“妖姫”の誕生
私の心は、闇に飲み込まれた。
その心——『本来の私』は、現在はハートレスと呼ばれる怪物になっているらしい。
そして、今の私は心を無くしたただの『脱け殻』だそうだ。
全く、胡散臭い話だ。
そんな胡散臭い話を、目の前に立っている男は真剣に語っている。
突如として私の目の前に現れた『ゼムナス』とかいう銀髪の男。
髪型といい、服装といい、怪しさ満点。
黒いコートを羽織っている姿も相まって、最初はどこの変質者かと思ったわ。
でも、そのもう考えは何処かへ消えてしまった。
「L…A…R…X…E…N…E………」
私が心を失う前——人間だった頃の名前のスペルに『X』の一字を加えたアナグラム。
それが、私の目の前に並んでいる。
「“LARXENE”——新しい君の名前だ」
私が『ラクシーヌ』になった瞬間、私は目の前の胡散臭い男——ゼムナスと同類になってしまった。
同類——即ち、機関の一員。
人の姿を留めた、特別なノーバディ。
私はその機関と呼ばれる組織で、No.12である『非情の妖姫』になった。
その時に、私の運命は決まってしまったのかも知れない。
だって、ノーバディは遅かれ早かれ、闇に溶けてしまう運命だもの。
ハッピーエンドがあるとしたら、それはキングダムハーツとかいう名前のハート型の月が完成して、自分が人であった頃の心を取り戻せたらの話。
でも、心って何だろう?
愛?友情?嫉み?憎しみ?怒り?悲しみ?
そんなもの、数え上げたらキリがない。
ああ、苛々する。
心を持たないノーバディが苛々するのも奇妙な話だけど、それでもやっぱり苛々する。
でも冷静になって考えてみれば不思議な話だ。
心が無いのに、どうして苛々したりするものかしら?
苛々してばかりの日常が、延々と繰り返される日々。
いつの間にか、私が機関に入ってから半年近くの時間が経っていた。
闇の回廊の開き方や、私のノーバディとしての能力である『雷』の力の扱い方にも随分と慣れてきた、ある日のこと。
それは、『ロクサス』という名前の少年が機関に加入して間もない時期でもあった——。
鬱屈とした日常
任務先から帰ってきた後、機関の城内にある長ったらしい廊下を自室に向かって歩いていた時のことだ。
私が機関内で一番嫌いな男——No.4のヴィクセンが私に声を掛けてきた。
「新入りとはいえ情けない戦績だ。貴様のような低能な女が、よくも機関の中でのうのうと生活できるなぁ?」
その日の私の任務は『普通に暮らしている人間達をハートレスに襲わせて、ハートレスの数が更に増えたところでそのハートレス達を倒して“心”を回収する』といったものだった。
まあ、機関においてはよくある類の任務だ。
でも、実際に回収出来た『心』の数は予想以上に少なかった。
なぜなら、私は『普通に暮らしている人間達をハートレスに襲わせる』という点をクリア出来なかったから。
「まあ所詮、貴様のような低能女の力量ではロクな任務結果が出ないということだろうなぁ。知ってはいたが再確認だ」
今、私の目の前で偉そうに嫌味ったらしい話をしているヴィクセンという男——こいつは本当に気に食わない。
機関の古参メンバーなのだが、何かにつけてNo.4であることを誇示するときた。
通称『凍てつく学究』と呼ばれているこの男は、ノーバディのくせして先輩風を吹かせるのが好きらしい。
ハッキリ言って、私が一番嫌いなタイプだ。
「…何よ?ワザワザ私にそんな事を言うために声を掛けてきたワケ?」
「その通りだ。貴様のように頭の悪い女には、二度でも三度でも同じことを言ってやらなければ学習しないだろう?機関の一員としての自覚が足りんようでは困るのでなぁ」
いつものことだが、この男には思いっきり雷を落としてやりたい衝動に駆られる。
でも、今日はそんな気力さえ湧いてこない。
今日の任務——まあ、実質的には任務失敗だったけど、私はとても疲れていた。
ノーバディだけど、私だって女なのよ?
流石に体力的には男に適わない。
「おやおや…何やら顔色が優れんなぁ?どうだラクシーヌ?出来もしない任務に精を出すくらいなら、私の素晴らしい実験のサンプルになってみないか?」
「…ふざけんじゃないわよ」
ああ、思い出した。
この変態科学者、私が機関入りした初日に『女のノーバディは珍しいからラクシーヌを使って色々と実験したい』とか言って、他の機関員達に提案したらしい。
当然とでも言うべきか、そんなヴィクセンの変態的な提案はゼムナスによって却下されたのだけど、シグバールやザルディンとかはヴィクセンの提案に賛成していたから恐ろしい。
あのオヤジ達は、女を何だと思っているのかしら?
「私はなぁ、至って真剣だぞ。ゼムナス殿から言い渡された任務を満足に遂行出来ないのならば、貴様は文字通り身を呈して機関の役に立つべきなのだ」
「誰がアンタの実験になんか…吐き気がするわ」
「ならば、私が貴様の身体を吐き気がしないように造り替えてやってもいいぞ?これは名案だと思わんかぁ?」
ああ、気持ち悪い。
本当に気持ち悪い。
目の前にいる変態科学者は、私に臭い息を吐きかけながら侮蔑に等しいことばかりを言っている。
任務の疲れと相まって、本気で吐き気や眩暈がする。
心が無いノーバディだからこそ、肉体の変調は正確に把握できる。
でも、そんなことを頭で考えるのもそろそろ限界みたいだ。
「……下衆男と、これ以上話すことなんて無いわ」
「何ぃ?」
気が付いたら、私はヴィクセンに背を向けて歩き出していた。
一分でも、一秒でも早く、あの顔色の悪い変態野郎の前から姿を消したかった。
だって、不愉快極まりないもの。
反吐が出るわ———。
ああ、疲れた。
私は自室の真っ白いベッドに思い切り倒れこんだ。
そして、仰向けになって天井を眺めてみた。
ベッドの色と同じ、染み一つ無い真っ白い色をした内装。
白いのは、それだけじゃない。
床も壁もドアも、部屋中が真っ白。
綺麗過ぎて逆に無機質というか、殺風景な印象を私に与える部屋。
インテリアなんて殆ど皆無。
女である私ですら、自室にはせいぜい化粧台くらいの家具しか備え付けていない。
人間だった頃は、もっと違っていた。
お気に入りの服を、クローゼットに器用に収納したりしていた。
男を自分の部屋に招き入れる時は、蛍光灯の色にこだわって部屋全体のムードを調節したりしていた。
それらが密かな楽しみだった頃が、今では遠い昔のことのように思える。
今となっては過去の記憶に過ぎない。
現在の私は、心を持たざるノーバディだ。
部屋の内装にこだわることの何が『楽しい』のか、なぜそれが『楽しい』と思えたのか、そんなことは忘れてしまった。
そこまで考えて、ふと虚しい気分になった。
心が無いのに虚しいだなんて、自分でもおかしな話だと思うけれど。
ヴィクセンを含めて、むさ苦しい男共に囲まれて過ごす日々。
ひらすら『心』を回収する任務をこなしているものの、充実感なんて欠片も感じない。
こんな単調な日々の繰り返しでは、やはり虚無感は拭えない。
「ノーバディの性……なのかしら」
ベッドの上で仰向けになり、天井に向かってそう呟いた。
ああ、暇だ。
身体は疲れを感じてはいるが、あまり眠くはない。
でも、やることなんて特にない。
だったら、退屈しのぎに誰かと話でもしてみようか。
私はベッドから起き上がり、自室を出て渡り廊下に出た。
No.12である私の自室の両隣には、No.11のマールーシャと、No.13のロクサスの部屋がある。
マールーシャとは機関に加入した時期が近いこともあって、普段からよく話す仲だ。
でも、ここ最近のマールーシャは忙しそうにしている。
本人が言うには、機関の新施設である忘却の城関係の任務で忙殺されているのだとか。
そんな状況なのだから、おそらく部屋にはいないだろう。
では、新入りであり、自分にとって唯一の後輩であるロクサスはどうだろうか?
彼のことは、決して嫌いではない。
ヴィクセンのような輩とは違って、ロクサスは私に対して不快感を与えるようなタイプではないからだ。
口数が少ない、人畜無害な少年——それがロクサスに対する私の認識だった。
「…憂さ晴らしに、少しからかってやろうかしら」
私はロクサスの部屋の前まで来ると、ノックもせずにドアを開けた。
その瞬間、私は部屋の中にいたロクサスと目が合った。
その目は、明らかに私のことを歓迎してはいなかった。
No.12とNo.13
「…おい、いきなり何だよ」
窓から闇色の景色を眺めていたロクサスが、あからさまに嫌な顔をして私の方を振り向いた。
「あんた、今ヒマ?」
「…暇だったら何なんだよ」
表情だけでなく、声にも欝屈としたもの混じっているロクサス。
ノックをせずにドアを開けたことが、そんな気に食わなかったのだろうか。
「暇なら、ちょっと話でもしない?」
「話すって、何をだよ」
「そうねぇ。この機関の腐っているところとか」
「…別に興味ない」
「いいから付き合いなさいよ。先輩命令よ」
「……はぁ?」
「さっきヴィクセンの馬鹿がね——……」
部屋の主であるロクサスの了承を得ぬまま、私は問答無用で部屋に押し入った。
そして、ベッドの上に腰を下ろして、その後はひたすら愚痴をこぼした。
ロクサスは嫌々ながらという様子ながらも私の隣に座り、終わりの見えない愚痴に耳を傾けながら、適当に相槌を打っている。
「……って、あんた…ちゃんと聞いてる?」
「ああ」
「さっきから『うん』とか『ああ』とかってしか言わないじゃない」
「うん」
「あんたってさぁ、可愛い顔してるくせに愛嬌ゼロよね~。まあ、ノーバディだから仕方ないのかしら?」
「ああ」
「いくらノーバディでも演技で笑うくらいのことは出来るでしょうに。あんた、そんなんじゃキングダムハーツが完成して心を手に入れても絶対にモテないわね」
「“モテ”って何だ?」
「女から好かれるって意味よ」
「興味が無いな」
「ハァ~……処置なしだわ」
私は思いっきり溜め息を吐いた。
先程からヴィクセンのことを中心に愚痴を漏らしているのだが、当然と言うべきか、ロクサスはそんなことには興味も関心も感じていないらしい。
「任務失敗でヴィクセンに文句を言われたのはよく分かった。ラクシーヌがヴィクセンを嫌っているのもよく分かったよ。ただ……」
「…ただ?」
「さっき今日の任務は失敗だった…って言ったよな?」
「……ええ」
ロクサスは適当に相槌を打ちつつ、実は私の話をしっかりと聞いていたらしい。
少しだけだが、目の前に座っている少年のことを見直した。
「ラクシーヌ、今日は何の任務だったんだ?」
「虫酸が走るような任務よ」
「いや、それ答えになってない」
「普通に暮らしている人間達をハートレスに襲わせて、ハートレスの数が更に増えたところでそのハートレス達を倒して『心』を回収することよ」
「何だ、思ったよりも普通の任務だな」
「…まあ、他の奴らに課される任務と大差はないわね」
「…で、どうして失敗したんだ?」
「何となくね……気分が乗らなかったのよ」
私が訪れたのは、割と規模は小めな、海に囲まれた普通の街だった。
ハートレスは人間を襲い、心を奪うことで更に増殖する。
当初の予定では、街の中に数匹のハートレスを呼び寄せ、さらにハートレスの数が増えたところで、満を持してハートレス狩りを行う——はずだった。
任務達成のためには、それが得策であり最良の手段であったはずなのに、私はそのやり方を選ばなかった。
「どうして?」
「毎日毎日、同じような任務ばかりだといい加減飽きてくるのよ。新入りのあんたには、まだ分からないんだろうけどね」
「そういうものなのか……?」
そう、私は“いつもと同じ”であることに飽きていた。
そこで、たまには普段とは違う趣向を凝らしてみようかと思ったのだ。
そこでまず始めたのは、街の散策。
わざと人気の多い場所を狙ってハートレスを放ち、逃げ惑う人々を傍観して楽しもうかと考えた。
「……最低だな」
「別に、実行しちゃいないわよ」
「怪しいな……」
「うるさいわね!脳天に雷を落として黒焦げにするわよ?」
「……それはやめてくれ」
人の多い場所は、簡単に見つかった。
だがその場所——街の広場のような場所で、老夫婦と赤髪の少女が楽しそうに会話をしているのが目に入った。
歳の頃は、14歳か15歳くらいに見える少女だった。
少女は老夫婦に向かって『ただいま』とか何とか言っていた。
それを見て、何だかやる気が失せてしまった。
その理由は自分でもわからない。
でも、こんな所にハートレスを放っても自分は楽しめない——楽しくとも何ともないだろうと、勝手に予想した。
「へえ…ラクシーヌにも意外と優しい所あるんだな」
「勘違いしないで頂戴。ノーバディに優しいも優しくないもある訳ないでしょ?何となくだけど、興醒めしただけよ」
「ふーん。で、その後は?」
実際に街を歩いてみて思ったことだが、その街には様々な住人が——そこで生活を営んでいる人々がいる。
普段の任務では、遠くから街中でハートレスが増えていく様子を眺めていることが当たり前だった。
私がノーバディであることを差し引いても、ただ遠くから見ている分には、何の感慨も湧かない。
でも、実際に街の中を歩いてみると、私がかつて心ある人間だった頃の記憶が、色鮮やかに甦ってくるのが実感できた。
それは学校の記憶だったり、家族の記憶だったり、友達の記憶だったり、恋人の記憶だったり———。
懐かしいような気分になった。
勿論、ノーバディである私が“懐かしい”気持ちになるはずがない。
だから、その懐かしさは偽物だと思った。
けれど、今この街の中でハートレスを放ってしまえば、たとえ偽物であったとしても、この“懐かしい”という気持ちは消え去ってしまうような気がした。
私は、それが嫌だった。
この“懐かしい”という気持ちを犠牲にしてまで、任務を完璧にこなそうという気にはならなかった。
「懐かしいって、どういう気持ちなんだ?」
「難しい質問ね。そうねぇ、意識が過去に飛ぶような感じかしら?」
「昔のことを思い出すと“懐かしい”のか?」
「まあ、そんなところね」
「俺にはよく分からないな……」
「私にだって分からないわよ。ノーバディなのに不思議なこともあるものよね。自分でも驚いたわ。勿論そんなもの、偽りの懐かしさに決まってるのにね……」
「その“懐かしさ”が偽物だと、そんなに駄目なことなのか?」
「駄目に決まってるでしょ。偽物の気持ちに価値なんて無いんだから」
「そこまで言わなくても良いと思うけど……」
「どうせ偽物なんだから仕方ないでしょーが。で、その後……」
私は闇の回廊を使って、その街から少し離れた所にある離れ小島に移動した。
人気の無い場所で少し考えたかった。
ついさっき自分が感じた“懐かしさ”は、実は本物だったのかどうかを。
…とは言っても、その答えは否だ。
なぜなら私はノーバディであり、心なんて無いのだから。
心を持たない私が“懐かしさ”を感じるはずが無い。
だから、あれは気のせいに過ぎない。
そんな結論へと至った瞬間、急に虚しくなった。
そこで、気晴らしがてら、その離れ小島の浜辺を少し歩いてみた。
波の音を聴きながら浜辺を歩くのは、意外と悪くはなかった。
その途中でチャンバラやボール遊びをしている子供の3人組や、作り掛けらしきイカダを見かけた。
どうやら、離れ小島は子供たちの遊び場的なスポットになっているようだった。
そこで、ふと自分が子供だった頃を思い出した。
そしてまた懐かしいような、それでいて虚しい気分になった。
「ロクサス、あんたに訊きたいことがあるわ」
「何だよ?」
「あんたは、思い出したことがある?子供の頃——本当に小さい子供の頃を」
「いや……俺にはノーバディになる前の記憶が無いんだ」
「そんなことは関係ないのよ。あんたは覚えていなくても、あんたがノーバディになる以前の『過去』は、間違いなく存在しているはずなんだから」
「小さい子供の頃……か………」
「時間は待ってはくれないわ。握り締めても、開いたと同時に離れていく。そうやって何かを残して、何かを捨てながら大人になっていくのよ」
「人間って、そういうものなか?」
「そうよ。時間は誰に対しても平等。そして、人間の意志では絶対に巻き戻せないものなのよ」
子供の楽園とも呼ぶべきあの島で、私はそのことを思い出した。
それと同時に、心を持たないとはいえ、自分の中には何も残っていない訳ではないということも———。
そんな時だった。
黒いハートレス——『シャドウ』の群れが、島の浜辺に現れたのは——。
気まぐれの善行
「何となくだけど、闇の匂いが濃かったのよね~、あの島。『シャドウ』っていう天然のハートレスが急に地面から湧いて出てきたのよ」
シャドウたちの数は、およそ30~40匹程度。
少しばかり数が多いとも感じたが、普段ならナイフを投げ付けるなり雷を落とすなりして一蹴できるレベルの相手だ。
任務の名目としてハートレスを狩らなければならないのだから、向こうから勝手に出てきてくれたのは好都合だった。
本来であれば———。
「あのハートレス共、私じゃなくて近くにいた子供の方に襲い掛かったのよ。まあ、ハートレスの習性を考えれば当然のことだけどね」
“心なき者”と呼ばれるハートレスは、心ある者を優先的に襲う。
天然のハートレス——「ピュアブラッド」に分類されるハートレスの中でも最も代表的な種とされるシャドウたちは、ノーバディである自分よりも3人組の子供たちに狙いを定めた。
子供のうちの一人は、おもちゃの剣でハートレスに殴り掛かっているのが目に入ったが、当然ハートレスにそんな攻撃は通用しない。
普通の人間——ましてや子供なんかが、ハートレスを倒すことなど到底不可能なのだ。
「最初は見殺しにしてやろうかと思ったわ。だって、ハートレス共があのお子様の3人組から心を奪って、さらに増殖してから戦った方が私にとっては好都合だもの」
「『最初は見殺しにしてやろうかと思った』…ってことは、結局見殺しにはしなかったんだろ?」
「…そうよ。私らしくないけどね」
見殺しに、したくはなかった。
あの3人組の子供たちは、自分に『懐かしさ』を感じさせてくれた。
その影響なのかは分からないが、頭で考えるより先に体が動いていた。
子供たちに危害が及ばないように、ハートレスを攻撃する際には細心の注意を払った。
水辺での戦闘ということを考慮して、雷による攻撃は控え、テレポートを繰り返しつつナイフによる物理攻撃のみでシャドウの大群と戦った。
戦いの最中、途中で縄跳びを持っている少女の泣き声が聞こえた。
ボールを持っている少年の叫び声が聞こえた。
耳障りで、欝陶しかった。
そして数十分後———。
普段なら雑魚扱いのハートレス。
でも、今回は多勢に無勢、かつ勝手が違うということもあり不機嫌になっていく自分を自覚しながらも、目の前のシャドウたちを全滅させた。
子供たちには傷一つ負わせずに。
「もうね、本っ当に疲れたわ。体も疲れたけど、何よりストレスが半端じゃなかったわね」
「その3人組が、傷を一つも負わなかったってのは凄いな……」
ロクサスの言葉にラクシーヌは眉をひそめる。
「たかがシャドウ相手に数十分よ?あんなに疲れるくらいなら、やっぱり見殺しにしてやればよかったと本音じゃ思ったわ。でも……」
シャドウたちを全滅させて息を切らせていたラクシーヌに、子供たちが礼を言ってきた。
(誰だか知らないけど…ありがとうッス!マジで助かったッス!)
(ホンマやぁ…もうアカンと思ったわぁ~)
(生きた心地がしなかったからなぁ……)
(お姉さん、ホンマにありがとな)
3人組はラクシーヌに労いの言葉を送った後、ボートに乗って本島にある家へと帰っていった。
「全く……私らしくないったらありゃしないわ」
「それで、任務失敗?」
「そうよ。仕留められたのはせいぜいシャドウ数十匹。この程度で任務成功と言えるくらい機関は甘くないわ。それに結果論だけど、任務内容の細かい部分を無視したことに変わりはないしね……」
状況が落ち着いた頃には、水平線は黄昏色に染まっていた。
桟橋に腰を下ろし、ボートに乗って家へと帰っていく子供たちの姿を眺めながら、私はある考え事をしていた。
あの子供たちは自分に向かって『ありがとう』と言った。
そんな言葉を耳にしたのは、ノーバディになってからは初めてだった。
感謝の言葉を贈られても、何も感じない自分。
いや、感じることの出来ない自分。
この時ほど心が欲しいと思った瞬間はなかった。
自分はひねくれ者だろうと、サディストだろうと、何と呼ばれようと構わない。
『気持ちを感じる心』が欲しい——……。
そう思った。
「これじゃあ、骨折り損のくたびれ儲けよ」
「お疲れさま、ラクシーヌ」
「そんなこと言ってくれるのは、この機関の中じゃあんたかマールーシャくらいね。まあ、別に嬉しくなんかないけどね」
「素直じゃないんだな」
「はぁ?あんた馬鹿?心が無いのに嬉しいと感じるわけないでしょ?これはノーバディとして当然の反応よ」
「でも『懐かしさ』は感じるんだろ?」
「その『懐かしさ』だって、どうせ偽物よ。そうに決まっているわ」
でも、だけど——あの3人組が遊んでいる様子を眺めていた時の気分は、決して悪いものではなかった。
「俺、思うんだけどさ」
「何よ?」
「多分だけど、ラクシーヌは決め付け過ぎなんだよ。心が無いからって、何でもかんでも決め付けるのは良くない」
「…はんっ。お子様のくせして、この私にお説教ってワケ?」
「そういうわけじゃないけど、決め付け過るのは良くない。俺も他人のことは言えないけどさ……」
「何よ……子供のくせして偉そうに………」
「ラクシーヌ、さっき俺に言っただろ?『時間は待ってはくれない』『何かを残して何かを捨てながら大人になっていく』って。子供の頃が懐かしいと思えたから、そういうことを思い出せたんじゃないのか?」
突然、ラクシーヌがロクサスに抱きついた。
それは、ほとんど衝動的な行動だった。
抱きついた反動で、二人が座っているベッドがギシギシと音を立てている。
「……ラクシーヌ?」
「あんたは…生意気だけど……」
ノーバディで、しかもひねくれ者の自分を邪険に扱ったりはしない。
それどころか、真正面から受けとめてくれた。
そのことが“嬉しい”気がする———。
「あんたって、ホントお人好しね。冷たいフリして…実はこんなに温かい……」
コート越しに、抱きついたロクサスの体温が伝わってくる。
その体温が、ラクシーヌにとっては心地よく感じた。
たとえ、自分には心が無くても、抱き締めたロクサスの体はとても温かくて、心地よくて——空虚な自分が満たされていくような感覚があった。
「あんたに話して良かった。本当に良かったわ。認めたくないけど、特別に認めてあげる。私一人じゃ、たぶん気付けなかった……」
「……何に?」
「自分が感じた、自分の気持ちによ」
もっと温もりを感じたくて、ラクシーヌはロクサスを抱き締める腕に力を込める。
「ラクシーヌ……苦しいよ」
「…もう少しこのままでいさせて。先輩命令よ」
ロクサスの温かさによって、自分の中にある重苦しい何かが解放されたような気がした。
それが気のせいでも、錯覚でもいい。
今この瞬間に、自分がそう思えたのなら、それでも構わない。
自分が感じているこの温もりは、決して偽りのものではないのだから。
ロクサスのおかげで、今まで非情に、冷酷に振る舞っていた自分とは“異なる自分”を発見できたのだから。
ラクシーヌはロクサスから離れ、ベッドから立ち上がった。
「ん~……何だかスッキリしたわ」
ラクシーヌは軽く伸びをした。
つい数時間前までの鬱屈とした気分が、今では嘘のように消えている。
ここ最近では類を見ない、とても爽快な気分だった。
「ああ、それからさっき言ったこと訂正しておくわ」
「訂正?何をだ?」
「あんた、今のままでも充分モテるわよ」
「いや……それは別にどうでもいいよ」
「はいはい。たとえ心が無くても、薄情と無愛想は程々にね」
ラクシーヌはそう言うとロクサスに背を向け、部屋のドアの方へと足を進めた。
「もしキングダムハーツが完成して、心を手に入れたら……」
ドアノブを回しながら、ラクシーヌが妙に艶のある声を出した。
それは、ロクサスにとって奇妙な危機感を抱かせるような声だった。
妖しげな雰囲気を醸し出しながら、ラクシーヌは肩越しにロクサスの方を振り向き、こう言った。
「あんたと一緒に『愛』のある夜を過ごしてあげてもよくってよ?」
「……意味がよくわからないけど、何だか危ない気がするから遠慮しておくよ」
「フフ……あんたってホントお子様ね」
妖艶な流し目をロクサスに送るラクシーヌ。
どうやら、自分はからかわれているらしい——。
そのことに気付いたロクサスが、少し不機嫌そうな目でラクシーヌのことを見ている。
「でもね、あんたのそういう所……嫌いじゃないわよ」
ラクシーヌはクスクスと笑いながら部屋の外に出た。
「おやすみ ロクサス」
「…うん。おやすみ ラクシーヌ」
ドアを閉め、自室に戻ったラクシーヌは再びベッドに倒れこんだ。
何だか、今夜はよく眠れそうな気がする———。
《終》
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