「ああ」

光でも闇でもない、曖昧な立ち位置に居る者達。

もっとも、今では自分も彼らと似たようなものだが。

「さて、生命を構成する三要素として、心・肉体・魂がある。奴等は肉体と魂だけの状態だが、通常のノーバディ——例えばダスクのように、時間が経てば闇に溶けてしまうということはない」

「確かに、機関の連中が自然と闇に溶けてしまうというようなことはないよな……」

「そう、ないのだ。奴等は脱け殻に過ぎないが、それでも消えたくないという本能があるのだろう。だから自らが生き長らえるために、肉体と魂に残った記憶を頼りに“人間らしく”振る舞うことで、生命の『消滅』=『死』を遠ざけている、という解釈も可能だ」

「善くも悪くも、強い意志が無ければ機関の人間は人の姿を保てずに闇に溶ける。そう言いたいのか?」

「もしくは通常のノーバディに成り下がるか、だな。何れにしても、君が言うところの強い意志——まあ、ノーバディの思考が『意志』と言えるのかは判然としないが、奴等の『生きる意志』の源は記憶というわけだな」

「しかし、ナミネには過去の記憶は無い。あんたの理論が正しいとするならば、ナミネはとっくに闇に溶けてしまっているはずだ。それ以前に、あんな哀しい表情を演技で出来るはずが無い」

リクがナミネの名前を出した途端、ディズは興味が無さそうにコンピューターのキーボードを叩き始めた。

「記憶と心の関係は実に複雑だ。だが、他者の記憶を操る能力を備えている点だけを見ても、ナミネは明らかに普通の人間とは異なっている。しかも、闇の回廊を通っても何の影響も受けない」

闇の回廊——全ての世界へと通じている闇の通り道。

自分も何度かその道を通ったことがある。

心ある者が闇の回廊を通るとき、その者の精神は闇に蝕まれてしまう——。

それはリクにとっても既知の事実だった。

「確かに、ナミネはノーバディだ。ナミネもそれを自覚しているし、俺自身、あんたの言い分が信じられないってわけじゃない。しかし……」

「先程も言ったがナミネもノーバディである以上、心は無い」

カタカタ、とキーボードを叩くディズ。

部屋全体に響くその音が、ひどく虚しくリクには感じられた。

「“心は”な」

ディズは独り言のように呟いた。

「………え?」

「どうしてもナミネに心があると思いたいなら、それはそれで構わん。だが、同情だけは禁物だぞ。ノーバディであるナミネは遅かれ早かれ、消える運命にある」

ノーバディは存在してはならない者。

それは即ち、遠くない未来に消え去るべき存在だとも言える。

「ナミネに限らず、ノーバディが最期に行き着く場所は全て同じなのだよ」

リクは虚脱感のようなものを感じながら、屋敷の渡り廊下を歩いていた。

つい先ほど、ディズが言った言葉が耳に残っていた。

ノーバディが最期に行き着く場所。

最期———。

ソラが目覚めたら、おそらくあいつは機関と戦う道を選ぶのだろう——と、リクは思っていた。

機関の者達が求めているのは、人の心が織り成すキングダムハーツ。

ここ1年で自分が機関について調査した結果、そう確信した。

そしてディズも、機関の者達が心を得るためにキングダムハーツを目指していると言った。

ノーバディを従え、ハートレスを操り、世界各地で暗躍する機関の行為は明らかに世界の秩序を乱すことに繋がる。

キーブレードの勇者であるソラは、世界を乱す者達と敵対する立場にある。

それ以前に、ソラの性格からすれば平和に暮らしている人たちを勝手にハートレス化させ、その心を集めるという機関の行為は、それだけで十分許せないものと感じるだろう。

ソラが全てのノーバディを敵とみなすなら、ナミネはどうなるんだ———?

気が付くと、リクはナミネの部屋の前に立っていた。

トワイライトタウンは一日中夕暮れの街だが、一応今は夜の時間帯だ。

ナミネは疲れが溜まっている様だったし、もう眠っているかもしれない。

リクはドアをノックしてみたが、中からの返事は無かった。

ナミネはもう休んでいるんだろう。

そう判断したリクは、その場から立ち去ろうとした。

別に、今すぐナミネに訊かなければならない——というようなことではなかったからだ。

しかしながら、リクの予想は外れた。

「……リク?」

ナミネの声がして、リクはハッと顔を上げた。

いつの間にかドアの隙間からナミネが顔を出していた。

「リク?どうしたの?」

「いや、特に用があったわけじゃないけど、まだ起きてるかと思って……」

最期に、行き着く場所———。

ディズの声が頭の中でリフレインした。

「あのね、リク。私、今日は何だか眠れなくて……。ちょっとだけ、お話しない?」

「……ああ、いいよ」

ナミネはリクを自室に招き入れた。

白い壁のあちこちに、ナミネが描いたであろうスケッチが貼り付けられている。

「座って」

部屋の中央にある白いテーブルを挟んで、リクはナミネの向かいに座った。

「毎日、大変だな」

「え………?」

「この部屋と、地下のポッドルームを行ったり来たりして」

「だって、ソラと“約束”したから」

“約束”——ソラは覚えているはずもないのに。

いや、だから——か?

「辛くはないのか?」

「そんなことないよ。それよりも、嬉しい。私なんかが役に立っているんだから」

ナミネの顔を見て、嘘を吐くのが下手な子だと思った。

言っていることと表情(かお)が矛盾している。

微笑んではいても、哀しみが滲み出ている。

「でも、最近はソラの記憶の再生が上手くいってないし、私……役立たずだね」

「だから、それはナミネの責任じゃないって言っただろ」

「そうだとしても、今の私が役立たずなのは本当のことだし……」

「ディズにそう言われたのか?」

ナミネは何も答えず、下を向きながら微笑んだままだった。

図星か——リクは即座にそう思った。

「もし………」

「………?」

「もし、ソラが目を覚ましたら、ソラは私のことを消そうとするのかな」

「ナミネ、それは——」

「だって、ノーバディは存在してはいけないから。ソラが機関の人たちと戦うことを選んだら、やっぱり私もソラの敵ってことになっちゃうのかな」

「…………」

「でも、ソラならいいかな。ソラのキーブレードで私を——私の罪を……断ち切ってくれるなら……」

「そんなことは俺がさせない。あいつ、単純だからな。ナミネはソラの敵じゃないって俺が説明すれば、それで大丈夫さ」

「……優しいね、リクは」

ナミネはくすっと笑った。

「そんなことしたら、リクまで悪者になっちゃうよ?“どうしてノーバディを庇うんだ”って、ソラや、他の人たちにいわれちゃうよ?」

「もしそんなことになったら、ソラと戦うさ。今回ばかりは、俺の方が絶対に正しいと思うしな」

「そんなの、絶対に駄目」

ナミネの落ち着いた、それでいて芯の強い口調に押されて、リクは口籠もった。

「リクは優しいから、私のことを心配してくれるけど私は大丈夫だから。途中で逃げたりしないから」

逃げたりしない。

それは、自分が消えることを拒みはしないという意味なのかだろうか。

しばらくの間、部屋全体に重苦しい空気が流れた。

数分か、数十分か、もしくはそれ以上の時間が経っただろうか。

二人はお互いに無言で向き合ったままだった。

やがて、ナミネが消え入るような小さい声で言った。

「私……なんで生まれちゃったのかな」

ノーバディが最期に行き着く場所。

それは———完全なる“無”ではないか。

リクはそう思っていた。

「どうせ、闇に消え去る運命なのに……」

「もういい、ナミネ。もうそれ以上、自分のことを貶めるな」

ナミネは何も答えなかった。

「ナミネが消えるべきだなんて、俺は少しも思っていない。ナミネが存在してはいけないなんてことは絶対にない」

「リク……」

「俺たち、友達だろう?」

「うん。ありがとう、リク……」

おやすみ、と言ってリクはナミネの部屋を出た。

ノーバディではない自分には、ナミネにどんな慰めの言葉を言えば良いのか、よく分からなかった。

機関に利用され、ソラには存在そのものを忘れられ、今はディズに利用され——。

そして、ソラが目覚めた後は、行き場所さえも無くなる。

他人に利用するだけ利用され、用済みとなったならば闇に消える。

“私……なんで生まれちゃったのかな”

生への希望も見出だせないナミネ。

彼女が何のために生まれたのか、リクにもわからなかった。

ただ一つわかっていることは、自分ではナミネのことを真に救ってやることは出来ないということだけ。

1年前、自分はカイリを救えなかった。

その時と同じように、今度はナミネを救ってやることも出来ないのか?

無力感に打ち拉がれながら、リクは自室へ向かった。

白い部屋からリクが出ていった後、ナミネは独りで、静かに泣いていたことをリクは知らない———。

かつて失ったキーブレード

翌日、リクは何気なくトワイライトタウンの海岸を歩いていた。

一人で物思いに耽りたくなった時、リクはいつもこの海岸に来ていた。

水平線まで赤く染まった海。

ふと故郷のデスティニーアイランドを思い出した。

カイリは元気だろうか。

ティーダにワッカ、セルフィはどうしているだろうか。

父さん、母さんは何を思っているだろうか。

あの夜、自分はあの島に住む全ての人たちを犠牲にした。

外の世界に行きたいと願う自分自身の心が、島全体を飲み込むほどの闇を呼び寄せた。

しかし、今にして思えば不可解な点も少なく無い。

なぜ、外の世界に行きたいと願ったことが、闇を呼び寄せる結果に繋がったのだろうか?

“イカダでどこまで行けると思う?”

“さあな。駄目だったら、また別の方法を考えるさ”

いざイカダで出発と意気込んだ矢先、“別の方法”で外の世界に行けるとは思いもしなかった。

しかも自分の心の闇が原因で。

全く、皮肉な話だ。

“恐れていては何も始まらない。闇を恐れることはないんだ!!”

確かに、自分はそう言った。

でも、なぜ自分はそんなことを言ったのだろう。

もうあの時点で、自分は闇に囚われていたのだろうか。

心の中に、光は無かったのだろうか。

後から聞いた話だが、自分が闇に包まれて姿を消した直後に、ソラはキーブレードを手に入れたらしい。

自分はいつでもソラより上だって思っていたのに——。

そんな思考の積み重ねにも飽きて屋敷に戻った後、リクは地下のコンピュータールームに向かった。

ディズがいつものように一定のリズムでキーボードを叩いている。

「今日は散歩の日だったかな?」

「少し、昔のことを思い出してな」

カタカタ、カタカタ、と響く無機質な音。

何となく居たたまれなくなって、リクは以前から抱いていた疑問を口に出してみた。

「キーブレードはなぜ持ち主を選ぶんだ?」

「唐突な質問だな。大体、キーブレードの勇者でもない私に訊くようなことかね?」

「あんたは色々と知ってるからな」

キーボードを叩くのを止めて、ディズはリクの方を向いた。

「キーブレードにも、持ち主の好みがあるのではないかね?」

「俺は真面目に訊いているんだ。冗談はよしてくれ」

「何も冗談で言っているわけではない。キーブレードには、何らかの意志のようなものがあるのだろう」

「キーブレードに……意志?」

「すまないが、キーブレードに関しては私もよく知らん。かつて旧友とキーブレードについて語り合ったことはあるが……そうだ、以前——と言っても10年以上前だがキーブレードに関する文献を読んだことがあったな」

「そこには、何が記されてたんだ?」

「確か“キーブレードを持つ者が平和をもたらすとは限らない。逆に世界を混沌をもたらす可能性もある”と。つまり“扱う側”の問題だといった趣旨のことが書いてあったと記憶してるが………」

“扱う側”の問題か。

なるほど確かに、自分にはキーブレード使いとしての資質はあった。

自分が島に闇を呼び込んだあの時、本当はソラではなく、闇を呼び寄せた自分がキーブレードに選ばれるはずだった。

そうであるにも関わらず、偶然か、必然か——キーブレードはソラの手に渡った。

あのとき自分が呼び寄せたキーブレードは、心の闇を放っていた自分よりも、心の中の光を信じるソラを選んだんだろうか———?

「光を信じる者であろうと、闇を纏う者であろうと、真に強い心の持ち主がキーブレードを手にするのだろうな」

「何れにしても、ソラの手に中にキーブレードがある以上、俺がキーブレードを手にする日は二度と来ないか……」

自分は、いつでもソラより上だって思ってた。

でも、本当はそんなことはなかった。

自分勝手で個人的な、ただの思い上がりだった。

「いや、そうとも限らないぞ」

「……どういう意味だ?」

「キーブレードは複数存在する。君は1年前、王とソラが2本のキーブレードでキングダムハーツの扉を閉める一部始終を見届けたはずだ」

「あんた、そんなことまで知っていたのか。感心するのを通り越して、少し気味悪いな」

「何を言われようと私は構わないがね。さて、リクよ。君は心の中に巣食うアンセムと決着を付けた。その経験によって、君の心は闇に囚われないほどに強くなった。それほどの強い心の持ち主のもとに、今後一切キーブレードが現れないかと言えば、そうでもない」

「そうでもない……のか?」

「キーブレードが複数存在するのは事実だからな。可能性は無きにしも非ず、ということだな」

「別に、俺はキーブレードの勇者になりたいわけじゃない。あんたにキーブレードのことを尋ねたのだって、真実を知りたいから……ただそれだけだ」

1年前の自分はソラへの子供じみた嫉妬心と、本来のキーブレードの所有者は自分だというマレフィセントの甘言に負けて、ソラを最悪の形で裏切ることになった。

結局のところ、自分の手でカイリを救うことも叶わなかった。

「リクよ。先に言っておくが、仮に今キーブレードが君の手元にあったとしても、ナミネの運命が変わるわけではないぞ」

それはリクにとって、意表を突く発言だった。

心の裏をかかれたような感じがした。

「……ナミネのことは、何も言っていないだろ」

「私には、君は力に飢えているように見える」

リクを見据えるディズの眼は、いつにも増して鋭い。

それは真の冷徹さを備えた眼光だった。

「変えられないものを無理にでも変えようとすれば、必ず何かしら、誰かしらの犠牲が出る。強大な力を手中に収めれば収めるほど、犠牲は大きくなっていく。」

「……どういう意味だ?」

「真実に背を向けるな、ということだ」

俺も、ソラも、ナミネも、敷かれたレールの上を走っているだけなのだろうか。

俺は、ソラを目覚めさせる。

その後、ソラは世界を乱す者達と戦う。

そして、ナミネは——消える。

それは正しいことなのかもしれないが、果たして本当にそれで良いのだろうか?

ナミネは消える。

ノーバディだから消える。

存在してはいけないから消える。

でも、それはあくまでディズがそう主張しているだけであって、自分個人としてはナミネは消えるべきではないと思っている。

しかし、自然の摂理に従うとするなら、ナミネは消えるべきなのかもしれない。

だったら、自分はどうすればいいんだ?

自然の摂理に——真実に刃向かうのが正しいのか?

それともディズが言うように、ナミネの“最期”を見届けることが自分の義務なのか?

なあ、俺はどうすればいい?

ソラ、おまえならどうする?

コンピュータールームの隣に併設されている白い空間。

その中央にある花の蕾のような形をした、人間が収まるほど大きなポッド。

この中でソラは眠っている——眠り続けている。

リクは、ソラが入っているポッドの前に立った。

周りの物全てが白いこの部屋では、リクが着ている黒いコートが一際目立つ。

「いつまで寝てるつもりだよ……ソラ」

1年前のあのとき、カイリを頼むって言っただろ?

俺は、おまえにならカイリを任せられるって思ったんだぞ?

ナミネとだって“約束”したんだろ?

「早く……起きろよな」

おまえのことを待っている人たちは、沢山いるんだ———。

“ロクサス”という名のノーバディ

翌日の朝早、リクはディズに呼び出された。

「ソラの記憶の再生が上手くいかない原因がわかった」

「本当か!?」

「ああ。ソラの記憶の再生が遅れているのは、おそらくソラが不完全だからだ」

「……不完全?どういうことだ?」

「つまりだ」

ディズがコンピューターの方を向き、キーボードを叩くと、モニターに機関のコートを着た少年の姿が映し出された。

栗色の髪をしているその少年は、リクが知らない人物だった。

「ソラの半身、即ちソラのノーバディが欠落しているからだ。確証はないが、他に原因らしい原因もない」

「じゃあ、こいつは?」

リクがモニターに映し出された少年を指差した。

「こいつがソラのノーバディ——『ロクサス』だ」

「ロクサス……」

リクは改めてモニターの少年を眺めた。

髪型や髪色はソラとは異なるが、目鼻立ちは確かに似ている。

唯一気になったのは、彼の服装だった。

自分が着ているのと同じ、黒いコート。

「見ての通り、『ロクサス』は機関の一員だ。ここに連れてくるだけでも、かなり骨が折れる仕事になるだろう」

「ちょっと待ってくれ。仮にこいつ……『ロクサス』をここに連れてきたとして、その後はどうするんだ?」

「まずソラが眠っているポッドと、ここのコンピューターを接続する。次にトワイライトタウンそのものをデータ化して作成した『世界のコピー』に『ロクサス』を移す。その後『ロクサス』を徐々にデータ化し、ソラへと還元する」

「随分と壮大な話になってきたな」

「君が思っているほど難しい話ではないがね。だが、今話した手順を踏めば、ナミネの能力でソラの記憶はすぐに回復するだろう」

「それがあんたの作ったシナリオか。でも、それで本当に上手くいくのか?」

「記憶の回復・再生はナミネ次第だ。問題は“どうやって『ロクサス』をここに連行するか”だ」

「他の機関の連中に気付かれたら、不味いことになるだろうな」

「全くその通りだ。そこで、君に『ロクサス』をここに連行してきてもらいたい」

「俺が……?」

「仮にこちらの事情を『ロクサス』に説明したとしても、彼が承服するとは考えにくい。十中八九、抵抗するだろうな」

『ロクサス』の立場からすれば、正にその通りだろう。

自分達の計画に賛同することは『ロクサス』の消滅を意味する。

いくら心が無いノーバディとはいえ、自ら消える道を選択するとは思えない。

「だから、リクよ。他の機関の者の目が届かない場所で『ロクサス』に接触し、無理矢理で構わん。『ロクサス』が抵抗する、しないにかかわらず必ずここに連れてきてくれ」

リク改めて、モニターに映し出された『ロクサス』の姿を見た。

やはり、ソラに似ている———。

俺はもう一度、『ソラ』と戦わなければならないのか———。

正直、気が重かった。

「ソラのノーバディか……」

「気乗りがしないのはわかるが、これは必要なことだ。おまえにやってもらう以外に方法は無い」

ディズか言っていることは、確かに正しい。

ソラを目覚めさせるためにディズと同盟し、狭間の道に踏み込んだ以上、もう後戻りは出来ない。

私情を殺して、親友の半身に剣を向けなければならない———。

「いくらソラの半身とはいえ、相手はノーバディだ。心を持たない脱け殻に情けは無用だ。任せたぞ、リク」

「……わかった」

口から出た了承の返事は、低く、重い声だと自分でも思った。

「それと、これを持っていくといい」

ディズはリクに黒い帯のような布を手渡した。

「……これは?」

「君は私のように非情にはなりきれない。それを使うかどうかは君が決めろ」

リクは無言で黒い布を握り締めた。

ディズが自分にこの布を手渡した意図があまりわからないまま、リクは闇の回廊を開き、その中へと飛び込んだ。

行き先は、狭間の闇と混沌が支配する街——行き場の無いノーバディ達が集う『存在しなかった世界』。

もし仮に『ロクサス』と戦ったとして、自分は勝つことが出来るだろうか?

力の優劣ではない。

これは心の問題だ。

頭ではわかっているつもりだ。

しかし、自分の中には、まだ迷いがあった。

ノーバディに情けは無用、か———。

闇の回廊を歩いているせいか、考えがどんどん暗い方向へと傾いてしまうような気がした。

闇に心を蝕まれるとは、もしかしたらこういった状況を指すのかもしれない。

「目は嘘を吐けないからな……」

結果はどうあれ、自分は『ロクサス』に剣を向けなければならない。

自分の目は“それ”からは逃れられない。

このとき初めて、リクはディズから手渡された黒い布の意味に気付いた。

“君は私のように非情にはなりきれない”

「非情になりきる、か………」

迷いを覆い隠すための道具。

それが、この布の役割なのだろう。

リクは黒い布が両目を覆うように巻き付け、頭の後ろで固く結んだ。

ちょうど、目隠しのように。

両目の視界は完全な暗黒だった。

これで自分は一欠片の光も見えなくなった。

でも、これでいい。

光を見失って迷ったときは、闇が俺を導いてくれる。

そうだろう?ナミネ———。

リクは闇の回廊を抜け、自分の足が固い地面を踏みしめる感触を覚えた。

床はコンクリートのようだった。

風は強く、雷鳴の音が一際強く聞こえる。

どうやら、今自分が居るのは高い場所のようだ。

事実、リクはこの街で一番大きい摩天楼の頂上に立っていた。

そのリクの姿を、鈍色の『月』が——人の心のキングダムハーツが照らし出していた———。

長い因縁の始まり

目隠しをした自分の視界にあるのは、闇だけである。

当然ながら、何も見えない。

しかし、何も感じないわけじゃない。

闇は、自分に色々なことを教えてくれる。

「ノーバディの気配がするな……」

リクが向いた方角の先には機関の拠点——ⅩⅢ機関の居城があった。

ダスクのような下級ノーバディの気配は何百何千と感じられたが、肝心の『ロクサス』の気配は城の方からは感じられなかった。

この場合、単純に視覚に頼るよりも、闇を通じて相手の気配を探る方が理に適っていた。

大概の機関のメンバーは着ているコートのフードを深く被っており、外見からは個人の判断がつきにくい。

ならばいっそ、相手の“匂い”を感知するやり方に特化した方が良い。

『ロクサス』がソラのノーバディである以上、彼の“匂い”——即ち気配は、ソラに似ているはずであるとリクは踏んでいた。

さらに機関のメンバーは、各々が固有の属性を備えている。

そのことを考慮すれば、光の勇者であるソラのノーバディである『ロクサス』の属性は“光”であると容易に推測できた。

慌てるな。

慎重に、ゆっくりとソラに似た“光”を探すんだ———。

リクは自分にそう言い聞かせながら、城の周辺部、続いて市街地を中心に『ロクサス』の気配を探ってみた。

その途中、雷鳴が轟くのと同時にリクはあることに気付いた。

リクの眼下にある広場——つまり、今リクが頂上に立っているビルの前に大量のハートレスの気配を感じた。

ノーバディではなくハートレスの大群——少なく見積もっても二百から三百はいる。

ノーバディほど知能が優れているわけでもないハートレスが、集団で一体何をするつもりなのだろうか?

そのとき、リクは感じた。

ソラに似た気配を持つ者が、一人でこちらへ向かって歩いてくる。

“彼”にハートレス達が襲い掛かる。

しかし“彼”は何事も無かったかのようにハートレス達を斬り捨てていく。

“彼”は両手に剣のような武器を携えているとリクは察した。

そして、その武器が放つ気配には覚えがあった。

そう、キーブレードだ。

機関の一員である“彼”は、ノーバディであるはずだ。

ノーバディに心は無い。

その“彼”が、心の力の象徴とでも呼ぶべきキーブレードを、なぜ使える?

一体なぜだ、『ロクサス』———。

しかし、リクはここで考えを切り換えた。

キーブレード云々よりも、さらに重要なのは今自分が置かれている状況だ。

理由はわからないが、好都合なことに『ロクサス』は今一人だ。

しかも、これだけの数のハートレス達に囲まれているとあれば、逃げられる可能性は低い。

自分の役目は、ソラを目覚めさせること———。

自分の目的を、自分の中で再確認した。

眼下の広場では、『ロクサス』が四方八方をハートレスの大群に囲まれていた。

これで『ロクサス』の退路は完全に断たれたはずであった。

『ロクサス』をディズのもとへ連行するには、この状況は千載一遇の好機であった。

“ソラは何処だ?”

闇の力に得た、常人を遥かに凌駕するリクの感覚能力は『ロクサス』がそう呟いたのを聴き逃さなかった。

今の言葉は単なる独り言なのか、それとも———。

リクがそう思考した刹那、『ロクサス』が猛烈な勢いでキーブレードを振るい始めた。

常軌を逸したスピードで、次々とハートレス達を斬り伏せる『ロクサス』。

この分だと、あいつも俺も無傷では済まないな———。

リクが発した殺気に気付いたのか、『ロクサス』が摩天楼の頂上を見上げた。

ハートレス達を蹴散らしながらビルを駆け上がってくる。

どうやら、『ロクサス』は自分のことを敵として認めたらしい。

「……上等だ」

『ロクサス』が右手に持っていた黒いキーブレード——『過ぎ去りし想い出』をリクに向かって投げ付けた。

同時に、リクはビルの頂上からダイブし、空中で黒いキーブレードを掴み取った。

なぜ『ロクサス』がこのような行動に出たのかはわからない。

自分を攻撃するつもりでキーブレードを投げ付けたのか、それとも何か別の意図があってのことなのか———?

ビルのネオンに照らされながら、二人の視線が交錯した。

その瞬間、リクは悟った。

この男——『ロクサス』とは、この先長い付き合いになるであろうことを———。

《終》

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